昨日の聖書。
昨日は第2テモテ2章1−13節。
「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる」11節。
昨日の野外礼拝の中で、
神様が私たちとともに歩みたいと熱望されていることをお話しした。
そのためにイエスが十字架にかかられたことも。
私たちの応答・・・それは「ありがとうございます」と言うこと。
でも、そこには「悔い改め」があり、
もう一つ、「イエスの十字架によって、古い自分に死ぬこと」がある。
イエスと共に生きる歩みは、自分に死ぬ歩み。
自分の願いや人生設計よりも、
主が与えようとしてくださっている人生を引き受けて歩むこと。
その時に、私たちは生きる。
自己実現をしようとするときではなくて、
主の導かれるところに歩んで行こうとするときに、
私たちは本当に生きることが出来る。
主の導きに敏感になりたいと思います。
主よ、
あなたの導かれているところに
従う喜びを経験したいです。
どうか、御心を示し、
心に抵抗を感じるときにも、
それを見分ける鋭さを与えて下さい。
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