2008-07-04

十字架を語る。

7月4日は独立記念日の休日。
今日は全国的にお休みの日です。
Paramusの町の花火は7月6日だそうです。
ここら辺は日曜日はショッピングモールが休みなので、
ショッピングモールの隣のグランドで花火を上げるうちの町にとっては、
それがちょうどいいんでしょうね。
明日の朝は祈り会。
今日は早めに帰って・・・と言っても9時半でしたが・・・
明日に備えます。

さて、昨日の聖書。
昨日はコリント人への第一の手紙の1章18-31節。


「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」22-23節。

人の求めるものが、神様から「語りなさい」と与えられることと違うことがどれだけあるでしょうか?
それは本当にストレスです。
でも、人の求めることを語っていたら、それは伝道者失格です。
そして、それは本当の愛ではありません。

届くことを語りたいという思いはあります。
でも、それが人間の小賢しい考えに寄ってであってはならないのです。
ただ、聖霊様がそのようにふれてくださるときに、
伝わっていく、それが大切なんだと思います。

ただただ、忠実にイエスの十字架を語り続けることなんですね。

「しるし」・・・私も求めます。
「知恵」・・・なるほどなあ、とうなるようなメッセージを語る人もいます。

でも、それらがキリストの十字架よりも大切になってしまうならば、
全然違うものになってしまうのでしょうね。

主よ、
私の中にもっともっとはっきりとイエスの十字架を刻んでください。
そして、いつもいつも馬鹿のようにキリストの十字架を語る者にしてください。
そして、そのとき、聖霊様、どうかひとりひとりの心に、
そのことが伝わるように助けてください。
いや、それはあなたの御手の中にあることです。
よろしくお願いします。

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