2008-05-29

Gift Cardを考える。

今日、ちょっと思い立って、
手許にあるギフトカードの残高を調べてみた。
そしたら、12-15ドルくらいの残高のものが4枚もある。

このギフトカード。
贈る時も、相手にとって本当に必要なものを買ってもらえるし、
まあ「現金」というのもなんだしね、と言う時に便利。
それに、クレジットカードなんかのポイントも、
結局ギフトカードに換えるのが一番割が良かったりする。

でも、使われていないのが何割もあるんだそうですね。

「いい商売」になっちゃうんでしょうね。
もちろん、それが目的じゃないでしょうが・・・。

でも、今日発見して、ああ、こういうこともあるのか、
と思ったのが、SHARPER IMAGEのケース。
いろいろ珍しい商品とかあって、
ショッピングモールでは、よく立ち寄っていました。

でも、3月頃に倒産したらしい、
Chapter 11で再建中・・・。
詳しいことはわからないのですが、
Chapter 7よりも自立性が高い手続きのようで、
再建のために債務者自身がかなりコントロールが出来るようです。

そうならば、「そりゃないだろう・・・」というのが、
このお店のGift Cardの扱い。
倒産直後は「Gift Cardは使えなくなる」つまりworthless、無価値。
ただのプラスチックの板、だったそうです。

でも、その後、余りの批判に何とかしようとしたのか、
額面の2倍以上の買い物をする時に使える、と変えたみたいです。

つまり、50ドルのギフトカードだったら、
100ドルのものを買う時に、使うことが出来る、
つまり、ギフトカードを50ドル、そして、財布から50ドル、で買い物が出来る、と言うことです。

なんだそれ?・・・ですよね。それじゃあ、ギフトカードじゃなくて、半額OFFのクーポン券じゃん。
変な話です。クリスマスの時に何百ドルのギフトカードを買った人もあったようです。
また、クリスマスの時にギフトでもらったんけど、ちょっとね、と思って、返品したら(アメリカではよくあるらしい・・・)、現金でもらえるわけじゃなくて、このお店のギフトカードだったりするわけですよね。それが「半額OFF」のクーポン券になっちゃう。悔しい思いをしている人もたくさんいるのでは・・・。

実は私の4枚の残高12ドルのカードの1枚はこのお店のカード。
24ドル相当のもので、12ドル以上の価値のあるものがあれば、
まあ買ってもいいかな、と言うことですよね。
「閉店」とかになって、本当になんの役にも立たなくなる前に、
ちょっと行ってみようかな、と思います。

いつでも大丈夫だと思って安心していたらいけないですね。
神さまとの関係でもそうですね。
いつでも、いつまでも待ってもらえると、
神さまをなめていないだろうかと。
聖書はいつか門が閉じられる時が来る、と言っています。
「神はこう言われる、『わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた』見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」(第2コリント6:2)

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記の13章でした。

「それで民は彼から離れて散って行こうとした。」8節。

人々が去っていこうとした時に、
サウルは恐れた。
王としてたてられたサウル。
でも、人々が彼を去ろうとした時に、
彼は恐れて、何とか人々を自分に惹きつけておこうとした。

そして、祭司が捧げるべき捧げ物を、
自分で捧げてしまった。

彼は人を見ていた。
そして、神を見ていなかった。
人を見て、恐れて、失敗をした。

でも、わたしたちの歩みの中で、
どれだけ、同じ事をしているだろうかと思わされた。
神を見ているだろうか?
人々が去っていくのを見て、
それを恐れて、人々を引き留めるために出来ることに躍起になっていないだろうか?
神さまを見ているだろうか?

本当に神さまを見て、
神さまの御手を見て行く者でありたいと思いました。

主よ、
どうか、あなたの喜ばれること、
あなたの与えて下さっている使命にいつもいつも生きる者でありますように。
人を見て、それによって恐れて、それに振り回されて動くことがありませんように。
神さまの導きに従う者にして下さい。

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