2008-06-17
みことばを慕う。
今は夜の11時前ですが、17度まで下がっています。
かなりからだが楽です。
明日は今日よりもまたもう少し涼しくなって最高気温も
22-3度程度で、湿度も低く気持ちいい一日になりそうです。
昨日の夜思い出した火曜礼拝の説教でしたが、
昨日の夜と、今朝と祈りつつ時間を過ごしていたのですが、
本当に準備ができたのは直前でした。
でも、神様が与えてくださったみことばである以上、
神様が語ってくださる。
それだけが希望であり、期待の根拠です。
「今日、火曜礼拝に行こう」と思ったという方を、
神様が送ってくださって、
それも、本当に今日の聖書箇所が、
その方にとってぴったりだったそうです。
不思議なことを神様がしてくださったなあと思いました。
いや、私の目には不思議でも、
神様の御手の中で導かれたことだと思います。
これからもそのような御業をもっともっと見せていただきたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一23章1-14節。
「神はダビデをサウルの手に渡さなかった。」14節。
最初はケイラの町の人々がダビデに助けてもらいながら、
サウル王が攻めてきたら、あっさりとダビデを渡してしまうということが、
あまりに身勝手な、恩知らずな連中だろうと思っていましたが、
考えてみたら、ダビデは400人の部下しかいない一介の浪人。
それに対して、サウルは一国の王ですからね。
でも、ケイラの人々がダビデのことをサウルに渡そうと思っていても、
神はダビデをサウルの手に渡すことはなさらなかった。
結局はそこなんだなと思います。
神がどうなさるか、そこだけなんだと思います。
そこに自分の使命を感じて、それを受け取っていくこと、
その大切さを思わされます。
主よ、
私は最初はこのケイラの人々がなんてひどい奴らなんだ!と思いました。
そうですよね、でも、自分はこのケイラの人よりも愛があるのか?
自分がこの状況に置かれたら、どうだろうか?と思います。
同じことをしたかもなあ、そして、いろいろ言い訳も・・・。
だから、人は人のことをとやかく言えないんでしょうね。
でも、あなたはダビデを渡さなかった。
それで十分だった。
あなたがそう決められたのだったら。
私の人生の中で、あなたの御手をいつもいつも
見て歩んでいくことができますように。
2008-06-16
聞くこと。
気温はそれほどでもなかったのですが、
湿度が高くて・・・。
でも、夕方に雷雨があって、
ぐっと涼しくなりました。
8時半で17.8度。
そして、この後金曜日くらいまでは涼しいようです。
朝は10度くらいまで下がるようですから、
風邪をひきやすくなります。
お気をつけて。
昨日の礼拝は、カルフォルニアに引っ越される方がメッセージをしてくださいました。
この方は70になって、通信制で神学校で学ばれた方。
忠実に教会のメンバーとして仕えてこられました。
私が留守の時によく礼拝説教をしていただいてきました。
昨日は久しぶりに説教の時間に会衆席にすわって、
メッセージを伺いました。
自分が語るときには、
「この解釈は間違っていないだろうか」とかなり注意しますが、
聞くときには、そんな思いはどこにもなく、
ただただ、神からのメッセージとして聞かせていただきました。
心の中で何度「アーメン、そうです」「感謝します」と叫んだことでしょうか?
私にとって必要な恵みの時でした。
明日は火曜礼拝。
さっき、我が家に滞在している青年に「明日の説教は誰ですか?」と聞かれて、
「そりゃ、私だよ」と答えて、はっとしました。
何話すんだろう?
いつもは日曜礼拝の説教をそのまま火曜礼拝でも語るのですが、
私は日曜日説教していない・・・。
気がついてよかったです。
明日、礼拝が始まってから、
「あれ、何を話すんだったかな・・・」ってことになっていたかもしれませんね。
そういう夢から覚めて、「ああ、よかった夢だった・・・」という経験はいくらでもありますが。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一23章。
「それなのに、おまえたちはみな、私に謀反を企てている。きょうのように、息子がエッサイの子と契約を結んだことも私の耳に入れず、息子が私のあのしもべを私に、はむかわせるようにしたことも、私の耳に入れず、だれも私のことを思って心を痛めない。」8節。
サウルは人々を疑った。
部下たちが自分に謀反を企てていると言い、
また何も知らずにダビデに食糧と武器を提供した祭司の一族を皆殺しにした。
何でも疑ってかかり、
人を信じることのできないあわれな王。
彼の心が何に支配されていたのだろうかと思う。
ねたみであり、嫉妬であり、不安であった。
そういうものにとらわれた人の愚かさを思いました。
人を信じて裏切れたときの悲しさ、ばかばかしさ、それが傷になって、
人を信じることが難しくなることがあります。
正直者が馬鹿を見ることがあります。
でも、今日のサウルの姿を見て、
人を疑って生きることはいやだ、と思いました。
馬鹿を見続けようと思います。
主がすべてをご存じですから。
それでいいかな、と。
主よ、
このサウルの姿は愚かだと思います。
でも、私は自分が同じことをしていても、
なかなか気付けない者です。
どうか、あなたが教えてください。
そして、たとえ馬鹿を見たとしても、
人を信じる者であり続けられますように。
いや、人を信じるよりも、
人の中に働かれるあなたの力を信じる者であることができますように。
2008-06-15
父の日。
左の絵はハートが野球場になって、あとVサインになっているようです。
そして、マツイのMとまなぶのMが同じなので、バットが二本あるそうです。
そして、ビッグ・ハグをくれました。
のんちの話によると、ずっと前から、楽しみにして準備してきたそうで。
この子もやがて思春期になって、オヤジに見向きもしなくなるんでしょうから、
いまのうちに思いっきりベタベタしてやろうと思います。
5年くらい前まで、そうやってベタベタしてやったユキが
今や、近くに寄ろうともしないので、
きっとサキもそうなるんだろうと覚悟して・・・。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一21章。
「それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい・・・」13節。
このときのダビデはどんな惨めな気持ちだっただろうかと思う。
自分の身元がばれることを恐れて、よだれを垂らしながら歩かなければいけなかった。
神の御手の中にあると思っても、
そのように生きていても、
惨めな気持ちになることはあるだろうと思う。
でも、神は彼を見捨てることはなかった。
神が見捨てない、それだけが私たちの支え。
それがあれば十分。
主よ、
あなたが支えてくださるからありがとうございます。
そこに堅く立っていく者でありますように。
あなたを頼りにできますように。
ほかのものを頼りにすることがありませんように。
2008-06-14
孤独。
そして、午後には雨も降ってきました。
夜には雷がすごくて、
一回は地響きを感じるくらい近くに「ドカーン」と落ちました。
停電にならないのが不思議なくらい。
明日は涼しくなってくれると思います。
最近読んでいるMax Lucadoの「心の重荷に別れを告げて」で思わされたこと。
この本、一つの主題と言うよりは、
詩篇23篇からいろんなことを言っているように感じるのですが、
詩篇の23篇4節の「あなたがわたしとともにおられますから」から、
彼がこう言っています。
「もし、人がいることで寂しさが癒されるなら、現代は孤独感は減っているはずだ。だが寂しさはなくならない」
「あふれるほどの教会員に囲まれていてさえ、人は孤独感を抱き得るのだ」
でも、その中で、孤独感を否定的なものとしてしか見ないのは違うのではないかと、彼は言うのです。
「寂しさは呪いではなく、贈り物にならないだろうか。神からの贈り物に」
「ぼくは、寂しさを使って神は僕たちの注意を引こうとしておられるんじゃないかと思うんだ。」
そう、人の中での孤独を感じたときは神が共にいてくださることのすばらしさを感じるチャンスなんだと。
心の中に平安があふれてくるのを感じました。
神様が私と共にいてくださることを、心から感謝します。
「あなたの家族があなたに背を向けることもあるだろう。でも神はそうされない。あなたの友人たちがあなたを裏切るかもしれない。でも神はそんなことはされない。荒野にたったひとりでいるような気持ちになるかもしれないが、あなたはひとりじゃない。主が共にいてくださる。」
孤独が怖くなくなりました。
もちろん、神が与えてくださる友には心から感謝しながら・・・。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一20:24-42
「エッサイの子がこの地上に生きているかぎり、おまえも、おまえの王位も危うくなるのだ。」31節。
今日もダビデの主へのおそれと、
サウルの人へのおそれを対照的に思いました。
ダビデは、自分の命をねらっていたサウル王の命をねらおうとはしませんでした。
神様が守ってくださることを、知っていたからです。
神様が自分を選んで王として油を注がれている。
だから、自分と同じように油を注がれて王となったサウルに手を下すことは、
自分を選んだ神の御手をも否定することになる。
だから、彼はサウルに手を下さなかった。
でもサウルは、ダビデが生きていたら、自分の王の地位も危ないと思っていました。
でも、それを決められたのは神だったのです。
自分はどうだろうかと思いました。
ただただ、主に目を向けて、
周囲の状況には振り回されない強さがほしいと思います。
主よ、
どうか、私をダビデのように神を恐れる者としてください。
人を恐れることがないように守ってください。
あなたから目を離すことがありませんように。
2008-06-13
ダンパ。
朝はさわやかでしたが、
昼間は結構暑かったですね。
明日はちょっと湿度が上がって、
雷雨もあるでしょう。
今日の夜はユキのMiddle Schoolの卒業ダンスパーティー。
PTAの主催のイベントなんだが、
結構おしゃれをして集まる。
で、ユキもおしゃれをしてみた。
スカート姿なんて、何年ぶりでしょうか。

けっこういいじゃん、と父親は思う。
いつまでも子供だと思っていて、
実際子供なんですが、もうすぐ14歳。
ほどほどのレベルでおしゃれをしてもらいたいもんだ・・・と思う。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一20章1-23節。
・・・と書いたところで、10時からの深夜祈祷会に行く時間。
・・・と書いたところで、右側の聖書箇所のところがアップデートされていなかったことに気づく。
帰ってきたら、右の欄をアップデートして、それから聖書箇所について書きますね。
ではでは。
----------------------------
2時間半経過。
いやあ、最近朝が早いので、深夜祈祷会はきついです。
ユキはもう、休んでしまったようですが、
なんだか、とても楽しかったようです。
ちょっとほっとします。
で、今日心にとまった言葉。「私と死との間には、ただ一歩の隔たりしかありません。」3節。
ダビデはサウル王に命をねらわれている、ということで、
この言葉をヨナタンに言っているが、
実際のところ、私たちはみんなそうなんだと思います。
私はいつも死と隣り合わせ。
でも、ダビデが神によって、いくつもの危機の中で、
命が守られて、王として立てられていったように、
私たちの命も主の御手の中にある。
どんな危機の中でも、生かされる者もある。
そのような中で、私が今生かされているとすれば、
それは神様のお考えがそこにはあるんだと思います。
それに対して、いつも敏感であることができますように。
主よ、
あなたの御手によって生かされていること、
あなたのお考えによって生かされていること、
それをいつもいつも覚えていることができますように。
一日一日をあなたから与えられた日として、
生きることができますように。
2008-06-12
涙。
今、夜の12時をすぎましたが、外は19度。
明日の朝は13度くらいまで下がる予報がでています。
明日もすかっと晴れて、気持ちがいいでしょう。
今日はゲストがおられて、
うちの家族と、高校生が2人加わって、
13人家族でした。
楽しかったです。
子供たちもなんだか盛り上がっていましたねえ。
大人も、ゆっくりお話しするのは初めてなんですが、
昔からの友人のようにお話ししました。
天気図の話。
翻訳をされてきた本の話。
共通の友人の話。
どのようにしてお二人が出会ったかという話。
でも、やっぱり一番こころが通じるのは、
一人一人が神様に出会ったときの話。
特に、Mrs.が、「結婚を前にしてMr.がクリスチャンになった時の話」をしながら、
涙ぐんでおられた姿には感動しました。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一の19章8-24節。
「そこでサウルはダビデを捕らえようと使者たちを遣わした。彼らは、預言者の一団が預言しており、サムエルがその監督をする者として立っているのを見た。そのとき、神の霊がサウルの使者たちに臨み、彼らもまた、預言した。」20節。
この箇所で、なんとしてでもダビデを生かす神の決意を見ました。
ヨナタンはその役割を果たし、またミカルもダビデを逃がします。
神はそのように人を用いられます。
でも、ある時には、このようにご自身で介入されるのです。
神の御手があることを感じました。
神の御手の中で、私たちが生かされていることを覚えます。
朝、一つの祈りの課題を持って教会に行きましたが、
祈りの中で、次々と祈って支えるべき方々が浮かんできました。
愛することを教えていただきたい、経験させていただきたいと思いました。
主よ、
今もあなたは私をあなたの御手の中で生かしてくださっていることに、
こころから感謝します。
あなたの御心が私の生涯を通して表されますように。
私の人生に与えてくださった多くの方々の故に感謝します。
どうか、私に愛することを教えてください。
2008-06-11
友来る。
期待した分だけ、たいしたことはありませんでしたね。
歩くと暑い、日でした。
まあ、昨日まではじっとしてでも暑かったですが。
今日は一日NYの日。
夜には、ちょうど2月に日本で22年ぶりに
お会いした大学時代の友人にNYで再会。
結婚20周年のご旅行だそうで・・・。
経済の専門家。大学で教えてたりします。
面白い取り合わせですね、
経済の専門家と牧師。
でも、私も牧師の肩書きをおろして、
楽しく話をさせていただきました。
こういう時をもっともっと持つことの大切さをも感じました。
今日の聖書。
今日はサムエル記第一の19章1-7節
「王よ。あなたのしもべダビデについて罪を犯さないでください。」4節。
この言葉を語ったのはサウル王の息子ヨナタン。
このことを父であり、王である人に向かって言うことは
勇気がいったことだろうと思う。
でも、彼はそれが言える立場にいたし、
ダビデのことをも誰よりも知っていたし、
サウル王のこともよく知っていた。
彼は自分の使命を果たしたのだと思う。
自分の使命を果たすことの大切さを思う。
私も自分に与えられたこと、
今自分がここに生かされていることの意味を、
確認しながら、歩んでいこうと思う。
ただ自分の使命を意識するだけではなくて、
それを実行する者でありたいと思いました。
主よ、
私に与えてくださっている使命を
確かに知って、そこに生きる者としてください。
責任を果たすことができますように。
そして一人一人の生かされていることの意味が、
本当に一人一人のうちに示されていきますように。
2008-06-10
あちかった。
最高気温は38.5度でした。
でも、夜になってから雷雨になって、
25度まで下がってきました。
この後、雨が夜半頃まで残って、
その後湿度も下がってきて、明日は
30度くらいはいきますが、湿度が下がって、気温も5度くらい下がるぶん、
ずいぶん過ごしやすいでしょう。
とにかく、この暑いのが終わってくれたかと思うと、
なんだか、とても解放された気持ちです。
今日は今度の金曜日のダンスパーティーと、
再来週の月曜日の卒業式のために、
ユキがドレスを買いに行きました。
いやあ、2ヶ月でNJに来た、あのユキがもう中学校卒業かあ、
と感無量と不安と入り交じった気持ち。
こちらは高校が4年間のために、14歳で中学を出ます。
ユキの場合は8月生れなので、13歳です。
スカートも何年ぶりか?
いつもTシャツにジーンズやジャージ、
サンダルもビーチサンダルしか知らないユキが、
どんな風に変身するのか、ちょっと楽しみです。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一18章17-30節。
「こうして、サウルは、主がダビデとともにおられ、サウルの娘ミカルがダビデを愛していることを見、また、知った。 それでサウルは、ますますダビデを恐れた。」28-29節。
サウルは神様がダビデとともにおられることがわかっていた。
そして、ダビデを恐れた。
でも、それ故にこれからはダビデを抹殺することでこころがいっぱいになった。
本当だったら、神様を恐れて、
神様の前に悔い改めるチャンスだったのだと思うけれども、
彼はそれをしないで、ただ、ダビデを抹殺することだけを考えた。
なんておろかなんだろうかと思う。
でも、それはやはり客観的に見ているから。
自分も同じような弱さ、愚かさを持っていないだろうか。
神様を恐れ、自分の使命をしっかりと見つめながら、
歩む者でありたいと思う。
ねたみの落とし穴にはまることがありませんように。
主よ、
あなたを恐れます。
あなたの御心を知り、
御心に従って歩みたいです。
どうか、私が自分の使命に立ち、
自分の使命に生きる者でありますように。
2008-06-09
あぢい
いいたかないげど、あぢいでず。
今日は37.9度まで上がりました。
おかげでエアコンのない、
High SchoolとMiddle Schoolは半ドンでした。
明日もそうみたいです。
一番下だけ一日学校。
エアコンのない学校で半日で終わるのがいいか、
エアコンのある学校で一日勉強する方がいいか。
うーん、難しいですが、お互い「いいなあ」と言い合っております。
でも、もう、ここまで行くと、「体脂肪を燃やす」なんて言ってられません。
昨日、NYである人が、走っていて倒れて意識不明という話を聞きました。
たぶん日本人だろうと。こんな日に走るのは命取りです。
でも、車(教会のやつ)が今朝から修理にでて、
サキの送り迎えには車がなかったので、
あぢいと言いながら、歩いていきました。
明日ももう一日暑いようです。
勘弁してほしいです。
でも、明日で終わると思うと、出口が見えた、という感じで耐えられるかな、とも思いますが。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル第一の18章1-16節。
「サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。『ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。』」8節。
昨日、あのようなメッセージをしたのですが、
今日も、この聖書箇所の中で、ねたみだとか、願っていたような評価が与えられないことに対する怒りだとか、本当にわかる自分がいます。
このサウルの姿は本当に哀れなのですが、
自分と無縁かというと、自分もそのような者ではないだろうかと思わされるのです。
ねたみは怖いと思います。
本当に気をつけなければと思います。
今日、ほかの本でも出てきました。
情欲とかの誘惑にもびくともしない人が、
他の人が評価されて、自分が評価されない場面で、
こころがぐうっとゆがんでいってしまうことがある。
人の評価ではなく、
あなたの評価に目をとめる者としてください。
そして、それ以上に、あなたとともに歩めること自体に、
あなたの御心に従うこと自体に、
喜びを見いだす者としてください。
主よ、
どうか、私を守ってください。
ねたみから、評価されないことに対する怒りから、
私のこころを守ってください。
あなたご自身を見つめて歩む者としてください。
愛されることよりも、愛することを喜びとする者としてください。
2008-06-08
あちい。
あちいです。
昨日の朝はちょっとひんやりしていましたが、
今日は朝から暑かったです。
そして、昼間はホントに暑かったです。
教会の礼拝堂もなんだかエアコンが効かなくて、
暑かったです。
今日は一人のご婦人が最後の礼拝。
フィラデルフィア近郊に引っ越されます。
「教会は共同体です」と挨拶の中で言われていた言葉が心に残りました。
そうでしたね。この方がJCCNJに来られるようになった時には、
確かにお一人でがんばって信仰を守って来られた、という雰囲気がありました。
でも、祈祷会を愛されて、礼拝を愛されている中で、
人々の愛に、そして、御言葉によって養われて行かれました。
送り出すのは寂しい面もありますが、
また遣わす、という面もあります。
姉妹の存在が神様によって用いられますように。
そして、今日はシカゴから、
ぼぼるさん+はちこさんの6人家族の皆さんが礼拝に来られました。
お客さんが来られるのはうれしいですねえ。
3年前にシカゴに行ったときにお会いしているのですが、
そのときはゆっくりお話しすることもできず、
でも、いつ頃からか、ブログ友状態でした。
ご主人は、お天気の専門家(地球物理学かな?)なので、
なんだか、他人には思えません。かなり図々しいですが・・・。
この5月にハジがシカゴのカンファレンスでお世話になり、
今回初めてゆっくり家族ぐるみでおつきあいできます。
子供たちも、うちの3人と同じ学年の子が3人+10歳、ということで、
これまた珍しいくらいパターンがにている・・・。
今日は私の役員会があったので、時間はありませんでしたが、
木曜日の夜にはゆっくりお話ができそうです。
楽しみです。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル第一17章41-58節でした。
「この戦いは主の戦いだ。」47節。
私たちの戦いは主の戦い。
主が私たちのために戦ってくださる。
私たちが一生懸命がんばらなければならないのではない。
主が戦ってくださるのを信頼して、出て行くのだ。
心から主を信頼して歩んでいきたいと思いました。
日曜日の礼拝のために、
そこで一人一人に主が語ってくださるように、
祈りました。
主よ、
今日の一日を感謝します。
私たちの戦いは主の戦いです。
あなたを信頼します。
あなたが勝利を与えてくださいますように。
あなたを恐れます。
2008-06-07
あつい。
暑いです。
予想されていたとおりですが、
本当に暑いです。
でも、今朝は6時半にハドソン川沿いだったので、
それはそれは涼しかったです。
長袖が必要でした。
でも、その後、どんどん暑くなって、
ガレージセールだったので、
めちゃくちゃ汗かきました。
で、この先数日間の天気。
月曜日のところは真っ赤な太陽が・・・。最高気温は98度F。
つまり37度Cです。
体温です・・・。
お体には気をつけて。
Yankeesの試合も熱かったようですね。
12-11で勝ったから、まあ盛り上がったでしょうねえ。
でも、こんな暑い日のデーゲームはホント、大変だったことでしょう。
さて、今日の聖書です。
今日はサムエル第一17章28-40節でした。
「こんなものを着けては、歩くこともできません。慣れていないからです。」39節。
どんなに他の人にとって助けになることでも、
どんなに客観的にそれが防御に意味があるとしても、
自分がなれていなかったら、何の意味もない。
何の役にも立たない。
他人のまわしで相撲は取れない。
自分のなれているのものでなければならない。
御言葉を「消化する」という言葉を使うことがあります。
今日も、明日のために消化することの、大切さを思わされていました。
自分の経験として、
自分が神様から取り扱われたこととして、
備えて、語ること、
どんなにか大切なことかと思います。
借り物の恵みでは勝負はできない。
神様にもっともっと取り扱っていただきたいと思います。
神様、
どうか、私をいつもいつも御言葉によって取り扱ってください。
そして、あなたに語られたことを、
自分が取り扱われたことを、
語る者とならせてください。
明日の礼拝を守り、祝福してください。
2008-06-06
ホントに熱波がくる?
あまり暑くなりませんでしたが、
明日は35度くらいまで上がる予報がでています。
朝はもやっていて、
「これが暑くなるのか?」と思うかもしれませんが、
朝、もやっているのは暑くなる日なのです。
明日は今年初めての野外早天祈祷会。
ハドソン川のほとりに集まって、祈りの時を持ちます。
その後は、先週のGarage Saleで残ったものと、
うちにあるいろんなものを、
うちの庭でSaleです。
今まで知りませんでしたが、
うちの町でもGarage Saleは許可がいるんですね。
15ドルも町に払わなければいけません。
なんとか、たくさん売れてほしいものです。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一17章12-27節。
「この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」26節。
どうでもいい話ですが、
私は日本の教会で「なぶさん」と呼ばれていました。
「まなぶ」だったので、「なぶさん」
どうでもいい話ですがね。ハイ。
自分が侮辱されることよりも、
神が侮辱されることに怒るダビデ。
今日はこの感覚を自分は持っているだろうかと、
思わされました。
私たちは自分が侮辱されることにはものすごい怒りを覚えます。
なんだか、「そんな風に言われる筋合いはない」とか、
「そんな風に思われていたのか・・・」なんて感じたりします。
またそんな声を聞くことがあります。
侮辱というのは耐えられない。
自分に対する侮辱はね。
でも、自分に対する侮辱はいい、
侮辱を受けても、それをイエスもうけられたものだから、
と平静に受け止めることはできないだろうか。
かえって、神様に対する侮辱に対して、憤りを覚えるか?
そんなことを思わされました。
自分ではなく、神への侮辱に怒る者でありたいと思います。
神様、
自分に対しての侮辱に耐える力を与えてください。
あなたに対する侮辱に怒る心を与えてください。
熱い思いを与えてください。
2008-06-05
熱波がやってくる。
でも、もうすぐ熱波がやってきます。
明日は今日よりぐっと温度が上がりますが、
30度くらいでしょう。
熱波はそのあと、土曜日から月曜日にかけてです。
ばっちり晴れて、最高気温は35度くらい。
いや、37-8度までいくと思います。
夜は熱帯夜ということはなく、22度くらいまで下がりますから、
まあ、大丈夫でしょうけれども、
お体には気をつけて・・・。
昨日というか今日というか、
6月5日の朝日新聞のHPにDVのことが書かれていましたね。
夫から妻への暴力の問題(リンクはすぐに切れると思います。悪しからず)です。
「あなたのせいではない」「がまんしなくていい」
一言一言うなずきながら読みました。
日本でも暴力を使うと刑事事件になるので、
暴力を使わないけれども、虐待を続けるケースが多くなってきたそうです。
牧師としてどのように対応したらいいのか、いろいろ考えさせられます。
「怒らせるおまえが悪い」・・・だから、怒らせないように気をつける。
それが大切だと思ったときもありました。
丸く収めることが使命だと思ったこともあります。
だいたいはご夫人方に我慢を強いてきたと思います。
もちろん、そんな時は「我慢」だなんて言葉は使いません。
「愛」という言葉に置き換えて・・・。
でも、それは本当に「愛」なんだろうか、
「恐れ」じゃないだろうか。
それでは解決しない。
はっきりとした態度をとることの方がずっと大切。
被害者も放っておいたら、虐待に身を捧げてしまう。
優しいときの彼が本当の姿だと思ってしまって、
その彼を逆上させる自分が悪い妻だと思ってしまう。
だから、厳しく思えるようなサポートが大切。
「本人が頼ってくるまで様子を見よう」なんてやったら、手遅れになる。
そして、被害者のサポートが大切だけれども、
その一方で、加害者の癒しへのプロセスも大切。
癒されなければ、また次の被害者がでてしまうだけ。
こちらの方がまた難しい。
これからの時代、こういったことを真剣に学ぶ必要を感じます。
無知は怖い。
丸く収めようとする気持ちも怖い。
「完全な愛はおそれを取り除く」
愛と勇気を与えてほしいと思いました。
アンパンマンのテーマソングはすごい、と思います。
(愛と勇気だけが友だちさ~♪)
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一17:1-11。
「サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。」11節。
ダビデとゴリアテの一騎打ちの箇所の一番最初の部分です。
大きな大きな強そうなゴリアテがやってきたときに、
そして、イスラエルの人々を脅しにかかったときに、
人々はおそれて、意気消沈してしまったのです。
自分も、大きな問題が立ちはだかるときに、
思ったようにことが進まないときに、
逃げたくなります。
でも、その必要はない。逃げなくていい。
戦えばいい。
主に祈って戦えばいい。
主を信頼して戦えばいい。
主よ、
あなたがともにいてくださるから、戦えます。
困難な問題、圧倒されるような状況、
それに対して、恐れないで、戦う者としてください。
明日の集会も祝福してください。
あなたのメッセージを伝えることができますように。
2008-06-04
旅人。
肌寒いわけではなく、ちょっと蒸すけど、
蒸し暑い、というのはいいすぎかな、
という微妙な天気でした。
明日も今日と同じような天気が続きそうです。
松尾芭蕉が奥の細道の旅に出た歳になりました。
出発のときに、芭蕉は深川にいましたから、
なんだか、親近感があります。
私たちはこの世では旅人、寄留者。
天のふるさとを目指して歩く者。
この家に住むようになってもう8年。
大人になってから一番長い住まいになりました。
どこにいても、旅人の気持ちを失わないで、
歩いていきたいと思います。
私の存在をその人生の片隅にでも受け入れてくださっている皆さんに心から感謝。
また今日は、日本に帰られた仲間から、
先週、無事男の子を出産されたとのニュースが入りました。
感謝。
新しく生まれてくる子供たちのために
私たちができること、私たちが遺せるもの、
何だろうかなあと思います。
地球にやさしい・・・とはありきたりの言葉ですが、
本当に、もう、できることはなんでもする、
ということが求められていると思います。
そして、信仰。
時代は変わっても、変わらない確かなものを受け継いでいく、
これからの与えられている日の限り、
そのことに情熱をかけていきたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一の16章でした。
「主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った」13節。
「激しく下った」とはどういうことだったのだろうか。
やはり熱い思いで立ち上がったのだろうと思う。
この後に出てくる、ゴリアテとの戦いでも、
人々が「どうせだめだ」と思っているところで、
彼は堅く立って戦った。
また聖霊様に満たしていただきたい、激しく下っていただきたいと思わされました。
私のうちにあふれ、教会のうちにあふれ、
周りの人々に伝わっていくような、
聖霊様の「激しく下る」ことを、与えていただきたいと思う。
主よ、
どうか、聖霊様が激しく下る、とはどういうことなのか、
見せてください。
私を強め、私に情熱を与え、
熱い思いであなたのことを伝えていく者としてください。
ここまで、いつも守ってくださってありがとうございます。
一つ一つの出会いに感謝します。
どうか、これからの歩みでも、
次の世代に、確実にあなたの愛と恵みを伝えていく、
そのことに熱い者でありますように。
2008-06-03
神の国の大使
32度くらいまで上がりました。
でも夜はすごしやすいです。
12時で22度。
これから雨になるようです。
明日は雨。
ここ3日間くらいちょっと晴れて乾燥してきたので、
ちょうどいいと思います。
今日は最近、いうことを聞かなくなってきたノートブックの
クリーンインストールを1年ぶりくらいにしています。
何が大変って、ソフトのインストールとかアップデートとか・・・。
まだ始まったばかりです。
さて、今日は早速聖書。
今日はサムエル記15:16-35でした。
「あなたは、自分では小さい者にすぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主があなたに油をそそぎ、イスラエルの王とされました。」17節。
自分は小さい者に過ぎない、というのは謙遜な感じがするかもしれないけれど、
本当はそうじゃなくて、無責任、責任逃れ、なのかもしれない。
本当は逃げているだけなのかもしれない。
私たちは一人一人が神の国の大使。
神の国の代表として、ここに生かされている。
私個人のことを言えば、牧師としてここに立てられている。
小さき者であることには変わりないけれども、
それとともに主に責任を与えられて、主に従うことを命じられているのだ。
今日も、本気で主に従う者でありたいと思いました。
何でも事なかれ主義で、「いいでしょう」というのではなくて、
一人一人の霊的な状態を心に留めて、
話ができるものでありたいと思います。
逃げないで、人を愛するものでありたいと思いました。
主よ、
どうか、私を守ってください。
あなたに与えられた使命を果たすものでありますように。
あなたに与えられた使命に生きるものでありますように。
日々、それをリマインドしてください。
2008-06-02
「便利」がやがて「支配される」に。
暑いと言っても湿度がそれほど高くないので、
気持ちがいい暑さです。
30度くらいでした。
明日ももう一日今日のようにいい天気でしょう。
今朝は車で教会に行って祈ってきました。
やはり平日、車が多い時に自転車はコワイかな。
でも、NYとかでは当たり前のように自転車の人いますよね。
怖くないのかなあ。
でも、運転する方も、NYだと、
歩行者や自転車になれているんですよね。
こっちは滅多に見ないから、慣れていない。
人が歩いていたり、自転車が走っていると、
「何だろう?」と不思議に思ったりします。
で、帰りに車のエンジンをかけながら、
本当に「便利」だけど、「支配されている」よなあ、と思いました。
電気もそう。インターネットもそう。
これがなかったら、どうしよう、という生活ですよね。
世界の何割かの人たちは電気なしでもちゃんと生きているのに。
自転車で、まだたった一往復ですが、その時、
「なるったけ荷物を少なくしよう」と思いましたからね。
車で、甘やかされて、荷物も増えて・・・。
今日は私が子供の学校の送り迎えだったのですが、
行きも帰りも、歩きました。
往復で1マイルくらいのたった20分なんですが、
それでも車が楽。時間も往復で5分くらい。
15分が本当になくて大変かというと、そんなことはないはず。
気をつけて時間を作れば、往復20分なんて簡単なはず。
でも、ガソリン燃やして体脂肪燃やさない。
変な社会。それで体脂肪が余ったから、
「ジム」というのが町に溢れ、
そこまで車で行って、
駐車場も一番近くに停めて、
機械に乗って・・・その機械もかなりの割合で、電気で動くヤツ。
つまり、何か体脂肪以外の燃料を燃やして作った力で動くヤツ。
その力で体脂肪を燃やして、筋肉を維持しようとしている。
アメリカに来たばかりの頃、
人々を見て、大きな上半身と貧弱な下半身のアンバランスさに驚きましたが、
自分もそうなり始めているのかな、と思います。
運動をやっているハジさえ、ウガンダの子供にかなわなかったといいます。
最低限のことはやらないと!
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一15:1-15。
「サウルはカルメルに行って、もう、自分のために記念碑を立てました。」12節。
サウルはアマレクを破った時に、
自分のために記念碑を建てたという。
その同じサウルが、サムエルに「どうして牛や羊を取っておいた?」と詰問されると、
「民がやったのです」と逃げた。
ああ、みっともない!
手柄は自分のものにして、
失敗は部下の責任にして。
なんてヤツだろうと思いました。
でも、そう思いながら、いや、自分はどうだろうかと思いました。
人のことはよくわかる。
サウルの姿を見て、みっともないと思う。
でも、自分も同じことをやっていないか、
同じことをやってきていないかと問われました。
自分のことってわからないものだと思います。
気がつかないんだなあと思います。
本当に、主の前にへりくだり、
人の間でもへりくだる者でありたいと思います。
無理してそれをするのではなく、
そういう品性を与えて欲しいと思いました。
主よ、
人を見ると、傲慢な人は、
自分の手柄を誇り、人の責任を追及する人は愚かだと思います。
みっともないと思います。
でも、私はどうでしょうか?
私の心を探ってください。
そして、あなたの前に、人々の間で、へりくだった品性を持つ者としてください。
2008-06-01
聖徳太子になりたい。
2008-05-31
備える。
昼頃と、夕方と、夜。
それぞれ大したことはありませんでしたが、
いいお湿りでした。
で、明日はさわやかに晴れそうです。
今日はいつもの教会ではなくて、
他のアメリカの教会でガレージセールがあって、
そこで私たちの教会でもブースを出して、
セールをしました。
で、途中で雨が降って来ちゃったんですよね。
あわててシートをかぶせたりもしましたが、
実は今日はテントをもってきていたのです。
それはそれは助かりました。
人生で何回目かの「準備しててよかったね。」という経験でした。
実は、あんまりないんですよね。そういう経験。
いつも行き当たりばったりの人生。
泥縄の美学を追究しています。(周りはいい迷惑?)
天気予報はあんだけ見ているクセに、
雨の日に傘も持っていかないって、どういうこと?
と、いつものんちに言われ続けている私です。
実を言うと雨のために持ってきていたのではありませんでした。
去年、暑かったので、日よけのために持ってきていたのでした。
でも、今日はつくづく、「念のために準備がしてあった」ってとても気持ちがいいことを発見しました。
その場その場で出会うことから色んなことを学んでいく、
ということは本当に大切だと思います。
でも、行き当たりばったりが通用しないこともある。
何とかならない時もある。
それでしょうがない、で済まされる時はいい。
でも、しょうがないじゃ済まされない時もある。
聖書の中に、ランプの準備をしていたのに、
予備の油を買っていなかった人たちの話が出てきます。
その人たち、予定が遅れて、待っている間に寝込んでしまった。
そして、「さあ、起きろ!」といわれた時には、
油が残り少なくなっていた。
その人たちは、ちゃんと準備をしていた人たちにお願いした、
「あなたの分を私にもちょっと分けて下さい」
それが通用する時もあっただろう。
それでいつの間にか甘えの心が生まれていたのかもしれない。
でも、その時にはそれは通用しなかった。
買いに出て、帰ってきた時には遅かった。
扉は閉じられた後だった。
「あけて下さい」と門をたたいた。
それが通用する時もあっただろう。
それでいつの間にか甘えの心が生まれていたのかもしれない。
でも、その時にはそれは通用しなかった。
そして、そこには例外も、情状酌量もなかった。
準備をしていこうと思いました。
でも、今日のためにいろいろご協力下さった皆さん、
心から感謝します!
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一14:24-35でした。
「すると彼の目が輝いた。」27節。
戦いに出る時に、断食するなんてばかげている。
そんなんで戦えるはずがない。
でも、霊的な戦いの世界には私たちはどのようにしているだろうか?
「今日は忙しくて聖書を読む時間がなかった」
ということは「今日の戦いのためには魂の糧をいただく時間もなかった」ということですよね。それって、ヤバイ。でも、私たちはどれ程そういうことをしているだろうか?
「腹が減っては戦は出来ぬ」とはよく言ったものだ。
「みことば読まずに世に出て行くことは出来ぬ」
「みことばに取り扱われずに、伝道に出ていくことは出来ぬ」
と言うことなんだろうと思う。
ああ、明日また日曜日、
本当にみことばが一人一人の心に霊の糧になるように、
私自身の備えが整えられますように。
主よ、
みことばに養われなければ、私たちは立っていけません。
どうか、養ってください。
どうか、私に語ってください。
そして、明日の日曜日も、
この聖書のみことばの素晴らしさを証する者となれますように。
2008-05-30
接点。
いや、予想よりも湿度が高くなくて、
過ごしやすかったですよね。
あいかわらず、半地下の勉強スペースは
足が冷えるんですがねえ。
水曜日に書いた、「未来創造堂」なんですが、
1本のテープに4回分入っているんでしょうかねえ。
1日1回分25分ずつ、見ているんですが、
この番組、一人、オタクっぽい人が出てきます。
昨日見たのには、高層ビルオタク、
今日は定番の鉄道オタク、でも女性で、
「鉄子」って自分のことを呼んでいましたね。
いろんな人が出てくるので、おもしろいのですが、
人によっては、本当にそのおもしろさが伝わってくる人もいる一方で、何がおもしろいんだろうなあ、と思ってしまう人もいます。
それは内容によっても違うと思うのですが、
もう一つ、その話し手によっても違うんだなと思いました。
自分の趣味はめちゃくちゃ深くもっている、
でも、そのことを話す時に相手との接点をもてる人、
相手が「あ、おもしろいかも、それ」と思わせるものをもっているか、
それとも、「なんだか、本人はおもしろそうに話すんだけどさ・・・」
と人に思わせてしまうものを持っているか、
その違いはあるなあと思いました。
そんなことを考えて自分を振り返ってみると、
自分のお天気きちがい、人との接点はあるだろうか、
少なくともそれを見つけようと努力したことはあるか?
また、聖書のメッセージだってそう。
そういう人との接点をもっているだろうかと。
本当にそのような接点を持つ人間になりたいと思いました。
自分の世界だけに閉じこもるのではなくて、
その世界を知らない人にどのように伝えるか、
大切な課題だと思いました。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一14章でした。
「大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない。」6節
神さまがおられるから、大丈夫、との確信に立っていたヨナタン。
父サウルは人々が去っていく中で、心細くなって、
思わず、彼らを引き留めるために、してはならないことをしてしまった。
しかし、ヨナタンは人が少なくなっても、神さまにとってはそれは関係ない、と言い切った。
本当にそうだなあと思わされました。
そして、ヨナタンが勝利を得ていった時に、
敵側にいた人々も、
去っていった人々も、
戦いに戻ってきたことを読みました。
今、必要なのはヨナタンのような信仰者なんだと思います。
主がそこに招いておられることを感じました。
主よ、
あなたにあっては、人が多くいるとか、いないとかは問題ではなくて、
あなたが御業をなされる時には、人の力を超えたものが働くんですよね。
それを信頼しています。
あなたを信頼しています。
あなたのみこころをなしてください。
2008-05-29
Gift Cardを考える。
手許にあるギフトカードの残高を調べてみた。
そしたら、12-15ドルくらいの残高のものが4枚もある。
このギフトカード。
贈る時も、相手にとって本当に必要なものを買ってもらえるし、
まあ「現金」というのもなんだしね、と言う時に便利。
それに、クレジットカードなんかのポイントも、
結局ギフトカードに換えるのが一番割が良かったりする。
でも、使われていないのが何割もあるんだそうですね。
「いい商売」になっちゃうんでしょうね。
もちろん、それが目的じゃないでしょうが・・・。
でも、今日発見して、ああ、こういうこともあるのか、
と思ったのが、SHARPER IMAGEのケース。
いろいろ珍しい商品とかあって、
ショッピングモールでは、よく立ち寄っていました。
でも、3月頃に倒産したらしい、
Chapter 11で再建中・・・。
詳しいことはわからないのですが、
Chapter 7よりも自立性が高い手続きのようで、
再建のために債務者自身がかなりコントロールが出来るようです。
そうならば、「そりゃないだろう・・・」というのが、
このお店のGift Cardの扱い。
倒産直後は「Gift Cardは使えなくなる」つまりworthless、無価値。
ただのプラスチックの板、だったそうです。
でも、その後、余りの批判に何とかしようとしたのか、
額面の2倍以上の買い物をする時に使える、と変えたみたいです。
つまり、50ドルのギフトカードだったら、
100ドルのものを買う時に、使うことが出来る、
つまり、ギフトカードを50ドル、そして、財布から50ドル、で買い物が出来る、と言うことです。
なんだそれ?・・・ですよね。それじゃあ、ギフトカードじゃなくて、半額OFFのクーポン券じゃん。
変な話です。クリスマスの時に何百ドルのギフトカードを買った人もあったようです。
また、クリスマスの時にギフトでもらったんけど、ちょっとね、と思って、返品したら(アメリカではよくあるらしい・・・)、現金でもらえるわけじゃなくて、このお店のギフトカードだったりするわけですよね。それが「半額OFF」のクーポン券になっちゃう。悔しい思いをしている人もたくさんいるのでは・・・。
実は私の4枚の残高12ドルのカードの1枚はこのお店のカード。
24ドル相当のもので、12ドル以上の価値のあるものがあれば、
まあ買ってもいいかな、と言うことですよね。
「閉店」とかになって、本当になんの役にも立たなくなる前に、
ちょっと行ってみようかな、と思います。
いつでも大丈夫だと思って安心していたらいけないですね。
神さまとの関係でもそうですね。
いつでも、いつまでも待ってもらえると、
神さまをなめていないだろうかと。
聖書はいつか門が閉じられる時が来る、と言っています。
「神はこう言われる、『わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた』見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」(第2コリント6:2)
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記の13章でした。
「それで民は彼から離れて散って行こうとした。」8節。
人々が去っていこうとした時に、
サウルは恐れた。
王としてたてられたサウル。
でも、人々が彼を去ろうとした時に、
彼は恐れて、何とか人々を自分に惹きつけておこうとした。
そして、祭司が捧げるべき捧げ物を、
自分で捧げてしまった。
彼は人を見ていた。
そして、神を見ていなかった。
人を見て、恐れて、失敗をした。
でも、わたしたちの歩みの中で、
どれだけ、同じ事をしているだろうかと思わされた。
神を見ているだろうか?
人々が去っていくのを見て、
それを恐れて、人々を引き留めるために出来ることに躍起になっていないだろうか?
神さまを見ているだろうか?
本当に神さまを見て、
神さまの御手を見て行く者でありたいと思いました。
主よ、
どうか、あなたの喜ばれること、
あなたの与えて下さっている使命にいつもいつも生きる者でありますように。
人を見て、それによって恐れて、それに振り回されて動くことがありませんように。
神さまの導きに従う者にして下さい。
目の輝き。
でも、湿度は低く、気持ちのいい晴れでしたね。
明日は南風が入ってきますので、
ちょっと暑く感じると思います。
最高予想は27度くらいででていますが、
家の庭の温度計は30度を超えると思います。
今日は下の娘の小学校のコンサート。
去年もとてもインスピレーションを与えられたので、
今年も是非行きたいと思っていましたが、
ちょうど集会のない日だったので、
時間を作って行ってきました。
去年も感じたのですが、1年生のクラスを見てくれる先生は
おじさんの先生なのですが、とっても子供を乗せるのが上手。
今日も「さすが!」と思いました。
でも、今年はそのほかの学年を見ている若い男の先生もずいぶんいい感じでした。
2-4年生、みんな元気でノリノリで歌っていました。
1年前から暖めているJOYJOYシンガーズの話、
時間の使い方の問題から、なかなか行動に移せないでいましたが、
いよいよ今年の秋から、やろうかなあ、なんて思っています。
子供たちが目を輝かせて歌を歌っているのを見ながら、
ああ、こういう経験を教会でもさせてあげたいと、
いや、教会だからこそ、させてあげたいと。
さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第一12:19-25
「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。」23節。
神がいるのに、神がいつも導き支えて下さったのに、
「わたしたちも周りの国々と同じように王が欲しい」と言った、その人々。
恩を仇で返すような人々。
その人々のためにサムエルは祈ることをやめなかった。
それだけではない、
そんなことで祈ることをやめるなんて、
それは罪だ。
そんな罪を自分は犯せない・・・。
そのように断言したサムエル。
愛だなあと思いました。
素晴らしい愛だなあと思いました。
もう見捨てて、「知らんぞ、勝手にしろ!」とするのではなくて、
自分に反旗を翻す民に対して、
祈り続ける愛。
私も愛に満たされたいと思いました。
私も祈り続ける者でありたいと思いました。
主よ、
サムエルをわたしたちの信仰の先輩として与えて下さってありがとうございます。
このサムエルの誠実さ、サムエルの人々への愛、
私も持ちたいと思いました。
どうか、私に愛することを教えて下さい。
祈り続けます。
祈ることをやめるという罪を犯すことがないように、
いつも語り続けて下さい。
2008-05-28
またまた・・・
もう休みます。
明日には必ず追いつく!・・・と思います。
今日の集会、皆さんといろいろお話ができて良かったですが、
もっと遅くまでゆっくりできるようにやっぱりNYオフィスが、
欲しいですねえ。
おいのりしよっと。
ではまた明日。
愛するということ。
朝は10度くらいで風が強く、
薄手のコートが欲しいくらいでした。
昼間は20度くらいにはなるようですが、
昨日の暑さを経験していると、
「ひんやり」ですね。
今夜はかな~り冷え込みそうです。
昨日は早く休んだので、今朝早く起きるのは何の苦もなく、風邪のひき初めは本当だったのか、はずれだったのかさえもわからず、とにかく元気です。
月曜日に古本屋に行ったのですが、 そこで、レンタル用のビデオの処分品が1本50セントで売っていました。 これはレンタルするより安い、ということで、 何本か買ったのですが、
一本は「未来創造堂」という番組の85回目。
その中の「コダワリのVTR」で取り上げられていた、
「永田農法」の話が心に残りました。
どんな方法なのかは
こちらのインタビューを見るとわかりやすいのですが、 肥料や水の量をぎりぎりまで落として、 植物が元々もっていた潜在的な力を目覚めさせるという方法のようです。
「美味しんぼ」愛読者の私はずいぶん前に それを知ったのですが、映像で見ると、またわかりやすいです。
それに、今回学んだのは、
ただ、水や肥料を減らすというと「放っておく」というイメージが強いですが、 そうではなく、ぎりぎりの量を見極めるためには、 いつ水をやり、いつ肥料をやらなければいけないかを知らなければいけないわけで、 他の誰よりも、作物の状態を心にかけ、 作物に深い愛情を注ぐ働きだということです。
これは神さまのわたしたちへの愛にも通じるところがあると思いました。 神さまはわたしたちに時々訓練を与えられる。 それによってわたしたちは根を張り、枝を張ることができる。 どこから栄養をもらったらいいのか、わかる。 でも、神さまは決してわたしたちに「自分の力で何とかしろよ」と放っておかれる方ではない。必要な時に、必要な助けを与えて下さる。そのために、わたしたち一人一人にいつも目を留めていて下さる。
その愛は、牧師として歩んでいくためにも 本当に大切なことだと思いました。 必要な時に必要な助けをさしのべられる働き人になりたいと思いました。
また、昨日の夜は日本から近所に引っ越してこられたクリスチャンの方を ご訪問して、ほんの少しですがお話をする時が与えられました。 神さまの導きを感謝しました。
引っ越してこられたばかりの方々は、皆さんいろいろなご不安があると思います。 少しでも助けになればと思います。
さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第一12:1-18でした。
「もし、あなたがたが主を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従い、主の命令に逆らわず、また、あなたがたも、あなたがたを治める王も、あなたがたの神、主のあとに従うなら、それで良い。」14節。
王も、王に従う人々も、
神さまに従うことを求められている。
主を恐れること。
主に従うこと。
この大切さを思わされます。
王は「私は王だから、私に従え」と言うのではなく、
自ら主に従って歩んでいく。
そのような姿勢の大切さを思わされました。
新約聖書の「どんな者でも神さまに受け入れられる」ということが、
「何をしてもいいんだ」と勘違いされる危険もある中で、
本当に「従う」ということを回復することの大切さを思わされました。
主よ、
あなたに従う者としてください。
あなたに従う者に与えられる祝福を味わい、
証をする者としてください。
そしてあなたのもっている愛を私にも分けてください。
一人一人に心を注ぐ愛を与えてください。
どうか、教会の存在が、
NJに引っ越してこられる多くの方々にとって、
灯台になり、港になりますように。
2008-05-27
今日は・・・
うれしいこともあったのですが、
もしかしたら、風邪の引きかけかもしれないので、
今夜は早く休みます。
で、明日早く起きて、一日、夜までNYです。
更新はたぶん、明日の午前中にNYで。
ではでは。
2008-05-26
5年目の記念日。
本当にいい天気になりました。
メモリアルデーらしい、いい天気でした。
明日はちょっと雷雨があるみたいですが、
その後はまたいい天気みたいです。
水曜日はちょっと気温が低め。
でも、今回はすぐに暖かくなります。
もう、夏もそこまで!ですね。
今日は5周年のマツイ記念日です。
詳しくは去年の5月31日にまとめたものがあります。
今年は昼過ぎまで、子供たちのリクエストで古本屋に行って、
そのままミツワに行って、ハナルンに行って、
Costcoも行こうと思ったら閉まっていて・・・。
そして、午後、ゆっくりテレビで野球観戦だったのですが、
まあ、今日も5年前と同じように、Yankeesはダメダメでしたね。
先発のピッチャーはがんばっていましたがね。
でも、5年前と大違いなのは今年のマツイ君の調子のいいこと。
今日もチーム5安打中3安打ですからねえ。
3割3分なんてイチローみたいじゃないですか。
これからもこの調子でがんばって欲しいですね。
で、我が家の王子が夜帰ってきました。
良かったみたいですよ。シカゴでの集まり。
夜の11時ですが、まだギターを弾きながら讃美歌を歌っています。
思い出してみると、自分も、中高生の頃、
同じ年代の人たちが全国から集まるキャンプ、楽しかったですからねえ。
味わった良い経験が、教会のみんなにもいい影響を与えてくれますように。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一11章。
「サウルがこれらのことを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。それで彼の怒りは激しく燃え上がった。」6節。
神の霊が注がれた時に、
サウルは怒りに燃えた、というのです。
聖霊が注がれる時に、
怒りが燃える、神がバカにされたり、人々が傷ついていたり、
痛みを覚えていたりすることに対して怒りが燃える。
そういうことがあるんだ、と思いました。
そうですよね、怒るべき時に怒らないのは、
神さまの愛とは反対方向なんでしょうね。
わたしたちが怒るのはせいぜい、自分が無視された、
自分が軽んじられた、思い通りにことが進まない、
そんな程度のことなんでしょう。
でも、神の霊に満たされて怒る、というのは、
どんなのなんでしょうか。
自分ではない、他の誰かが傷つけられた時、
力のある者が不正義を推し進めようとする時、
「しょうがないよな」じゃなくて、
本当に怒りに燃えるような、神さまの力を頂きたいと思いました。
主よ、
あなたの霊に満たされると、
怒りが燃えることがあるんだ、と教えられました。
怒るべき時に怒らない、妥協的な気持ちや無力感、
そのようなものから、私を守ってください。
怒りは持ち続けるのにはエネルギーがいります。
どうか、正しい怒りに対しては、あなたがいつもいつもエネルギーを注いでください。
自分のための甘えた怒りに捕らわれている時には、どうか、そのことを教えてください。
どうか、あなたの霊を注いでください。
2008-05-25
JOYJOYキャンプ56名!
JOYJOYキャンプの申し込みは56名でした。
定員を6名超えましたが、
スタッフもたくさん与えられそうなので、
「大丈夫!」と決断をして、皆さんをお迎えすることになりました!
神さまがこの子供たちをわたしたちに託してくださることに、
心から感謝!
Tooth Fairy問題再燃。
本当に運動会日和。
我が家は午前中だけの参加でしたが、
強い日差しの中、あれくらいで十分だったなあ、
と楽しい一時を過ごしました。
サキはかけっこで1等賞を取って、
ご満悦。(親が・・・かな。)
いろいろ準備と運営をしてくださった皆さんに感謝。
もう一つのサキネタ。
今朝、「さあ、運動会だぞ!起きなよ!」と起したら、
枕の下をめくって、「あれ、Tooth Fairy来るかと思ってTryしたのに・・・」とがっかりした様子。そこには小さな歯が2本。ちょっと前に抜けていたのですが、友達に何か言われたのでしょう。やってみたんですね。でも親は何も知りませんでした。
私はTooth Fairyもサンタクロースもちょっと乗り気がしません。
見えないものを信じることは大切だと思うのですが、
そのために親が手を回すというのはおかしいと思います。
今まで我が家にはその種のものが来たことがありませんでした。
そこら辺のことについては今年の1月18日に書きました。
でも、なんだか末っ子って違うんですよね。
「何とかしてやろうかなあ」と思っちゃうんです。
自分の信念とかよりも、この子ががっかりしない方法を考えたくなってしまうんです。
ヤバイですね。
長男の時とか、その子の力を信じて、
はっきりと言ってきたのですが、
末っ子の場合は、その子の力を信じるより、
親ができることは何でもしてやりたくなっちゃうようです。
今夜「手紙書いたらいいの?」と聞いてきた娘に、
どのようにこたえたらいいのか、迷いました。
でも、今回、本当に勇気を出して、ホントのことを全部話しました。
Tooth Fairyは本当はお父さんやお母さんなんだということ、
そして、神さまだけを信じてほしいこと、
神さまに歯が抜けたことを「ありがとう」と言って欲しいこと、
それを話しました。
そして、これから、友達が「Tooth Fairyが来たんだよ」と言っても、
「ホントはね・・・」なんて言わないでいいこと。念のため。
そしてTooth Fairyからではなくて、
お父さんとお母さんからのお小遣いをあげました。
ちょっと心が痛みながら、でも、娘の力を信じて・・・。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一10:17-27
「 しかし、よこしまな者たちは、『この者がどうしてわれわれを救えよう』と言って軽蔑し・・・」27節。
先日、旅行先でお金がなくなったアメリカ人カップルが、
バーで出会った密売人に、麻薬の運び屋を頼まれた、と言う話(実話)を
テレビでやっていました。
その結果に従う、と決めたそうです。
1回目。「乗らない」と出たそうです。
「やめよう」という彼女に、彼は「もう一回」と言います。
彼はもう一回トスをするのですが、
その結果も、「乗らない」。
「さあ、やっぱりダメよ」そういう彼女に、
彼は自分たちにどれだけお金が必要か、話をして、
結局その話に乗ってしまうのです。
「じゃあ、なんのためのコイントスだったの?」と思いますが、
彼はもう決めていたんですね。
ここで、サムエルはくじを引きます。
それは人間の考えが全く通用しない世界です。
そして、神さまの御心通り、サウルが選ばれます。
でも、そこにも、そのくじの結果に従うつもりのない人々がいました。
最初から、自分の思い通りにならなければ
従わないつもりだったのでしょう。
わたしたちはどうか、と思いました。
神さまの御心を、と求めながら、実際は自分の考えが通ることが大切で、
それが通らなければ、最初から決定には従わないと決めていることはないだろうかと。
くじを引いてみてもいいな、と思いました。
そこで自分がいかに自分の思いを通したいと思っているのか、
見えてくるんじゃないかな、と思います。
自分の考えと違った答えが出ても、
それに従うことができるだろうか、
それができる者となりたい、と思いました。
主よ、
今日も、あなたがわたしの心の中を探ってくださって、
ありがとうございます。
私はどこまであなたに従う準備ができているだろうかと思いました。
どうか、私の思いではなく、
あなたの御心に従って歩める者にしてください。
それが私の願いと違っていても、
従う経験をすることができますように。
2008-05-24
感謝。
暖かくなりました。
明日はまたスカッと晴れて、
「暑く」なりそうです。
NJ補習校の運動会ですが、かな~り焼けそうです。
関係者の皆さん、くれぐれもお気をつけて・・・。
私も午前中は行くのですが、
昼前には失礼して教会です。
で、問題なのは娘のサキ。
それほど足が早いほうとは思えないのですが、
たまたま、その日の調子のせいか、
リレーの選手に選ばれて、練習していたようです。
でも、プログラムを見ると、一番最後。
どう見ても、教会に行ったら出られません。
で、日曜日に雨が降って、月曜日に延期だったらいいのにな、
と思っていたわけです。
でも、そうもいかないようで、
今日、「パパとママは教会行くけど、
サキは運動会最後まで出るよね」と話したら、
やっぱり一人置いて行かれるのはいくら友達がいても
いやみたいで、「サキも教会行く」と言って聞きません。
先生にお詫びの連絡をして、選手は辞退。
そこまで教会を愛してくれているのはうれしいような、
でも、根性がないみたいで、ちょっと残念なような、
うーん、でも、やっぱり、一緒に礼拝を守れるのはうれしいです。
今日、中高生の集会がありましたが、
その中で、一人の女の子が話をしてくれました。
先週子供たちの前で「感謝をしよう」という劇をしたんだけど、
自分は日頃、どれだけ感謝をしているか、
考えさせられたそうです。
その話を聞きながら、自分もそうだなあと思いました。
一日に何回「ありがとう」を言っているだろうかと。
彼女は数えてみた、と言っていましたが、
私もそうだなあ、数えてみよう、と思いました。
感謝をして、こころから感謝をして、
感謝を言葉に表して、
行動に表して、態度に表して、
伝えていくことの大切さを思いました。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル第一10章1-16節。
「主の霊があなたの上に激しく下ると、・・・あなたは新しい人に変えられます。」6節。
聖霊様が与えられると新しい者に変えられる。
今日はこの聖書の箇所を読んで、そのまま、いのりました。
私にも聖霊様を激しく下してください。
神さま与えてください。
そのように祈った時に、
「あなたは本当にもっと具体的に祈ったことは、求めたことはあったか?」と語られました。
それで、具体的に祈り始めました。
コリント第1の12章を開いて、
「癒しの力も与えてください、預言も与えてください、霊を見分ける力を与えてください。信仰的な状態を見極める力を与えてください。」そして、「ソロモンのような知恵を与えてください」と祈りました。
どんどん、具体的な求めが出てきました。そして、「ああ、今まで自分はこのように求めたことはなかった」と心の飢え渇きが起ってきました。
その時に、「ああ、自分は聖霊様ご自身をもとめていただろうか、聖霊様の結果をもとめていないだろうか」そして、最後には「いろんな賜物があるけれども、それらを超えて、すべての人が求めるべき、最高のものは何だろうか、それは『愛』だ!と言うところにまで導かれていったのです。愛すること、それが他の何物にまさって神が求めて折られること。その愛を与えてください、愛を下さい、そのように祈りました。
かみさま、
聖霊様を与えてください。
私のうちに満たしてください。
そして、そこから溢れる愛をもって、
人々を愛していくことができますように。
明日の礼拝を祝福してください。
そして、その通りに祈りました。
2008-05-23
かわいい子には旅をさせろ第2弾。
でも、教会のオフィスも
牧師館の私の勉強スペースも
共に半地下なので、めっちゃ冷えます。
外は22度くらいだったと思いますが、
ここは何度か知りませんが、とにかく暖かいズボンをはいて、
長袖の厚手のシャツの上に、フリースの長袖を着て、
それでも、足が冷えて、じっとしてられません。
とうとう電気膝掛けで、何とか生き返りました。
未だもうちょっと花粉が怖くて外も余り歩きたくないし、
めちゃくちゃ不健康なオヤジ化しております。
JOYJOYキャンプの申し込みは昨日が2名、今日が1名で、54名。
だいたい、去年並になりました!
申し込みは明日まで。
さて、どうなるでしょうか?
去年のウガンダに続いて、
明日から月曜日まで、2泊3日で息子を一人でシカゴに送ります。
JCFNというクリスチャンの団体の中西部地区の集会です。
去年のウガンダは本人がその気になって、
アルバイトまでして、行ったのですが、
今回はどちらかというと、私の方が行かせたくて、
かなり勧めてしまいました。
待っていたら、たぶん「行く」なんて言い出さないと思ってましたから。
とにかく、親のいないところで、
信仰の仲間や先輩たちから学んだり、
人間関係を広げていったりすることって、
本当に大切なことだと思っていますから・・・。
牧師の息子である私自身の経験から、
なんとか、こういう経験を持って欲しいなあと思っているわけです。
高校時代から、親に反対されても、
教会に行っていたのんちからすると、
「やりすぎ」と言われそうですが、
まあ、ここまでお膳立てをしてあげるのも、
これが最後。(ちょっと決意)
ウガンダの経験があるので
親も本人も全然、緊張感ありません。
ただ、国内線、帰りの便がキャンセルになったら、
大変だなあ、と思います。
翌日学校あるし・・・。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一9:15-27
「主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて仰せられた。」15節。
サウルを導かれた神さまは、
その前から、サムエルにも語り、道を備えておられたのです。
それから、ここで「サムエルの耳を開かれた」というところも、
目が留りました。
主の導きがわかる目、
主のみ声が聞こえる耳、
それを与えて頂きたいと思います。
そして、そこに確信を頂いて、
進んでいきたいと思います。
主と親しくすごしている中で、
目が開かれ、耳が開かれていくのでしょうか。
本当にそのような経験を与えて頂きたいと思います。
主よ、
ひとつひとつの出会いがあなたの導きであることに感謝します。
どうか、あなたの導きを見る目を、
あなたのみ声を聞く耳を与えてください。
私の目と耳を開いてください。
2008-05-22
あと2日。
雨も降りました。
あと、午前中集会をした教会が寒くて、からだが冷えてしまいました。
でも、午後は暖かくなった+JOYJOYキッズクラブだったので、
半袖で元気にがんばりました。
明日から月曜日までは晴れ。
補習校の運動会はばっちり日曜日ですねえ。
あと2日。JOYJOYキャンプの申し込み。
今日、とうとう定員の50人を突破。
今朝、教会に行ったら、郵便で届いていたのが、5人分。
キャンセルが2人出たので、
51名かな。
でも、今日の郵便は未だ見ていません。
うーんどこまで増えるんだろう。
今日、おそくなりましたが、
その理由の一つは「料理」。
昨日の夜10時頃、Shopriteで、「今夜中に売る!」ということで、
2ドル引きになっていた挽肉を買ったんですが、
昨日はそのまま寝てしまいました。
今日は朝から夜9時頃までずっとあっちこっちに行っていたのですが、
さすがに今日中に料理しないとねえ、ということで、
さっきまで料理していました。
2キロの挽肉、ほとんどのんちが料理したのですが、
私も一品。「韓国風肉みそ」。
エッセの「夕食ばんざい・肉のおかず262」(1993年)の中に入っているヤツです。
10年くらい前に作って、おいしくて、また作りたいと思っていたんです。
なんと、挽肉200グラムにみそ1カップ、砂糖2カップ入れるんですよ。
(日本のカップです・・・念のため)
さすがに「どうしようかな」と迷いましたし、
「ほんとかよ」と何度も何度も確認してしまいました。
砂糖2カップ・・・。
入れた時には「失敗したかも・・・」と思いました。
確かに甘いですが、唐辛子やみそ、山椒、ネギなどもたくさん入っているので、
ぴりっと辛くて、おいしいです。
レシピ欲しい人、こっそり教えますので、ご連絡下さい、って、
まず一度味見してみないと、ですよね。
でも、ホントにめちゃ甘くて、めちゃ辛いです。
さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一9:1-13
「ついこの先におられます。今、急いでください。きょう、町に来られました。」12節。
今日のところは、もう、先に進まないで立ち止まるのが難しいところでしたねえ。
つい先に進んでしまいたくなります。
このサウルが王様にされるために主が導かれた一つ一つのことを読みながら、ああ神さまは今日もわたしたちにこのことをしてくださるんだなあと思いました。
ロバがいなくなったこと、
ここまで探しに来たこと、
この町に預言者がいるのだと気がついたもう1人の若者の存在、
そして、またその町にたまたま預言者のサムエルが来たところだと、
町の人々は言うのです。
本当に一つ一つが不思議ですね。
でも、主はしばしばそのようなことをされる。
一つ一つの出会いが偶然ではない、
そのことを思わされます。
NJに来ることができたこと、
そしてこの教会に出会えたこと、
そして、お一人一人に出会えたことに心から感謝します。
主よ、
あなたの導きの一つ一つに感謝します。
一つ一つの出会いに感謝します。
どうか、これからも導いてください。
あなたの思いのままに導いてください。
そして、いつもいつもあなたの導きに
敏感な者であることができますように。
2008-05-21
あと3日。
昼間は晴れてそこそこ暖かくなったのですが、
家の中はひんやりしていました。
メモリアルデーからはプールがオープンになったり、
「夏」が始まるはずなんですが、
全然そんな感じがしません。
明日もまた雨が降りやすく、
結構肌寒いかと思います。
今日、久しぶりにサンディエゴのO倉先生のところに
ご訪問したら、先生、アメリカ人になっちゃったんですね。
そして、「え~、すごい!」とびっくりしたのが、
この記事。
「ヤマアラシのジレンマ」で有名な
ヤマアラシですが、こんなにすごいんですね。
見ているだけで痛々しい。
絶対に近寄ってはいけないですね。
ここら辺にもいるのでしょうか。
スカンクもたいへんですが、
こんなのに遭遇したら、ホント、逃げるしかないですね。
先生の「引き下がることも立派な勇気」には、
心から、本当にそうだなあ、と思わされました。
あと3日、というのは、
JOYJOYキャンプの受付もあと3日・・・ということです。
昨日届いたものまで入れて、48名。
水、木、金、土と4日分ですから、
たぶん定員は超えるでしょう。
なんとか、抽選しなくてもすむことを祈ります。
今日の聖書。
今日はサムエル記第一の8章。
「どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」5節。
「私たちも、ほかのすべての国民のようになり」20節。
この民の願いは、「他の国のように」だったんですね。
それが一番の問題だったと思います。
でも、これは子供の時代ははっきりと、
大人になってからも「流行」につられる時に、
わたしたちの中にいつもあることですね。
「みんなもっている」「みんなやっている」
「ないのは私だけ」「どうして私だけこんな目に?」
「みんながやるなら・・・」
そんな言葉をよく聞きます。
また自分もそういう考えに捕らわれる時もあります。
でも、神さまは一人一人に特別な人生を与えてくださった。
神さまとの関係に生きるように招いてくださっている。
だから、人と違っていい。
周りと違っていい。
それの方がいい。
周りに振り回されない、動じない神さまとの関係による「強さ」を
持っていたいと思います。
神さま、
どうか、あなたの私に対する使命を教えてください。
そして勇気を持ってそれを引き受けて歩む者でありますように。
周りに振り回されない強さを与えてください。
JOYJOYキャンプに来たい子たちがみんな来れますように。
2008-05-20
祈り続けなさい
さて、2回目の更新は今日の聖書。
今日はサムエル記第一7:3-17でした。
「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。」8節。
今日はストレートに、
これが主からの語りかけだと思いました。
祈るのをやめない、
祈り続ける、
それを主は求めて折られるのだと。
これからも祈りが必要な人々、
その方々のために祈り続ける、
途中で祈ることをやめてしまわない、
そのように主が命じられました。
祈っていこうと思います。
神さま、
今日もあなたの招きに感謝します。
あなたが祈り続けなさい、と言ってくださいましたから、
祈り続けます。
どうか、あなたと共に歩ませてください。
祈り続け、支え続けさせてください。
聖なる神
朝起きたら6度。
そして、昨日と違って、今日は冷たい雨。
明日はもうちょっと天気が良くなって、
もうちょっと暖かくなると思います。
でも、本格的な回復は週末のようです。
やっぱり日曜日は晴れのようですね。
さて、昨日の聖書です。
昨日はサムエル記第一6:1-7:2
「だれが、この聖なる神、主の前に立ちえよう。」20節。
神さまのきよさ、
そして、その前の恐れ、
それをいつまでも忘れないでいたいと思う。
いつも覚えていたいと思う。
神の箱の中を除いたのは、決して悪気があったことではなかったと思う。
でも、それは神を恐れない、愚かな行いであった。
愛の神、わたしたちを抱きしめる神、
でも、それはあくまでもイエスの十字架があったからで、
本当はこのきよい、恐るべきお方であることを、
忘れないでいたいと思いました。
そうじゃないと、愛がわからない。
犠牲の大きさがわからない。
イエスの払われた大きな犠牲に心から感謝。
神さま
今日の一日も心から感謝します。
今日も、一人一人をお守り下さい。
今夜も神さまが共にいて下さい。
そして、あなたのきよさをもう一度教えてくださってありがとうございます。
そのあなたがわたしたちを抱きしめてくださることに、感謝します。
その陰に、イエスの十字架があったことを、感謝します。
その払われた犠牲に心から感謝します。
どうか、愛されている喜びに溢れて歩ませてください。
2008-05-19
Watoto
お茶が飲みたいかなあ・・・ということで、
電子レンジでお湯を沸かそうと思って、
コップに水をくんでスイッチを入れたら、
電子レンジの下の方からものすごい煙がもくもく。
電気の線が焼けるようなゴムが焼けるようなにおいで、
すごい臭かったです。
ま、これはもう壊れた、ということで、
ホントは原因を知りたくて分解しようとしたんですが、
特別な工具が必要なようで、断念。
でも、とにかく何事もなくて良かったです。
私の4×年の人生の中で、
家の中であそこまで煙がでたことは初めてでした。
もしも家の中で一人で、
スイッチを入れてそのままその前を離れたら、
火事になっていたかもです。
電子レンジのない生活は考えられないので、
すぐに買いに走りました。
こちらではだいたい100ドル以下ですから。
そういえば、アトランタで何もない時に、
最初に必要になったのがこれでしたね。
私が子供の頃はなかったんですよね。
いやあ、想像出来ません。
そんな「文明の奴隷になっているかな?」という生き方に
チャレンジを与えられるような話ですが、
今、日本にWatoto Children's Choirが来ていますね。
ウガンダのAIDSやゲリラによって親を失った子たちのための
働きの中で生まれたコワイアです。
このビデオ、とっても子供たちの表情がいいです。
その背後にはどれほど過酷な人生があるか、
そんなこと、全く感じさせないものです。
去年の夏、ハジがウガンダに行って、
この団体に触れて、ものすごい大きなインパクトを受けて
帰ってきました。
東京は未だこれからですね。
アメリカには来ないのかなあ、と思ってこちらを見たら、
結構あちらこちらを回るんですね。
今年の11月ごろこちらにも来るみたいです。
Brooklyn Tabernacleとかも予定に入っています。
近所では11月22日(土)のCeder Groveなんかはねらい目でしょうか?
是非、みんなで行きましょう!
さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日はサムエル第一5章でした。
「ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。」3節。
イスラエルに裁きを下された主は、
だからと言って決してペリシテの味方ではありませんでした。
ペリシテもまた神の裁きの下に置かれたのです。
神さまはわたしたちの味方とか敵とかというよりも、
すべてを越えておられる。
そこにわたしたちがひれ伏すのだ。
この文章を読んで痛快に思っている自分がいる。
ああ、このペリシテの神は愚かだ、神さまにはなにものもかなわない。
そう思って、痛快に感じている時に、
私は自分を神と同じところに置いている。
でも、本当は、このイスラエルの民やペリシテの民と同じように、
神の前にはひれ伏すべき者であるのだ。
主よ、
私もあなたの裁きの下にあることを思い出させてくださって、
ありがとうございます。
どうか、あなたの下にひれ伏し、
あなたの憐れみによって生かされていることを、
忘れることがありませんように。
どうやって・・・。
朝起きたら6度。
そして風が強くて、
昼間も15度止まり。
もう5月も半ばまで来ているんですけどね。
今度の日曜日は補習校の運動会。
なんで、日曜日に運動会やるかなあ?
土曜も月曜もあるだろうに。
って自分の都合ですよね。
でも、10年前は土曜日だったんですよ。
長男が2年生の頃まで。
でも、どういった事情か知りませんが、
日曜日に変ってしまったんですね。
でも、雨が降ってくれたら、
月曜日に順延なので、
そうしたら、1日でれるから、いいかな、
ととても身勝手に考えています。
でも、予報はかなり自信を持って「晴れ」みたいです。
昨日、お友達のことを話した後しばらくしてから、
サキが、ふと、「ねえ、天国ってどうやっていくの?」
と聞いてきました。
「イエスさまが迎えに来てくださるんだよ」
「見えるの?」
「そうだね、普通の人には見えないんだけど、天国に連れて行ってもらう人には見えると思うよ」
ひざの上に乗ってきた娘に話しながら、
子供たちがこのことをどのように受け取るのか、
それも、神さまが特別な時を与えてくださっているのかなあと思いました。
こわいことではなくて、
神さまのところにいくんだから、
大丈夫なんだよ、と伝わるといいのですが、
サキよりももっと仲の良かった子たちもいるので、
祈らされます。
おととい、土曜日の聖書。
土曜日はサムエル記第一の4章12-22節。
「栄光がイスラエルから去った」21節。
この聖書の箇所つらいですよね。
エリも、その嫁も神の箱が奪われたことに
大きな痛みを感じたままこの世を去りました。
でも、実際のところ、
それよりもずっと前から、イスラエルの人々の方が、
神さまを捨てていました。
エリは自分のむすこたちが愚かなことをしていることに、
どれほど心を痛めていたのでしょうか。
もちろん彼は心を痛めるだけではなくて、
何とかして、彼らを悔い改めに導かなければいけなかったのですが・・・。
神の箱が奪われた、というのは、
結果でしかなく、
その前から、イスラエルは神に背いていました。
外側のことではなくて、
内側の問題として、
神さまに従っていく、
イエスさまの後に従っていく者でありますように。
神さま、
今日も痛みの中におられるお一人一人に、
あなたの慰めと守りを与えてください。
外側のことではなくて、
心の底から、
あなたに従う者でありますように。
2008-05-18
いのり。
「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」
その言葉が与えられたのは、このためだったのだろうか。
内側から、そのような者に変えてくださいと祈らされたのは、
このためだったのだろうか。
今日、教会から帰ったら、
日本から、教会を挙げて祈っていた、
5歳の女の子が主の許に召された知らせが入っていました。
6歳のサキが泣きました。
わたしたちも泣きました。
どうして、今、主がそのお嬢さんを召されたのか、わかりません。
でも、今日、私は礼拝で、
天国がどんなに素晴らしいところなのか、
お話ししたところでした。
今、主の御許で安らいでおられることを、
思わされています。
ご一家に、何物にも換えられない主の慰めがありますようにと、祈ります。