2010-06-07

信頼。

土曜日の聖書。
第2テモテ1章9−18節。


「その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。」12節。


この世で「信頼」というと、
「自分が信頼されるような人間になりたい」という方向性で使われることが多い。
また自分が人から「信頼されている」かどうか、で、元気になったり、がっかりする。

でも、聖書で「信頼」というと、自分たちが神様を「信頼していいのだ」
「信頼して行こう」「信頼してしまえばいいのに・・・」
そんなふうに使われることが多い。

それは、やはり、本当に信頼できる方、信頼すべき方を信頼することの大切さを語っているのだと思う。

そう、いつもは自分がどう思われているかが気になり、
自分に気持ちが集中する。
もちろん、「信頼される人間になる」というのは決して自分のためだけではないし、決して「自意識過剰」ではないだろう。
でも、聖書に向かうときに、自分以上に、神に目が向く。
この方は、信頼しても大丈夫。
この方は自分の大切なものを、
自分の人生自体を、
委ねてしまっても大丈夫。

そう思ったら、楽になった。
楽しくなった。

そう、今自分の大切なものは、
教会の一人ひとり。そして、その心。
主がその一人ひとりの心、私などどう頑張っても届きようがない、その心を守ってくださるようにと祈る。この方はそうしてくださると信頼して。一時、離れてしまった人々の心もまた導いてくださるようにと祈る。

主よ、
あなたを信頼しても大丈夫なこと、
あなたに大切なものをおまかせして大丈夫なことを
感謝します。


どうか、これからの歩みの中でも、
あなたが主であり、支配者であり、
私の大切なものをすべて守ってくださると信頼します。
信頼して、お任せします。


私も自分の使命に忠実な者でありますように。

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