今日は朝はなんだか涼しくて、
いいかなあと思ったのですが、
夜、教会から帰ってくると家の中がむっとする。
外も夜の11時前でまだ25度。
これから雨のようですが、
早く降ってきてほしいものです。
明日は雨のち曇り。
明日の夜あたりから湿度も下がって、
過ごしやすくなると思います。
今日、教会に行こうと思って、
ズボンをはこうと思ったら、
裾がほつれている。
自分は先祖代々由緒正しい短足の家系なので、
だいたい、どんなズボンでも20センチくらいは裾上げしてある。
ジーンズなどはウェストのサイズより、長さの方が短い。(ふつう?)
その裾上げしたところに、
足の爪とかが引っかかって
(ちゃんと靴下はいてからはけばいいのだが・・・)
だんだんほつれてくる。
一度ほつれると、足を入れるたびに、
なぜか、そのほつれた方に足が入る。
で、どんどんほつれて、今日はとうとう2センチくらいを残して、
ほとんど一周ほつれた。
で、必要は発明の母・・・ということで(ちょっと違うか)
で、小学校の家庭科以来の、ほぼ30年ぶり、うそ、33-4年ぶりの、
「まつり縫い」に挑戦。
言葉はわかるけど、やり方は忘れた。
でも、たぶんこうだろうなあ、と思いながらやった。
「これって絶対つっちゃっておかしくなるだろうなあ」と思いながら、
何とか一周。まあ、上出来。
我ながら、「お、ここまでできれば、もう一本!」
と、気をよくして、もう一つのズボンもやろうかと思う。
でも、そこで教会に行く時間。
ボタン付け以上の針仕事はしたことがないのですが、
ちょっとしたことも、妻の手を煩わせないでできると、
ちょっとうれしい。ちょっと自慢げ。
でも、針に糸を通すのが難しくなった・・・。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙7章17-28節。
「自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。」22節。
自分は自由。
だから、キリストに救われて、
キリストに属する奴隷になった。
奴隷になったんだから、
自分の気の向くままに生きるんじゃないと思う。
自分の好きなことだけをしているんじゃないと思う。
主が導かれるところ歩むことが、
主に従うことが、
大切なことなんだと思う。
主に従うのは楽しいこと。
でも、きついことも、願わないことをするように導かれることもあるだろう。
そのことを逃げないで負っていくものでありたいと思いました。
主よ、
今日の一日も感謝します。
今日の出会いの一つ一つに感謝します。
どうか、私があなたの御声を聞いて、
それが自分の願いと違っていても、
従っていく、勇気を与えてください。
従うことの意味を教えてください。
2008-07-13
2008-07-12
Quality Time
今、夜の11時前。
外の気温はまだ24.3度あります。
蒸し暑い夜になりそうです。
神様に祈るとき、ぼーっとしているときがあります。
ぼーっとしているとき、
自分は何をしているんだろうなあと思います。
でも、一冊の本を思い出しました。
「The Five Love Languages」
この本については去年も書きましたね。
http://njotenki.blogspot.com/2007/09/love-language.html
自分のLove Languageは「Quality Time」なんで、
ぼーっとしている中にも愛を感じてしまうんですね。
ぼーっとさせてくれる神様に愛を感じてしまう。
神様も、一緒にぼーっとしてくださるのかもしれない。
神様の愛も、「神様と一緒に夕日を見る」とか、
「神様、ちょっと今日はしんどいんで、ごろっとなりますよ」
っていうだらしないところも受け入れてもらっている、
ときに、感じるんですよねえ。
あ、もちろん、言葉で、熱く熱く祈るときにも、
祈りに導かれたなあ、と感じるし、
そこに神様の力を感じます。
「つきぬけた~」と感じるときもあります。
でも、神の前にぼーっとする、ということと、
神に熱く願いを祈ること、
その2つは本質的に違うんだろうと思います。
どっちも大切なんでしょうが、
何よりも、主の前に憩う。
それが幸せだと思います。
神様とのQuality Timeを大切にしていきたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙7章8-16節。
「 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。」14節。
今日はご夫妻のうちどちらかだけで信仰を守っておられる方々のために祈りました。
その方の存在がそのご夫妻の祝福の基となっていることを思い、
その方が主の恵みがご夫妻の中に流れ込む拠点になっていることを思い、
お一人ひとりの信仰が守られ、支えられるように。
心に平安と勇気が与えられるように祈りました。
主よ、
私たちひとりひとりが神様の祝福の基であることに感謝します。
その方をあなたは祝福の流れ込むポイントとして用いられていることに感謝します。
これからも、もっともっと、あなたの恵みが流れますように。
流れ込みますように。
外の気温はまだ24.3度あります。
蒸し暑い夜になりそうです。
神様に祈るとき、ぼーっとしているときがあります。
ぼーっとしているとき、
自分は何をしているんだろうなあと思います。
でも、一冊の本を思い出しました。
「The Five Love Languages」
この本については去年も書きましたね。
http://njotenki.blogspot.com/2007/09/love-language.html
自分のLove Languageは「Quality Time」なんで、
ぼーっとしている中にも愛を感じてしまうんですね。
ぼーっとさせてくれる神様に愛を感じてしまう。
神様も、一緒にぼーっとしてくださるのかもしれない。
神様の愛も、「神様と一緒に夕日を見る」とか、
「神様、ちょっと今日はしんどいんで、ごろっとなりますよ」
っていうだらしないところも受け入れてもらっている、
ときに、感じるんですよねえ。
あ、もちろん、言葉で、熱く熱く祈るときにも、
祈りに導かれたなあ、と感じるし、
そこに神様の力を感じます。
「つきぬけた~」と感じるときもあります。
でも、神の前にぼーっとする、ということと、
神に熱く願いを祈ること、
その2つは本質的に違うんだろうと思います。
どっちも大切なんでしょうが、
何よりも、主の前に憩う。
それが幸せだと思います。
神様とのQuality Timeを大切にしていきたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙7章8-16節。
「 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。」14節。
今日はご夫妻のうちどちらかだけで信仰を守っておられる方々のために祈りました。
その方の存在がそのご夫妻の祝福の基となっていることを思い、
その方が主の恵みがご夫妻の中に流れ込む拠点になっていることを思い、
お一人ひとりの信仰が守られ、支えられるように。
心に平安と勇気が与えられるように祈りました。
主よ、
私たちひとりひとりが神様の祝福の基であることに感謝します。
その方をあなたは祝福の流れ込むポイントとして用いられていることに感謝します。
これからも、もっともっと、あなたの恵みが流れますように。
流れ込みますように。
クレジットカードのお誘いに踊る。
あちいですねえ。
6月のあの熱波を経験していたら、
たいしたことはないですが、
でも、あちいです。
今日あたりから湿度も上がってきました。
日曜日の夜から月曜日にかけて雷雨があって、
その後、またドライになるみたいですが、
暑さは来週いっぱいくらい続くようです。
ま、夏だからいいですが・・・。
さて、昨日、金曜日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙7章1-7節。
「妻は自分のからだに関する権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同様に夫も自分のからだについての権利を持ってはおらず、それは妻のものです。」4節。
この聖書の言葉は本当に印象に残るので、
よく覚えている言葉です。
でも、「妻のからだは夫のもの」という
夫にとってとても都合のいいところに目をとめるんですね。
でも、昨日は違いました。
夫のからだの権利は、妻にある・・・。
これってどういうことかなあと思いました。
朝、これを読んだときは、
妻のために自分のからだを使おう、
と思いましたが、
一日終わって、今翌日になって、
どうだったかなあ、と思い反省しています。
つくづく自分勝手な自分です。
愛することを教えてほしいと思います。
主よ、
自分のからだが妻のものであると、
そのことを具体的に実行していくものでありますように。
自分勝手な思いから解放して、
仕えることができますように。
6月のあの熱波を経験していたら、
たいしたことはないですが、
でも、あちいです。
今日あたりから湿度も上がってきました。
日曜日の夜から月曜日にかけて雷雨があって、
その後、またドライになるみたいですが、
暑さは来週いっぱいくらい続くようです。
ま、夏だからいいですが・・・。
アメリカでは大人ひとりあたり平均7.6枚の
クレジットカードを持っているそうですが、
私はもっと持っていると思います。
今から12年くらい前、
アメリカに来て4年目くらい目までは、
ホントにクレジットカードを作りたくても作れない。
お誘いは時々来るのですが、
お誘いに応えて送ってみると
「残念ですが・・・」
と薄っぺらい手紙が来る・・・。
でも、今はもう作ろうと思うだけ作れてしまう。
昔の悔しい思いがあるから、作れるだけでうれしくなってしまう。
何で、って、カードによって特典が違うから。
こっちのカードは毎日のスーパーでの買い物で5%ポイントがつく、
こっちのカードはガソリンで5%。
こっちは郵便局が5%。
こっちは4-6月に限りデパートで5%。
こっちはAT&Tの支払いが10%OFF。
こっちはMITSUWAの買い物が8月の平日は10%OFF。
そして、今作ると最初の買い物で10000ポイントもらえる!
なんて、お誘いがあると、ホイホイ乗ってしまう。
どこでどのカードを使ったらいいか、
くらいなら、何とか、覚えていられるけど、
大変なのは、どのカードの支払いがいつか・・・。
もちろん、残高は例外なく全額払う。
そうしないと利子がついてしまいますから・・・。
最近は自動引き落としもだいぶ普及してきたけど、
あまりそれを利用しないので、
時々、支払いが遅れて、手数料を取られる。
だったら、ポイントもらっても意味ないじゃんと思うんですが、
交渉すれば、だいたい手数料を免除してくれる。
ということで、財布はこーんなに分厚くなっちゃうんですね。
で、アメリカのカード社会、
2004年の統計で、一世帯あたりの平均で、
信じられない・・・。
この借金、どこまで含むのか、と思うけれども、
Average households carry some $8,000 in credit card debt.
とあるのを見ると、車や家のための負債は入れないで、
純粋なカードの負債なんでしょうね。
よく読むと、家のための負債を入れないで
$18,654 per householdで、
その中の車のローンとかを除いた8000ドルくらいが
Credit Cardの残高であると・・・。
(いろいろ調べてみると、ホントは2000ドルくらいじゃないかという説もありますね。自分は5000ドルだから、アメリカ人の平均より少ない、なんて思わない方がいいです・・・)
気をつけなければ・・・と思います。
日本の「節約術」とかで、
項目ごとに現金を封筒に入れて、
それ以上は使わないようにする、
というのがありますが、
カードを使っているとなかなかそれもできない。
与えられたものを正しく使う。
もう、あまり、「カード作りませんか?」の
お誘いにホイホイと乗らないようにしないと・・・。
(この「あまり」というのがくせ者でしょうが・・・)
さて、昨日、金曜日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙7章1-7節。
「妻は自分のからだに関する権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同様に夫も自分のからだについての権利を持ってはおらず、それは妻のものです。」4節。
この聖書の言葉は本当に印象に残るので、
よく覚えている言葉です。
でも、「妻のからだは夫のもの」という
夫にとってとても都合のいいところに目をとめるんですね。
でも、昨日は違いました。
夫のからだの権利は、妻にある・・・。
これってどういうことかなあと思いました。
朝、これを読んだときは、
妻のために自分のからだを使おう、
と思いましたが、
一日終わって、今翌日になって、
どうだったかなあ、と思い反省しています。
つくづく自分勝手な自分です。
愛することを教えてほしいと思います。
主よ、
自分のからだが妻のものであると、
そのことを具体的に実行していくものでありますように。
自分勝手な思いから解放して、
仕えることができますように。
2008-07-10
アメリカの靴下。
今日はぐっと湿度が下がって朝晩はさわやかです。
でも、昼間は暑かったです。
ドライだけど、暑い。
今、夜の10時過ぎですが、22度まで下がっています。
明日の朝は13度くらいまで下がる予報が出ています。
それはホントに肌寒いくらいですね。
そして、昼間は今日同様、暑い一日になるでしょう。
さて、今日の夕食時。
サキが、「パパとママこれからどこか行くの?」と聞いてきます。
それにたたみかけるように、「You guys need some private time.」だって。
なんでしょう?テレビかどこかで聞いたのかなあ。
で、その声に励まされて、夜8時半過ぎから二人で買い物へ。
目的は「靴下を買う」。
最近、靴下を買っていなくて、
軒並み靴下に穴が空いています。
子供の頃は、穴をふさいではいたりしましたが、
さすがに、今はしません。
でも、私は基本的に穴が空いていてもOKです。
気にしません。
アメリカでは日本みたいに靴脱がないし、
脱いでも椅子に座っている分にばれません。
で、結構穴が空いたまま使っていた靴下もあったのですが、
さすがに直径が5センチを超えると、「こりゃもうそろそろ寿命かな」
と思うわけですよね。
で、最近バンバン捨てていっているんですが、
そうすると、靴下がたりなくなってくる。
で、暑いのに冬用の靴下しかない、なんてことになって、
さすがに買わなきゃいけなくなったわけです。
でも、日本とアメリカで違うものがたくさんありますが、
その中でもこっちの生活で、かな~り不満なのが、靴下。
日本に行ったときには必ず買いたくなるくらい、こっちのはイヤです。
理由は主に二つありますが・・・
1.あんまり安いのは「かかとがない」
うーん、5足で7ドルとか袋に入っているのは、
なんだか、ただの筒?みたいなやつもあります。
でも、これは安いのを買わなきゃいい。
で、本当に困るのはもう一つの理由。
2.サイズがない。
これはホントに何とかしてほしいです。私の足は24センチ。
男性としては日本でも小さい方ですが、
アメリカに来るとまさに1footで30センチくらいの人もざら。
ですが、それでも靴はちゃんとサイズがあるんですが、
靴下はないんですよね。
というか、一つのサイズでみんなをカバーしようとしている。
One Sizeとか、「靴のサイズ 6-12用」とかあります。
靴のサイズの6って22センチくらいでしょう。
そこから30センチくらいの人までワンサイズって、いったい、何?
そういうのを買うと、かかとが足首のところに来ます。
だったら、1の「かかとがない靴下」の方がずっとまし・・・。
で、今日、お店行ったら、やっぱりないんですよねえ。
ちょうどいいサイズの靴下。
男用のSとか・・・。
で、のんちのおすすめで女性用を買いました。
ま、花柄とかじゃないですよ、ピンクとかでもなく・・・。
リボンもフリルもついてないやつ。
もちろん、あの強盗が頭にかぶる「ストッキング」(日本語の・・・)でもなく。
男女どっちでも大丈夫なようなやつ。
自分ひとりじゃ、婦人用を買う勇気はないですが、
のんちが「これがいいんじゃない?」と言うので、買ってみました。
まあ、考えてみたら、ご婦人でも私よりも足の大きい方は、
アメリカにはいくらでもおられるわけで・・・。
でも、何とかしてほしい・・・。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6章12-20節。
「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり・・・」19節。
今日は自分の身をきよく保つことの大切さを戒められましたが、
(実際の姦淫はもちろんのこと、心の中の姦淫、目が犯す姦淫を含めて・・・)
でも、それ以上に、「聖霊様に住んでいただくこと」の大切さを思わされました。
そして、今、自分が実感として、「ああ聖霊様が住んでくださっているなあ」と感じているかというと、
実はそうではなくて、「私が気がつかなくても、意識していなくても聖霊様はいてくださる」と聖書から教えられているわけです。
で、今朝は「もしも実感として感じることが大切ならば、それを教えてください」と祈りました。
でも、今朝は「これだよ」と教えていただけなかったように思います。
そのときに、「ああ、これも聖霊様の自由な働きなんだろうな」と思いました。
自分が一生懸命求めたから、とか、
神様に喜ばれる歩みをしているから、とか、
実感として感じさせてくださる、のではなくて、
ある時には「実感として聖霊様の働きを感じる」ということを経験させてくださって、
ある時には、「自分の実感を頼りにするんじゃなくて、私の言葉である聖書を頼りにするんだよ」と教えてくださる。
でも、自分が気がつかないときにも、
もうすでに聖霊様は働いてくださっているんだ、
今日はもう一度そのことを感謝しながら、
もっともっと教えてください、と祈らされました。
聖霊様、
あなたの導きが必要です。
あなたがもっともっと圧倒的な力を持って私を満たしてくださることを求めます。
どうか、あなたの自由な働きで、私を導いてください。
私が主人になってあなたを利用するのではなくて、
あなたが私の主人となって、私を振り回してください。
でも、昼間は暑かったです。
ドライだけど、暑い。
今、夜の10時過ぎですが、22度まで下がっています。
明日の朝は13度くらいまで下がる予報が出ています。
それはホントに肌寒いくらいですね。
そして、昼間は今日同様、暑い一日になるでしょう。
さて、今日の夕食時。
サキが、「パパとママこれからどこか行くの?」と聞いてきます。
それにたたみかけるように、「You guys need some private time.」だって。
なんでしょう?テレビかどこかで聞いたのかなあ。
で、その声に励まされて、夜8時半過ぎから二人で買い物へ。
目的は「靴下を買う」。
最近、靴下を買っていなくて、
軒並み靴下に穴が空いています。
子供の頃は、穴をふさいではいたりしましたが、
さすがに、今はしません。
でも、私は基本的に穴が空いていてもOKです。
気にしません。
アメリカでは日本みたいに靴脱がないし、
脱いでも椅子に座っている分にばれません。
で、結構穴が空いたまま使っていた靴下もあったのですが、
さすがに直径が5センチを超えると、「こりゃもうそろそろ寿命かな」
と思うわけですよね。
で、最近バンバン捨てていっているんですが、
そうすると、靴下がたりなくなってくる。
で、暑いのに冬用の靴下しかない、なんてことになって、
さすがに買わなきゃいけなくなったわけです。
でも、日本とアメリカで違うものがたくさんありますが、
その中でもこっちの生活で、かな~り不満なのが、靴下。
日本に行ったときには必ず買いたくなるくらい、こっちのはイヤです。
理由は主に二つありますが・・・
1.あんまり安いのは「かかとがない」
うーん、5足で7ドルとか袋に入っているのは、
なんだか、ただの筒?みたいなやつもあります。
でも、これは安いのを買わなきゃいい。
で、本当に困るのはもう一つの理由。
2.サイズがない。
これはホントに何とかしてほしいです。私の足は24センチ。
男性としては日本でも小さい方ですが、
アメリカに来るとまさに1footで30センチくらいの人もざら。
ですが、それでも靴はちゃんとサイズがあるんですが、
靴下はないんですよね。
というか、一つのサイズでみんなをカバーしようとしている。
One Sizeとか、「靴のサイズ 6-12用」とかあります。
靴のサイズの6って22センチくらいでしょう。
そこから30センチくらいの人までワンサイズって、いったい、何?
そういうのを買うと、かかとが足首のところに来ます。
だったら、1の「かかとがない靴下」の方がずっとまし・・・。
で、今日、お店行ったら、やっぱりないんですよねえ。
ちょうどいいサイズの靴下。
男用のSとか・・・。
で、のんちのおすすめで女性用を買いました。
ま、花柄とかじゃないですよ、ピンクとかでもなく・・・。
リボンもフリルもついてないやつ。
もちろん、あの強盗が頭にかぶる「ストッキング」(日本語の・・・)でもなく。
男女どっちでも大丈夫なようなやつ。
自分ひとりじゃ、婦人用を買う勇気はないですが、
のんちが「これがいいんじゃない?」と言うので、買ってみました。
まあ、考えてみたら、ご婦人でも私よりも足の大きい方は、
アメリカにはいくらでもおられるわけで・・・。
でも、何とかしてほしい・・・。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6章12-20節。
「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり・・・」19節。
今日は自分の身をきよく保つことの大切さを戒められましたが、
(実際の姦淫はもちろんのこと、心の中の姦淫、目が犯す姦淫を含めて・・・)
でも、それ以上に、「聖霊様に住んでいただくこと」の大切さを思わされました。
そして、今、自分が実感として、「ああ聖霊様が住んでくださっているなあ」と感じているかというと、
実はそうではなくて、「私が気がつかなくても、意識していなくても聖霊様はいてくださる」と聖書から教えられているわけです。
で、今朝は「もしも実感として感じることが大切ならば、それを教えてください」と祈りました。
でも、今朝は「これだよ」と教えていただけなかったように思います。
そのときに、「ああ、これも聖霊様の自由な働きなんだろうな」と思いました。
自分が一生懸命求めたから、とか、
神様に喜ばれる歩みをしているから、とか、
実感として感じさせてくださる、のではなくて、
ある時には「実感として聖霊様の働きを感じる」ということを経験させてくださって、
ある時には、「自分の実感を頼りにするんじゃなくて、私の言葉である聖書を頼りにするんだよ」と教えてくださる。
でも、自分が気がつかないときにも、
もうすでに聖霊様は働いてくださっているんだ、
今日はもう一度そのことを感謝しながら、
もっともっと教えてください、と祈らされました。
聖霊様、
あなたの導きが必要です。
あなたがもっともっと圧倒的な力を持って私を満たしてくださることを求めます。
どうか、あなたの自由な働きで、私を導いてください。
私が主人になってあなたを利用するのではなくて、
あなたが私の主人となって、私を振り回してください。
2008-07-09
苦言を呈する気持ち、苦言を受ける気持ち。
今日はたぶん、夜遅くなると思うので、
今のうちにNYPLで更新。
昨日に比べるとずっと涼しくなりました。
でも、まだ乾いた空気は入ってきていません。
今夜これから雷雨があって、
そして、明日からはドライになると思います。
今、午後の4時頃ですが、
レーダーを見ると、NJの真ん中くらいまで雷雲が近づいてきています。
1時間後にはNYもにわか雨がありそうです。
NYに来たとき、
日系のお弁当でもいいんですが、
図書館のそばの日系のお店は混んでいるので、
どうしてもアメリカ系のファーストフードになってしまいます。
でも、最近その手の話がうちで話題になるんですが、
やっぱりカロリーとか、
脂肪分とか考えると日系の方がいいかな、と思って、
今日はランチが2時半になったので、
ランチの時間を過ぎて、ずいぶんすいていた日系のところに行きました。
お弁当買って、コーヒー買って、
食べてたんですが、
コーヒーがひどい。
濃いのか煮詰まったのか、
とにかく飲めない。
かなりStrongなコーヒーが好きな私でも
どうしても飲めない。
で、ちょっと手の空いていた店員さんに、
「あのコーヒー、なんだかものすごい濃いんですが・・・」と
これからくるお客さんのために、
またお店の評判のために、
半分親切心でお伝えしたんですが、
機械の方をチェックもせずに、
「ドリップしている途中のを入れたんじゃないですか?お湯で薄められますよ。」だって。
そこで反論する気も失せてしまって、
お湯で半分くらいに薄めて、クリームと砂糖をどぼどぼ入れて、
それでも濃かったです。
考えてしまいました。
自分は苦言を呈されたときに、どんな風に聞いているだろうか、
そして、苦言を呈する方はどんな気持ちでそれを話すか、
そのことを考えて聞いているだろうかと。
苦言を呈する方は、もう、どうでもいいかな、と思いながら、
やっぱりちょっと言っておこう、ということもたくさんあると思うんですよね。
自分が収まりつかない、って時もあるかもしれないけど、
それだけだったら、どっかで愚痴ればいいのかもしれない。
だから、苦言を呈するのは、「聞いてもらえる」「言って価値がある」と思うときですよね。
つまり「希望を持っている」時。
でも、自分が聞く側に立つと、そんな気持ちがなかなか伝わらなくて、
素直に聞けなかったりする。
こっちはプライドの問題でしょうね。
それはまた不安の裏返しみたいなもんで、
自信がないときほど人の話が聞けなかったりする。
「あの人には何を言ってもしょうがない」と言われないように、
聞く耳を持ちながら、でも、ロバを売りに行った親子のように、
周りの声に振り回されないように、大切な軸はしっかり持ちながら、
歩みたいと思いました。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6:1-11
「そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。」7節。
自分が損をすることでも、だまされていることができるでしょうか。
そしてだまされていていいんでしょうか。
考えさせられました。
これは教会の中でのことですよね。
よけい、ん~と考えてしまいました。
実際に自分が損をした時に、
この言葉の意味がわかるだろうと思います。
今までの私だったら、平気で「損をしよう」と言っていたと思います。
どうなんでしょうね。
これは宿題。ここで無理に何かを言おうとしないで、
自分が実際にこのような出来事に出会ったときに、
このみことばに従って与えられる恵みがあったら、
どこかで分かち合えるかもしれません。
でも、主が語ってくださったことは、
語ってくださったこととして、心にとめておきます。
主よ、
私はこのようなことに巻き込まれたくありません。
でも、巻き込まれたら、どのように反応するでしょうか?
私が将来、このようなことに巻き込まれたときに、
このみことばを覚えていることができますように。
そして、ただ、覚えているだけではなくて、
言い訳をしないで、抜け道を造らないで、従うことができますように。
今のうちにNYPLで更新。
昨日に比べるとずっと涼しくなりました。
でも、まだ乾いた空気は入ってきていません。
今夜これから雷雨があって、
そして、明日からはドライになると思います。
今、午後の4時頃ですが、
レーダーを見ると、NJの真ん中くらいまで雷雲が近づいてきています。
1時間後にはNYもにわか雨がありそうです。
NYに来たとき、
日系のお弁当でもいいんですが、
図書館のそばの日系のお店は混んでいるので、
どうしてもアメリカ系のファーストフードになってしまいます。
でも、最近その手の話がうちで話題になるんですが、
やっぱりカロリーとか、
脂肪分とか考えると日系の方がいいかな、と思って、
今日はランチが2時半になったので、
ランチの時間を過ぎて、ずいぶんすいていた日系のところに行きました。
お弁当買って、コーヒー買って、
食べてたんですが、
コーヒーがひどい。
濃いのか煮詰まったのか、
とにかく飲めない。
かなりStrongなコーヒーが好きな私でも
どうしても飲めない。
で、ちょっと手の空いていた店員さんに、
「あのコーヒー、なんだかものすごい濃いんですが・・・」と
これからくるお客さんのために、
またお店の評判のために、
半分親切心でお伝えしたんですが、
機械の方をチェックもせずに、
「ドリップしている途中のを入れたんじゃないですか?お湯で薄められますよ。」だって。
そこで反論する気も失せてしまって、
お湯で半分くらいに薄めて、クリームと砂糖をどぼどぼ入れて、
それでも濃かったです。
考えてしまいました。
自分は苦言を呈されたときに、どんな風に聞いているだろうか、
そして、苦言を呈する方はどんな気持ちでそれを話すか、
そのことを考えて聞いているだろうかと。
苦言を呈する方は、もう、どうでもいいかな、と思いながら、
やっぱりちょっと言っておこう、ということもたくさんあると思うんですよね。
自分が収まりつかない、って時もあるかもしれないけど、
それだけだったら、どっかで愚痴ればいいのかもしれない。
だから、苦言を呈するのは、「聞いてもらえる」「言って価値がある」と思うときですよね。
つまり「希望を持っている」時。
でも、自分が聞く側に立つと、そんな気持ちがなかなか伝わらなくて、
素直に聞けなかったりする。
こっちはプライドの問題でしょうね。
それはまた不安の裏返しみたいなもんで、
自信がないときほど人の話が聞けなかったりする。
「あの人には何を言ってもしょうがない」と言われないように、
聞く耳を持ちながら、でも、ロバを売りに行った親子のように、
周りの声に振り回されないように、大切な軸はしっかり持ちながら、
歩みたいと思いました。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6:1-11
「そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。」7節。
自分が損をすることでも、だまされていることができるでしょうか。
そしてだまされていていいんでしょうか。
考えさせられました。
これは教会の中でのことですよね。
よけい、ん~と考えてしまいました。
実際に自分が損をした時に、
この言葉の意味がわかるだろうと思います。
今までの私だったら、平気で「損をしよう」と言っていたと思います。
どうなんでしょうね。
これは宿題。ここで無理に何かを言おうとしないで、
自分が実際にこのような出来事に出会ったときに、
このみことばに従って与えられる恵みがあったら、
どこかで分かち合えるかもしれません。
でも、主が語ってくださったことは、
語ってくださったこととして、心にとめておきます。
主よ、
私はこのようなことに巻き込まれたくありません。
でも、巻き込まれたら、どのように反応するでしょうか?
私が将来、このようなことに巻き込まれたときに、
このみことばを覚えていることができますように。
そして、ただ、覚えているだけではなくて、
言い訳をしないで、抜け道を造らないで、従うことができますように。
2008-07-08
16年。
今日は朝から晴れて、めっちゃくちゃ暑くなりました。
今、夜の11時ですが、29度もあります。
東京みたいです。
明日は蒸し暑いですが、
雲も多く、今日のように暑くはならないと思います。
そして、午後からは雷雨。
木曜日からは湿度が下がって楽になりそうです。
昨日気がついたのですが、
この間の日曜日、7月6日は、
アメリカに来て、まる16年になる記念日でした。
16年前、まだ20代だったんですね。
3人家族でサンディエゴの空港に降り立ちました。
そのとき、どんなこと考えていたかなあ、と思い出していました。
2-3年勉強して帰ろうと思っていました。・・・これはNJに来て変わりました・・・。
そのころから、日本語教会で奉仕をしたいと思っていました。・・・これは今も変わりません。
英語がわかるつもりでした。・・・これは来てすぐ打ち砕かれました。ハイ。
学費は別として、家賃を入れて1000ドル以内、できれば800ドルくらいで生活できるようにとがんばっていました。・・・これは今思い出してもすごい、と思う。ときどき、「あのころを思い出せ」と思います。でも、やっぱり学生だからできたのかも・・・。
4人家族になって、NJに来て、
今の教会との出会いがあって、
11年前に牧師になって、
5人家族になって、
いろんなことがありました。
でも、この16年で、一番自分の中で変わったのは、
牧師の働きを甘く見なくなったことでしょうか。
16年前、学生ですから、自由奔放でした。
生意気なことをいろいろ考えていました。
今考えると赤面ものです。
なめちゃいけないですよね。
甘く見ちゃいけない。
今、牧師としての働きに恐れを感じます。
神様の助けなしにはできない、実感を持って感じます。
ホントに謙虚に、主の助けを待ち望んで、
これからも仕えていきたいと思いました。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙5章。
「古いパン種を取り除きなさい。」7節。
教会で「愛」を盾に、いろいろな問題が取り扱われないで、
すんでしまうことがどれだけあるでしょうか?
本当はそんなのは愛ではなくて、
事なかれ主義で、自分が傷つきたくないだけで、
ただ、逃げているだけ、ということがどれだけあるでしょうか?
古いパン種を取り除く。
放っておいたら、全体に影響があって、
取り返しのつかないことがある。
自分を守ろうとしないで、
逃げないで、
古いパン種を丁寧に取り除いていく、
そのような知恵と勇気を与えていただきたいと思いました。
自分の人生を通じての課題だと思います。
愛するが故に対決する。
対決しつつ、愛する。
その大きさと強さを持たせていただきたいです。
主よ、
古いパン種を丁寧に取り除かせてください。
問題を問題として、取り扱う勇気を与えてください。
本当に愛を持って問題に立ち向かう強さを与えてください。
今、夜の11時ですが、29度もあります。
東京みたいです。
明日は蒸し暑いですが、
雲も多く、今日のように暑くはならないと思います。
そして、午後からは雷雨。
木曜日からは湿度が下がって楽になりそうです。
昨日気がついたのですが、
この間の日曜日、7月6日は、
アメリカに来て、まる16年になる記念日でした。
16年前、まだ20代だったんですね。
3人家族でサンディエゴの空港に降り立ちました。
そのとき、どんなこと考えていたかなあ、と思い出していました。
2-3年勉強して帰ろうと思っていました。・・・これはNJに来て変わりました・・・。
そのころから、日本語教会で奉仕をしたいと思っていました。・・・これは今も変わりません。
英語がわかるつもりでした。・・・これは来てすぐ打ち砕かれました。ハイ。
学費は別として、家賃を入れて1000ドル以内、できれば800ドルくらいで生活できるようにとがんばっていました。・・・これは今思い出してもすごい、と思う。ときどき、「あのころを思い出せ」と思います。でも、やっぱり学生だからできたのかも・・・。
4人家族になって、NJに来て、
今の教会との出会いがあって、
11年前に牧師になって、
5人家族になって、
いろんなことがありました。
でも、この16年で、一番自分の中で変わったのは、
牧師の働きを甘く見なくなったことでしょうか。
16年前、学生ですから、自由奔放でした。
生意気なことをいろいろ考えていました。
今考えると赤面ものです。
なめちゃいけないですよね。
甘く見ちゃいけない。
今、牧師としての働きに恐れを感じます。
神様の助けなしにはできない、実感を持って感じます。
ホントに謙虚に、主の助けを待ち望んで、
これからも仕えていきたいと思いました。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙5章。
「古いパン種を取り除きなさい。」7節。
教会で「愛」を盾に、いろいろな問題が取り扱われないで、
すんでしまうことがどれだけあるでしょうか?
本当はそんなのは愛ではなくて、
事なかれ主義で、自分が傷つきたくないだけで、
ただ、逃げているだけ、ということがどれだけあるでしょうか?
古いパン種を取り除く。
放っておいたら、全体に影響があって、
取り返しのつかないことがある。
自分を守ろうとしないで、
逃げないで、
古いパン種を丁寧に取り除いていく、
そのような知恵と勇気を与えていただきたいと思いました。
自分の人生を通じての課題だと思います。
愛するが故に対決する。
対決しつつ、愛する。
その大きさと強さを持たせていただきたいです。
主よ、
古いパン種を丁寧に取り除かせてください。
問題を問題として、取り扱う勇気を与えてください。
本当に愛を持って問題に立ち向かう強さを与えてください。
2008-07-07
JOYJOYキャンプモード
今日も蒸し暑かったですね。
「ガソリン燃やさず、体脂肪燃やせ」のスローガンのもと、
今朝、サキを町のデーキャンプに連れて行くとき、歩いたら、汗びっしょり。
この蒸し暑さはあと2日くらい続いて、木曜日からましになるようです。
ホントかな?
これはホントに当たってほしいです。
さて、今日は牧師会で一日出ていましたが、
頭の中は、どちらかというと、JOYJOYキャンプモード。
あと5週間しかないので、
かなり追い込んでいます。
で、これは去年のテーマ(ワンダー博士の大冒険)だったらよかったのになあ、
去年、見ていたらなあ、と思った映像。
去年静電気の実験をしましたが、ここまで面白い方法があるとは・・・。
今年のテーマ(きらリンピック)でも工作で使えるかな。
「体操の選手」とかで・・・。
昨日の「でんじろう」先生が今日も登場です。
情報をたくさん集めて、その中でどれを使うか、
何よりも子供たちの目の輝きを思いながら選ぶ、それが本当に大切ですね。
テレビよりも楽しく、ビデオゲームより引き込まれ、
でも、思いっきり、神様のことを伝えられるキャンプとなりますように。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙4章6-21節。
「私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。」14節。
自分はいったいこの愛を持っているだろうかと思いました。
この手紙の中でパウロはかなりきつい態度を取り、
きつい言葉を使っています。
でも、それは愛ゆえだったんですね。
その愛を自分は持っているだろうか。
考えさせられました。
「神様にゆだねる」という言葉を使いながら、
本当は面倒から逃げている。
対決する愛から逃げている。
愛することをもっともっと教えてほしいと思いました。
主よ、
私に愛を与えてください。
人を愛する愛を満たしてください。
逃げないで、語る愛を与えてください。
「ガソリン燃やさず、体脂肪燃やせ」のスローガンのもと、
今朝、サキを町のデーキャンプに連れて行くとき、歩いたら、汗びっしょり。
この蒸し暑さはあと2日くらい続いて、木曜日からましになるようです。
ホントかな?
これはホントに当たってほしいです。
さて、今日は牧師会で一日出ていましたが、
頭の中は、どちらかというと、JOYJOYキャンプモード。
あと5週間しかないので、
かなり追い込んでいます。
で、これは去年のテーマ(ワンダー博士の大冒険)だったらよかったのになあ、
去年、見ていたらなあ、と思った映像。
去年静電気の実験をしましたが、ここまで面白い方法があるとは・・・。
今年のテーマ(きらリンピック)でも工作で使えるかな。
「体操の選手」とかで・・・。
昨日の「でんじろう」先生が今日も登場です。
情報をたくさん集めて、その中でどれを使うか、
何よりも子供たちの目の輝きを思いながら選ぶ、それが本当に大切ですね。
テレビよりも楽しく、ビデオゲームより引き込まれ、
でも、思いっきり、神様のことを伝えられるキャンプとなりますように。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙4章6-21節。
「私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。」14節。
自分はいったいこの愛を持っているだろうかと思いました。
この手紙の中でパウロはかなりきつい態度を取り、
きつい言葉を使っています。
でも、それは愛ゆえだったんですね。
その愛を自分は持っているだろうか。
考えさせられました。
「神様にゆだねる」という言葉を使いながら、
本当は面倒から逃げている。
対決する愛から逃げている。
愛することをもっともっと教えてほしいと思いました。
主よ、
私に愛を与えてください。
人を愛する愛を満たしてください。
逃げないで、語る愛を与えてください。
2008-07-06
もりだくさんの日曜日。
今日は昼間はどんよりとして蒸し暑い日でしたが、
夕方から、雲も切れてきて、
湿度もちょっと下がってきました。
そんな中で、夜は町の花火を見に行ってきました。
去年、ずいぶん派手になったので、「おー」と思ったのですが、
今年は去年並かちょっとおとなしめ。
でも、十分楽しみました。
それからテレビで野球観戦。
テレビをつけたら7回で4-4の同点。
そのあと、両者譲らなかったのですが、
延長10回サヨナラ勝ち。
やっと溜飲が下がった感じ。
そして、やっとこのページに取りかかったところです。
今、夜中の12時前ですが、外は23度くらい。
明日もまだ雷雨が降りやすい、蒸し暑い一日になりそうです。
今日の教会は夏休みで日本に帰った方も多く、
連休でお出かけの方もおられて、
来られた方は、いつもより、少なかったですが、
それでも、本当に幸いな日曜日になりました。
ひとりひとりが共に祈り、
みことばに応答している姿に励まされます。
あと、子供たちにも聖餐式の意味を話すときが与えられました。
サキに「わかった?」と聞いたら、「うーん・・・」という返事でしたが、
大切な一時だったと思います。
来週はThe BRAVEの先生が、洗礼式の話をしてくださいます。
子供たちがそれらのことを少しずつ、消化してくれますように。
JOYJOYキャンプもあと5週間になり、
これから追い込みです。
今日もミーティングをしました。
テーマソングの録音も着々と進んでいる・・・ようです。
結構何回もやってきた、
空気砲という工作があります。
JOYJOYでは、子供の発明なのですが、
その上にコップを乗せて、「空気砲ロケット」で遊んでいます。
で、今日、こんなビデオを見つけました。
うーん、いつか、JOYJOYキャンプでもやってみたい・・・。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙の3章16節から4章5節。
「しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。」4:3-4
きょう、ここを読みながら、自分はこのように言えるだろうかと思いました。
そして、まだ、私の心の中の「謙虚さ」とか「傲慢さ」の基準が、
人間同士の中での関係にどれほど支配されているかと見せつけられました。
結構衝撃的でした。
自分はまだ、人との関係で、「謙虚」になりたいと思い、「傲慢」と思われたくない、
と思っているのではないだろうか。
また人を見るときに、人間関係の中での謙虚さや傲慢さの方に目が留まって、
その人が神様の前に謙虚であるかどうか、をちゃんと見ているだろうかと。
神様の前の謙虚さ、神の前にへりくだっていること、
それが大切なんだと、今日は思わされ、
どこまでも、主の前にへりくだった歩みをさせていただきたいと思いました。
主よ、
どうか、あなたの前に謙虚な者としてください。
人との関係が前に出て、
あなたとの関係から目が離れてしまうことがないように、
どうか、私の歩みを守ってください。
今週一週間も、なすべきこと、一つ一つ教えてください。
一つ一つの出会いが祝福されますように。
夕方から、雲も切れてきて、
湿度もちょっと下がってきました。
そんな中で、夜は町の花火を見に行ってきました。
去年、ずいぶん派手になったので、「おー」と思ったのですが、
今年は去年並かちょっとおとなしめ。
でも、十分楽しみました。
それからテレビで野球観戦。
テレビをつけたら7回で4-4の同点。
そのあと、両者譲らなかったのですが、
延長10回サヨナラ勝ち。
やっと溜飲が下がった感じ。
そして、やっとこのページに取りかかったところです。
今、夜中の12時前ですが、外は23度くらい。
明日もまだ雷雨が降りやすい、蒸し暑い一日になりそうです。
今日の教会は夏休みで日本に帰った方も多く、
連休でお出かけの方もおられて、
来られた方は、いつもより、少なかったですが、
それでも、本当に幸いな日曜日になりました。
ひとりひとりが共に祈り、
みことばに応答している姿に励まされます。
あと、子供たちにも聖餐式の意味を話すときが与えられました。
サキに「わかった?」と聞いたら、「うーん・・・」という返事でしたが、
大切な一時だったと思います。
来週はThe BRAVEの先生が、洗礼式の話をしてくださいます。
子供たちがそれらのことを少しずつ、消化してくれますように。
JOYJOYキャンプもあと5週間になり、
これから追い込みです。
今日もミーティングをしました。
テーマソングの録音も着々と進んでいる・・・ようです。
結構何回もやってきた、
空気砲という工作があります。
JOYJOYでは、子供の発明なのですが、
その上にコップを乗せて、「空気砲ロケット」で遊んでいます。
で、今日、こんなビデオを見つけました。
うーん、いつか、JOYJOYキャンプでもやってみたい・・・。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙の3章16節から4章5節。
「しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。」4:3-4
きょう、ここを読みながら、自分はこのように言えるだろうかと思いました。
そして、まだ、私の心の中の「謙虚さ」とか「傲慢さ」の基準が、
人間同士の中での関係にどれほど支配されているかと見せつけられました。
結構衝撃的でした。
自分はまだ、人との関係で、「謙虚」になりたいと思い、「傲慢」と思われたくない、
と思っているのではないだろうか。
また人を見るときに、人間関係の中での謙虚さや傲慢さの方に目が留まって、
その人が神様の前に謙虚であるかどうか、をちゃんと見ているだろうかと。
神様の前の謙虚さ、神の前にへりくだっていること、
それが大切なんだと、今日は思わされ、
どこまでも、主の前にへりくだった歩みをさせていただきたいと思いました。
主よ、
どうか、あなたの前に謙虚な者としてください。
人との関係が前に出て、
あなたとの関係から目が離れてしまうことがないように、
どうか、私の歩みを守ってください。
今週一週間も、なすべきこと、一つ一つ教えてください。
一つ一つの出会いが祝福されますように。
2008-07-05
動くことと静まること
今日は一日どんよりとして、
時々雨が降る、日本の梅雨のような蒸し暑い一日でした。
去年のこのころも蒸し暑かったり、
雨が降ったり、涼しかったり、だったみたいですね。
でも、今年はホントに蒸し暑い・・・。
今日は朝から教会で祈り会。
ホントはハドソン川沿いの公園でするのですが、
天気が悪かったので、今日は教会に場所が変更になりました。
先月は4人と寂しかったのですが、
今日は10人と2倍半になって、
ホントにぎやかでした。
出エジプト記19章からの学びもよかったです。
神の前に畏れることの大切さを忘れないでいたいと思いました。
でも、その後は今日はずっと明日の準備。
お休みもいただいていたので、
やることがたまっていました。
ホントはばたばた動いていたい方です。
いろいろな人に会ったり、
走り回っていた方が、伝道しているつもりになりやすいです。
牧師の働きをしているつもりになりやすいです。
でも、このようなときが大切なんだろうと思って、
祈りつつ、準備をしていました。
「祈りとみことばのご用に専念する」ということの大切さ、
そして、それを意識的にすることの大切さを思わされました。
さて、今日の聖書。
今日はコリント第一の手紙3章1-15節。
「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。」12-13節。
土台はイエス様、
でも、その上に何を建てるか?
それが伝道者、牧会者の働きなのだ、ということです。
その真価は、火の中でわかると。
火の中で焼けてしまうような働きがある。
でも、火の中で残るような働きがある。
それは普段はわからない。
もしかしたら、わらの教会の方が、
普段は元気に見えるかもしれない。
魅力的に見えるかもしれない。
でも、その真価は火の中でわかる。
火に耐えるような教会形成をさせていただきたいと思います。
そのようなものを祈っていこうと思いました。
そして、いつの間にか、
周りが気にならなくなっている自分がいました。
ただ、人々を愛し、
人々にそのときそのときに必要な励ましと、戒めと支えを示すことができるような、
神様を示すことができるような働き人になりたいと思いました。
心から主に感謝しました。
主よ、
あなたが私の心にふれていてくださることに感謝します。
何が大切なのか、目を開いてくださっていることに感謝します。
どうか、火の中にも耐える教会形成をさせてください。
見るべきものを見て、見なくてもいいものを見ない者であることができますように。
時々雨が降る、日本の梅雨のような蒸し暑い一日でした。
去年のこのころも蒸し暑かったり、
雨が降ったり、涼しかったり、だったみたいですね。
でも、今年はホントに蒸し暑い・・・。
今日は朝から教会で祈り会。
ホントはハドソン川沿いの公園でするのですが、
天気が悪かったので、今日は教会に場所が変更になりました。
先月は4人と寂しかったのですが、
今日は10人と2倍半になって、
ホントにぎやかでした。
出エジプト記19章からの学びもよかったです。
神の前に畏れることの大切さを忘れないでいたいと思いました。
でも、その後は今日はずっと明日の準備。
お休みもいただいていたので、
やることがたまっていました。
ホントはばたばた動いていたい方です。
いろいろな人に会ったり、
走り回っていた方が、伝道しているつもりになりやすいです。
牧師の働きをしているつもりになりやすいです。
でも、このようなときが大切なんだろうと思って、
祈りつつ、準備をしていました。
「祈りとみことばのご用に専念する」ということの大切さ、
そして、それを意識的にすることの大切さを思わされました。
さて、今日の聖書。
今日はコリント第一の手紙3章1-15節。
「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。」12-13節。
土台はイエス様、
でも、その上に何を建てるか?
それが伝道者、牧会者の働きなのだ、ということです。
その真価は、火の中でわかると。
火の中で焼けてしまうような働きがある。
でも、火の中で残るような働きがある。
それは普段はわからない。
もしかしたら、わらの教会の方が、
普段は元気に見えるかもしれない。
魅力的に見えるかもしれない。
でも、その真価は火の中でわかる。
火に耐えるような教会形成をさせていただきたいと思います。
そのようなものを祈っていこうと思いました。
そして、いつの間にか、
周りが気にならなくなっている自分がいました。
ただ、人々を愛し、
人々にそのときそのときに必要な励ましと、戒めと支えを示すことができるような、
神様を示すことができるような働き人になりたいと思いました。
心から主に感謝しました。
主よ、
あなたが私の心にふれていてくださることに感謝します。
何が大切なのか、目を開いてくださっていることに感謝します。
どうか、火の中にも耐える教会形成をさせてください。
見るべきものを見て、見なくてもいいものを見ない者であることができますように。
2008-07-04
雨、雨、雨。
7月4日、一日で6回分更新しました。
下の方から上の方への順番です。
雨が続くようですね。
帰って天気予報を見たら、こんな感じ。
見事に「Heavy Rain」が続いています。
日曜日のうちの町の花火もどうなるでしょうか?
その後も、蒸し暑くて、雷雨の多い夏となりそうです。
今日は昼の12時のチェックアウトの時間ぎりぎりまでのんびりして、
プールに入ったり、ゴロゴロしたりして、
(朝はばっちり5時半に目が覚めましたが・・・)
そのあと、MITやHarvardという名門大学、
Chinatownや本拠地のFenway Parkを含めて、敵地視察をしてきました。
でも、カミングアウトすると、ホントのところ、ちょっと心惹かれているかも・・・。
なんだか、自分の育った東京の下町に通じるものがある感じがして・・・。
同じにおいがするって言うか・・・。
水のある風景でしょうかね。
それから、今回、こんなモノが売られているのに気付きました。
でも40ドル。
「ちょっと高いよねえ。ネットでもっと安く売られているんじゃないの?」と
調べてみましたが、そんなもんですね。
ちょうど最近サキがチェスに目覚めているので、いいかも。
やっと追いつきました。
今日の聖書。今日はコリント人への第一の手紙2章1-16節。
「この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです」13節。
結局のところ、聖霊様をいただくこと、
聖霊様に従うこと、聖霊様に満たされることがどれほど大切なことかと思わされました。
もうそこでは人の知恵とか、教えられるとか、そういうことを超えて、
神様のことが見えてくる、神様の導きが見えてくるのだと。
自分もどれだけ常識とか、知恵とかに縛られているだろうかと思います。
真剣に祈り、神様に聞き、それに従って歩む者でありたいと思います。
主よ、
聖霊様を求めます。
どうか、私の内にあふれ、あなたのみ業をなしてください。
そして、私に教えてください。
あなたの御心を示し、
あなたの愛を満たしてください。
十字架を語る。
7月4日は独立記念日の休日。
今日は全国的にお休みの日です。
Paramusの町の花火は7月6日だそうです。
ここら辺は日曜日はショッピングモールが休みなので、
ショッピングモールの隣のグランドで花火を上げるうちの町にとっては、
それがちょうどいいんでしょうね。
明日の朝は祈り会。
今日は早めに帰って・・・と言っても9時半でしたが・・・
明日に備えます。
さて、昨日の聖書。
昨日はコリント人への第一の手紙の1章18-31節。
「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」22-23節。
人の求めるものが、神様から「語りなさい」と与えられることと違うことがどれだけあるでしょうか?
それは本当にストレスです。
でも、人の求めることを語っていたら、それは伝道者失格です。
そして、それは本当の愛ではありません。
届くことを語りたいという思いはあります。
でも、それが人間の小賢しい考えに寄ってであってはならないのです。
ただ、聖霊様がそのようにふれてくださるときに、
伝わっていく、それが大切なんだと思います。
ただただ、忠実にイエスの十字架を語り続けることなんですね。
「しるし」・・・私も求めます。
「知恵」・・・なるほどなあ、とうなるようなメッセージを語る人もいます。
でも、それらがキリストの十字架よりも大切になってしまうならば、
全然違うものになってしまうのでしょうね。
主よ、
私の中にもっともっとはっきりとイエスの十字架を刻んでください。
そして、いつもいつも馬鹿のようにキリストの十字架を語る者にしてください。
そして、そのとき、聖霊様、どうかひとりひとりの心に、
そのことが伝わるように助けてください。
いや、それはあなたの御手の中にあることです。
よろしくお願いします。
Fire Alarm騒動。
3日の朝のことでした。
泊まったところはもちろん朝食付きのところ。
それも、マフィンとシリアルとコーヒー・OJだけじゃなくて、
ちゃんとした朝食が付くところをねらいました。
そして、9時すぎに水族館に行くために、
あわてて朝の食事をしていたのですが、
途中で、ピピピ・ピピピと鳴っています。
私「ありゃ、これは誰かが火事を出したのかな、
しょうがないなあ・・・。」
サキ「サキの学校のfire drill(避難訓練)みたい」
のんち「こんな音で大丈夫なのかしら」
私「あんまり迫力ないねえ、Drew大学の寮の時なんか、
ワオン・ワオンで、すごかったよねえ。でも逃げなくていいのかな」
そして、しばらくして「あ、止まったねえ」なんて話していました。
さらにしばらくしたら、マネージャーらしき方が、つかつかと近寄って声をかけてきました。
「あの、406号室にお泊まりですか?」
私「あ、はい」(ちょっとどきっとする)
マネ「先ほどのfire alarmですが、お持ちのvaporizerが煙探知機の下にあったので鳴ってしまいました。場所をずらしておきましたが、くれぐれもご注意ください」
私「あ、そうでしたか、申し訳ありません。・・・」
んー、vaporizer(加湿器)は持ってきていません。冬じゃあるまいし・・・。
じゃなくて、rice cooker(炊飯器)でした。(爆)
かきごおり家はこのような時にはほぼ毎回炊飯器とお米を持って回り、
朝ご飯を炊いて、昼はおにぎりでランチ代を浮かします。
今回も例外ではなく・・・
お米を洗ってスイッチを入れておいたのでした。
でも、こんなことは一度もなかったのですが、
たまたま、おいたところか悪かったみたいですね。
でももちろん、「vaporizerじゃなくてrice cookerですよ」なんて野暮なことは言いませんでした。
やぶ蛇になっても困るので・・・。
教訓・・・ホテルの部屋でご飯を炊くときは煙探知機の場所を確認してからにする。
さて、2日(水)の聖書。
2日はコリント人への第一の手紙1章17節。
「キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。」17節。
なんだか、もう一度自分の使命を再確認されました。
もちろん、バプテスマを授けること、
そして、クリスチャンの成長のための道のりを共に歩むことも大切な使命だと思っています。
そして、それをどれだけ自分が願っているかと思います。
でも、それが許されないケースもある。
たとえば、福音を伝えたり、救いへの導きをさせて頂いたり、
そこまでは役割を与えられていながら、洗礼は他の方が授けたり、
教会は他の教会に導かれたりすることもある。
それでも一つの使命を果たしたのだと。
そしてそれを感謝しました。
それが本当に大切な使命の一つなのだと。
これからもこの働きを第一にしていきたい、
福音を伝えることを必死にしていきたいと思いました。
泊まったところはもちろん朝食付きのところ。
それも、マフィンとシリアルとコーヒー・OJだけじゃなくて、
ちゃんとした朝食が付くところをねらいました。
そして、9時すぎに水族館に行くために、
あわてて朝の食事をしていたのですが、
途中で、ピピピ・ピピピと鳴っています。
私「ありゃ、これは誰かが火事を出したのかな、
しょうがないなあ・・・。」
サキ「サキの学校のfire drill(避難訓練)みたい」
のんち「こんな音で大丈夫なのかしら」
私「あんまり迫力ないねえ、Drew大学の寮の時なんか、
ワオン・ワオンで、すごかったよねえ。でも逃げなくていいのかな」
そして、しばらくして「あ、止まったねえ」なんて話していました。
さらにしばらくしたら、マネージャーらしき方が、つかつかと近寄って声をかけてきました。
「あの、406号室にお泊まりですか?」
私「あ、はい」(ちょっとどきっとする)
マネ「先ほどのfire alarmですが、お持ちのvaporizerが煙探知機の下にあったので鳴ってしまいました。場所をずらしておきましたが、くれぐれもご注意ください」
私「あ、そうでしたか、申し訳ありません。・・・」
んー、vaporizer(加湿器)は持ってきていません。冬じゃあるまいし・・・。
じゃなくて、rice cooker(炊飯器)でした。(爆)
かきごおり家はこのような時にはほぼ毎回炊飯器とお米を持って回り、
朝ご飯を炊いて、昼はおにぎりでランチ代を浮かします。
今回も例外ではなく・・・
お米を洗ってスイッチを入れておいたのでした。
でも、こんなことは一度もなかったのですが、
たまたま、おいたところか悪かったみたいですね。
でももちろん、「vaporizerじゃなくてrice cookerですよ」なんて野暮なことは言いませんでした。
やぶ蛇になっても困るので・・・。
教訓・・・ホテルの部屋でご飯を炊くときは煙探知機の場所を確認してからにする。
さて、2日(水)の聖書。
2日はコリント人への第一の手紙1章17節。
「キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。」17節。
なんだか、もう一度自分の使命を再確認されました。
もちろん、バプテスマを授けること、
そして、クリスチャンの成長のための道のりを共に歩むことも大切な使命だと思っています。
そして、それをどれだけ自分が願っているかと思います。
でも、それが許されないケースもある。
たとえば、福音を伝えたり、救いへの導きをさせて頂いたり、
そこまでは役割を与えられていながら、洗礼は他の方が授けたり、
教会は他の教会に導かれたりすることもある。
それでも一つの使命を果たしたのだと。
そしてそれを感謝しました。
それが本当に大切な使命の一つなのだと。
これからもこの働きを第一にしていきたい、
福音を伝えることを必死にしていきたいと思いました。
主よ、
私も福音を伝えるために遣わされています。
どうか、福音を伝える者としてください。
そして、その後の洗礼や弟子訓練の道が閉ざされたときにも、
あなたの平安が私の心を満たしますように。
すべてをあなたにゆだねることができますように。
Holinessに招かれている!
先日、JCCNJの礼拝にも来てくださり、
我が家にも滞在してくださったはちこさんとぼぼるさんの教会の牧師さんは、
1週間の個人的なリトリートに行かれたと言うことです。
記事はこちら。
そして、それが自分の弱さを認めて、
問題が起こる前に、問題が起こりそうになる前に、
整えるべきものを整えるためだと・・・。
本当に大切な姿勢だと思いました。
このような施設が日本語でもあればと思いますが、
英語でもいいから、このような働きのお世話になりたいと思いました。
牧師研修会を昨年から李先生が企画してくださっていますが、
次回は今年ではなく来年だそうです。
それも牧師がたくさん集まり、
励まし合い、共に祈ることもすばらしいことだと思いますが、
個人的にただ自分と神様との関係を問い、
また夫婦の関係を考える時はとても貴重だと思いました。
でも、実際のところ、そのような働きを利用できるのは、
だいたい、子供が大きくなってからですよね。
本当にそのような働きの必要を切実に感じるのは、
子供が小さいときなんですがね・・・。
何とか今の状況の打開のために、
次の世代の働き人のためにも、
私のできることはないだろうかと、
思わされるこのごろです。
さて、火曜日の聖書。
火曜日は新しく、コリント人への第一の手紙を読み始めました。
「To the church of God in Corinth, to those sanctified in Christ Jesus and called to be holy・・・」2節。
いつも新改訳聖書とNew International Versionの対訳の聖書を読んでいるのですが、今回は特に英語の"called to be holy"のフレーズに心が留まりました。
私たちはきよくなるように招かれたのです。
きよい者となるようにと呼ばれているのです。
救われて、それでいいというのではなく、
救われて、きよい者となるようにと招かれている。
そのことが今回は決して重荷ではなく、
わくわくするような、
楽しみになるようなこととして受け止めることができています。
主は私たちをきよくしようとされている。
そのためにいろんなことを与えてくださっている。
それに心から感謝します。
我が家にも滞在してくださったはちこさんとぼぼるさんの教会の牧師さんは、
1週間の個人的なリトリートに行かれたと言うことです。
記事はこちら。
そして、それが自分の弱さを認めて、
問題が起こる前に、問題が起こりそうになる前に、
整えるべきものを整えるためだと・・・。
本当に大切な姿勢だと思いました。
このような施設が日本語でもあればと思いますが、
英語でもいいから、このような働きのお世話になりたいと思いました。
牧師研修会を昨年から李先生が企画してくださっていますが、
次回は今年ではなく来年だそうです。
それも牧師がたくさん集まり、
励まし合い、共に祈ることもすばらしいことだと思いますが、
個人的にただ自分と神様との関係を問い、
また夫婦の関係を考える時はとても貴重だと思いました。
でも、実際のところ、そのような働きを利用できるのは、
だいたい、子供が大きくなってからですよね。
本当にそのような働きの必要を切実に感じるのは、
子供が小さいときなんですがね・・・。
何とか今の状況の打開のために、
次の世代の働き人のためにも、
私のできることはないだろうかと、
思わされるこのごろです。
さて、火曜日の聖書。
火曜日は新しく、コリント人への第一の手紙を読み始めました。
「To the church of God in Corinth, to those sanctified in Christ Jesus and called to be holy・・・」2節。
いつも新改訳聖書とNew International Versionの対訳の聖書を読んでいるのですが、今回は特に英語の"called to be holy"のフレーズに心が留まりました。
私たちはきよくなるように招かれたのです。
きよい者となるようにと呼ばれているのです。
救われて、それでいいというのではなく、
救われて、きよい者となるようにと招かれている。
そのことが今回は決して重荷ではなく、
わくわくするような、
楽しみになるようなこととして受け止めることができています。
主は私たちをきよくしようとされている。
そのためにいろんなことを与えてくださっている。
それに心から感謝します。
主よ、
あなたの招きに感謝します。
あなたが私をholinessに招いてくださっていることに、
心から感謝します。
どうか、あなたの思いのままに、私をきよめてください。
海に癒される。
3日の敵地は暑い一日でした。
そして夕方には激しい雷雨。
NYは雷雨は免れているようですね。
でも試合の間1回くらいは雨にやられるのでは・・・と思いましたが、
結局大丈夫だったみたいですね。
でも、結果は完敗だったみたいで・・・。
今日は「鯨見物」に行ってきました。
水族館から高速船に乗って1時間あまり。
沖合の鯨が夏を過ごすポイントまで行って、
そこで30分あまり鯨見物。
結構たくさん集まっていました。
あっちこっちで潮を吹いて、顔を出したり、尾を出したり・・・。
なかなか楽しかったです。
でも、向こうの方に見える船の前では、
鯨が全身ジャンプを2回していました。
まるでテレビや写真で見るような見事なジャンプ。
これはホントうらやましかったです。
でもいずれにせよ、行ってよかった!という経験でした。
今回わかったのですが、
私はかなり海が好きみたいです。
船に乗っているとき、
港の桟橋を歩いているとき、
本当に心がリフレッシュされるのを感じました。
元気をもらいました。
さて、月曜日の聖書。
6月の最後の日はサムエル記第一の最後。31章でした。
「サウルは、道具持ちに言った。『おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。』しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。」4節。
サウルは最後まで自分の運命を自分で何とかしようとしたのです。
すべてが神の御手の中にあることを認めようとしないで、
ぺりして人になぶり者にされるのを恐れて、
自ら命を絶ったのです。
自分もどれだけ、自分のこれからのことを、
自分の手の中に納めようとすることが多いかと思わされます。
そんなことをはあり得ないのに、
何とか自分の手の中に納めようとするのです。
本気で主を信頼して、
本気で主がなされることを最高のこととして、
受け入れて歩んでいく者でありたいと思いました。
主よ、
あなたの御手を信頼します。
あなたがいつも最高のことをしてくださることを信頼します。
どうかその気持ちが揺るがないように守ってください。
どこまでもあなたを信頼して歩む者としてください。
そして夕方には激しい雷雨。
NYは雷雨は免れているようですね。
でも試合の間1回くらいは雨にやられるのでは・・・と思いましたが、
結局大丈夫だったみたいですね。
でも、結果は完敗だったみたいで・・・。
今日は「鯨見物」に行ってきました。
水族館から高速船に乗って1時間あまり。
沖合の鯨が夏を過ごすポイントまで行って、
そこで30分あまり鯨見物。
結構たくさん集まっていました。
あっちこっちで潮を吹いて、顔を出したり、尾を出したり・・・。
なかなか楽しかったです。
でも、向こうの方に見える船の前では、
鯨が全身ジャンプを2回していました。
まるでテレビや写真で見るような見事なジャンプ。
これはホントうらやましかったです。
でもいずれにせよ、行ってよかった!という経験でした。
今回わかったのですが、
私はかなり海が好きみたいです。
船に乗っているとき、
港の桟橋を歩いているとき、
本当に心がリフレッシュされるのを感じました。
元気をもらいました。
さて、月曜日の聖書。
6月の最後の日はサムエル記第一の最後。31章でした。
「サウルは、道具持ちに言った。『おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。』しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。」4節。
サウルは最後まで自分の運命を自分で何とかしようとしたのです。
すべてが神の御手の中にあることを認めようとしないで、
ぺりして人になぶり者にされるのを恐れて、
自ら命を絶ったのです。
自分もどれだけ、自分のこれからのことを、
自分の手の中に納めようとすることが多いかと思わされます。
そんなことをはあり得ないのに、
何とか自分の手の中に納めようとするのです。
本気で主を信頼して、
本気で主がなされることを最高のこととして、
受け入れて歩んでいく者でありたいと思いました。
主よ、
あなたの御手を信頼します。
あなたがいつも最高のことをしてくださることを信頼します。
どうかその気持ちが揺るがないように守ってください。
どこまでもあなたを信頼して歩む者としてください。
敵地視察。
結局一回も更新できませんでしたが、
ネットにつなげられないだけで、
原稿はあるので一気に更新。
3日から宿敵がNYに乗り込んでくるにあたって、
2日から敵地視察に行ってきました。
午後3時半頃には投宿。予定ではもっと早く着くつもりでしたが、
途中大事故があって大渋滞で、1時間くらい余計にかかりました。
たくさんベコベコになった車があって、
大変だなあと思いました。
中にはやはりせっかく休暇を取って来られている方もおられたでしょう。
またその先にはソファーが道の真ん中に落ちていました。
気をつけなければいけないなあ、と思います。
今回ちょっと郊外のホテルがクレジットカードのポイントのプロモーションで取れたので、
ただで泊まって、途中まで車で行って安く駐車。
そこから電車で市の中心地に入りました。
とてもきれいな町並み。
そして、港。
今から10年以上前に、
Cape Codにキャンプをしたときにちょっと寄っただけだったのですが、
そのときはあちらこちら工事中でやたらごみごみしていて、
やたら駐車料金が高かった思い出があるのですが、
今回は一発で好きになってしまいました。
やばいかも・・・。
Quincy Marketでクラムチャウダーを食べ、
港までぶらぶら歩き、すっかり観光客をしてしまいました。
さて、今日は日曜日の聖書。
日曜日はサムエル記第一30:21-31でした。
「兄弟たちよ。【主】が私たちに賜った物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。
・・・戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」23-24節。
主によって与えられたモノを分かち合う心。
その大切さを思わされました。
神様から与えられたのだから・・・。
私たちはすぐ「自分で稼いだのだから・・・」
「自分でがんばったのだから・・・」と思ってしまうんですね。
でも、本当はそうではない。
神様が与えてくださった。
神様が託してくださった。
そう思うと、分かち合うことができる。
もっともっと気楽に分かち合うことができる。
「受けるよりも与える方が幸い」
もっともっとこのことを経験させていただきたいなあと思います。
ネットにつなげられないだけで、
原稿はあるので一気に更新。
3日から宿敵がNYに乗り込んでくるにあたって、
2日から敵地視察に行ってきました。
午後3時半頃には投宿。予定ではもっと早く着くつもりでしたが、
途中大事故があって大渋滞で、1時間くらい余計にかかりました。
たくさんベコベコになった車があって、
大変だなあと思いました。
中にはやはりせっかく休暇を取って来られている方もおられたでしょう。
またその先にはソファーが道の真ん中に落ちていました。
気をつけなければいけないなあ、と思います。
今回ちょっと郊外のホテルがクレジットカードのポイントのプロモーションで取れたので、
ただで泊まって、途中まで車で行って安く駐車。
そこから電車で市の中心地に入りました。
とてもきれいな町並み。
そして、港。
今から10年以上前に、
Cape Codにキャンプをしたときにちょっと寄っただけだったのですが、
そのときはあちらこちら工事中でやたらごみごみしていて、
やたら駐車料金が高かった思い出があるのですが、
今回は一発で好きになってしまいました。
やばいかも・・・。
Quincy Marketでクラムチャウダーを食べ、
港までぶらぶら歩き、すっかり観光客をしてしまいました。
さて、今日は日曜日の聖書。
日曜日はサムエル記第一30:21-31でした。
「兄弟たちよ。【主】が私たちに賜った物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。
・・・戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」23-24節。
主によって与えられたモノを分かち合う心。
その大切さを思わされました。
神様から与えられたのだから・・・。
私たちはすぐ「自分で稼いだのだから・・・」
「自分でがんばったのだから・・・」と思ってしまうんですね。
でも、本当はそうではない。
神様が与えてくださった。
神様が託してくださった。
そう思うと、分かち合うことができる。
もっともっと気楽に分かち合うことができる。
「受けるよりも与える方が幸い」
もっともっとこのことを経験させていただきたいなあと思います。
主よ、
あなたがいつもいつも必要を与えてくださっていることに感謝します。
どうか、あなたの与えてくださったモノを
もっともっと喜んで与えることを経験させてください。
分かち合う喜びを与えてください。
2008-07-01
主によって奮い立つ。
今、夜の11時前。
なんだか、さわやかな風が入ってくるようになりました。
気温は順調に下がってきています。
今、外は22度。熱帯夜だとこの時間でも30度くらいありますからね。
助かります。
明日の朝は15度くらいまで下がって、気持ちのいい朝になりそうです。
さて、今日2回目の更新。
これは土曜日(6月28日)の聖書。
「日々のみことば」は実は今日から新約聖書、コリント人への第一の手紙に入りました。
忘れないうちに・・・と思います。今日は私は英語のNIVのcalled to be holyが心にとまりました。
詳しくは次の次の次の更新で・・・。
さて、土曜日はサムエル記第一30:1-20。
「しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。」6節。
落ち込んで泣き、嘆いていたダビデとその部下たち。
でも、ダビデはいつまでもいつまでも嘆いていたのではありませんでした。
決して嘆くことが悪いことではないでしょう。
でも、ダビデはある時点で神様から力をいただいて立ち上がったのです。
神様の励ましをいただいて、
神様の癒しをいただいて、
神様のおしかりをいただいて、
立ち上がることがどれほど私たちにとって力になるでしょうか?
私自身、賛美を歌いながら、立ち上がる経験を何度したことでしょうか?
賛美の中で、語られて、奮い立たせられて、
立ち上がったこと、どれだけあったことかと思います。
みことばによって立ち上がったことも何度もありました。
人の言葉もありがたいモノです。
でも、私自身のことを言うと、
人の言葉で考えさせられたことがあったり、
慰められたことがあったり、
存在自体に励まされたり、
絶対人の存在は必要なんですが、
でも、最終的に「奮い立たせられる」となると、
これはもう聖霊様の働きしかない、
神様が賛美やみことばや祈りの中で語ってくださる、
それしかないなあと思います。
主によって奮い立たせられる、
その経験をもっともっとさせていただきたいです。
主よ、
みことばによって、立たせてください。
賛美の中に語ってください。
聖霊様によって奮い立たせてください。
どうか、あなたの力を経験させてください。
一日が早い・・・。
明日から休暇をいただいていて、
July 4thまで3連休なので、
(ふつうの方は金土日と何もしなくても三連休なんですね・・・)
今日のうちに追いついておこうと思っていたのですが、
あっという間に一日が終わってしまいました。
7月の説教計画を準備していたり、
弟子訓練のテキストを翻訳していたり、
日曜日の説教の準備も・・・と思っていたのですが、
手つかずです。
休み中にちょこちょこ準備していこうと思います。
更新もできる範囲でやっていこうと思います。
夕方、日が傾いてから庭掃除。
ハジに芝刈りと生け垣の刈り込みどっちがいい?と聞いて、
芝刈りを取られたので、刈り込みをしていました。
全然終わらないうちに8時。
ま、それだけ充実していたということで・・・。
天気は暑かったです。
でも、湿度はちょっと下がったかな。
今のdew pointは61度。昨日よりちょっとだけ下がりました。
さて、先週の中高生のキャンプですが、
私自身もいろいろなことを語られました。
今回は講師の李先生がヨセフの生涯から語ってくださいました。
ヨセフは17歳で兄弟たちに売られてエジプトの奴隷となります。
でも、そこで本当に忠実に働いて、
主人に認められます。
でも、彼がいい男だったので、
主人の妻は彼に言い寄ります。
でも彼は断固として拒否。
ある日、二人きりになったときに、強引に彼女は彼に言い寄りますが、
彼に拒否されて、捕まえていた上着を証拠に、
「ヨセフに襲われそうになった」と嘘をつくのです。
ひどいぬれぎぬです。
自分がそんなぬれぎぬを着せられたらどんな気持ちがするだろうか、
どんなに悔しい思いがするだろうかと思います。
その手のぬれぎぬは決して着せられないようにと
細心の注意を払ってきたつもりです。
それと、自分の弱さの中で守られるためにも・・・。
ヨセフもそうだったんだろうと思います。
でも、それでも、着せられた濡れ衣。
主人にもわかってもらえなくて、
今までまじめにやってきたのに、信頼してもらえないのかと、
どんな悔しい思いがしただろうかと思います。
でも、ヨセフは人生を投げなかった。
嘆いて過ごさなかった。
ただ、主の前に真実に歩んだ。
そのような歩みをする者でありたいと思いました。
さて、金曜日(6/27)の聖書。
サムエル記第一29:1-11でした。
「私が何をしたというのでしょうか。」8節。
ダビデはこのとき、嘘をついていました。
うそをついていると、その嘘がばれないように、
また次の嘘をつくようになります。
本当にここのダビデの行動は納得いかないモノがあります。
でも、おそらくそれは自分がダビデを理想化しているのだと思います。
自分がこの状況に置かれたら、
どうだろうかと思うときに、
果たして自分はダビデを批判できるだろうかと思います。
真実に生きたいと思います。
嘘に嘘を重ねるような歩みではなく、
真実な歩みをさせていただきたいです。
主よ、
私の歩みをお守りください。
あなたの前に、また人の前に、
真実な歩みをさせてください。
真実に歩むことができるように、
私の歩みを守ってください。
July 4thまで3連休なので、
(ふつうの方は金土日と何もしなくても三連休なんですね・・・)
今日のうちに追いついておこうと思っていたのですが、
あっという間に一日が終わってしまいました。
7月の説教計画を準備していたり、
弟子訓練のテキストを翻訳していたり、
日曜日の説教の準備も・・・と思っていたのですが、
手つかずです。
休み中にちょこちょこ準備していこうと思います。
更新もできる範囲でやっていこうと思います。
夕方、日が傾いてから庭掃除。
ハジに芝刈りと生け垣の刈り込みどっちがいい?と聞いて、
芝刈りを取られたので、刈り込みをしていました。
全然終わらないうちに8時。
ま、それだけ充実していたということで・・・。
天気は暑かったです。
でも、湿度はちょっと下がったかな。
今のdew pointは61度。昨日よりちょっとだけ下がりました。
さて、先週の中高生のキャンプですが、
私自身もいろいろなことを語られました。
今回は講師の李先生がヨセフの生涯から語ってくださいました。
ヨセフは17歳で兄弟たちに売られてエジプトの奴隷となります。
でも、そこで本当に忠実に働いて、
主人に認められます。
でも、彼がいい男だったので、
主人の妻は彼に言い寄ります。
でも彼は断固として拒否。
ある日、二人きりになったときに、強引に彼女は彼に言い寄りますが、
彼に拒否されて、捕まえていた上着を証拠に、
「ヨセフに襲われそうになった」と嘘をつくのです。
ひどいぬれぎぬです。
自分がそんなぬれぎぬを着せられたらどんな気持ちがするだろうか、
どんなに悔しい思いがするだろうかと思います。
その手のぬれぎぬは決して着せられないようにと
細心の注意を払ってきたつもりです。
それと、自分の弱さの中で守られるためにも・・・。
ヨセフもそうだったんだろうと思います。
でも、それでも、着せられた濡れ衣。
主人にもわかってもらえなくて、
今までまじめにやってきたのに、信頼してもらえないのかと、
どんな悔しい思いがしただろうかと思います。
でも、ヨセフは人生を投げなかった。
嘆いて過ごさなかった。
ただ、主の前に真実に歩んだ。
そのような歩みをする者でありたいと思いました。
さて、金曜日(6/27)の聖書。
サムエル記第一29:1-11でした。
「私が何をしたというのでしょうか。」8節。
ダビデはこのとき、嘘をついていました。
うそをついていると、その嘘がばれないように、
また次の嘘をつくようになります。
本当にここのダビデの行動は納得いかないモノがあります。
でも、おそらくそれは自分がダビデを理想化しているのだと思います。
自分がこの状況に置かれたら、
どうだろうかと思うときに、
果たして自分はダビデを批判できるだろうかと思います。
真実に生きたいと思います。
嘘に嘘を重ねるような歩みではなく、
真実な歩みをさせていただきたいです。
主よ、
私の歩みをお守りください。
あなたの前に、また人の前に、
真実な歩みをさせてください。
真実に歩むことができるように、
私の歩みを守ってください。
2008-06-30
音楽の力。
今日も昨日ほどではなかったですが、
まだ蒸し暑かったですね。
この時期暑さをはかるために、
気温の高さと共に大切なのが、
dew pointです。
日本語では露点といいますが、
つまり今の空気を冷やしていった時に結露する気温。
それが空気中の水蒸気量をはかるスケールになります。
昨日の朝はラジオで言っていたのが72度F。
つまり、23度くらいで結露してしまいます。
単純に言ってしまって、
昨日の朝の空気を23度まで冷やすと霧が出るということ。
これはかなり水蒸気量が多い。
今は62度です。
まあまあです。
明日も今日と同じような天気。
ちょっと暑く感じるでしょう。
さて、昨日のHongo Familyをお迎えしてのコンサート。
本当にすばらしかったです。
Mr. Hongoの音楽の才能はまたすばらしいのですが、
それだけのことを超えている人を動かす力があります。
奥様もとても楽しい方。
息子さんはアメリカのトップ3と言われる大学全部から入学許可をもらった
天才児ですが、そんなことは言われなかったら全然そんなことわからない、
穏やかな、楽しい、暖かい、息子さんです。
ホント、私は確信するのですが、
音楽は人の心動かす力があるのですが、
単に整った音楽がそうなのではなくて、
人格に結びついて、その内面から流れ出るモノが人を動かすんだと。
だから、思いきっていってしまうと、
音楽は「手段」なんでしょうね。
その人の内側にあるモノを、周りの人に伝える「手段」。
そしてそこには、言葉が持っている力、アートが持っている力とは、
また違う力がある。
昨日のコンサートは本当にその力を感じた一時でした。
さて、先週木曜日、6月26日の聖書。
聖書箇所はサムエル記第一28章3-25節。
「サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。」 5節 。
サウルは何度も勝利を得ていたのに、
このとき、恐れにとらえられていた。
それは状況の厳しさ以上に、
神様との関係であったと思う。
そして、神との関係を失ってしまったサウルが頼るのは、
霊媒であり、死んでしまったサムエルの霊だった。
昨日のコンサートでも語られていたのだけれども、
私たちの問題が大きいと感じるとき、
神様が小さく見えてしまうことがある。
でも、本当はそんなことはない。
神様はこの世のどんな問題よりも大きな方。
問題の中でも、そして、問題に出会う前にも、
神様と共に歩んでいく、
神様との関係の中に歩んでいく、
その大切さを思わされる。
主よ、
この世の中にはあなたよりも大きな問題はありません。
でも、私たちはあなたにもどうにもならない問題があるかのように
勘違いしてしまいます。
どうか、あなたの関係の中で、
あなたが共にいてくださる、という平安の中で歩む者としてください。
まだ蒸し暑かったですね。
この時期暑さをはかるために、
気温の高さと共に大切なのが、
dew pointです。
日本語では露点といいますが、
つまり今の空気を冷やしていった時に結露する気温。
それが空気中の水蒸気量をはかるスケールになります。
昨日の朝はラジオで言っていたのが72度F。
つまり、23度くらいで結露してしまいます。
単純に言ってしまって、
昨日の朝の空気を23度まで冷やすと霧が出るということ。
これはかなり水蒸気量が多い。
今は62度です。
まあまあです。
明日も今日と同じような天気。
ちょっと暑く感じるでしょう。
さて、昨日のHongo Familyをお迎えしてのコンサート。
本当にすばらしかったです。
Mr. Hongoの音楽の才能はまたすばらしいのですが、
それだけのことを超えている人を動かす力があります。
奥様もとても楽しい方。
息子さんはアメリカのトップ3と言われる大学全部から入学許可をもらった
天才児ですが、そんなことは言われなかったら全然そんなことわからない、
穏やかな、楽しい、暖かい、息子さんです。
ホント、私は確信するのですが、
音楽は人の心動かす力があるのですが、
単に整った音楽がそうなのではなくて、
人格に結びついて、その内面から流れ出るモノが人を動かすんだと。
だから、思いきっていってしまうと、
音楽は「手段」なんでしょうね。
その人の内側にあるモノを、周りの人に伝える「手段」。
そしてそこには、言葉が持っている力、アートが持っている力とは、
また違う力がある。
昨日のコンサートは本当にその力を感じた一時でした。
さて、先週木曜日、6月26日の聖書。
聖書箇所はサムエル記第一28章3-25節。
「サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。」 5節 。
サウルは何度も勝利を得ていたのに、
このとき、恐れにとらえられていた。
それは状況の厳しさ以上に、
神様との関係であったと思う。
そして、神との関係を失ってしまったサウルが頼るのは、
霊媒であり、死んでしまったサムエルの霊だった。
昨日のコンサートでも語られていたのだけれども、
私たちの問題が大きいと感じるとき、
神様が小さく見えてしまうことがある。
でも、本当はそんなことはない。
神様はこの世のどんな問題よりも大きな方。
問題の中でも、そして、問題に出会う前にも、
神様と共に歩んでいく、
神様との関係の中に歩んでいく、
その大切さを思わされる。
主よ、
この世の中にはあなたよりも大きな問題はありません。
でも、私たちはあなたにもどうにもならない問題があるかのように
勘違いしてしまいます。
どうか、あなたの関係の中で、
あなたが共にいてくださる、という平安の中で歩む者としてください。
2008-06-29
晴れましたねえ。
今日はちゃんと晴れました。
野外礼拝もばっちりでした。
子供を入れて100人以上の方々が集まって、
楽しい一時を持ちました。
でも、午後には雨。
私はちょうど夕方からのコンサートのゲストを
迎えに行っていたので、お迎えに行ったJersey Cityで降られて、
ちょうど、お乗せしているときが、
雹混じりの滝のような雨でした。
それから20分後くらいだと思いますが、
野外礼拝の公園も雨にやられました。
野外礼拝の写真はこちらですが、
その最後に雨の中でテントが崩れていく図があります。
皆さんのご奉仕に心から感謝です。
夕方のコンサートのことを含めて、
「日々のみことば」は明日こそ、アップします。
野外礼拝もばっちりでした。
子供を入れて100人以上の方々が集まって、
楽しい一時を持ちました。
でも、午後には雨。
私はちょうど夕方からのコンサートのゲストを
迎えに行っていたので、お迎えに行ったJersey Cityで降られて、
ちょうど、お乗せしているときが、
雹混じりの滝のような雨でした。
それから20分後くらいだと思いますが、
野外礼拝の公園も雨にやられました。
野外礼拝の写真はこちらですが、
その最後に雨の中でテントが崩れていく図があります。
皆さんのご奉仕に心から感謝です。
夕方のコンサートのことを含めて、
「日々のみことば」は明日こそ、アップします。
無事帰還。
今日、無事帰還しました。
中高生のキャンプは李先生のメッセージには励まされ、
中高生の証には教えられ、
中高生の姿に元気をもらい、
ちょっと、バレーとか、サッカーとか、卓球とか、腕相撲とか、夜更かしとか、
まともに張り合ってしまったので、さすがに疲れました。
2時頃には帰ってきたのですが、
そのまま教会で中高生の集まり。
その後シャワーに帰ってきて、すぐに男の弟子訓練クラススタート。
先ほど一段落して戻りました。
今日は野外礼拝です。
雨も大丈夫だと思います。
「日々のみことば」の更新は今夜・・・できるかな。
中高生のキャンプは李先生のメッセージには励まされ、
中高生の証には教えられ、
中高生の姿に元気をもらい、
ちょっと、バレーとか、サッカーとか、卓球とか、腕相撲とか、夜更かしとか、
まともに張り合ってしまったので、さすがに疲れました。
2時頃には帰ってきたのですが、
そのまま教会で中高生の集まり。
その後シャワーに帰ってきて、すぐに男の弟子訓練クラススタート。
先ほど一段落して戻りました。
今日は野外礼拝です。
雨も大丈夫だと思います。
「日々のみことば」の更新は今夜・・・できるかな。
2008-06-26
庶民の耳にはモーツアルトがいい。
日付が変わってしまいました。
でも、25日のつもりで書きます。
さっき帰ってきました。
今日の夜は教会のメンバーで指揮者の若者の室内楽のコンサート。
ビバルディーから、モーツアルトから、ショスタコービッチから・・・いろんな曲が楽しめてよかったです。
さすが芸術家、こういうところではホントにpassionateでした。
でも、ショスタコは「わからないだろうなあ」と思っていましたが、やっぱりわかりませんでした。
庶民の私にはやっぱりモーツアルトがいい。
高校の桶に入ったら、それは合唱班と合同でオペラをやるクラブ。
すっかりオペラファンになってしまいました。
今じゃあ、メットがそばにあっても、16年間で1回しか行ったことがありませんが、
やっぱりオペラはいいです。
(そのころはモーツアルトはトロンボーンの出番が少ないので・・・モツレクを除く・・・すきではありませんでした)
モーツアルトは「フィガロ」からだったのですが、
アリアもよかったですが、レチタティーブォがよかったです。
かっこよかったです。
歌手の若い女性も上手だし、きれいだし、これからが楽しみです。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一27章~28章2節。
「ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。」1節。
今日の箇所は悩んじゃいましたね。
これ以外に方法がない、って。
今までダビデの信仰はすごい、と思ってきて、
そのように主を信頼する歩みをしたいと思ってきて、
でも、今日の箇所で、ダビデは今までいつも彼を支えてきた神の守りを忘れてしまったかのように、簡単に「これ以外に方法がない」と言う。
そして、彼の歩みは血なまぐさくなり、嘘で固められていく。
自分もどうだろうかと思う。
本当に主に信頼して歩んでいくときに、どこまでもどこまでも、最後まで信頼していけるだろうか?
私も弱い者だ。すぐに失敗をしてしまう者だ。
気をつけていなくては・・・と思った。
主よ、
あなたの御心を求め、
見極める目を与えてください。
恐れることから解放して、
あなたの喜ばれる歩みができますように。
明日から中高生のキャンプで、
携帯も、ネットもない(たぶん)ところに行きますので、
次の更新は土曜日の夜・・・できるかな?
でも、25日のつもりで書きます。
さっき帰ってきました。
今日の夜は教会のメンバーで指揮者の若者の室内楽のコンサート。
ビバルディーから、モーツアルトから、ショスタコービッチから・・・いろんな曲が楽しめてよかったです。
さすが芸術家、こういうところではホントにpassionateでした。
でも、ショスタコは「わからないだろうなあ」と思っていましたが、やっぱりわかりませんでした。
庶民の私にはやっぱりモーツアルトがいい。
高校の桶に入ったら、それは合唱班と合同でオペラをやるクラブ。
すっかりオペラファンになってしまいました。
今じゃあ、メットがそばにあっても、16年間で1回しか行ったことがありませんが、
やっぱりオペラはいいです。
(そのころはモーツアルトはトロンボーンの出番が少ないので・・・モツレクを除く・・・すきではありませんでした)
モーツアルトは「フィガロ」からだったのですが、
アリアもよかったですが、レチタティーブォがよかったです。
かっこよかったです。
歌手の若い女性も上手だし、きれいだし、これからが楽しみです。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一27章~28章2節。
「ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。」1節。
今日の箇所は悩んじゃいましたね。
これ以外に方法がない、って。
今までダビデの信仰はすごい、と思ってきて、
そのように主を信頼する歩みをしたいと思ってきて、
でも、今日の箇所で、ダビデは今までいつも彼を支えてきた神の守りを忘れてしまったかのように、簡単に「これ以外に方法がない」と言う。
そして、彼の歩みは血なまぐさくなり、嘘で固められていく。
自分もどうだろうかと思う。
本当に主に信頼して歩んでいくときに、どこまでもどこまでも、最後まで信頼していけるだろうか?
私も弱い者だ。すぐに失敗をしてしまう者だ。
気をつけていなくては・・・と思った。
主よ、
あなたの御心を求め、
見極める目を与えてください。
恐れることから解放して、
あなたの喜ばれる歩みができますように。
明日から中高生のキャンプで、
携帯も、ネットもない(たぶん)ところに行きますので、
次の更新は土曜日の夜・・・できるかな?
2008-06-25
走っちゃダメかも。
午前中・・・は無理でしたね。
明日から中高生のキャンプなので、
NYの図書館で日曜日の準備をしていました。
もう一つ今日中にやらなければいけないことがあるのですが、
とりあえずここら辺で更新。
お天気的には今日はいい天気で何も言うことがない、
・・・というか、「何も言うことがなくてつまらない」です。
で、気持ちはこの後、木・金・土と続く中高生のキャンプと
日曜日の野外礼拝の天気。
やばいじゃん・・・。
金曜日が降水確率30パーセントなのが救いですが、
90度は暑いですよね。
(2週間前の100度近かったのよりはましですが・・・)
そして、日曜日!74度はいいですが、60パーセント!?
この日は教会の年に一度の「野外礼拝」。
みんな楽しみにしているのに・・・。
この際、天気予報には、思いっきりはずれてもらいましょう!
昨日は午前中は火曜礼拝。
最近では一番たくさんの方が来られましたが、
それは、ある方の日本のご家族が来られたため。
うれしかったです。
そして、礼拝後もっとゆっくりお話ししていたかったのですが、
その後、8月の末にもたれる東海岸の日本語教会合同ファミリーキャンプの会場の下見に行く予定があったため(私はこれで3回目・・・)失礼させていただきました。ちょっと残念。
その後、8人乗りのミニバンに7人が乗って、車を飛ばして、会場へ。
そして、目的を果たして帰ってきたのですが、
行きは私のお薦め(そして、Google Mapsお薦め)の道で高速道路をとばしました。
View Larger Map
ところが、帰り道、ひとりが「こっちから行こう」と一般道を推薦。
View Larger Map
夕方は夕方で予定が入っていた私(ドライバー)は「え~」だったのですが、
ここで天性の「みんながそう言うなら・・・」と答えてしまう性格が出てしまって(笑)、一般道で帰ってきました。そしたら、いきなり、7人乗ったら「え~この坂きつい!」という上り坂。NJで一番高いところを通るルートでした。(といっても標高550メートルですが・・・)
でもその後なだらかな坂を下りながら思いました。
高速道路は楽でいいけど、そんなにあわてなくていいなら、こっちがいいよなあ、と。
周りの景色をゆっくり見ながら、
ちょっと途中の農園かどこかに寄り道しながら、
ドライブした方がいいですね。
ちょっとあわただしく走りすぎているかも・・・。
あんまり走っちゃダメですよね。
さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第一26章13-25節を読みました。
「もし私にはむかうようにあなたに誘いかけられたのが主であれば、主はあなたのささげ物を受け入れられるでしょう。しかし、それが人によるのであれば、主の前で彼らがのろわれますように。」19節。
このところ、毎日、ダビデの主を信頼する思いにうならされます。
主の支配のもとに生かされていることを感じて、
実際、ダビデは何度も何度も危機的なところを主に守られて、
生かされている中で、
サウル王を手にかけるチャンスにも、
「彼は主に油を注がれた者だ」と手を下しませんでした。
この信頼、主の御手の中にある感覚、
自分も持ちつつ歩みたいと思います。
「どうして?」と思うこともあります。
でも、主が許されたことであるならば、
最終的には主が責任をとってくださいます。
だから、いつもいつも主の御心を求めて、
どのようにすべきなのか、知恵をもらって進んでいきたいと思います。
神様、
あなたを信頼することを教えてください。
ダビデのようにあなたを信頼させてください。
明日から中高生のキャンプなので、
NYの図書館で日曜日の準備をしていました。
もう一つ今日中にやらなければいけないことがあるのですが、
とりあえずここら辺で更新。
お天気的には今日はいい天気で何も言うことがない、
・・・というか、「何も言うことがなくてつまらない」です。
で、気持ちはこの後、木・金・土と続く中高生のキャンプと
日曜日の野外礼拝の天気。
やばいじゃん・・・。金曜日が降水確率30パーセントなのが救いですが、
90度は暑いですよね。
(2週間前の100度近かったのよりはましですが・・・)
そして、日曜日!74度はいいですが、60パーセント!?
この日は教会の年に一度の「野外礼拝」。
みんな楽しみにしているのに・・・。
この際、天気予報には、思いっきりはずれてもらいましょう!昨日は午前中は火曜礼拝。
最近では一番たくさんの方が来られましたが、
それは、ある方の日本のご家族が来られたため。
うれしかったです。
そして、礼拝後もっとゆっくりお話ししていたかったのですが、
その後、8月の末にもたれる東海岸の日本語教会合同ファミリーキャンプの会場の下見に行く予定があったため(私はこれで3回目・・・)失礼させていただきました。ちょっと残念。
その後、8人乗りのミニバンに7人が乗って、車を飛ばして、会場へ。
そして、目的を果たして帰ってきたのですが、
行きは私のお薦め(そして、Google Mapsお薦め)の道で高速道路をとばしました。
View Larger Map
ところが、帰り道、ひとりが「こっちから行こう」と一般道を推薦。
View Larger Map
夕方は夕方で予定が入っていた私(ドライバー)は「え~」だったのですが、
ここで天性の「みんながそう言うなら・・・」と答えてしまう性格が出てしまって(笑)、一般道で帰ってきました。そしたら、いきなり、7人乗ったら「え~この坂きつい!」という上り坂。NJで一番高いところを通るルートでした。(といっても標高550メートルですが・・・)
でもその後なだらかな坂を下りながら思いました。
高速道路は楽でいいけど、そんなにあわてなくていいなら、こっちがいいよなあ、と。
周りの景色をゆっくり見ながら、
ちょっと途中の農園かどこかに寄り道しながら、
ドライブした方がいいですね。
ちょっとあわただしく走りすぎているかも・・・。
あんまり走っちゃダメですよね。
さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第一26章13-25節を読みました。
「もし私にはむかうようにあなたに誘いかけられたのが主であれば、主はあなたのささげ物を受け入れられるでしょう。しかし、それが人によるのであれば、主の前で彼らがのろわれますように。」19節。
このところ、毎日、ダビデの主を信頼する思いにうならされます。
主の支配のもとに生かされていることを感じて、
実際、ダビデは何度も何度も危機的なところを主に守られて、
生かされている中で、
サウル王を手にかけるチャンスにも、
「彼は主に油を注がれた者だ」と手を下しませんでした。
この信頼、主の御手の中にある感覚、
自分も持ちつつ歩みたいと思います。
「どうして?」と思うこともあります。
でも、主が許されたことであるならば、
最終的には主が責任をとってくださいます。
だから、いつもいつも主の御心を求めて、
どのようにすべきなのか、知恵をもらって進んでいきたいと思います。
神様、
あなたを信頼することを教えてください。
ダビデのようにあなたを信頼させてください。
2008-06-24
2008-06-23
卒業。
今日も時々雨が降ったり、でしたが、
たいしたことはありませんでした。うちのあたりは・・・。
でも、また今夜これから降ってきますね。きっと。
そして、明日は空気が入れ替わって、Dryになると思います。
さて、今日はユキの卒業式。
Middle Schoolの卒業式なのですが、
会場はHigh School。
体育館だったので、とてもオープンな感じで、
明るい卒業式だったのですが、
エアコンがなくて暑い・・・。
でも、幼稚園の頃、みんなで歌を歌っている中で、
ひとり、何もしないでじっと固まっていて、
最後まで、手も足も口も全然動かないで終わったコンサートのことを思い出しながら、
「ああ、ここまで成長したんだ・・・」と感無量でした。
思わず涙が出てきそうになりました。
最近、学校のことを少しずつ自分から話すようになってきて、
今日も友だちと記念撮影をしたり、
ちょっと変わってきたなあと感じています。
当たり前のことができるようになってきたことがうれしくてしかたがありません。
午後には近くのパーティー会場を借り切って、親同伴の卒業パーティー。
3年前のハジのパーティーの時に比べると、かかる音楽が違う。
最近のダンスミュージックはまたちょっと変わってきているようですね。
そして、自分の知っている懐メロが少ない。
ユキも父親と踊ってくれない・・・。
ちょっと乗り切れないパーティーでした。
でも、「最近、子供たちのネタはあるけど、のんちはどうなの?」
という声が寄せられたので、
ちゃんと踊っているのんちのビデオを撮りました。
今日はもう遅いのでまた今度アップしますね。
で、うちに帰ってきたのが夕方5時過ぎ。
高校生からちょっと上の子たちが5人集まっていました。
彼らも今日でテストが終わったり、
仕事をしている子もたまたま休みだったり・・・。
とてもくつろいで、留守番のサキの相手もしてくれていました。
そのままみんなで楽しく大家族の食事。
あっという間に盛りだくさんの一日が終わりました。
ひとりひとりの人生に神様が与えてくださっている、
特別なことに感謝しながら・・・。
今日の聖書。
今日はサムエル記第一26章1-12節。
「私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。」11節。
アビシャイという家来がダビデに言っているように、
これは神様が与えてくださった千載一遇のチャンスにも見えます。
でも、ダビデはそのようには思いませんでした。
神様ご自身が彼を打たれる。
自分は手を下すべきではないと。
同じ状況を見ながら、
ひとりは「神様が彼を私たちの手に渡されたのだ」と感じ、
もうひとりは「神様が私たちがどう判断するかごらんになっている」と感じる。
時々、神様を自分のために利用する、神を持ってきて、自分を正当化する人を見ます。
でも、大切なのは自分の都合よく、神様を利用するのではなく、
神に従うこと、神に聞くこと、自分の都合に神様を合わせるのではなく、
神様の都合に自分を合わせること。
どこまでも謙虚に、神に従っていく者でありたいと思います。
神を利用するのではなくて、
神に従っていく者でありたいと思います。
神様、
今日の一日を感謝します。
ユキの成長を守ってくださっていること、
彼女に与えてくださった人生の故に、感謝します。
どうか、これからも守り導いてください。
若者たち、ひとりひとりの歩みをこれからも守ってください。
私も自分の欲望のために、あなたを利用するのではなく、
あなたの導きに謙虚に従う者でありますように。
たいしたことはありませんでした。うちのあたりは・・・。
でも、また今夜これから降ってきますね。きっと。
そして、明日は空気が入れ替わって、Dryになると思います。
さて、今日はユキの卒業式。
Middle Schoolの卒業式なのですが、
会場はHigh School。
体育館だったので、とてもオープンな感じで、
明るい卒業式だったのですが、
エアコンがなくて暑い・・・。
でも、幼稚園の頃、みんなで歌を歌っている中で、
ひとり、何もしないでじっと固まっていて、
最後まで、手も足も口も全然動かないで終わったコンサートのことを思い出しながら、
「ああ、ここまで成長したんだ・・・」と感無量でした。
思わず涙が出てきそうになりました。
最近、学校のことを少しずつ自分から話すようになってきて、
今日も友だちと記念撮影をしたり、
ちょっと変わってきたなあと感じています。
当たり前のことができるようになってきたことがうれしくてしかたがありません。
午後には近くのパーティー会場を借り切って、親同伴の卒業パーティー。
3年前のハジのパーティーの時に比べると、かかる音楽が違う。
最近のダンスミュージックはまたちょっと変わってきているようですね。
そして、自分の知っている懐メロが少ない。
ユキも父親と踊ってくれない・・・。
ちょっと乗り切れないパーティーでした。
でも、「最近、子供たちのネタはあるけど、のんちはどうなの?」
という声が寄せられたので、
ちゃんと踊っているのんちのビデオを撮りました。
今日はもう遅いのでまた今度アップしますね。
で、うちに帰ってきたのが夕方5時過ぎ。
高校生からちょっと上の子たちが5人集まっていました。
彼らも今日でテストが終わったり、
仕事をしている子もたまたま休みだったり・・・。
とてもくつろいで、留守番のサキの相手もしてくれていました。
そのままみんなで楽しく大家族の食事。
あっという間に盛りだくさんの一日が終わりました。
ひとりひとりの人生に神様が与えてくださっている、
特別なことに感謝しながら・・・。
今日の聖書。
今日はサムエル記第一26章1-12節。
「私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。」11節。
アビシャイという家来がダビデに言っているように、
これは神様が与えてくださった千載一遇のチャンスにも見えます。
でも、ダビデはそのようには思いませんでした。
神様ご自身が彼を打たれる。
自分は手を下すべきではないと。
同じ状況を見ながら、
ひとりは「神様が彼を私たちの手に渡されたのだ」と感じ、
もうひとりは「神様が私たちがどう判断するかごらんになっている」と感じる。
時々、神様を自分のために利用する、神を持ってきて、自分を正当化する人を見ます。
でも、大切なのは自分の都合よく、神様を利用するのではなく、
神に従うこと、神に聞くこと、自分の都合に神様を合わせるのではなく、
神様の都合に自分を合わせること。
どこまでも謙虚に、神に従っていく者でありたいと思います。
神を利用するのではなくて、
神に従っていく者でありたいと思います。
神様、
今日の一日を感謝します。
ユキの成長を守ってくださっていること、
彼女に与えてくださった人生の故に、感謝します。
どうか、これからも守り導いてください。
若者たち、ひとりひとりの歩みをこれからも守ってください。
私も自分の欲望のために、あなたを利用するのではなく、
あなたの導きに謙虚に従う者でありますように。
2008-06-22
朝の礼拝+夕方牧師就任式。
今日は雷がゴロゴロの一日でした。
午前中の礼拝中にもゴロゴロ。
午後、JOYJOYキャンプのためのミーティングの最中にもゴロゴロ。
そして、たぶん、この後、夜中にもゴロゴロするでしょう。
私は個人的には雷は好きです。
というか、こうゆう派手な天気が好きです。
レーダーで赤いエコーが出てくるとわくわくします。
あ、そういえば、先日シカゴから来られた、ぼぼるさんは、
その道の専門家でおられますが、
ある朝、徹夜で仕事をして、朝の5時に「竜巻が来る」と家族を起こし、
結局のところ、空振りに終わって、ひんしゅくを買ったことがあるとか。
「あの時は家族を起こした自分はヒーローになると思っていたのになあ」とおっしゃっていました。
わかるわかる。(笑)
自分も絶対同じことするだろうなあ、と思います。
ホントに来たら大変ですからね。
明日も蒸し暑く、雷雨があるでしょう。
いやあ、でもやっぱり朝の礼拝いいですねえ。
教会で思わず「こんにちわ~」って言ってしまいましたが、
今日は「おはようございます!」なんですね。
昼には礼拝が終わり、
午後はJOYJOYキャンプの作戦会議。
夕方からは礼拝堂を使わせていただいている教会の牧師就任式でした。
とてもよかったです。
牧師も、教会のメンバーも、
「あなたを牧師として迎えます、あなたのために祈ります」
「私はあなたがたの牧師として神様から使命をいただいて、仕えます」
と約束をしあうのです。
私自身、この8月に任期の更新になります。
そのときに、任期更新礼拝をしようと思っています。
やはり、同じように、
牧師も教会員もそのつとめを果たすことを互いに約束するときです。
教会は馴れ合い所帯ではなくて、契約の共同体。
結婚式の時に互いに「富めるときも貧しきときも、健やかなるときも病めるときも愛します」と誓うように、教会の牧師とメンバーの関係も誓い合い、約束しあう中で愛をはぐくんでいく関係となるようにと願います。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一25章36-44節。
「アビガイルがナバルのところに帰って来ると、ちょうどナバルは自分の家で、王の宴会のような宴会を開いていた。」36節。
ああ、今日もまた、このナバルの愚かさに目がとまりました。
自分の立場がわかっていなくて、
何が起こっているのか、全然わかっていなくて、
宴会を開いていたと。
酔っぱらっていたと。
ああ、なんておろかなんだろうかと思いました。
そう思うと、また自分の心に声が聞こえてきます。
「おまえはどうなんだ」と。
ホント、自分はどうなんだろうかと思います。
モノが見えなくなっていたナバル。
では私はどうなんだろうかと。
自分はモノが見えているんだろうか。
そう思うと不安になります。
でも、見えなければいけないのは一つなんでしょうね。
神様がそれをどう見ておられるか。
神様が何をのぞんでおられるのか。
それが見える者になりたいです。
人の心を知ることも大切でしょう。
でも、それ以上に、神様が一つ一つのことについて、
どのように思われているか、それを知ることが大切。
目を開いていただきたいと思います。
主よ、
どうか、私の目を開き、
あなたの見方で見ることができますように。
自分の思いこみにとらわれるのではなくて、
目を開いていただいて、
あなたの見方がわかる者にならせてください。
午前中の礼拝中にもゴロゴロ。
午後、JOYJOYキャンプのためのミーティングの最中にもゴロゴロ。
そして、たぶん、この後、夜中にもゴロゴロするでしょう。
私は個人的には雷は好きです。
というか、こうゆう派手な天気が好きです。
レーダーで赤いエコーが出てくるとわくわくします。
あ、そういえば、先日シカゴから来られた、ぼぼるさんは、
その道の専門家でおられますが、
ある朝、徹夜で仕事をして、朝の5時に「竜巻が来る」と家族を起こし、
結局のところ、空振りに終わって、ひんしゅくを買ったことがあるとか。
「あの時は家族を起こした自分はヒーローになると思っていたのになあ」とおっしゃっていました。
わかるわかる。(笑)
自分も絶対同じことするだろうなあ、と思います。
ホントに来たら大変ですからね。
明日も蒸し暑く、雷雨があるでしょう。
いやあ、でもやっぱり朝の礼拝いいですねえ。
教会で思わず「こんにちわ~」って言ってしまいましたが、
今日は「おはようございます!」なんですね。
昼には礼拝が終わり、
午後はJOYJOYキャンプの作戦会議。
夕方からは礼拝堂を使わせていただいている教会の牧師就任式でした。
とてもよかったです。
牧師も、教会のメンバーも、
「あなたを牧師として迎えます、あなたのために祈ります」
「私はあなたがたの牧師として神様から使命をいただいて、仕えます」
と約束をしあうのです。
私自身、この8月に任期の更新になります。
そのときに、任期更新礼拝をしようと思っています。
やはり、同じように、
牧師も教会員もそのつとめを果たすことを互いに約束するときです。
教会は馴れ合い所帯ではなくて、契約の共同体。
結婚式の時に互いに「富めるときも貧しきときも、健やかなるときも病めるときも愛します」と誓うように、教会の牧師とメンバーの関係も誓い合い、約束しあう中で愛をはぐくんでいく関係となるようにと願います。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一25章36-44節。
「アビガイルがナバルのところに帰って来ると、ちょうどナバルは自分の家で、王の宴会のような宴会を開いていた。」36節。
ああ、今日もまた、このナバルの愚かさに目がとまりました。
自分の立場がわかっていなくて、
何が起こっているのか、全然わかっていなくて、
宴会を開いていたと。
酔っぱらっていたと。
ああ、なんておろかなんだろうかと思いました。
そう思うと、また自分の心に声が聞こえてきます。
「おまえはどうなんだ」と。
ホント、自分はどうなんだろうかと思います。
モノが見えなくなっていたナバル。
では私はどうなんだろうかと。
自分はモノが見えているんだろうか。
そう思うと不安になります。
でも、見えなければいけないのは一つなんでしょうね。
神様がそれをどう見ておられるか。
神様が何をのぞんでおられるのか。
それが見える者になりたいです。
人の心を知ることも大切でしょう。
でも、それ以上に、神様が一つ一つのことについて、
どのように思われているか、それを知ることが大切。
目を開いていただきたいと思います。
主よ、
どうか、私の目を開き、
あなたの見方で見ることができますように。
自分の思いこみにとらわれるのではなくて、
目を開いていただいて、
あなたの見方がわかる者にならせてください。
Subscribe to:
Posts (Atom)
