2008-07-05

動くことと静まること

今日は一日どんよりとして、
時々雨が降る、日本の梅雨のような蒸し暑い一日でした。

去年のこのころも蒸し暑かったり、
雨が降ったり、涼しかったり、だったみたいですね。
でも、今年はホントに蒸し暑い・・・。


今日は朝から教会で祈り会。
ホントはハドソン川沿いの公園でするのですが、
天気が悪かったので、今日は教会に場所が変更になりました。
先月は4人と寂しかったのですが、
今日は10人と2倍半になって、
ホントにぎやかでした。
出エジプト記19章からの学びもよかったです。
神の前に畏れることの大切さを忘れないでいたいと思いました。


でも、その後は今日はずっと明日の準備。
お休みもいただいていたので、
やることがたまっていました。
ホントはばたばた動いていたい方です。
いろいろな人に会ったり、
走り回っていた方が、伝道しているつもりになりやすいです。
牧師の働きをしているつもりになりやすいです。

でも、このようなときが大切なんだろうと思って、
祈りつつ、準備をしていました。

「祈りとみことばのご用に専念する」ということの大切さ、
そして、それを意識的にすることの大切さを思わされました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント第一の手紙3章1-15節。


「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。」12-13節。

土台はイエス様、
でも、その上に何を建てるか?
それが伝道者、牧会者の働きなのだ、ということです。
その真価は、火の中でわかると。

火の中で焼けてしまうような働きがある。
でも、火の中で残るような働きがある。

それは普段はわからない。
もしかしたら、わらの教会の方が、
普段は元気に見えるかもしれない。
魅力的に見えるかもしれない。

でも、その真価は火の中でわかる。

火に耐えるような教会形成をさせていただきたいと思います。
そのようなものを祈っていこうと思いました。

そして、いつの間にか、
周りが気にならなくなっている自分がいました。

ただ、人々を愛し、
人々にそのときそのときに必要な励ましと、戒めと支えを示すことができるような、
神様を示すことができるような働き人になりたいと思いました。
心から主に感謝しました。

主よ、
あなたが私の心にふれていてくださることに感謝します。
何が大切なのか、目を開いてくださっていることに感謝します。
どうか、火の中にも耐える教会形成をさせてください。
見るべきものを見て、見なくてもいいものを見ない者であることができますように。

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