2008-05-28

愛するということ。

今日は昨日の30度を超える暑さにうってかわって、
朝は10度くらいで風が強く、
薄手のコートが欲しいくらいでした。

昼間は20度くらいにはなるようですが、
昨日の暑さを経験していると、
「ひんやり」ですね。

今夜はかな~り冷え込みそうです。

昨日は早く休んだので、今朝早く起きるのは何の苦もなく、風邪のひき初めは本当だったのか、はずれだったのかさえもわからず、とにかく元気です。

月曜日に古本屋に行ったのですが、 そこで、レンタル用のビデオの処分品が1本50セントで売っていました。 これはレンタルするより安い、ということで、 何本か買ったのですが、

一本は「未来創造堂」という番組の85回目。
その中の「コダワリのVTR」で取り上げられていた、
「永田農法」の話が心に残りました。

どんな方法なのかは
こちらのインタビューを見るとわかりやすいのですが、 肥料や水の量をぎりぎりまで落として、 植物が元々もっていた潜在的な力を目覚めさせるという方法のようです。

「美味しんぼ」愛読者の私はずいぶん前に それを知ったのですが、映像で見ると、またわかりやすいです。

それに、今回学んだのは、
ただ、水や肥料を減らすというと「放っておく」というイメージが強いですが、 そうではなく、ぎりぎりの量を見極めるためには、 いつ水をやり、いつ肥料をやらなければいけないかを知らなければいけないわけで、 他の誰よりも、作物の状態を心にかけ、 作物に深い愛情を注ぐ働きだということです。

これは神さまのわたしたちへの愛にも通じるところがあると思いました。 神さまはわたしたちに時々訓練を与えられる。 それによってわたしたちは根を張り、枝を張ることができる。 どこから栄養をもらったらいいのか、わかる。 でも、神さまは決してわたしたちに「自分の力で何とかしろよ」と放っておかれる方ではない。必要な時に、必要な助けを与えて下さる。そのために、わたしたち一人一人にいつも目を留めていて下さる。

その愛は、牧師として歩んでいくためにも 本当に大切なことだと思いました。 必要な時に必要な助けをさしのべられる働き人になりたいと思いました。

また、昨日の夜は日本から近所に引っ越してこられたクリスチャンの方を ご訪問して、ほんの少しですがお話をする時が与えられました。 神さまの導きを感謝しました。
引っ越してこられたばかりの方々は、皆さんいろいろなご不安があると思います。 少しでも助けになればと思います。

さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第一12:1-18でした。

「もし、あなたがたが主を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従い、主の命令に逆らわず、また、あなたがたも、あなたがたを治める王も、あなたがたの神、主のあとに従うなら、それで良い。」14節。

王も、王に従う人々も、
神さまに従うことを求められている。

主を恐れること。
主に従うこと。
この大切さを思わされます。

王は「私は王だから、私に従え」と言うのではなく、
自ら主に従って歩んでいく。
そのような姿勢の大切さを思わされました。

新約聖書の「どんな者でも神さまに受け入れられる」ということが、
「何をしてもいいんだ」と勘違いされる危険もある中で、
本当に「従う」ということを回復することの大切さを思わされました。

主よ、
あなたに従う者としてください。
あなたに従う者に与えられる祝福を味わい、
証をする者としてください。
そしてあなたのもっている愛を私にも分けてください。
一人一人に心を注ぐ愛を与えてください。
どうか、教会の存在が、
NJに引っ越してこられる多くの方々にとって、
灯台になり、港になりますように。

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