2010-12-26

聖書による支え。

やあ、来てしまいましたねえ。
Blizzard Warningです。
今、夕方の5時半ですが、激しく降っています。
帰宅して2時間ほどですが、
この2時間で5センチくらい行っているのでしょうか?


こんな感じ。


明日の朝まで吹雪になって、
40センチから60センチだそうです。
ほんと?という感じもしますが、
この降り方が朝まで続いたら行っちゃいますね。


ご勘弁いただきたいです。


そう、本来、自分は今ごろ空港でCA行の飛行にの搭乗時刻を待っていたはず。
でも、飛行機はもちろんキャンセル。
火曜日の朝の乗り継ぎ便でCAに向かいます。


ハジは、今日の午後の飛行機がキャンセルになりましたが、
何とかして、明日、ECが始まるまでに会場に入りたくて、
今朝4時半に家を出て、空港で早い便への変更への直接交渉。
しかし、あえなく、明日の昼過ぎの便に。


昨日の夜から、今日の朝にかけては、本当にそれに振り回され、
あっちこっちに電話をかけたり、走りまわったり・・・。
さすがに疲れました。


昨日の朝、書いたとおり、今年のクリスマスは、
「想定外」がキーワード。


・・・まさに・・・という感じです。


でも、イブに語らせていただいていただけあって、
こんなことの中でも、神さまのメッセージを聞こうという思いが湧いてきます。
自分にとって想定外、予定外のことも、
神さまが許されたこと。


神さまのメッセージを運ぶために用いられるのだと信じます。


個人的には前の日に会場に入って、
最初から参加して、どんな集会なのか、雰囲気を知っておいて、
火曜日の夜の自分のメッセージの奉仕に備えようと思っていたのですが、
それがままならない中で、それなりにプレッシャーです。
でも、だからこそ、祈らされる。霊的な備えをしっかりしようと思わされる。
またそれまでの雰囲気に振り回されない、主のメッセージを語るようにとも導かれているように感じます。


とにかく、このことが、主によって最善にされる確信があるから、感謝です。


でも、1年以上前から準備を進めてこられた皆さんは、東海岸の多くの参加者の予定変更の続出で、今本当に大変な中におられると思います。主がその思いを守ってくださいますように。


そして、今日は礼拝は各自家庭で・・・。
私はハジと一緒に教会に行って、留守番をしておりました。

礼拝の時間、そこに来られた方々とお祈りをして、
皆さんをお送りした後、ハジと二人で賛美集会でした。
ハジがキーボードを弾いてくれて、リードしてくれて、
祈りを共にしました。

今日の在宅礼拝の聖書の箇所はマタイ6:33。
「神の国と神の義とをまず求めなさい。そうすれば、これらのものはみな、添えて与えられるであろう。」

この1年、教会で掲げて歩んできた言葉です。

「神の国と神の義」私たちが求めるのはそれだけ。
神の愛の支配と十字架に表された神の救い。
それがあれば十分です。
ほかのものは、神さまの愛の支配の中で生きるときに、
みんな添えて与えられる「おまけ」です。

だから、ハジの存在もホントは「おまけ」(ゴメン!「宝」でもあるんだけどな・・・)。
声の質似てるなあと思いながら、おまけくんと賛美をしながら、
おまけくんとこのように同じ思いで神さまを賛美できる、
神さまからのおまけに感謝しました。

でも、時々、自分たちはホンモノよりもおまけのほうを大切にしやすい。
神さまよりも神さまが与えてくださる「もの」の方を大切にしやすい。
神さまの愛よりも、気の利いたプログラムやイベントの方に注目しやすい。

神さまに愛されている喜びにあふれて、
歩ませていただきたいと思いました。

でもやっぱり、「おまけ」もうれしい。(笑)

でも、最終的におまけを求めるんじゃないですよね。
そこらへんがむずかしい・・・。

さて、今夜はコレくらいで、与えられたクリスマス明けの時間を家族と過ごします。

2 comments:

  1. 誰かが言ってました。メッセージは会衆に対してであるが、そこにいるサタン的な力に向かって、福音を宣言してゆくものだ、と。会場の様子をうかがえ知れなくなった今、見えない世界を見るようにして、真の通りよき管として、お働きができるように、祈ってまーす。・・・雪よりも白くーの聖歌がのんきに頭の中回ってる無責任な日本のある牧師より。。。

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  2. こばけんせんせい、

    お祈りありがとうございます。
    そうですね。ほんとに福音の宣言ですよね。
    主の御言葉を大胆に語ることができますように。

    私も「ゆーきよりもー、ゆーきよりもー、しろくなしたまえー、」ってやつが回っていますよ。っておんなじ歌ですよねきっと。

    もう、ここまで降ると、ジタバタしても仕方がない。

    神の前に私たちは謙虚にならないといけない、そう思います。

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