2010-06-24

まあ、皆さん、考えてもみてください。

みなさんだったら、どうしますか?
自分が牧師をしている教会の祈り会に、
タイガーマスクをして、外そうとしない人が入ってきたら。


付き人も見ず知らずの人で、
ただ、「教会の集会に来たかったんです」
「彼は、メキシコから来ていて、日本語や英語はほんの少ししか話せない」
なんて言ってみたり、
タイガーマスクは牧師の隣りに座ったのに、
付き人は「いや、実は余り、ぼくら仲が良くないので・・・」と
離れて座る、なんて挙動不審だったりしたら・・・。


それも平日の午前中の集会、
自分以外はみんなご婦人。


どうします?


付き人が「尾尾尾です」と本名を名乗ったから、
「あああ、あのパスターマックの・・・」と、
安心しましたけどね。


でも、結局タイガーマスクは最後まで覆面外さず・・・。


のんちなんて、「ここでは、覆面外していただかないと・・・」みたいな強気+常識的派牧師夫人的態度に出たので、20年ほど前に教会で結婚式に来たデーモン小暮閣下(ホンモノ+フルメーク)を見たことがある私は「いや、こういうのはいろいろ事情があるんだよ。この場の責任は僕にあるから、僕に任せて・・・」なんて偉そうなことを言いましたが、もしかしたら、「覆面強盗」だったりするかもしれないわけで、パスターマックのブログがなければ、絶対ヤバかったですね。




でも、一緒に祈って、一緒にお昼をいただいて、
幸いなひとときを過ごしました。


そんな中で、実は、何日か前のこのページにこんな記事があったことを教えてもらって、
「ああ、ちゃんと毎日チェックしていたら、ツッコミどころがわかったのに!!!」と地団駄踏んだことでした。(ここのアトランタの教会というのは、ハジがいつも行っている教会らしい・・・献くん大丈夫だったかなあ・・・)


はい、全国各地、全米各地のみなさん、ご注意下さい。そちらの教会にもきっと出没しますよ!


そうそう、今日は暑かったですね。
そして、午後には土砂降りの雨が降りました。


夜になって、やっと涼しくなってきたでしょうか?
12時前ですが、25度くらい。
明日はカラッと晴れるみたいです。


さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ6:1−10。


「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」9節。

単純に善を行なおう。
どんなことがあっても、
どんながっかりするようなことがあっても、
どんなに悔しい思いをしたとしても、
本当に善を行う者でありたい。

「善を行うことに飽いてはいけません」

きつい一言です。

でも、約束があります。
主が報いてくださる。

だから、単純に善を行っていこうと思います。

日々に自分の道が明らかにされていると思わされます。
主がさらに御手をもって、私のゆく道を引いてくださいますように。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたを信頼して、善を行う者であり続けられますように。
善を行ない続けることができますように。
単純な者であることができますように。

2010-06-23

わたしの弱さをも。


暑かったですねえ。
ほんとうに・・・。
夜も、昨日までのようには涼しくなりません。
夜の11時を過ぎて、やっと25度を切ってきました。

今日はNYの日。
ランチはダウンタウンでした。
写真の真中に自由の女神様が立っているのがわかるでしょうか?
川べりはちょっと涼しかったです。

明日もまた暑いみたいです。
今年一番かも。

世の中は新型iPhoneの発売で盛り上がっているようですが、
「とりあえず」2年前の3Gのシステムをアップデートしました。
iOS4というやつ。
古い機種なので、いろいろ制限があるようで、
目玉の「マルチタスク」とか、「壁紙を変える」とか、
楽しいことができないのは残念ですが、
新しい機能として、アプリ用のフォルダを作ることはできます。

たとえば、下のように「聖書」のフォルダをまとめることもできます。
左上の「聖書」はNIVという訳が無料で読める版。
下のPocketSwordは日本語の口語訳聖書がパーフェクト。
(他のは詩篇が読めなかったりする・・・)


3G の人はそれほど恩恵がないし、アップデートしない方がいいかも、と言われているのですが、自分的にはHappyです。

で、今日、ランチの時にある方とお話していて、
自分が牧師となるための学校にいく時のことを思い出していました。


「わたしの力はあなたの弱いところに完全にあらわされる」という言葉が心に新しく与えられました。昨日、焦点が絞られてきた祈りの課題に、主が答えを持っておられたことに、心から感謝しました。

さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ5:13−26。

「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではないか。」25節。

聖霊様の導きに従って行く。
その細い声を聞いていく。
そして、そのように答えて行く。

その時に、私たちは罪から守られ、
生活が変えられて行く、という。

本当にそのように歩みたいと思わされました。

主よ、
単純に思います。
私自身を御霊によって導いて下さい。
御霊によって歩ませて下さい。
わたしの霊の目を開いて、道を見せてください。
あなたの導かれる道を見せてください。

2010-06-22

どのように紹介する?

今日も暑かったですね。
夜になって雷雨もあって、
気温も20度そこそこに下がってきています。


明日も暑いようです。
まあ、でも、華氏で90度そこそこに収まっているのですから、
よしとしないといけないですね。


年によっては、100度くらいまで上がる日もあります。
南部の方はそれくらい上がっているようです。
お体は大切に。


今日の集会では、
「今の時代、どのようにイエスを紹介すればいい?」
という話になりました。


ヨハネによる福音書の1章の最後の方を読んでいたのですが、
みんな、「旧約聖書で予言されていた救い主に会った」とか、
「メシヤ(キリスト)に会った」とか、
紹介しているんですよ。


でも、それは2000年前のユダヤの文化の中だったから伝わったこと。


今、日本の文化の中で同じふうに話したって伝わるわけはありません。


どうすればいいんでしょうかね。


自分にとってはイエスは「解放者」なので、
「自由を与えてくれる方」と紹介したいかな。


多くの人には「自分は十分自由だし・・・」と言われるかもしれませんが、
(ヨハネによる福音書の中では、当時のユダヤの人達もそのように反応していました)
いつか、「自分は何かにとらわれているなあ」と思ったときに、
思い出してもらえればいいのかも・・・と思います。


さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ5:1−12。


「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」1節。

そうなんです。
キリストは私たちを自由にしてくださる。

だのに、また、私たちはいろんなものに囚われ始める。

今夜、妻と時間を作って話しをしている中で、
自分が囚われてきたものが見えてきて、
見えてきたら、そこから解放され始めていることを感じる。

囚われているときはなかなか自分では分からない。
わかることは解放されることの第一歩。

でも、それはいつも神様の御業。
神様の愛のゆえに、私たちは自由になる。

本当に感謝しつつ歩んでいきたい。

主よ、
あなたの解放の御業に感謝します。
あなたの愛のゆえの自由に感謝します。
どうか、あなたの愛の中に生きるものであることができますように。

2010-06-21

きょうだいのふくざつさ。

今日は暑かったあ。
33度くらいまで行ったでしょうか?
久しぶりの献血をしたからか、
ほんとしんどかったです。


夜になって、ちょっと楽になってきました。
今、9時40分で、25.3度。
東京だったら、こうは行かないだろうなあ、と。


昨日の礼拝前の成人科クラス。
私のグループでは、創世記を読んでいます。
キャッチフレーズは「初めて読む創世記」
昨日は4章。
カインとアベルの物語でした。


そう、「きょうだい」の物語。
きょうだいがいるのはありがたいことなんですが、
きょうだいだからむずかしい、ということもあるんですよね。


昨日はそんな話を分かち合いました。
ロビーでやっているので、
ロビーでくつろいでいた傍聴者にも質問したら、
いろいろ出てきて、ほんとに面白かったです。


きょうだいについては、
W杯サッカーの日本代表のメンバーについて、
それからジャニーズのメンバーについて、
聖学院の藤掛先生が興味深い分析を・・・。


自分も2年前にこんな紹介をしていました。


まあ、アベルとカインには直接関係ないかもしれませんが、
きょうだいというのは、不思議な力関係の中で育っていくものみたいです。


聖書のポイントは、そんな中で、「ねたみ」や「憎しみ」「怒り」を持つようなことがあるかもしれない、そういう時にどのようにそれを「治める」か、それが大切なのだ、ということなんだろうと思いました。


毎週「今日は参加者がいるだろうか?」みたいな感じでやっていますが、
いつでも、どなたでも歓迎です。
特に「創世記を初めて読む」方大歓迎です。
12時半から教会ロビーで。


他に「黙示録を読む」「英語でコリント人への手紙を読む」「一緒に祈る」というグループもあります。


さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ4:21−31。


「しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もその通りです。」29節。

私たちが福音によって生きようとするときに、
そこにはかならず軋轢がおこる。
それをおそれなくていい。

それが自分がなにか間違っているからだと思い込まなくていい。
(まあ、そういう時もあると思いますが・・・)

どんな中でも、真実に主の前にひれ伏して、
主の守りの中で歩く者でありたいと思います。

それさえ、外さなければ、堂々としていていい、
そのように思わされます。

主よ、
御霊によって生まれさせて下さってありがとうございます。
御霊によって歩ませて下さい。
恐れにとらわれることがありませんように。
真実に歩む者でありますように。

暑い夜。

でしたねえ。
9時頃、帰ってきたら、28度くらいありました。
その後、気温は下がって、
今、夜の12時半で、23度。
これくらいになると楽になってきます。


今日も暑いです。
30度を超えそうです。


さて、昨日はJOYJOYシンガーズが礼拝賛美をリードしました。
まだ、教会のHPには写真がアップされていないみたいですが、
元気よく賛美してくれました。


今までは、礼拝ではなく、他の場で歌ってきたのですが、
やはり、目標は、みんなから拍手を受けることではなくて、
礼拝の賛美をリードすること。
聞いている人たちが、
一緒に歌いたくなるようなグループ、
神様の素晴らしさを感じないではいられないグループを目指しています。


これからしばらく夏休み。
ちょっと寂しくなります。


あ、それから昨日は父の日。
朝一番に日本に電話しました。
まあ、日本はもう夜ですが。
元気そうでした。


その前、朝の祈りの後に、親父が数年前に出版した自伝を読んでいました。
(え、Amazon.co.jpで、自費出版の本も買えるわけ?)
今から50年以上前、牧師になると郷里の出雲から東京に出て行くあたり。
どんな思いで出て来たのかなあと。
信仰を持って数年で、神様の導きに応えることと、周りの期待に応えることの狭間で、
真実に主に従って歩んだ親父の姿を本当に誇りに思います。


その親父がいたから、今の自分があるのだと、
心から感謝しました。
この場でも、感謝を表したいと思います。


親父さん、あなたの決断に感謝しています。


自分も、何十年も経ってから、「あなたのあの時の決断に感謝しています」と言われるような、真実な歩みをさせていただきたい、本当にそう思います。

さて、昨日、日曜日の聖書。
ガラテヤ4章12−20節。


「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」19節。

わたしのためにも産みの苦しみをされている方もいるだろう。
でも、今日は、正直なところ、
自分の産みの苦しみを思わされた。

キリストが人々の中に形造られる。
生意気かもしれないけれども、
本当にそのことを祈らないではいられない。

そして、自分はそのためにこれからも労していくのだと、
本当にそう思わされた。

いわゆる日本的な謙遜で「そんなこと、おこがましい」なんて言うのはやめよう。
私も本当に祈っている。
一人ひとりが神様によって、整えられることを。
主のみかたちがひとりひとりのうちに造られることを。

主イエスよ、
どうか、ひとりひとりのうちに、
キリストの形が造られますように。
イエスの愛と恵みに満たされて歩むことができますように。

2010-06-19

神を信頼すること。

暑いです。
今日はまあ、それほどひどくなかったですが、
明日はまた蒸し暑くなりそうです。
雷雨も30−40%の予報が出ています。


さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙4章1−11節。


「そして、あなたがたは子であるがゆえに、神は『アバ、父。』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わして下さいました。」6節。


イエスが御父を信頼していた信頼を、
その内側にある思いを知っておられる御霊を、
私たちのために送ってくださった。

同じ信頼を持つことができる。
イエスがもっておられた信頼を、私たちも神様に対して、持つことができる。
聖霊様によって、私たちはそのような思いで神様の前に立つことができる。

その味を、経験させていただきたい。
もっともっと経験させていただきたい。

どっぷりと、主を信頼する。
身をゆだねる。

そこに広がってくる世界。
そこに見えてくる世界、
そこに生きていきたい。

主よ、
聖霊様によって、
イエスが御父に持っていた信頼に生かされることに感謝します。
どうか、その素晴らしさをもっと経験させて下さい。
もっともっと、「ああ、これが神様への信頼なんだ、イエスがもっておられた信頼なんだ」ということを味わうことができますように。

2010-06-17

信頼。

いろんなことがあった一日でしたが、
今の思いは、水、木の「日々のみことば」の聖書箇所、
ガラテヤ3章1−18節のパウロの言葉に表されているので、
今日は早速「日々のみことば」から。


「あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行われた方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。」5節。

主が新しいことを始めておられることを感じる。
ただ人が集まるとか、集まらないとかではなく、
主を求め、主をしたう人々が起こされてきていることを感じる。
新しいことが始まっている。
とてもエキサイティングな主の御業が始まっている。

それは私たちが何かをしたからではなく、
神様がそのように決められたから。
神様がそのようにされているから。

松岡先生のお話を聞きながら、
本当に人間の力ではない、人間の努力ではない、
神様が御業をなされるときはなされる。
だから、それを信頼して、ただ、見せていただくことが大切なのだと、
思わされている。

そう、信仰は「主への信頼」。

もちろん、それを潰そうとする力も働いている。

だから、注意しながら、でも、主を信頼して、
主の奇跡を祈っていこう。
主がこれからもさらに奇跡をなしてくださることを、
待ち望んでいこう。

主よ、
あなたを信頼します。
私たちの力ではなく、あなたを信頼する信仰の大切さを思います。
単純に、幼子のように、あなたを信頼する者とならせて下さい。

ホンモノを大切に。

日付が変わって、17日になりました。
昨日は雨の予報でしたが、
雨が降り始めたのは、日付が変わった12時過ぎ。
12時半から雷雨で激しい雨がふりました。


今日はまた爽やかに晴れるみたいです。


さて、一昨日、火曜日の朝に、
松岡先生を空港まで送る道すがら、
いろんな話をしていました。


その中で、私は一つ質問しました。
「先生は、自分がお坊さんからクリスチャンになった経験から、『入り口はどこでも、最後はおんなじところに行くんだよ』と宗教はみんな同じみたいなことをいう人にはどんな風に話したいですか?」と。


それに対する先生の答えは大体こんな感じ。


自分はもうこの真理に出会ったので、これが唯一の道だ、と言える。
真理に出会ったら、坊さんをやめるのも、仏教をやめるのもあたりまえだった。
でも、最初から、「他のはみんなダメ」と言っても、しょうがないでしょう。
自分も、「坊さんやめないならば、教会に来るな」だったら、途中でやめていたでしょう。
大切なのは、この真理に出会うことです。ホンモノにであってもらうことです。
他の道を否定することではなくて、本当の道を示すことです。
神様につながる道はイエスしかないけれども、そのイエスに至る道は沢山あるでしょう。自分の場合は仏教の道を通って、ホンモノであるイエスに出会ったんだと。


・・・なるほど。でした。


そしたら、その午後、「エホバの証人」の方が来られました。
岩井さんというお上品なご婦人。
86年頃からエホバさんとうベテラン。


いつもは時間もないので、すぐに帰っていただくのですが、
「ホンモノを伝えることです」ということで、
エホバさんの問題を指摘することよりも、
ホンモノを伝えようと、思いました。
でも、いかんせん、やっぱり時間の制約はあり、
「聖書に答えがある」という事では「そうですよねえ」ということになったので、
「インターネットで『ニュージャージー』『教会』で検索してみて下さい。聖書のメッセージが聞けますよ」とお伝えしました。
生意気な態度だったかもしれません。エホバさんに負けない丁寧さを身につけたいと思いました。


さて、火曜日の聖書。
火曜日はガラテヤ2:11−21でした。


「いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」20節。

これは本当にそのとおりだと思います。
私が生きているのは、わたしを愛して命を与えてくださった方を信じる信仰がすべてです。

本当に感謝です。
私を愛してくださった方に。
わたしのためにご自身を与えてくださった方に。

本当にこの感謝が原動力です。
これが私の命の源です。
ここから私の目がそれるときには、
元気がなくなります。
違うものから力を得ようとすると、
欲求不満になります。

主の恵み、主の愛、十字架の力、
それに焦点が合う時に、
自分は前に進んでいけます。

いつもここに目を注いでいけますように。

かみさま、
あなたの愛に感謝します。
あなたの十字架の愛に感謝します。
今日もこの生命に生かしていただけますから感謝します。
あふれる命に生かして下さい。

2010-06-15

沈没だな。

はい、今朝、無事、松岡先生を空港にお送りして、
その道すがら、いろんな話をして、
いろいろ書きたいことはあるのですが、
今日はおとなしく、沈没しておきます。

いろいろ溜まっていることがあるので、
明日更新できるかどうか分かりませんが、
日々、守られて、元気でやっています。

2010-06-14

この街に生かされて。

日本、勝ちましたね!
「はやぶさ」に続くグッドニュース。
これからも良いニュースが続きますように。


今日は朝はどんよりしていましたが、
だんだん晴れてきました。


夜もすかっと晴れています。
明日も気持ちよい天気でしょう。


週後半はまた暑くなりそうです。


さて、今日は、松岡先生をご案内して、NY。
夜はNYで集会だったので、
午前中、先生を船着場に送り、自分は地区の日本語教会牧師会。
そして、午後には合流して、NYを歩きました。


またあのTimes Squareの階段に座って、ボーッとしてしまいましたが、
すごい人口密度。
たくさんの人々が歩いているのを見ながら、
また有名な「裸でギターを弾いているおじさん」(・・・え、自分よりもずっと若い!おじさんじゃなくてお兄さんだったんですね!)を横目で見ながら、
ああ、自分はこの街に神様から遣わされているんだなあ、と思いました。


さあ、神様はどんなことを考えておられるんでしょうか。


松岡先生はお坊さんの息子として生まれ、
でも、神様の使命をしっかり受け止めて、
神様に従って、その経験を用いて頂いている。


私も神様の使命に立って、
今まで与えらえれてきたこと、
自分の生い立ち、
自分の才能、すべて主のために用いていただきたい、
そのように思わされました。


さて、土日月の聖書、
ガラテヤ人への手紙が始まりました。
1章〜2章10節まで。


実は土曜日、ガラテヤ人への手紙が始まった日に、
もう止まらなくて、今日の分まで読んでしまっていたのでした。


「けれども、『以前私たちを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている』と聞いてだけはいたので、彼らは私のことで神をあがめていました。」1:23-24

これはすごいですよね。
松岡先生を見ていてもそうですが、
神様のなさることはすごい。

神様のなさることはすごい。
それを崇めていくことが、
私たちの生涯なんでしょう。

自分の何かではなくて、
神様のなさることはすごい。

これからもすごいことを見せていただきたい。

神様、
これからも、すごいことを見せてください。
そして、それを見た人が、あなたを崇めますように。
私も、一つ一つの出来事の中にあなたを崇めることができますように。

2010-06-13

困難を乗り越えて。

久しぶりの更新です。


更新出来ませんでしたが、
松岡先生をお迎えしての3回の集会、
そして、個人的なお話の時、幸いな一時を持たせていただきました。


今日は蒸し暑さと雨と。
夜になって、しとしと系の雨も降っています。


明日もちょっと雨がふりそうです。
でも、大崩れはしないみたいですし、
またちょっと蒸し暑そうです。


今週はずっとそんな天気みたいです。


さて、今日は日本は「はやぶさ」のニュースが大きかったみたいですね。
私も密かに注目していました。
7年前に打ち上げられた小惑星探査機。
いくつもの困難、トラブルを乗り越えての帰環には励まされた方々も多いはず。


途中、行方不明になったり、エンジンが壊れたり、姿勢制御ができなくなったり、
どんなに大変だっただろうかと思います。
時々流れてくるニュースに「もうダメでしょう」と思った記憶もあります。
でも、スタッフは諦めなかった。投げ出さなかった。


そして、今回の帰環。


私も、どちらかと言うと簡単に諦める方。
でも、この粘り強さに本当に励まされました。


ちょっとだけでも見習うものになりたいと思います。


さて、先週の木、金の聖書。
木金、2日間にわたって、第2テモテ4章を読みました。


「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても・・・」2節。

本当に単純にこの御言葉に聞こうと思います。
どんなときにも単純に、愚直に御言葉を語る者でありたいと思います。

「時」を言い訳にすることがありませんように。
私の心が「時」を言い訳にすることがあったら、
この御言葉を思い出すことができますように。

主よ、
御言葉を語り続けます。
主がお一人ひとりに触れてくださいますように。
私は私の使命を果たし続けていくことができますように。
あなたを信頼します。

2010-06-10

感謝と期待。

今日の朝はいろいろな方々が来られました。
初めて私たちの家に来られた方々も。


松岡先生がお話をして下さいました。
先生は、仏教の研究を専門にされた方ですが、
やはり表情が一番生き生きとされるのは、
ご自分がどうしてキリストを信じるようになったかをお話になるとき。


やはり、内側にある喜びが溢れていることを感じました。


明日に備えてそろそろ休みます。


明日も神様が皆さんを送ってくださいますように。

2010-06-09

動かされないもの。

今日は午後から雨。
一日中、長袖が丁度いい涼しい一日でした。
一日20度以下。
今も、14.5度です。


そして、明日は雨は上がって、
今日よりもちょっと気温も上がりそうです。


今日の夕方、明日から集会でお話をしてくださる松岡先生がおいでになりました。
元僧侶で今はクリスチャンになって巡回しながら神様の話をしている伝道者。
貴重なお話が聞けるのでは、と楽しみにしています。


今日はほんの少しだけ、個人的にお話をさせていただきましたが、
ある意味家族との訣別をして、今の歩みをなさっています。


同じ牧師。
同じ東京の下町育ち。
同じ次男坊。
ほんの3週間ほどだけですが、同じ歳。
でも、先生はお寺に生まれ、私は教会に生まれた。
一人ひとりに与えられた人生はみんな違って、
それぞれそれを引き受けて歩んでいる。
それでいい、と思っている。


でも、先生の今の歩みの中に、自分の中にない勇気と確信を感じさせられました。


自分は決して、「親の期待に答えて」伝道者になった訳ではありません。
でも、周りの人々の多くは祈りを持って支えて下さいました。
励まされてきました。本当にありがたい事です。
でも、それに対して、反対の嵐のような中を通って、確かなものを握って歩んでいる
先生の姿に、圧倒されるような思いになりました。


静かな語り口の中に、そこまで確かな確信を与えたもの、
どんな反対の中にも動かないもの。
先生の中に感じました。
私もこの数日間、ともに歩ませていただく中で、
少しでもそれを知ることができればと思います。


さて、今日の聖書。
今日は第2テモテ3:10-17。


「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」16節。

私は教えられなければいけない。
知らないことが多すぎる。
私は戒められなければいけない。
失敗ばかりだ。
私は矯正されなければいけない。
独りよがりで、勝手に思い込んでいることが多い。
義の訓練を受けなければいけない。
甘ったれだ。

本当に聖書は自分に必要だ。

救いを教えてくれるだけではなくて、
私を戒めて、正しい道に導いてくれる。

甘えた自分に訓練を与えてくれる。

本当に整えて欲しい。
主の業のために整えられた者となりたい。

主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
私を戒めて下さい。
私を教えてください。
私を矯正して下さい。
私を訓練して下さい。
あなたの働きのために備えて下さい。


明日からの集会の一つ一つに聖霊様が豊かにご自由に働いてくださいますように。
集うお一人ひとりに祝福がありますように。

2010-06-08

いたわり合う・・・。

今日はまた涼しく気持ちのいい天気でした。
でも、明日は午後から雨。
夜も降り続き、
ちょっとまとまった雨になりそうです。


先週から、ハジにSummer Jobが与えられて、
毎日働いています。
大きなスポーツ用品店。
勤務時間は日によって違うのですが、
今週は夜、倉庫の整理をしているようです。


昨日の夜も10時前に自分で車を運転して、5分くらいのところにある職場に出かけていきました。そして、今朝7時半頃帰ってきて・・・いきなり話しだしました。


「昨日、Highwayを通るのがいやで、裏から回ったんだけどさ・・・」
ここまで聞いたら、親は「ああ、チケット切られたんだなあ」と思うものですが、それはハズレで、こんな話でした。


車で走っていたら、道の真中に動物が群れをなしていた。
車で近づいていったら、逃げていくと思ったけれども、逃げない。
そして、よく見たら、それは「スカンク」の群れ。
そんなもん、群れを作るか?と思うのですが、
そうだったそうです。
そして、危なく轢くところまで行って、止まったけれども、
よく見たら、一匹轢かれてしまっていて、
その一匹を囲んで、「おい大丈夫か?」ってみんなで聞いているみたいだった(ハジのことばそのまま・・・)。
そして、とてもかわいそうだったそうです。


でも、スカンクもいたわり合うんですね。
知りませんでした。
「負けられないな」と思いました。


でも、本当に間一髪で轢かなかったみたいですが、
ほんとに臭かったそうです。
パパがスカンクと対決したときに言っていた、『痛い』と言うのがわかる」強さだったそうです。


そのハジ、そろそろ今夜も出勤です。


さて、今日の聖書。
今日は第2テモテ3章1−9節。


「そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語をする者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者・・・」2−5節。

ここに出てくる世の終わりの人々の姿、
それを読みながら、自分は果たしてどうだろうかと、いろいろ思わされた。

これは自分とは関係ない、なんて果たして言えるだろうか?と。
というか、一つひとつの言葉に引っかかってしまった。

「自分を愛する者」
やっぱ最後は自分がかわいい、みたいなところは自分にはないだろうか?

「金を愛する者」
うーん、肯定はしたくないけれども、結構振り回されるよなあ。

「大言壮語をする者」
調子のいいことを言って、いつの間にか忘れていると言うことがどれだけあるか?

なんて考え始めると止まらない。

でも、一つ一つ整えていただきたいと思わされた。
こんなの人間なんだからしょうがない、と終わらせないで、
一つ一つ主に取り扱っていただきたいと思う。

主よ、
私の心を探ってくださりありがとうございます。
一つ一つ、あなたが私の心のなかの問題を取り扱って下さり、
あなたの用いやすい器となることができますように。


整えて下さい。


さて、明日は朝からNY。
そして、夕方にはゲストの先生が来られる。
楽しみ。

先生を迎えての集会はこちら。
沢山の皆さんが来られますように!

2010-06-07

主に用いられる事に対する情熱。

今日は本当に涼しく、快適な一日でした。
朝晩は半袖では寒いくらいです。


昼間はカラっと晴れて、25度くらい。
本当に理想的な初夏の一日です。


今日が日曜日だったら・・・と思わなくもないですが、
やっぱり、昨日のようなヒヤヒヤ感があった方が、
真剣に祈りますし、守られた時の喜びがひとしおです。


ですから、昨日は本当にいい日だったと思います。


今、10時前で17度台。
明日もまた朝晩涼しくて、昼間はカラッと晴れる最高の日になりそうです。


予想通り、今日の午後発表になりましたね。
24日に発売になるiPhone 4。
内容も特別にサプライズはありませんでしが、
この2年で、ずいぶん進んだんだなあ、というのは感じます。
日本でもアメリカでもApple Computerのトップページででかでかと紹介されています。


でも、なんで、月々30ドル払って、
こんなおもちゃみたいな携帯を使ってきたかと言うと、
自分にとっては、何よりも、
「住所録で日本語も英語も自由に使える+並べかえもパーフェクト」
という点に尽きます。


携帯と住所録が別々の時代、
Palm IIIという住所録を作れて、聖書をはじめ、いろいろソフトを入れられる電子手帳みたいなのを買って、愛用していましたが、
やはり、英語版だったので、日本語化して使っていても完璧ではなかったんですよね。
そんな中で、ソニーがその日本語版をClieという名前で出して、
それを日本から入手したときは、すげー便利、と思ったものでした。


でも、いかんせん、携帯とは別なので、
電話をするときには、Clieで番号を見つけて、携帯に打ち込む、という手が3本以上欲しい状態が我慢ならなくて、何とか、この2つをひとつに出来ないかと思ったわけです。


次に使ったのはNokiaの携帯。それを日本語化して使ったりもしていたのですが、
やはり、住所録は難しい。日本の連絡先と、こちらの連絡先を一緒に管理なんてできない。
できても、並べかえがダメ。漢字の名前にローマ字のふりがなを入れて並べ替えていた、と思います。


だから、2年前にiPhoneで日本語も使えるようになって、
それも「標準装備」なので、すごく安定していて、すごく行き届いている。
この住所録を経験したら、これ以外の道は考えられません。


まあ、後、聖書や辞書を入れたり、本を読んだり、
昨日みたいな日は、レーダーで雨雲の動きを見ながら次の行動を決めたり、
毎日の体重の増減をグラフにしたり、脳トレやったり、
いくらでも活用はできます。


今度新しくなって、初期投資は200ドルかかりますが、
月々通話料(どんな携帯でも同じ)+15ドル(今日から新料金)で使えるわけですから、これはデカイです。


あと、今度外付けキーボードも使えるようになるんですよね。
これも大きいです。


あと、カメラも2年前のよりはずっとよくなりますね。実用に耐えそう。


さあ、どうするか、ですね。


さて、今日の聖書。
今日はテモテ第二の手紙2章14−26節。


「ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」21節

この前後関係を見ていくと、
神様はどんな人でも用いられる。
でも、本当に尊い働きのために用いられるためには、
「きよめられる」ことが大切であることをパウロは言っているようです。

「別になんでもいい」
「どんな働きのためでも用いられるならばそれはいい」
「主の御心にお任せしているから」
どれも謙虚なことばのように聞こえますが、
主は用いやすい器を探しておられる。

尊い働きのために用いることのできる器を探している。

自分のうちにある神様を悲しませるもの、
自分のうちにある神様の働きを止めるもの、
そういうものが取り除かれた器を求めておられる。

だから、その点では積極的でありなさい、とパウロは語っているのだと思います。

私も用いていただきたいです。
主の働きのためにも用いていただきたいです。
そのために必要なきよめの御業を私のうちになしていただきたいです。
すべて不義なものを取り去っていただいて、
神様の働きを妨げるもの、
神様に用いられるためにじゃまになるものを、
すべて取り除いていただいて、
主に大きく用いていただきたいです。
そのことは、貪欲なほど、真剣に求めて行こうと思います。

主よ、
どうか、私を用いて下さい。
あなたの御用のために。
そして、そのためにじゃまになるものを、
一つ一つ取り除いて下さい。
あなたのご自由に、あなたの思いのままに。
どうか、私をあなたの用いやすい器にして下さい。

キリスト共に生きるために。

昨日の聖書。
昨日は第2テモテ2章1−13節。


「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる」11節。


昨日の野外礼拝の中で、
神様が私たちとともに歩みたいと熱望されていることをお話しした。

そのためにイエスが十字架にかかられたことも。

私たちの応答・・・それは「ありがとうございます」と言うこと。
でも、そこには「悔い改め」があり、
もう一つ、「イエスの十字架によって、古い自分に死ぬこと」がある。

イエスと共に生きる歩みは、自分に死ぬ歩み。

自分の願いや人生設計よりも、
主が与えようとしてくださっている人生を引き受けて歩むこと。

その時に、私たちは生きる。
自己実現をしようとするときではなくて、
主の導かれるところに歩んで行こうとするときに、
私たちは本当に生きることが出来る。

主の導きに敏感になりたいと思います。

主よ、
あなたの導かれているところに
従う喜びを経験したいです。
どうか、御心を示し、
心に抵抗を感じるときにも、
それを見分ける鋭さを与えて下さい。

信頼。

土曜日の聖書。
第2テモテ1章9−18節。


「その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。」12節。


この世で「信頼」というと、
「自分が信頼されるような人間になりたい」という方向性で使われることが多い。
また自分が人から「信頼されている」かどうか、で、元気になったり、がっかりする。

でも、聖書で「信頼」というと、自分たちが神様を「信頼していいのだ」
「信頼して行こう」「信頼してしまえばいいのに・・・」
そんなふうに使われることが多い。

それは、やはり、本当に信頼できる方、信頼すべき方を信頼することの大切さを語っているのだと思う。

そう、いつもは自分がどう思われているかが気になり、
自分に気持ちが集中する。
もちろん、「信頼される人間になる」というのは決して自分のためだけではないし、決して「自意識過剰」ではないだろう。
でも、聖書に向かうときに、自分以上に、神に目が向く。
この方は、信頼しても大丈夫。
この方は自分の大切なものを、
自分の人生自体を、
委ねてしまっても大丈夫。

そう思ったら、楽になった。
楽しくなった。

そう、今自分の大切なものは、
教会の一人ひとり。そして、その心。
主がその一人ひとりの心、私などどう頑張っても届きようがない、その心を守ってくださるようにと祈る。この方はそうしてくださると信頼して。一時、離れてしまった人々の心もまた導いてくださるようにと祈る。

主よ、
あなたを信頼しても大丈夫なこと、
あなたに大切なものをおまかせして大丈夫なことを
感謝します。


どうか、これからの歩みの中でも、
あなたが主であり、支配者であり、
私の大切なものをすべて守ってくださると信頼します。
信頼して、お任せします。


私も自分の使命に忠実な者でありますように。

2010-06-06

すごい。

今日は年に一度の(って決まっているわけではないが・・・そう、いつも秋にもやりたいと思う)、野外礼拝。近くの公園で礼拝を守り、バーベキューと、リクリエーションで過ごします。


今日は雷雨の予報。
確率予報も60−70%。


でも、なんと、礼拝も、バーベキューも、レクリエーションもすべて守られ、
沢山の方々と楽しいひとときを過ごすことができました。


心から感謝します。


風が強くて閉口しましたが、
本当に神様が守ってくださった一日でした。
片付け終わったところで、ザーッと雨が降ってきて、
「本当に」守られたなあ、と思います。


もう写真もアップされています。
こちらから。
http://www.jccofnj.org/gallery/thumbnails.php?album=102


でも、写真はホンモノよりも髪の毛が白く見える・・・きっと。


バットを振っている写真もありますが、
最後20分くらい参加したソフトボールも珍しく2打数2安打。
<( ̄- ̄)v


今夜から冷え込んで、涼しくなるみたいです。
10時ですでに17.8度!


ここ3日の「日々のみことば」は明日にでも落ち着いて・・・。

明日は新型iPhoneの発表ですね(たぶん)。

2010-06-04

わがままと感謝。

今日も暑かったです。
結構きついですねえ。
夜になっても、「熱帯夜」ではないのですが、
12時頃までは25度以上という「半熱帯夜」状態が結構こたえます。


明日も暑くて、雷雨があるかもしれません。


今日から、テモテ第2の手紙。
今日は1章1−8節。


「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」5節。

いつもここを読むと、7節の言葉が心にとまります。
今日もたしかにその言葉についても思いめぐらしました。

「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」7節。

神様の霊に満たされて歩む喜びをもっと感じたいです。

そして、最初に書いた聖書の言葉。
47年前のこの日にこの地に命を頂きました。
そのこととこの聖書の箇所が重なってきました。
主が私をあの家族の中に送ってくださったこと、
そこで育ててくださったこと、
信仰の基盤を作ってくださったこと、
神様に出会う土台を作らせてくださったこと、
心から感謝しながら、
まだまだ分からない事もありますが、
すべてのことには主のお考えがあるのだと信じて、
また感謝しました。

そして、夕方からは本当に家族にわがままを言って過ごしました。
受け止めてくれている家族に感謝。

日本の家族、こちらの家族、そして、教会の神の家族、
ここで出会った多くの人々、その愛の中に生かされていることに感謝します。
人生をほんの一部でも、共有できる喜びを感謝します。

主よ、
あなたが与えてくださった人生に感謝します。
あなたのお考え、あなたの導き、
意味があると信じて感謝します。
もうすでにわかったこと、
まだ、これからわかること、
いろいろあると思います。
どうか、これからもあなたのみ思いをもっともっと私に分かち合って下さい。


もっともっと多くの方々と、
人生の一部を共有する喜びを与えて下さい。

2010-06-03

神様のプレゼント。

今日は雷雨なかったですね。
そして、ほんとに暑かったです。
今も、10時半を過ぎていますが、26度以上あります。


と書いていたら、今、雨が降り出しました。
でもレーダーを見たら、ほんのちょっとみたいです。


明日も暑くて、雷雨の可能性があります。


今日は、7年前に日本に帰国された方から、
朝早くメールが入ってきて、
今、仕事でNYに来ているけれども、
今日の午前中の祈り会に行っていいか?という問い合わせ。


もちろん大歓迎!


バスで迷いながらも、集会に来られました。
何度か日本でお会いしている私も4年ぶりくらい。
他の皆さんはもう丸々7年ぶりですよね。


貴重なNYでの一日を、私達と共に祈るために、使って下さったその思いに感謝。
そして、その方を送ってくださった神様に感謝。
本当にいろんなことを思い出して語り合いました。
本当に嬉しいプレゼントでした。


さて、今日の聖書。
いよいよエレミヤ書の最後。
エレミヤ52章24−34節。

エレミヤ書を読みながら、また先週の信徒勉強会で学んだエゼキエル書を思い出しながら、
神様は何度も何度も人々に悔い改めを求められてきて、悔い改めて歩み始めることを期待しておられたことを、思わされました。

裁きの預言。滅亡の預言。
それはもう決定論ではなくて、
悔い改めへの招きなのだ。

主は、どこまでも、私たちが悔い改めて、
主の元に帰って生きることを願っておられる。

裁きも悔い改めへの招き。

そのことの大切さを思わされ、
人を恐れないで、裁きのメッセージも語っていく責任も思わされます。

主よ、
あなたの裁きのメッセージも、決して、決定論ではなくて、
人を脅かすものではなくて、
それは悔い改めへの招きであり、
命への招きであることを思わされました。


私自身どれだけ、裁きのメッセージを語ってきたでしょうか?
恐れないで、聖書全体のメッセージを大胆に語るものでありますように。