2008-07-10

アメリカの靴下。

今日はぐっと湿度が下がって朝晩はさわやかです。
でも、昼間は暑かったです。
ドライだけど、暑い。

今、夜の10時過ぎですが、22度まで下がっています。
明日の朝は13度くらいまで下がる予報が出ています。
それはホントに肌寒いくらいですね。


そして、昼間は今日同様、暑い一日になるでしょう。


さて、今日の夕食時。
サキが、「パパとママこれからどこか行くの?」と聞いてきます。
それにたたみかけるように、「You guys need some private time.」だって。
なんでしょう?テレビかどこかで聞いたのかなあ。


で、その声に励まされて、夜8時半過ぎから二人で買い物へ。


目的は「靴下を買う」。

最近、靴下を買っていなくて、
軒並み靴下に穴が空いています。
子供の頃は、穴をふさいではいたりしましたが、
さすがに、今はしません。


でも、私は基本的に穴が空いていてもOKです。
気にしません。
アメリカでは日本みたいに靴脱がないし、
脱いでも椅子に座っている分にばれません。


で、結構穴が空いたまま使っていた靴下もあったのですが、
さすがに直径が5センチを超えると、「こりゃもうそろそろ寿命かな」
と思うわけですよね。


で、最近バンバン捨てていっているんですが、
そうすると、靴下がたりなくなってくる。
で、暑いのに冬用の靴下しかない、なんてことになって、
さすがに買わなきゃいけなくなったわけです。


でも、日本とアメリカで違うものがたくさんありますが、
その中でもこっちの生活で、かな~り不満なのが、靴下。


日本に行ったときには必ず買いたくなるくらい、こっちのはイヤです。


理由は主に二つありますが・・・


1.あんまり安いのは「かかとがない」
  うーん、5足で7ドルとか袋に入っているのは、
  なんだか、ただの筒?みたいなやつもあります。


  でも、これは安いのを買わなきゃいい。
  で、本当に困るのはもう一つの理由。


2.サイズがない。
  これはホントに何とかしてほしいです。私の足は24センチ。
  男性としては日本でも小さい方ですが、
  アメリカに来るとまさに1footで30センチくらいの人もざら。
  ですが、それでも靴はちゃんとサイズがあるんですが、
  靴下はないんですよね。
というか、一つのサイズでみんなをカバーしようとしている。

  One Sizeとか、「靴のサイズ 6-12用」とかあります。
  靴のサイズの6って22センチくらいでしょう。
  そこから30センチくらいの人までワンサイズって、いったい、何?
  そういうのを買うと、かかとが足首のところに来ます。
  だったら、1の「かかとがない靴下」の方がずっとまし・・・。


で、今日、お店行ったら、やっぱりないんですよねえ。
ちょうどいいサイズの靴下。
男用のSとか・・・。


で、のんちのおすすめで女性用を買いました。
ま、花柄とかじゃないですよ、ピンクとかでもなく・・・。
リボンもフリルもついてないやつ。

もちろん、あの強盗が頭にかぶる「ストッキング」(日本語の・・・)でもなく。


男女どっちでも大丈夫なようなやつ。


自分ひとりじゃ、婦人用を買う勇気はないですが、
のんちが「これがいいんじゃない?」と言うので、買ってみました。


まあ、考えてみたら、ご婦人でも私よりも足の大きい方は、
アメリカにはいくらでもおられるわけで・・・。

でも、何とかしてほしい・・・。



さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6章12-20節。

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり・・・」19節。


今日は自分の身をきよく保つことの大切さを戒められましたが、
(実際の姦淫はもちろんのこと、心の中の姦淫、目が犯す姦淫を含めて・・・)
でも、それ以上に、「聖霊様に住んでいただくこと」の大切さを思わされました。


そして、今、自分が実感として、「ああ聖霊様が住んでくださっているなあ」と感じているかというと、
実はそうではなくて、「私が気がつかなくても、意識していなくても聖霊様はいてくださる」と聖書から教えられているわけです。
で、今朝は「もしも実感として感じることが大切ならば、それを教えてください」と祈りました。
でも、今朝は「これだよ」と教えていただけなかったように思います。
そのときに、「ああ、これも聖霊様の自由な働きなんだろうな」と思いました。
自分が一生懸命求めたから、とか、
神様に喜ばれる歩みをしているから、とか、
実感として感じさせてくださる、のではなくて、
ある時には「実感として聖霊様の働きを感じる」ということを経験させてくださって、
ある時には、「自分の実感を頼りにするんじゃなくて、私の言葉である聖書を頼りにするんだよ」と教えてくださる。


でも、自分が気がつかないときにも、
もうすでに聖霊様は働いてくださっているんだ、
今日はもう一度そのことを感謝しながら、
もっともっと教えてください、と祈らされました。


聖霊様、
あなたの導きが必要です。
あなたがもっともっと圧倒的な力を持って私を満たしてくださることを求めます。
どうか、あなたの自由な働きで、私を導いてください。
私が主人になってあなたを利用するのではなくて、
あなたが私の主人となって、私を振り回してください。

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