2010-06-09

動かされないもの。

今日は午後から雨。
一日中、長袖が丁度いい涼しい一日でした。
一日20度以下。
今も、14.5度です。


そして、明日は雨は上がって、
今日よりもちょっと気温も上がりそうです。


今日の夕方、明日から集会でお話をしてくださる松岡先生がおいでになりました。
元僧侶で今はクリスチャンになって巡回しながら神様の話をしている伝道者。
貴重なお話が聞けるのでは、と楽しみにしています。


今日はほんの少しだけ、個人的にお話をさせていただきましたが、
ある意味家族との訣別をして、今の歩みをなさっています。


同じ牧師。
同じ東京の下町育ち。
同じ次男坊。
ほんの3週間ほどだけですが、同じ歳。
でも、先生はお寺に生まれ、私は教会に生まれた。
一人ひとりに与えられた人生はみんな違って、
それぞれそれを引き受けて歩んでいる。
それでいい、と思っている。


でも、先生の今の歩みの中に、自分の中にない勇気と確信を感じさせられました。


自分は決して、「親の期待に答えて」伝道者になった訳ではありません。
でも、周りの人々の多くは祈りを持って支えて下さいました。
励まされてきました。本当にありがたい事です。
でも、それに対して、反対の嵐のような中を通って、確かなものを握って歩んでいる
先生の姿に、圧倒されるような思いになりました。


静かな語り口の中に、そこまで確かな確信を与えたもの、
どんな反対の中にも動かないもの。
先生の中に感じました。
私もこの数日間、ともに歩ませていただく中で、
少しでもそれを知ることができればと思います。


さて、今日の聖書。
今日は第2テモテ3:10-17。


「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」16節。

私は教えられなければいけない。
知らないことが多すぎる。
私は戒められなければいけない。
失敗ばかりだ。
私は矯正されなければいけない。
独りよがりで、勝手に思い込んでいることが多い。
義の訓練を受けなければいけない。
甘ったれだ。

本当に聖書は自分に必要だ。

救いを教えてくれるだけではなくて、
私を戒めて、正しい道に導いてくれる。

甘えた自分に訓練を与えてくれる。

本当に整えて欲しい。
主の業のために整えられた者となりたい。

主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
私を戒めて下さい。
私を教えてください。
私を矯正して下さい。
私を訓練して下さい。
あなたの働きのために備えて下さい。


明日からの集会の一つ一つに聖霊様が豊かにご自由に働いてくださいますように。
集うお一人ひとりに祝福がありますように。

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