ついに更新できないうちに日付が変わってしまいましたが、
12月8日(土)のアドベント聖書日課。
今日はルカによる福音書2:22-38でした。
「この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです。」34-35節
イエスの存在は、人々を居心地のいいところに置いておくものではなかった。イエスによって、人々は心の中にあるものがあばかれることになった。
それまで立派に見えていた人々が単なる偽善者であったことが明らかになった。
人々は救い主を待っていた。
でも、ほとんどの人々は自分にとっての都合のいい救い主を求めていた。
しかし、神が準備して送られた救い主は、人々の心の中にある思いが現れてくるようになるために送られたのだった。シメオンにはそれがわかっていた。
クリスマスを待ち望む思い。
居心地のいい、気のおけない仲間や家族とのクリスマスを思い見るのもいい。
でも、神が一人子を送られたのは、私たちの安穏とした歩みにくさびを打ち込むためだったのではなかったのだろうか?
神さま、
あなたが送られる救い主、それを心から待ち望む者でありますように。
自分の願い、自分の都合、そのようなものを救い主に押し付けることがありませんように。
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