2006-10-27

「行きなさい!」

今朝はかきごおり家の温度計で初マイナス。
-0.7度Cでした。

家のガレージは高さの問題でミニバンが入らないので、物置になっています。
で、車はDrivewayということで、
今朝は車のフロントガラスはばっちり凍っておりました。

学校への道、フロントガラスの氷をばっちり取っておかないとダメです。
長男の高校への道も、
長女の中学への道も、
次女の小学校(って幼稚園だけど)への道も、
みんなばっちり朝日が前から当たります。


朝、慌てて子ども達を送っていこうと思うとパニックになる、
そういう季節が始まったんですね。

今夜から明日にかけて大嵐みたいです。
雨と風に注意が必要。
特に風がすごいみたいです。

今から10年くらい前、
まだJCCNJの牧師になる前、
やっぱり10月の土曜日でしたねえ。
教会で役員会をしていたら、大嵐で、停電して、
それでもやってましたね。
途中まで、廊下の非常灯がついていて、
その明かりで。
そのあと、ろうそくの明かりで・・・。

帰り道、あちらこちら木が倒れていて、
道があちらこちら通行止めになっていました。

そんなことにならないようにと祈りながら・・・
でも、皆さん停電の備えはばっちりやっておいてください。

で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの22章です。

今日はパウロの証しの言葉の中で、
21節の神様の言葉が心に留りました。

「行きなさい!」

このパウロと神様とのやりとり、会話になっていません。

神様が
「急いで、早くエルサレムを離れなさい。」と言われたのに対して、
パウロは
「人々は私がクリスチャンにどんなひどいことをしていたのか知っています」
と答えます。「そんな私が生まれかわった証しをしたら、人々は聞くのではないでしょうか」と
言おうと思ったのではないかと思います。

でも、神様はそのパウロこの言葉に何か答えを与えようとはなさいませんでした。

ただ、「行きなさい!」と言われました。
そして、異邦人への伝道という使命を与えられました。

時々、わたしたちと神様との関係は「会話」ではないなあ、と思います。

神様が命じられること、
それが与えられたら、もう何もいらない。

何か疑問に対する答えが与えられなくてもいい。

疑問が全く晴れなくてもいい。

ただ、主に語って頂ければ、それでいい。

そう思いました。

わたしたちの考えを遙かに超えた方が、言われるならば、
もうそれだけで十分だと思います。

それが、「みことばが与えられる」ということだと思いました。

主よ、
あなたのみことばに感謝します。
あなたが語ってくだされば、それで十分です。
丁寧に疑問に一つ一つ応えてくださらなくても、
ただ、あなたが語ってくださったという確信が与えられたら、
それで十分です。

みことばを行う者へと、
みことばに従う者へとしてください。
聞くだけの者になるのではなく、
「ああ、いい言葉だなあ」で終わるのではなく、
真剣にそのみことばに人生をかけていく、
その様な歩みをさせてください。

2006-10-26

誰の言うとおりに?

今日はキッズクラブの日でした。
Leonia。
うーん、もっとたくさんの仲間に来て欲しかったなあ。
14人?
もっともっとPRして、もっともっといいプログラムをして、
でも1人1人を大切にして、
でももっともっとたくさんのみんなに神さまの愛を伝えたいです。

夕方には教会用の売り物情報を得て、見てきました。

いよいよ山が動くでしょうか?楽しみです。

今朝は3度くらい。
明日の朝は0度くらいまで下がるみたいです。
今、夜の11時過ぎで、もう3.4度Cまで下がっています。
今夜が今朝よりも冷えるのは、
何といっても天気がいいからです。
雲があるとちょうど毛布を掛けた時のように、
熱がこもります。
晴れると、どんどん熱が放射されていきます。
で、冷え込むのです。
明日の朝は、初氷点下になるかもです。

そして土曜日には大雨です。
ご注意を。

あ、それから今晩、日本は明日になっていますが、
両親と初テレビ電話をしてみました。
母の誕生日だったもんで・・・。
お互いコンピューターがあれば、
Webカメラ買って、Skypeを入れて、簡単なんですね。
子供のころは「21世紀になったらテレビ電話ができてて・・・」みたいな話が、
「将来の予想」みたいな記事にありましたけど、
ホント、当たり前の時代がやってくるのでしょう。

今日は眠い+仕事がまだある
・・・もう寝てしまうかもしれませんが・・・のであっさりと
聖書の話に入ります。

今日は使徒の働き21章を読みました。
ここでパウロが人々に誤解されているから、
それを解くためにと、ヤコブはパウロに一つの方法を勧めます。
でも、それに従ったのにもかかわらず、パウロは誤解されて、やっぱり拘束されてしまいます。

もちろん、ヤコブは善意で、また一生懸命考えて、
手を打ったのでしょう。
でも、神さまには神さまのお考えがありました。
それはパウロを囚人としてローマに送り込む、というお考えでした。

「ですから、わたしたちの言うとおりにしてください」というヤコブの言葉(23節)
が心に留りました。

わたしたちはいろいろな考えを巡らし、
よかれと思うことをします。

でも、神さまには神さまのお考えがあるんですよね。

だからといって、「なるようになるさ」みたいなのも無責任でしょうか?

うーん、自分の考え、自分の計画、
それを押し通そうとするのではなくて、
大きな大きな神さまの御手の中で、
一つ一つの決断をしていく、
そのような歩みをしたいと思いました。

主よ、
どうかあなたの御手の中で、
安心して歩む者としてください。
どんな困難の中でも、
願っていたのと反対方向に導かれていっても、
あなたの御手の中にいるなら、安心です。
あなたの守りの中で歩む者としてください。

何でも自分で決めているような気にならないように、
あなたの御手の中にあることを覚えながら、
歩む者としてください。

2006-10-25

受けるより与える

今日は月に1度のNYDAYです。
9月は日本に行っていましたので、
2ヶ月ぶりです。
前回は8月で、半袖でいいんだけど、

バスの中が寒いので、ジャケット必要、ってかんじだったのですが、
今朝はオーバー着て出かけました。

けさのNYでびっくり!
おじさんたちがビルの壁から落ちそう!
と一瞬焦りました。


やられました。
そして、こんなところで紹介したら、広告を考えた人の思うつぼではないですか!
・・・と分かっていながら、はまってしまっています。

悔しい!

うまい!


今日のNYでは、何人かの方々と個人的にお話しして、
お祈りする時が与えられました。
感謝。

みんながんばっていますよね。
NYのみなさん。
今日はバスターミナルがダイヤの乱れで混んでいて、
30分くらい行列に並びました。

やっぱりNJに帰ってくるとちょっとホッとします。

知り合いの若い男の子がこちらから日本に帰って、
とんでもない場面に出くわした話。

こちら。

いやあ、ひどいですねえ。
もちろんこんな人ばかりではないでしょうが、
こわいですねえ。

今日の聖書。
今日は使徒の働きの20章を読みました。
その中で心に留ったのが、

「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」(34-35節)

パウロがエペソの教会の長老達に
教会を頼むよ、と挨拶をした時の言葉です。

ここには書けないような
チャレンジしてみたいことも考え、祈りました。

それと共に
「受けるより与える方が幸い」
このことを本当にそのとおりだと感じました。

与えることの喜び。
そのことをもっともっと経験したいと思わされました。

主よ、
もっともっと与えることの喜びを教えてください。
思い切って与えることの祝福を教えてください。
大胆に与え、
大きく満たされますように。
信仰を与えて下さり、
あなたへの信頼を与えて下さい。

2006-10-24

人々が恐れる聖霊の働き

今日は、30年前に油壺の海岸で洗礼を受けた記念日です。
洗礼槽のなかった教会だったので、
いつもは頭に水をたらす滴礼だったのですが(JCCNJもこれです)、
年に一回、野外礼拝を持って、そこで全身水に入る浸礼をしていました。

私はその時、雨の中だったのですが、決行された野外礼拝の後、
海で洗礼を受けました。

それで、今、Google Earthで湘南にある油壺海岸を捜してみました。


でも、さすがにAburatsubo, Japanでは出てこないので、

いろいろ捜しました。

朝日新聞の地図では、「油壺」が町の名前ではないので、
出てこないし、
Googleで「油壺海岸」で検索すると、
やたら「写真撮影会」ばかり出てきます。
そういう名所なのでしょうか?

でも、「油壺マリンパーク」のサイトで地図を見つけて、場所が分かりました。


東京湾の地図で、右が千葉県、房総半島で、上が東京、左下が神奈川県の三浦半島ですが、
その先っぽの西側、そこに油壺があります。


拡大すると下の写真になります。

下向きの湾が油壺湾で、右向きの黄色の矢印のところに油壺マリンパークがあります。

もっと拡大することもできますが、そうやってみると、
不思議な感じがします。
自分がここで30年前に洗礼を受けたんだなあと。

このGoogle Earthすごいですよね。

自分の住んでいる家、住んでいた家、行っていた学校、みんな見れるんですよね。


左下の左向き矢印が2年前までの深川キリスト教会。
右上の上向きの矢印が移転して名前も変わった木場深川キリスト教会。

もうこれ以上アップしませんが、
幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も、大学、聖書学院も一通り見てしまいました。
一番難しかったのが、高校かな。あっちの方、土地勘がないので・・・。
渋谷駅を見つけて、東横線らしい線路を見つけて、駅を見つけて、どうやって歩いたかな、
と20数年前の記憶をたどって見つけました。

30年間、神さまが守り導いてくださったことを心から感謝して・・・。

(どうでもいいことですが、この東京の首都高速、やたら車が少ないです。
たまたまお盆休みだったのか・・・。
ん、それとも日曜日?実家の近所のイトーヨーカドーのパーキングはいっぱいです。)

今日の集会もたくさんの方々が来られて、
またいろいろなお話ができて、
また伺うこともできて、
よかったです。

ここでは「聞く」ということを学んでいます。
本を読みながら、「聞く」ということを学んでいます。
今日はその中で、「寄り添う」気持ちで聞くことを考えさせられました。
神さまが私たちに寄り添ってくださっている。
そのことを感謝すると共に、
また自分が人の言葉に耳を傾ける時に、
その様な思いで聞くことができるだろうかと。
聞く耳を持つものでありたいと思います。

明日は一日NYの日です。
幸いな日となりますように。

今日の聖書。
今日は使徒の働きの19章。

聖霊様が豊かにエペソの教会に働いておられる様子が書かれています。

特に、その後半13-20節くらいのところが心に留り、いろいろ考えさせられました。

聖霊様が働かれる中で、人々の中に恐れの念が生じて、
18-19節にはこのように出てきます。

「そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。」

そういう徹底的な悔い改め、
神の前の畏れ、
それが聖霊様の働きの結果なんですね。

聖霊様が私のうちに働いておられることは確かです。
でも、このような顕著な働きを私たちは見ることができるだろうかと思いました。

もっともっとご自由に、
もっともっと明らかに働いて頂けるように、
聖霊様を求めていきたいと思いました。
もっともっと聖霊様の大きな御業を見たいと思いました。

聖霊様、
あなたにもっともっとご自由にお働き頂きたいと思います。
どうか、私を満たし、教会を満たし、
私たちを生かしてください。
そして、人々があなたを畏れ、
悔い改めに導かれ、
愛に満たされて、出ていくことができますように。
主よ、
今日お会いした1人1人に、
あなたの豊かな祝福がありますように、
明日の一日を豊かに祝福してくださいますように。
30年間の守りに感謝します。
これからもあなたが導き手でいてください。

2006-10-23

黙っているな!

今日も、もう日付が変わりそうです。

11時頃、15歳の息子がやってきて、
将来のこととか、いろいろ話して、一緒にお祈りしました。
成長したなあと、思いました。
ここまで守られたことを神さまに感謝すると共に、
もっともっと祈って支えていかなければいけないなあと思います。

そう、先日、自分の子供の時の交通事故を思い出す時がありました。
5歳の4月10日かな?とにかく、1年保育の幼稚園の入園式の午後。
それも、その幼稚園、始まった最初の年。
今年37年目を迎えた「江東区立平久幼稚園」の歴史の、記念すべき第一日目に、
交通事故に遭ったのでした。(先生達ごめんなさい)

自分は車が来ると分かっていました。
でも、思い切って飛び出しました。

分かっていたのに、飛び出さないではいられなかったのです。
一緒に遊んでいた兄弟や、近所の仲間がみんな向こう側に渡ってしまったからです。

東京の下町。
材木問屋の町。
道路のあちらこちらには材木屋さんのトラックが止っています。
トラックが走っています。

その中で自分たちは遊んでいました。
材木置き場で「かくれんぼ」や「たかおに」をしました。

今では考えられませんが・・・。

その1台のトラックの陰に私はいました。
ちょうど、もう1台のトラックが遊んでいる子ども達にクラクションを鳴らしながら、
走ってきていました。

どうしよう・・・。

みんなが道の向こう側に渡って、車が通りすぎるのを待っていました。
ひとり、こちら側に残り、「車が来る」と分かっている中で、
「どうしよう、どうしよう・・・みんな行っちゃった・・・どうしよう・・・えい、行っちゃえ!」
そう思って、飛び出しました。

今、自分が運転する立場になって考えると、とても怖いです。
子供の考えること、コワイです。

トラックのおじさんも止りきれなくて、
自分は轢かれました。
でも、幸い、足だけでした。
たぶん、車にぶつかる瞬間に足を投げ出すように転んだんでしょう。

歩こうとしました。
でも、どうにも痛くて歩けませんでした。
骨折していたのです。

でも、そのことを思い出すと、
自分は今、何か目的があって、生かされているんだということを、
はっきりと感じます。

同じように交通事故に遭って、
亡くなった子ども達もいます。

なのに、車が来ると分かっていて飛び出した自分が生きている。

どうして、私が生かされて、
他の子が亡くなったのか、それは分かりません。
どうして神さまがそれを許されたのか分かりません。

でも、分かっていることがあります。
私は生かされた。そこには何か特別な意味がある、ということです。

自分が40代になって、
社会的にも一番中心的な役割を果たす世代になっていますが、
もう、これからは、次の世代のことを考えながら歩んでいくんですね。

それがまたまた楽しみにもなってきました。

今朝はそこそこ暖かかったのですが、
だんだん寒くなってきて、
今は5度Cです。

今夜はまた2度くらいまで下がるでしょう。

今日の聖書は使徒の働きの18章です。
パウロがコリントに進んでいくところです。

コリントの町で、神さまがパウロに言われた言葉、
この言葉が私にも語られました。

「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」(9節)

単純に、この言葉が私に語られたように感じました。
「語り続けなさい」「黙っているな」と。

だから、これからも語り続けたいと思います。
この地で、語り続けたいと思います。

神さまの愛を、できるだけたくさんの方々に、伝えたい。
できるだけたくさんの方々に出会いたい。

NJに赴任したのに、
JCCNJを知らないで駐在期間を過ごしてしまう、という方が1人もいなくなるまで、
大胆に、広く、語っていきたいと思います。

主よ、
今日の一日を感謝します。
どうか、あなたのみことばを語り続ける、
あなたの愛を語り続ける者としてください。

黙っていないで、
語ることができますように。
そのために、あなたがいつもいつも私にみことばをお与え下さい。

2006-10-22

「世界中を騒がせてきた者たち」

今日の日曜日、
また皆さんと共に礼拝を守れて、感謝でした。
また、今日はカルフォルニアのノブ先生もご夫妻で来られて、
お二人で賛美して下さいました。
感謝。

それから、今日は礼拝後、特に会議とかもなかったので、
皆さんとお話をするチャンスもあって、よかったです。

会議も悪くはないのですが、
こうやってゆっくり日曜日の礼拝後を過ごせるのは、
とても大切なことだなあ、と思います。

日曜日の夜なので、ちょっとゆっくり書きますが、
8月31日に文字化けした投稿がありましたが、
あれは確かに携帯メールを使ったものでした。

アメリカでは携帯で日本語のメールをやりとりするのは、
結構無理があります。
普通の携帯はもちろん日本語は読めませんし、
書けません。

私のように10年以上前にこちらに来た者たちにとっては、何てことないのですが、
最近、駐在とかでこちらに来られた方々にとっては、
携帯メールでコミュニケーションができないのが、ストレスになっているかもしれないですね。
(それがいいのか悪いのかは別にして・・・)

有料サービスはあるんでしょうが、
そのためだけにまたお金を払うのはねえ・・・ということで調べてもいません。

で、元々Palm使いなので、Treoなんかもいいんだと思うのですが、
それも調べたのですが、TreoをAmazon.comをとおしてCingularで使うと、
本体にちょっとお金がかかるのに加えて、
最低で月々40ドルの料金が通話代にプラスで必要になります。

で、最終的に選んだのが、

Nokiaの6682

なぜかというと、8月の段階では、Amazon.comで、新規契約の場合、1セント。
というか、10ドルリベートが送られてくるので、-9.99ドル。
(今はもう取り扱ってないみたいです)

月々通話料に20ドル足せば、データ通信は無制限。
追加オプションなしでアドレス帳とかもコンピューターと同期できる。
そして、これはSymbian OSを使っているので、
50ドルくらいで日本語化ソフトを買うと、
日本語でメールを受けたり、送ったりできる。

という代物なんですね。

一番安いFamily Planで4台で通話料金は80ドル=1台20ドルで、
550分なんですが、絶対、使わないです、そこまで。
夜はタダだし、同じ会社の携帯同士はタダだし。

でも、まあ、考えてみれば、
他の携帯に日本語メール打っても、
読める訳ないですから、
日本の皆さんみたいに、
携帯メールでコミュニケーションというわけにはいかないのですが・・・。

で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの17章。

6節の言葉が心に留りました。

「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。」

これはパウロとクリスチャン達を人々が非難して語った言葉ですが、
その言葉にいろいろ考えさせられました。

私たちはその様に言われることがあるだろうかと。
余りにも「ふつう」になりすぎて、
余りにも妥協的になりすぎて、
また逆に余りにも世の中との接点がなさ過ぎて、
「世界中を騒がせてきた者たち」
なんて言われなくなっているのではないだろうかと・・・。

そんな風に言われるのを意識的に避けようとしているのかもしれません。

もっともっと世の中にインパクトを与えるような、
「あそこでは何が起っているんだろうか」と思われるような、
大きな主の働きを見せて頂きたいと思いました。

また、それと共に、私たちが、
福音をオブラートに包まないで、
ストレートに多くの人々に語っていく使命を感じさせられました。

主よ、
私たちは生ぬるくないでしょうか?
本当に真剣に福音に生きているでしょうか?
本当に純粋に福音に生きているでしょうか?
大胆に歩ませて下さい。
人にどう言われるかを恐れないで、
あなたのメッセージを語る者としてください。
社会に何の影響も与えないような者ではなく、
世の光、地の塩として、歩む者としてください。

2006-10-21

神さまの導かれるところ

またまた、ホントは日付が変わってしまっています。
今日は夕方からユースの集まり、教会での祈り会、そして、その後、
NYへの送迎で、時間がバタバタ過ぎていって、
あっという間に12時を回ってしまいました。

でも、今ちょっとホッと一息です。
さっきまで、(家族-5歳の娘+泊まりに来ている17歳の男の子)で、
JOYJOYキャンプのビデオを見ながら、爆笑しておりました。
キャンプの参加者のご父兄とキャンプのスタッフの皆さんには
来週中くらいに、お渡しするかお送りします。

明日の日曜日、また皆さんにお会いできるのが楽しみです。
礼拝が豊かに祝福されますように。

今朝は予想よりも高くて6.5度Cありました。
でも、今夜はもう冷え込んできて、12時半で5.6度まで下がっています。
2度くらいまで下がるでしょう。

明日の夕方には一雨あって、
月曜日からもう一段寒くなるようです。

今日の聖書は、使徒の働き16章でした。
パウロが2回目の伝道旅行に出かけて今度はアドリア海を渡ってヨーロッパに福音を伝えていくところです。

今日心に留ったのは、6-7節のところです。
「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。 こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。」

福音を伝えようとするのに、
聖霊様がそれを許されなかったということはどういうことだったのだろうかと思います。
どうして、神さまはそんなことをなさったのだろうかと・・・。

そして、それはパウロがマケドニヤに進んでいくためだったことがこの後分かる訳ですが、

後にならなければわからないことですね。
その時には、「どうして、神さまのことを伝えようとしているのに・・・」という感じだと思います。

そして、ピリピに導かれた彼らは、ああ、このためだったんだ、と後になって分かるんですよね。

私たちもそういうことがある。
それでいいんだと思いました。
一つの道が閉ざされる時がある。
もう一つの道も閉ざされて、
何なんだろうか、って感じる様な時。

大体、今自分がここにいることだって、
最初は願ったことではなかったことを思い出します。
大学のカタログを見ながら、
「うーん、とりあえず送っておくけど・・・」
と思ったことを思い出しました。

でも、神さまは私をここに導かれたと、今ははっきり言うことができます。

道が閉ざされる時、

そこに神の御手を覚えることができるようにと祈ります。

主よ、
楽しいたくさんのことも、
あなたの御手の中にあることを信じます。

そして、願った道が閉ざされる時も、
あなたの御手がそこにあると信じます。

どうか、あなたの御手を見たり、感じたり、覚えたりすることのできる、
霊的な敏感さ、それを私に与えて下さい。

あなたの御手を信じ続ける信仰をお与えください。

2006-10-20

主の恵みによって救われた

夜の集会が終わって帰ってきました。
今日もたくさんの方々が集まられました。
いろんな質問や意見も出て、いい集会だったと思います。

午前中の祈り会も、
多かったですね。
共に祈ろう、という方々がたくさんおられるのには、励まされます。

今日は3時頃に雨がザッと降って、
強い風が吹いて、
18度Cくらいあった気温がどんどん下がってきました。
今、夜の11時半ですが、
8度まで下がってきています。

今夜の最低気温の予想は4度C。
来週の半ばに向かってさらに下がって行くみたいです。

10月中の初雪はないでしょうが、
冬はもうすぐそこなんでしょう。

おととい(かな)、Internet Explorerの7.0が出ました。
早速入れてみました。
というのは、「タブブラウジング」ができるようになったから・・・やっと。

もう、何年もFirefox派の私にとっては、
それはもう「当然」という感じでした。
むかしは何だったけな、Firebird?
そのころからIEより軽くて、ウィルスの心配を余りしなくてよくて、
タブブラウジングができるので、
ずっとそれを使っています。

でも、IE向けに作られたページとかもあるので、
時々はIEも使っておりました。
今度のIEはいい、と思います。
深いところまで分かりませんが、見てくれはいいです。
ちょっと使ってみたところは便利です。
やっぱりちょっと重いですがね。
でもたぶん乗り換えないでしょう。
FirefoxのextensionのGmail Managerなんかも、便利だし・・・。

ちなみに、メールソフトも、この夏から、
すぐにフリーズするようになったOutlook(2000だけどね)を止めて、
Beckey!を使っています。
こっちも快適。
着々と脱Microsoft路線、邁進中。
まあ、OSはこのままxpで行くと思いますが。
今さら、10年ぶりに林檎派なんてことにもならないとは思いますし・・・。

さて、今日の聖書。
今日は使徒の働きの15章を読みました。

ここはエルサレム会議、最初の教会会議といわれるところです。
ここで話し合われたのは、クリスチャンになるために、ユダヤ教に回心しなければならないのか?
割礼を受けたり、律法を守ったりする必要があるのか、ということが話し合われたのです。

その中で、
心に留ったのは、
「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」
11節のペテロの言葉です。

ここを読むたびに感謝します。
私たちが今、ここで福音を信じることができるのは、
ここで、信仰をもって歩むことができるのは、
このエルサレム会議の決定で、
「恵みによって、信仰によって救われる」という結論に達したからです。
聖霊様がそのことを導いて下さって、
その様な結論になったからです。

この時に、「やはり、イエスを信じるためには、割礼を受けなければならない、
モーセの律法を守らなければならない」と決まっていたら、
日本にまで福音は伝わってこなかったでしょう。
ユダヤ教の一派として時代の中に埋もれてしまっていたでしょう。

「恵みによって救われる」
何というありがたいことでしょうか?
何と感謝なことでしょうか?

恵みがなかったら自分も救われていなかった、その様に思います。

主よ、
今日もあなたの恵みに感謝します。
あなたの恵みがなかったら、私の人生は20年で終わっていたことでしょう。
あの自分の真の姿を見せつけられて、
絶望のそこに落ちた時に、
私の人生は終わっていたでしょう。
あなたの恵みによって救われる、
その大きさ、そのありがたさ、そのかたじけなさ、
心から感謝します。

明日の一日が守られ、祝福されますように。

2006-10-19

断食して祈る

もう本当は日付が変わっていますが、
19日分です。
投稿時間を自分で勝手にいじれることを発見した(遅い!)ので、
19日となっていますが、ホントは今12時を回って11分です。

今日は、帰ったのは11時過ぎだったのですが、
なぜかというと、
去年の修養会の講師をして下さった先生の、
奥様が、カーネギーで歌う、ということで、
聖書学院同窓会してました。

10人くらいの方々がカルフォルニアから来られて、
オペラのアリアとか、有名な曲を次々と歌っていく、
というプログラムで、その10人に、その牧師夫人、選ばれたんだそうです。

高校時代「音楽部」という「オペラ部」で、
トロンボーンをやっていたので、
高校時代はオペラ好きでしたねえ。
今、メトとかに行けるところに住んでいるんですが、
なかなか行けません。
12年間で1回だけ?かな。
「トゥーランドット」に行かせて頂きました。
チケット頂いて。

とにかく舞台の大きさ、豪華さに圧倒されました。
高校でやってたのは何だったのか、と・・・当たり前か。

メトの話はいいとして、
今日のコンサートもすばらしかったです。
楽しかったです。
もっと大々的に宣伝して、
JCCNJ軍団で行けばよかったかな。

今日のキッズクラブもたくさんの元気な仲間が集まりました。
今日も30人くらいかな。
この勢いで来週もたくさんみんな来てくれるといいなあ。

で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの14章を読みました。

その中で心に留った言葉、

「 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」23節。

「主にゆだねる」という言葉がここにあります。
私たちがよく使う言葉です。

「主にゆだねよう」と。

でも、ここを読むと、「断食して祈った後」と書かれています。
主にゆだねるのは、決して、軽々しく考えてはいけないことだと思わされました。

自分が主にゆだねようと言う時に、
自分はいったい、断食して祈るほどの真剣さ、
断食して祈るほどの熱心さを持って、
「主にゆだねる」という決断をしているだろうか。

自分で責任を取りたくないから、
何にも考えたくないから、
「主にゆだねよう」といっていることがないだろうかと。

ここでパウロが教会を主にゆだねる、という決断をした時に、
どれほどの大きな決断があったか、
どれほど熱い思いがあったかと思います。

本気で主にゆだねる、その様な経験をしたいと思いました。
また、断食して祈るほど熱心に祈る経験をしたいと思いました。
最後に断食したのはいつだったでしょうか?

主の前に出る真剣さ、熱さを持って歩んでいきたいと思います。

主よ、
本当の「ゆだねる」という経験を与えて下さい。
祈って祈って祈り抜く中に、
「ゆだねる」という経験を持つことができますように。
断食して祈るほどの熱い祈りを捧げさせて下さい。
他のことには熱中して食事をすることを忘れることがあっても、
祈って、食べることさえもどうでもよくなってしまうようなことはあるでしょうか?
そんな祈りへと私を導いて下さい。

2006-10-18

喜びにあふれる人

今日は暖かな一日となりました。
昨日の雨も上がり、晴れるかなあ、と思ったのですが、
結構雲が多く、どんよりとしていましたが、
22度Cくらいまで上がり、暖かい日となりました。

明日も暖かくなりそうです。
JOYJOYキッズクラブの日が暖かくてよかったです。
でも、それも明日まで。
あさっては雨で、それからまた冷え込みそうです。
でも、今回はそれほど厳しくないでしょう。たぶん。
そして来週の前半くらいまで冷えて、
そのあと、ちょっとゆるむみたいです。

ところで、accuweather.comの冬の予報が出ました。
それによると、今年は平年よりも少し寒めで、雪の多い冬になりそう、とか。
暖冬を予想している連邦政府の気象庁とは対照的な予想になりました。

ま、それほど、長期予報は難しい、ということ。
さて、どうなるか?

昨日の郵便の中に、
15歳の息子宛のWNBAからの手紙が・・・。
バスケットの絵が描いてあります。
バスケットの好きな息子のためにチケットのセールスか、
はたまた、高校生のためのトレーニングキャンプのお誘いか・・・
もしかしたら、将来性に注目してスカウトか!?
でも、"W"NBAです。
女子バスケ?

そうか、名前を間違えたんだ、
きっと5歳の娘の方の将来性に目をつけたんだ(12歳もいるけど・・・)、
と、ありえない(わからんが・・・)シナリオをいろいろ楽しく想像しながら、開けました。

開けてみて、え?でした。

なんと、


クレジットカードの勧誘・・・



まあ、私宛や家内宛には一日に2-3通はそうゆう手紙が届きますが、
とうとう息子までそんなのをもらうようになったかと。

いやあ、ちょっと申し込んでみようかなあ、なんて思いました。
まさか、作れないとは思いますがねえ。

そのうち、5歳の娘にまで来るのでは・・・と、またそれはそれでちょっと楽しみになってきました。

今日の聖書。
今日は使徒の働きの13章。

パウロの第一回目の伝道旅行のところです。

ピシデヤのアンテオケというところで、福音を語った様子が書かれています。

その最後の言葉に心が留りました。

「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」52節の言葉です。

この時の弟子たちは、決して手放しで喜べるような状況ではなかったはずです。
ユダヤ人の反対もありました。
身の危険を感じるようなこともあったでしょう。
でも、彼らは「喜びと聖霊に満たされていた」というのです。

私たちは、いや、私は、どれほど状況に振り回されやすい人間かと思います。
いいことがあると、喜びが湧いてきます。
つらいことや悲しいこと、悔しいこと、納得がいかないこと、
そんなことが起った時には、つらくなります。
喜びはどこへ行ってしまったんだろうかと思います。

喜びと聖霊に満たされていた、と人に言われるような、
その様に形容されるような、歩みをさせて頂きたいと思います。

主よ、
私を喜びで満たしてください。
あなたの喜びを私の内側に与えて下さい。
状況に左右されるような歩みではなくて、
いつもいつも心の内側から喜びがあふれてくるような、
どんな状況も喜んで受け取ることができるような、
そんな者とならせてください。

主よ、
明日のキッズクラブもあなたから頂いた喜びを持って、
出ていくことができますように。
たくさんの子ども達を送って下さい。

2006-10-17

祈りと答え

今日は一日雨。
でもその雨が降り出す前、
朝の祈り会は、とてもいい時を持ちました。

牧師として、
やはり1人1人に声をかけて、
その心の声を聞くことの大切さを思わされました。

やはりこのことのために召されている、
このことのために生かされていることを感じました。

たくさんの人の前に立つこともあります。
人々の気持ちを一つにしなければ・・・と走り回ることもあります。
子ども達の前に立ってゲームをしたりするのも大好きです。
事務的な仕事をしたり、
地味な作業をしたりすることも苦にはなりません。

でも、個人的に、または2、3人と語り合い、
心が触れ合うような時を持つ時に、
それを通して、その人の心が神さまに向いていく時に、
いつも、
「ああ、自分はこのために生かされているのかな」と思います。

そして、何よりも、それによって心にパワーをもらっています。

今日の聖書。
今日は使徒の働き12章でした。

その中で心に留ったのが、
「そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。」という12節の言葉。

でも、別に「祈っていたのか、すごいなあ、自分も祈らなければなぁ」とは
今日は思いませんでした。

その後の、人々は祈っていたんだけれども、
いざ、解放を祈っていたペテロが、
戸口に立っていたら、驚き、
「そんなことがある訳がない」と言ったり、
取り次いだ女中さんに「あなたは気が狂ってる」と言い出したり・・・。

思い出した言葉がありました。

「天が地よりも高いように、
私の思いはあなたの思いとは異なっている」
というイザヤ書55章の言葉。

私たちは祈っているんだけれども、
神さまはその私たちの期待を超えて応えてくださる方。

私たちの考えよりも、ずっとずっと大きなことをしてくださるお方。

自分たちの頭ってちっちゃいからね。
自分たちの考えって本当に浅はかだからね。

神さまのしてくださる大きなこと、
楽しみにしていきたいと思いました。

神さま、
今朝の祈り会を感謝します。
どうか、もっともっと私が出ていって、
人々の声に耳を傾けることができますように。

もっともっと心の叫びに聞くことができますように。

そして、あなたの大きな御業を待ち望みます。
私たちの祈り、
私たちの願い、
私たちの考えを遙かに超えて、
すばらしいことをしてくださいますように。


2006-10-16

神のなさること

今朝は1.5度C。
でも昼間はずいぶん暖かくなりました。
明日からずっと冷え込みはゆるむみたいです。

寝る時、ちょっと足が冷えて寝付きが悪い時があります。

そんな冷え性オヤジは、
「湯たんぽ」が欲しくなります。

今から40年前(正確には37年くらい前かな)の子供時代はしっかり使っていました。

8時になると、お湯を入れて、2段ベッドの中に入れてました。
親父とかは、「あんか」を使っていたと思います。
まだあのころ30代だっただろうけどなあ、両親。

そのころは「ゆたんぽ」は確かブリキか何かの金属製でした。
「あんか」は豆炭のヤツだったんじゃないかなあ。
そのうち、電気あんかになったけど。



そして、湯たんぽは今から20年前の聖書学院時代も使っていました。

でも、この時はプラスチックの容器でした。
聖書学院は10時にストーブを消しますので、
すぐ寝ればいいのですが、
ちょっと11時頃まで起きていると、
寒いです。

で、湯たんぽ大活躍です。


そのストーブの上のやかんに入っていた熱湯を入れて使っていました。


何か日本でも2-3年前はやっていましたよね。

テレビかネットかで見たことのあるような・・・。


そこで、アメリカでも売っているか、捜してみました。


今日のところはよくわかりませんでした。


"hot water bottle"というのはあります。


でも、何か子供が抱いて寝るため、

または関節が痛い人がそこを暖めるため、

ぬるいお湯を入れるヤツみたいですね。


でも、きっとあるでしょう。にほんのゆたんぽ。


ボチボチ捜します。


さて、今日の聖書。

使徒の働きの11章です。


「どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」

17節の言葉です。


主がなさることならば私たちはそれを妨げてはならない。


大切なことです。

11章の最初の方には、ペテロが人々に責められていることが書かれています。
10章を知っている私たちは、どうして?と思います。
でも、10章を知らない人々にとっては、
「どうして!?」でしょう。

で、責めてしまうのです。

その時、ペテロは丁寧に、順序立てて話しました。

そして、何よりもペテロの信仰を明らかにしました。
「神さまがして下さっているんだから、私は妨げてはいけないと思う」と。

その時、人々が一転、主をほめたたえるようになりました。

主がなさっておられることを説明すること、
そして、主がなさっておられることを妨げないこと、
主のして下さったことを証しすることです。
大切なことです。

主が何をなそうとしておられるのか、
楽しみです。
待ち望んでいきたいと思います。

それと共に主がどんなことをして下さっているのか、
証をする責任があると思いました。

主よ、
あなたの御名をほめたたえます。
あなたのなさること、
私たちはそれを見たいのです。
それを妨げることがありませんように。

そして、そのあなたの御業を、
証しする者としてくださいますように。
人びとに伝わるように、
証しする者としてくださいますように。


2006-10-15

聖霊様の働き

今朝の最低気温は1.1度C。
朝にはヒーターが回っていました。
冬はこのヒーターはありがたいのですが、
空気が乾くのには閉口します。

冬に書いたと思いますが、
0度Cの空気が含むことができる水蒸気量は1立方メートルあたり、4.8g。
その空気を20度Cまで暖めると、1立方メートルあたり17.2g水蒸気を含むことができます。
ですから、0度Cで湿度100パーセントの湿った空気はそのまま20度まで暖めると
湿度28パーセントの乾いた空気になってしまうのです。

乾燥はのどに悪いし、インフルエンザウィルスなどは乾燥が好きといいます。

昔はよくストーブの上にやかんを置いて、
お湯を沸かすのと、乾燥を防ぐのの一石二鳥をやっていましたよね。
今はヒーターなので、火事にはなりにくいですが、
その一石二鳥ができないのが残念です。

洗濯物を干すのがせいぜい。でも、それではあんまり湿度が上がるって感じはしません。
確かに洗濯物は乾くのですが・・・。

この間、水道直すのにHome Depotへ行った時に、売ってましたね、

昔ながらのストーブ。

ちょっと興味が出てきています。

結構使っている人いるのかな?

今日も多くの皆さんと一緒に礼拝できたこと、
心から感謝します。

今日の聖書。
今日は使徒の働き10章を読みました。
ペテロが異邦人伝道に導かれていくところです。

心に留ったのが、
「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。」
という44節の言葉。

人々に聖霊様が注がれて、はっきりとその様子が分かった時に、
懐疑的な人々も、神さまが異邦人(ユダヤ人以外の人々)にも救いをお与えになることを、
確信することができた。

聖霊様が注がれる時に、
人々にもそのことが分かったという。

その様なはっきりとした神さまの御業を見たいと思った。
もちろん現象面に捕らわれる必要はないと思う。
けれども、確かに人々が変えられて、新しくされて、
輝いて新しい一週間の歩みのために遣わされていく、
その御業を見せて頂きたいと思った。

「みことばによってこのように力を頂きました」
「解決が与えられました」
「悔い改めに導かれました」
その様な主を証しする言葉があちらこちらから聞こえてくるような教会になったらいいなと思います。

聖霊様を求めて祈りたいと思いました。

主よ、
私たちに必要なのは、
何よりも聖霊様が注がれることです。
お金でも、
会堂でも、
立派な人たちでもなく、
聖霊様が注がれることが一番必要なこと、
一番大切なことです。
他のものは「おまけ」です。

あなたを求めます。
あなた自身を与えて下さい。
聖霊様があふれて、聖霊様に満たされて歩んでいく者たちでありますように。
私自身が聖霊様に満たされて、歩んでいくことができますように。

2006-10-14

器と中身

今朝はまた寒かったですねえ。
って、昨日深夜祈祷会だったので、
今朝は寝坊したから、知りませんでしたが、
うちの温度計の最低気温は0.9度Cでしたよ。

霜とか降りたんでしょうかねえ。
西のWyckoffとか、北のMahwahとか、氷点下だったんでしょうかねえ。

今夜も冷え込むようです。
予想はまた2度C。
今は11時半を回ったところで、5.9度Cです。

秋はあっという間に過ぎていって、
もう冬支度ですね。
今年は日本に行っていたので、よけい短いです。

今日は、近所にある韓国の教会を訪問して、そこの教会の方とちょっとお話ししました。
オフィスビルを教会に変えて、使っているところです。
5年前に300人くらいで、300万ドルで2階建てのビルを買って、
今は1000人位の方々が集まっているそうです。
いい買い物したなあ、と思います。

オフィスビル街の教会なので、
日曜日には周りのオフィスにお願いして、
車を停めることを許してもらっているそうです。

Zoningの問題もなく、
何の困難もなかったそうです。

神さまに祈っていきたいと思いました。
本当に大きく主に期待して行きたいと思います。

「神様は私たちを助けることがおできになるだけでなく、
助けたいとしきりに願っておられる。」
ビル・ハイベルズ

今日読んだのは使徒の働きの9章でした。
ここは迫害の先頭に立っていたサウロ(のちのパウロ)がキリストを信じる者とされたところです。

その中で2つの聖書の言葉が心に留りました。

神さまがアナニヤにパウロのことを語った、
「あの人は・・・わたしの選びの器です。」

そして、そのアナニヤがパウロに語った
「あなたが・・・聖霊に満たされるためです。」

パウロは神の器だった。
そこに神は聖霊を満たした。

神の器だったパウロに、

聖霊が満たされなければならなかった。

私たちは土の器。
弱く小さな、もろい、価値もない存在。

でも、その内側に宝がある。
キリストという宝。

そして、そこにいのちが注ぎ込まれている。
聖霊様が満たされる。

私を満たして頂きたいと思いました。
私も聖霊様に満たされて、歩みたいと思いました。

パウロをパウロたらしめた聖霊様を、
同じ聖霊様を、
私のうちにも満たして頂きたいと思いました。

主よ、
聖霊様を私のうちに満たしてください。
私を御霊で満たし、喜びを与え、力を与えて下さい。
あのペンテコステの弟子たちのように、
神さまの大きな御業をほめたたえて歌う者としてください。
人々が「ここではいったい何が起っているんだろう?」と驚いて集まってくるような、
そんな御業をなしてください。

2006-10-13

神の導きに従って

今日は深夜祈祷会の日なので、
帰ってきてからではしんどいので、
今のうちに更新。

今朝の我が家の最低気温は2度C。
冷えましたねえ。
今夜は「霜注意報」が出ています。
早くも初霜でしょうか?

そして、驚いたのはBuffalo, NY。
55センチも雪が積ったそうです。
昼過ぎで30万戸が停電。
びっくりです。
雪の多いところではありますが、
もちろん10月としては記録破り、だそうです。

今日の午前中は新しいところでの聖書を読む会。
この集会は前に場所を提供しておられた方が帰国されて、こちらに変わりました。
でも、その前はまた他の方が場所を提供されていて、その方が帰国されたので、
次の方になったんですよね。

ですから3箇所目。
このチェーンがずっと続いたらいいですね、という話をしていました。
そうですね。最初に始められた方の思いが受け継がれて、受け継がれて、
うれしく思いました。

今日の聖書は使徒の働きの8章です。
ステパノの殉教をきっかけにして起った迫害によって
散らされ行った人々、特にその中でピリポの働きが記されています。

その中で今日心に留ったのは、
「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」という神の御使いの言葉です。
26節にあります。

ピリポは伝道の成功していたサマリヤを去って、
寂しい道に行くようにと導かれました。
そして、そこではエチオピアの女王の宦官にキリストを伝えるのです。

ただそれだけのために、

この1人のために、

神さまはピリポをこの道に導かれました。

そして、その1人が救われた時に、
また神さまは違う道へとピリポを導かれました。

そこに従ったピリポもすごいと思います。

私たちはどうだろうか?
いや、私自身はどうだろうかと思いました。

神さまが示されるところ、導かれるところに、
いつでも喜んで従っていくことのできる覚悟はできているだろうかと。

もちろん、まだ、ここに使命があると思っています。

でも、いつ主が新しい道を示されても、
それに従っていくことができるか?

その神さまの御声を聞く敏感な耳と、
それに応答する素直な心とを与えて欲しいと思いました。

神さま
私たちの幸せは、
いつもいつもあなたの導かれる道に行くことです。
どうか教えて下さい。
どうか導いて下さい。
いつも従うことができますように。
従っていくことができますように。

2006-10-12

キッズクラブin Maywood

今日のJOYJOYキッズクラブは盛会でした。
9月休んだから、JOYJOYキャンプの勢いそのままに・・・というわけにはいかない、
と思っていたのですが、
4時をちょっと過ぎるあたりからたくさんの仲間が集まってきました。
全部で30人くらいかな。

4ヶ月ぶりの懐かしい顔、
キャンプ以来の顔、
いつも教会でみる顔、
そして初めての顔、

いやあ、止められません。

みんな期待して来てくれるので、
その期待を裏切らないような、
思いっきり楽しくて、
絶対また来る!っていうプログラムをしよう!と、
また燃えてきてしまいました。

会場的にはあと50人は大丈夫でしょうから、
まだまだこれからが楽しみです。

「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。
止めてはいけません。
神の国は、このような者たちのものです。」(マルコ10:14)

子ども達に大切なメッセージをとにかく伝えていって、
10年後にそのメッセージを胸に旅立つ若者に育って欲しい、そう願います。

天を見上げて

今日の聖書は使徒の働き7章。
ステパノが説教をするのですが、
それが人々の怒りを買い、彼は最初の殉教者となるのです。

心に留ったのは、
ステパノの言葉。

「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」56節。

この「見なさい」という言葉が今日は特に心に留りました。

いつも読んでいる口語訳聖書では、「ああ」、新共同訳では訳出されていません。
でも、新改訳とNIVでは「見なさい」「Look!」です。

天を見上げなさい、といわれたように感じました。
そして、彼には見えた。
人々には見えなかったけれども、
彼には見えた。

私は見ているだろうか?
天を見上げて歩んでいるだろうか?
そして、見るべきモノを見ているだろうか?

心の目を、
霊的な目を開いて頂きたいと思いました。

神さま、
今日の一日を、
教会の1人1人の一日を守って下さい。
私が、
私たちが、
あなたを見上げていくことができますように。
あなたのことを見つめていくことができますように。
あなたから目をそらせようとする、
すべての力から
私を、
私たちを守って下さい。

今日のキッズクラブに神さまの守りと、祝福がありますように。
子ども達に最高のものを手渡しすることができますように。

2006-10-11

祈りに励む

これ日本語でももちろん大丈夫だよね。
Google Docs。

こうやって、便利なモノをどんどん作っていって、
世界を支配していくんだろうなあ。
だって、この文章だって、Googleのサーバーの中に入っているんだもんねえ。

ちょっと恐いような、でも、とても便利。
出先のコンピューターでも日本語が使えるようになってさえいれば、
編集できちゃうんだもんねえ。

こうやってメモを作っておいて、
また後で、ブログに上げたり、することもできるんだろうなあ。
と思う。

でも、印刷した時の体裁とかは?

んんん、分からない。
どうやってやるんだろう。
Word形式で保存してからワードで開くしかないのかな。

何かなあ。

でもこれ、他の人とチャットしながら編集する人とかいいのかもね。


自分はちょっとそこまでやるかどうかは分からないけど・・・。

ワードのソフトが必要なくなる訳でもないみたいだし・・・。

というのが、今日の昼間、Google Docs & Spreadsheetsを使っての感想。
そのまま、それを使って文章を最後まで書いてみます。

で、今日のニュースにはどきっとしました。
夕方出かけるために車のラジオをつけたら、
アッパーイーストでビルに飛行機が突っ込んだと・・・。

夜になってテレビをつけたら、ものすごい炎と煙だったんですね。
犠牲になったのが乗っておられた方々だけだったということが不思議なくらい。

NYの安全を祈りつつ。

今、JOYJOYキャンプのビデオのDVDを鋭意コピー中。
今年初めての試みですが、
お話が入って、テーマソングが入って、子ども達の様子が入って、
1時間半たっぷり。

今まで、スタッフの中には出回っていたのですが、
今年はご家族にもどんな話だったのか、もっと知って頂きたい。
+子ども達が何回も見ることで、聖書の話に親しんで頂きたい。
ということで、参加者には配布することになりました。

楽しいですよ。

もう、こうやって、JOYJOY後遺症から抜け出れなくなっちゃうんですよお。
明日からキッズクラブ始まるし・・・。

今日の聖書は使徒の働きの6章。
教会のなかで問題が起って、
執事が選ばれるところ。
その中で、やはり使徒達が言った次の言葉が心に留りました。

「私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」

祈りとみことばの奉仕に励もうと思いました。
もっともっと祈りたいと思いました。

祈らなければ・・・みたいな義務感も、感じましたが、
それ以上に、祈りたいなあ、と思いました。

今日は早く休んで明日は早く起きようと思います。

もう時差がどうだなんて言ってられないですから・・・。

神さま、
またあなたが、私を祈りに招いてくださったことに感謝します。
どうか、祈ることのすばらしさ、
その味わいを、経験させてください。

明日のキッズクラブを守り、導いてください。
たくさんの元気な子ども達を送って下さい。
楽しい、そして、とっても、心に残る1時間として下さい。

2006-10-10

誰を欺くのか

数日ひいていた風邪も治って、体調もほぼ戻って、
日常生活に帰ってきたという感じです。
やはり帰米後10日くらいかかりました。

今日、3ヶ月ぶりに再開された集会もありました。
そして、いよいよあさってから、
JOYJOYキッズクラブが再開されます。

わくわくしてきます。

明日から金曜日の朝まで、雨模様になりそうです。
それで金曜日の夜は3度くらいまで下がります。

いよいよ秋が深まっていきますね。

でも、下の表を見ると、決して特別なことではないんですね。

これは、weather.comのこの地域の10月の平均、最高最低記録を表にしたモノです。

一番左の数字が日付。2番目が日の出時刻、3番目が日の入り時刻
4番目が平均最高気温、5番目が平均最低気温、6番目がその真ん中。
右から2番目が歴代最高気温、一番右が歴代最低気温です。


たとえば、明日の最低気温の記録、それは-2度Cです。
30度以上行った日も歴史のなかにはあるのですが。

今年は秋の深まりが早いような気がするんですが、決して特別ではないんですね。
いつも10月半ばになると、冷え込む日が増えてくるんですね。

月末には平均の最低気温が3度まで下がってしまいます。
このころには初霜とか初氷とかになるんでしょう。

今日の聖書。
今日は使徒の働き5章でした。
アナニヤとサッピラという夫婦が人々をだまし、
お金をごまかして、見栄を張った献金をするところです。

その中のペテロが彼らを責める言葉が心に留りました。

あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」4節。

実際は人をだましたのです。
神さまはだまされるような方ではありません。
すべてをお見通しです。

なのに、ペテロはそれを「神を欺くことだ」と言いました。

やはり、私のうちにも、「神さまは赦してくださるから・・・」という甘えがあるように思います。

人はなかなか赦してくれません。

でも、神さまは赦してくださる、と甘えた心を抱いているところがないだろうかと思います。

そして、人には何も分からないからいいだろう、
でも、すべてをお見通しの神さまには分かっているから、
ちゃんと悔い改めのお祈りをしておかなければ・・・。

でも、それは人を欺いているのではなくて、
神を欺いているのだというのです。

神さまが私を赦すためにはどれほどの大きな犠牲が払われているか、
どれほどの大きな犠牲によって、私が神さまに受け入れられているか、
忘れないでいたいと思います。

神さま、
私の心を探ってください。
神さま、
私の心を守ってください。
あなたがどんなに大きな愛を注いでおられるか、
忘れないようにしてください。思い出させてください。
いろいろな出来事のなかで、
私に気がつかせてください。
あなたを欺くことがありませんように。
それに気がついた時に、すぐにあなたの元に帰ってくることができますように。

2006-10-09

大胆に

とうとう北朝鮮は核実験をしました。
アメリカやロシアや中国、フランス、イギリス、インド、パキスタンそして、イスラエル、
これらの国が持っているモノを、北朝鮮は持ってはいけない、という理由がどこにあるか、
という素朴な疑問に対する答えは、何なのか、ということはありますが、

とりあえず、直近の問題としては、
これほどの国際世論の風当たりのなかで、
それを決行したことはどういうことなのかということですね。

日本では警察官や自衛隊の人
、狩猟のために登録した人以外は銃を持ってはいけない、
というかんじでしょうか?

そうする理由はいろいろあるでしょうが、
その理由に納得しようと納得しまいと、
そう決まっていることを守らないでいることの結果は引き受けなければいけません。

国際社会には、「国家」ほどの決まりはないでしょうが、
今は、ひとまず国連があり、国際世論があります。
それはあの国の指導者には関係ない、ことなんでしょうか?
それとも単なる自分たちの自由を縛る圧力なのでしょうか?

政治のことはよくわからないんですが、
何をしでかしてくれるか、かなりコワイです。
日本に生きることもまた勇気のいる時代になったということでしょうか?

よく、朝日新聞のBe on Sturdayを読むのですが、
特にその「フロントランナー」にははっとさせられる言葉が時々あります。

リンクは貼りませんが、
10月7日号の松崎さんという自費出版で本を出す出版社の社長さんの言葉に、
はっとさせられました。

それは
「『一発当ててやろう』なんて気持ちで書いた人の思いは濁っているような気がします。」
という言葉です。

牧師が語るメッセージはある意味、コミュニケーションです。
伝わらない言葉なら意味がない。
伝わる言葉で伝えたい。
自分のなかだけで分かる言葉ではなく、
また、クリスチャンの間だけで分かる言葉ではなく、
人々に伝わる言葉で話したい。

でも、その気持ちが強すぎて、
時に、それこそ「うけをねらう」こともあるでしょう。

そこに濁りが生まれる。

とてもきつい一言だと思います。

メッセージでも月報でも週報でも、そしてこのページでも、
とにかく神さまが自分に語ってくださったこと、
そこに集中していきたいと思いました。
その思いを一番大切にしていきたいと思いました。

今日の聖書。
今日は使徒の働きの4章でした。

今日心に留った言葉は、
29節の使徒達の祈りの言葉です。

「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。」

これ、すごいですよね。

いえ、皆さんが同意しなくても、私はすごいと思いました。

脅かされて、「もうキリストの名で語ってはならない」と言われたのに、
「もっと大胆に語らせてください」って言うんだから。

祈りだったら、普通、
「彼らを黙らせてください」とか、
「困難がなくなりますように」とかじゃないのか?

ああ、自分は何年聖書読んでいるんだろう。
何年読んだら、この聖書のように考えられるようになるんだろう。

どこかの迫害されていたクリスチャンがこのような祈りの課題を挙げられた、
という話を聞いたか、読んだか、そういう記憶がある。
「迫害がなくなるように祈らないでください。迫害のなかで信仰に堅く立つことができるように祈ってください」と。
それは何てことはない、聖書の世界観なんだな。
それがクリスチャンにとって「常識」でなければいけないのに、

「すごいな」と思うのは、
やはり自分たちが甘やかされているからではないだろうか?

生ぬるい信仰でいるなら吐き出されてしまう。

主よ、
私も、大胆に語る者としてください。
どんな反対があっても、
どんな迫害がこれからの人生のなかに起っても、
大胆に語らせてください。
試練を取り去るよりも、
信仰を増してください。

2006-10-08

さんび

今日はまたたくさんの方々が教会に来られました。
とてもにぎやかでした。
子ども達もたくさんで、うれしいですね。

そして、とても幸いな礼拝となりました。
歌手の方も心からの賛美をしてくださり、
教会のみんなも心を合わせて賛美をしました。

























こんなことをしたらいけないのかもしれませんが、これは、weather.comのこの地域の今週の予報です。


金曜日の最高気温が11度C。
最低気温が3度C。

東京だったらもう12月ですよね。

冬支度を急がなければ・・・。

わくわく、ぞくぞくしてきます。

自分は寒いのは大の苦手で、
足元が冷えるのが堪えるのですが、
何でか、冬の天気には興奮します。

雪が好きなんでしょう。

水、木あたり、ミネソタ、ウィスコンシン、そしてシカゴからインディアナの北の方くらいまで
雨が雪に変わる予報が出ていますね。

これからお天気ネタが増えることでしょう。

今日の聖書。
今日は使徒の働きの第3章でした。

足の不自由な男の人がペテロによって癒やされて、
歩き出すところですが、
その中で、彼が賛美を捧げている様子が書かれているところに目が留りました。

「人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。そして、これが、施しを求めるために宮の『美しの門』にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。」(9-10)

人々を驚かせるような賛美。
その様な賛美を自分は捧げているだろうか、
神さまにふさわしい賛美を捧げているだろうか?

ただ、自己満足のために、
自分が大きい声を出して気持ちがいい、というためだけに、
歌を歌っていないだろうか?

歌はいい。

でも、賛美は神さまにささげるもの。

カラオケで発散させるのはいい。

でも、いつだったかな。とても虚しいものを感じたことがある。
日本で高校生の付き添いをねだられて、行った時かな。
カラオケボックスで歌いながら、
なんだろうなあ、と思ったことを思い出した。
歌詞と心が一つになっていなかったんだね。
好きな歌だったのに、どうしてか、自分の気持ちとぴったり行かなかった。

やっぱり賛美はいい。

心から捧げられるからいい。

心から溢れる賛美を捧げたい。

そう思いました。

神さま、
今日の一日を感謝します。
あなたと共に歩んだ一日に感謝します。
教会で過ごした一日に感謝します。
これからの歩みの中で、
日々、心に賛美がわき上がってくるような、
人々が驚くような、
その様な賛美をさせてください。
必要な休息を与えて下さい。


2006-10-07

聖霊が注がれる

あっという間に夜です。
でも、今日は何か気分がいいです。

というのは、日本から帰ってきてからずっと気になっていた、
バスルームの蛇口からポタポタと流れ出るお湯。
どんなに締めても止らなかったんです。
そして、自分で直そうと思っても、ねじ山が潰れたり、
中の構造がどうなっているか今ひとつ分からなかったりで、
時間がかかっていたのですが、
今日、ねじ山が壊れたヤツを何とか壊して、
分解して、元に戻してみたら、何と水漏れが止ったではありませんか。

うーん、不思議。

どうしてか分かりません。

どうして水漏れしていたのか、
どうしてそれが止ったのか、
分かりません。

でも、とにかくよかった。


いろんなモノ分解するのは好きですが、
分解して、元に戻らなかったら、どうするんだろうと思いますよね、

特に水回り。

だって、
分解して元通りにならなかったら、元栓開けられないし、

元栓を止めたら家中の水が出ないし、

お客さんもいるのにどうしよおおおお!

と恐る恐るでした。

めでたしめでたし。

今朝の祈り会、よかったですよ、人数は少なかったですが・・・。

教会堂が与えられるように祈りました。

天の窓が開かれて、すべての必要が満たされますように。

私たちの神さまは全能の神さまですから・・・。


ということで、今日の聖書箇所。
今日は使徒の働きの2章を読みました。
ペンテコステのところ、聖霊様が教会に注がれたところです。

その中で、

18節の言葉が心に留りました。

「その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」

聖霊様が私たちに注がれている。
私たちには聖霊様が与えられていることは確か。

でも、本当に「注がれている」ということができるんだろうか。
満たされていると言うことができるのだろうか。

もっともっと求めることを主は望んでおられるのではないだろうか?

「注がれているんだからいいんだよ」という態度は違うのではないだろうかと思った。
もっともっと主よ、注いでください、と思わされた。
ただ、このペンテコステの時に起ったようなすばらしい神の業が起るようにと願った。

主よ、
どうか聖霊様を与えて下さい。
注いで下さい。
満たして下さい。
そしてあなたのことを語らないでいられない者としてください。
今夜の休みを祝福し、
明日、喜びに満たして、礼拝を守らせてください。



祈りに専念する

昨日からぐーんと涼しくなりました。
この週末から来週前半くらいはまあ、
こんな感じか、もうちょっと暖かいようですが、
来週後半からぐーんと寒くなるみたいです。

まあ、もう再来週は10月後半ですから・・・。

今から13年前かな。93年の10月はアトランタにいましたが、
そのハローウィンにはアトランタで小雪が舞っていましたから・・・。

昨日の午前中の集会のあと、
何でか熊の話になって、
北海道に行った時の「熊に注意」の看板のことを思い出しました。

今から15年前。
日本の教会で副牧師をしていた時。
主任牧師の先生に許可をもらって、
若者達を連れて車で北海道の教会を回る旅に行きました。
観光と「伝道」をかねて・・・と思ったのですが、
実際のところ、北海道の教会の皆さんに励まされる旅でした。

熊の看板があったのは支笏湖のそばの「苔の洞門」
写真がどっかにあると思うのですが・・・
家の中を捜すよりwebを捜した方が早いので・・・
これです。

これ、下の方の「それでも熊に出会ったら・・・」っての、
けっこうインパクトありました。
だって、「これはダメです」「これをすると襲われる」って感じで、
じゃあ、いったいどうしたらいいの?と思いますよね。
「死んだふり」も「木に登る」ってのもダメなんですよね。

まあ、総合的に読むと、
「目を離さないで、背中を見せないで、熊が興味を持ちそうなモノを落としながら後ずさりする」
ってことでしょうか?
でも、最後の文章を読んでも、「時間が稼げます」で終わっているところがコワイ。


昨日は「蜂蜜持っていったらいいんじゃない?」という話もありましたが、
熊に出会ってから、カバンの中を捜して、蜂蜜を見つけて、そのふたを開けて・・・ってやってられるかなあ、と思います。


まあ、熊に出会うって、大変なことなんですよね。やっぱり。


お気をつけください。


NJで出る熊はヒグマほどこわくはないんでしょうが・・・。


金曜日の聖書。
「使徒の働き」に入って第1章。
口語訳では「使徒行伝」、新共同訳では「使徒言行録」
でも、今回は新改訳で読んでいるので、「使徒の働き」です。

1章の14節の言葉が心に留りました。

「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、
みな心を合わせ、祈りに専念していた。」

「祈りに専念する」
ってすごいですよね。

そのことだけやっていた。
自分はやったことあるだろうかと、振り返らされた。
いろんなことに追われて、
祈る時がまた貧しくなっていないだろうかと。

今読んでいる本のように、
「祈れないほど急がしい?」
ってか。

今日は明日の礼拝のために祈りながら、説教の準備をしていますが、
そういうことを抜きにして、祈る時、必要だと思います。

「祈りに専念する時」必要だと思います。

神さま、
また祈りに招いてくださってありがとうございます。
祈ることに専念する時が自分には必要だと思います。
どうか今晩の祈りを、
明日の朝の祈りを豊かな一時としてください。
あなたにお会いした喜びと感謝に溢れて、
明日の礼拝で皆さんにお会いすることができますように。

終わっちゃいましたね

なんか、あっけなくおわっちゃいましたねえ。
ものすごいメンバーだったんですがね。
2戦目で逆転されてから、全然打てなくて。
勝負の世界はわからないもんです。
でも、勝ち負けだけではなくて、
エキサイトする瞬間が全然なかったのが、残念だったかな。

まあ、寝不足とかにならなくていいんですが・・・。

あとで、昨日の分と今日の分、更新します。(^_^)

2006-10-06

今日はお休み

今日は遅くまで集会でしたし、
明日は早朝祈祷会ですので、
今日の更新はお休みです。

また明日。

また負けましたね。

もう後がありません。
明日はしっかり勝って欲しいな。

2006-10-05

主の栄光をあらわす生き死に

今日、野球は昼間だったんですね。
負けちゃったみたいですね。

明日も集会中ですね。

まあ、いいか。

朝の集会はたくさんの方々が来られて、
また歌とお話もとてもよかったです。
その後も、皆さんゆっくり過ごされました。
感謝。

明日の朝は歌手の方は他の教会に行かれます。
私の方は自分の教会の集会です。
それもまた楽しみです。

今日はさっそく聖書の言葉。
ヨハネによる福音書21章を読みました。
ヨハネによる福音書の最後の章です。

そこに、ヨハネ自身の注釈がイエスの言葉に付けられています。
「これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。」
19節の言葉です。

イエスが、ペテロがやがて手を縛られて、行きたくないところに連れて行かれるだろう、
とのイエスの言葉に対して、ヨハネが書いた言葉です。

「神の栄光を表す死に方」と言うことを考えさせられました。

今週の月曜日はペンシルベニア州のアーミッシュの村で、
学校に押し入った男に5人の女の子が殺されるという痛ましい事件が起りました。
手足を縛られて、黒板の前に並ばされて、
処刑をするように撃たれていった女の子達、
想像するだけで、本当に心が痛みます。

自分の子供がもしもそんな目にあったらと思うと、
また自分自身がもしもそんな目にあったらと思うと、
恐ろしくて、体が震えます。

でも、犠牲者の家族はアーミッシュの信仰の中で、
神の御手を信じました。
犯人への憎しみを口にしませんでした。
犯人の家族が弔問に来ることをも、拒みませんでした。

納棺の時に、遺体を前にして、犠牲者のおじいさんが、
「決して、これによって、犯人への憎しみに支配されてはいけない」と語ったそうです。

また、犯人、彼にも熱心なクリスチャンの妻がおりました。
3人の子ども達もいたと言います。
彼らはどんな思いで過ごしているでしょうか?
でも、そこにもサポーターが与えられて、共に祈る仲間や牧師が与えられているそうです。

昨日の夜のCNNのLarry King Liveで、
犠牲者、加害者を取り巻く多くの人々が、インタビューを受けていました。

当然憎しみを感じていいところで、
憎しみを感じても、誰にも非難されないところで、
あえて憎しみに支配されないで生きる彼らに、
心からの尊敬を覚えました。


私は「神の栄光を表す死に方」をできるだろうかと思いました。

私の死によって、人々の心が神さまに向くような、その様な死を経験したいと思いました。
もちろん、それは私自身が見ることはできないのですが・・・。
自分にはどうにもできないことですが・・・。

だから、神さまに助けて頂きたいと思いました。

主よ、
どうかわたしがあなたの守りによって、
あなたの助けによって、
「神の栄光を表す死に方」をすることができますように。
神さま、私を助けてください。

そして、生きている時にも、
もっと神さまの栄光を表すような生き方ができますように。

2006-10-04

なぜ泣いているのか

中止になっちゃいましたね。野球。
まあ、お天気牧師的に言えば、正解。
今11時ですが、我が家の方では雷が鳴って、激しく雨が降っています。
やってたら、終わるのは夜の2時とかになっていたことでしょう。

明日の夜の方がゆっくり見れるし・・・(自己中心)・・・
いや、待て、Back to School Night、最後の1人のが残ってた!帰るの10時前だ・・・。
でも、まあ、10時から見るくらいがちょうどいいか。

今日の夜はゴスペルシンガーの方が、NYの日系人会のホールで歌って下さいました。
声の調子は悪いようでしたが、
その歌と語りの中にとても力強いメッセージが込められていて、
集われた方は一握りだったのですが、後で伺うと、お1人1人にとってタイムリーな集まりだったようです。
感謝。

だから、結局人数ではないんですよね。
もちろん、いつもいつもたくさんの方々に来て頂きたいけれども、
おいでになれた1人1人にとってそれがいい時になれば、それがいいことなんですよね。
神さまがその様にして下さったんだと思いました。

朝の集まりにはたくさんの方が来られていましたが、
出かけにいろいろ作業をしていたので、遅刻。失礼しました。
次回からは「パンクチュアルかきごおり」をめざしてがんばります。

今日の聖書。
ヨハネによる福音書20章です。

今日、心に留ったのは、泣いていたマグダラのマリヤに、天使達と、復活したイエスが語った言葉、
「なぜ泣いているのですか」という13節と15節の言葉です。

私たちは、いかに「泣かなくていい」場面なのに、目がふさがれているがゆえに、泣いていることがあるでしょうか?

本当は神さまの御手が、広げられて、私たちが守られているのに、
不安を感じて、慌てていることがないでしょうか?

泣かなくていい。主はその様に言われます。
大丈夫だよ、と言われます。

でも、私たちの目はふさがれている。
私たちの耳は鈍感になっている。

神さまの存在が見えない、
神さまのみ声が聞こえないんですね。

「なぜ泣いているのか」

今も、私たちに語られていると思いました。
私自身に語られていると思いました。

神さま、
あなたが今も共にいて、
「なぜ泣いているのか」と聞いて下さる方であり、
「泣かなくてもいいんだよ」と語ってくださる方であることに感謝します。

私の心の目を開いて、物事の本質が見えるようにしてください。
私の心の耳を開いて、あなたのみことばが分かる者にしてください。

明日の集会の上にも、祝福をいっぱい満たしてください。


2006-10-03

家族とされて

昨日は更新後、間もなく床について、
今朝までぐっすり休みました。

うーん、一日おきですねえ。

今日はお約束の野球を最後の方だけ見て、
その後、明日の朝の集まりの準備をしながら、一冊の本を読みふけって、
遅くなってしまいました。

明日の朝の集まりは、他の教会のプログラムなのですが、
どちらかというと「聖書を読む」ということが目的ではなくて、
文化クラスの最初の15分間、聖書の話をする、というプログラムなので、
いろいろ作戦を考えさせられます。

「ああ、15分遅れていくくらいがちょうどいい」なんて絶対に思われないようにと、
ちょっと意地になっているかも・・・。

なんか、「常識にくさびを打ち込む」みたいな話ができればいいなあ、と思います。
私たちは「これが常識だ」と思っていることがいろいろあります。
でも、こうやって、日本で育って30年くらい経って、アメリカに住んで14年くらい。
ん?足し算するとちょっと多すぎですねえ。でも、まあ、それくらい。
日本では「これ常識」というものが、アメリカではとんでもない話だったりしますよね。

最近一番戸惑うのが、
「つまらないものですが・・・」と贈り物をする日本の習慣。
こちらでは絶対変ですよね。
「何で私につまらないものなんかくれるの!?」ですよね。

逆に「すごいいいのなんだよ!開けて開けて!」って感じ。
自分の場合、完全にアメリカナイズされている訳ではないんですが、
日本式にもものすごい抵抗があります。
でも、やっぱり日本ではそう言っちゃうんですよね。
もちろん、タメ口の親友とかだったら別ですが・・・。

まあ、その手のことなら、「郷に入りては郷に従え」なんでしょうが、

「絶対」だと思っていたことが、異文化に触れることによって「絶対」じゃなくなっちゃうんですよね。

聖書に触れても、そんなことが起る、それをお話しできればと思います。

だから、もう少し作戦を考えてから休もうと思っています。

今日の聖書はヨハネによる福音書19章でした。
イエスが十字架にかけられる場面です。

その中で、今日心に留ったのは、26-27節の十字架の上からのイエスの言葉です。
ヨハネに対して言った「子よ、これがあなたの母です」
マリヤに対していった「おかあさん、これがあなたの息子です」
言葉です。

十字架の上で、イエスは弟子のヨハネに「お母さんを頼むよ」、母親に「これがあなたの息子だからね」と言われたのです。それは一見、「自分が死んでしまうから、お母さんを頼むよ」という言葉に見えますが、それ以上の意味を持っている言葉です。

私たちは十字架の下で、周りの人々を「この人を頼むよ」とイエスから言われているのです。

十字架の元で一つの家族にされて、
お互いの存在を任されているのです。

自分はどこまでそれを本気に受け止めているだろうか、
それをどこまで真剣に受け止めているだろうかと思います。

「個人主義」「プライバシー」・・・それは尊重したいと思います。
でも、その上で、お互いを「神さまから任された存在」として、
一つの家族とされた存在として、
受け止めているだろうかと思ったのです。

教会ではお互いのことを「兄弟姉妹」と呼びます。
○○兄弟、××姉妹と呼んだりします。
でも、それは単なる「夫の方か妻の方か」を言い分けるための便宜上の呼び方になったりすることもあります。
「田中さん」がご夫妻で教会に来られているとしましょう。
そのご主人の方を指す時に「田中兄が・・・」と言って、
奥さんの方を指す時に「田中さん、田中姉の方がさ・・・」
と言ったりします。

でも、本当にお互いを兄弟姉妹として、言葉だけではなくて、受け止めているだろうかと。

家族として、受け入れているだろうかと。

愛することを、敬うことを、尊敬することを、信頼することを
教えて頂きたいと思いました。

神さま、
あなたが私の人生に与えて下さった、
私に与えて下さった、兄弟姉妹を心から感謝します。
どうか、私がその兄弟姉妹を本当に主にある家族の1人1人として、
受け入れ、愛し、尊敬していくことができますように、
本当に、痛みを覚える人がおられたら、
その痛みを、自分の痛みとして感じることのできる者にして下さい。

明日の朝の集まりを祝福して下さい。


2006-10-02

イエスは私たちの王

今朝はまた朝3時に目が覚めました。
一日おきに「よく眠れた!」「ああ、起きちゃった・・・」が繰り返されています。

でも、今日3時に起きたのは、
何か神さまの目的があるんだろうと思って、
ガバッと起き出したら、やっぱり意味がありました。
詳しくは申し上げられませんが・・・。

いつも「夜中に目が覚めるのは、神さまが『起きなさい』と私たちに誰かのために祈らせるために起こしているんですよ」と言っていますが(本当にそう信じています。不眠症の方には不評ですが、それでも、そう信じています)、今朝は「ああ、本当にそうなんだな」と思いました。

神さま、ありがとう。
起こしてくれて・・・。

でも、今日は夜8時にして、もう眠いです。
午後3時頃からずっと・・・。

朝2時間、夕方2時間のドライブだったのですが、
帰りは30分くらいでギブアップ。カミさんに交代しました。

ですから、今日は更新、いつもより早め。
たぶんまた早めに夢の国に旅立ちます。

今日読んだのはヨハネによる福音書18章でした。
イエスが逮捕されて、裁判を受けるところです。
その中で、イエスが、ローマ帝国から派遣されていた総督ピラトに、
「おまえは王なのだな」と聞かれて、
「そのとおり、わたしは王です」と答えたくだりが、心に留りました。

イエスは王になるためにこの世に来られました。
それは武力で人々を治めるためでもなく、
経済力で人々をまとめるためでもありませんでした。

自分を私たちの罪の身代わりとして与えて、
私たちの罪を赦し、愛によって支配するために、
愛によって私たちを支配するために来られたのです。

今、私はこのイエス・キリストを王としているだろうか、と問われているように感じました。

本当に王にしているだろうかと。

生活の中心をこの方にしているだろうか?

この方を第一にしているだろうか?

昨日の礼拝の中で、献金の感謝の祈りを捧げた方がお祈りされていたように、
お金も、健康も、才能も、時間も、すべて神様のもの、
その様に生きているだろうか?

この方を「王」とすることの意味を、具体的に、
一つ一つ教えて頂きたいと思いました。

一つ一つの場面で、「ああ、私はイエスを王としているだろうか」「この決断は、イエスを王としていることと矛盾しないだろうか」と問うて歩んでいきたいと思いました。

忘れやすい、私です。

一瞬一瞬、イエスさまが王であることを覚えていたいと思いました。

神さま、
イエスさまが私の王でいてくださることを感謝します。
具体的に、私の生活の中で、
何が、「イエスを王とする」ことなのかを、
教えてください。
一つ一つの決断の場面で、
「イエスを王である」という前提で、決断をしていくことができますように。
傀儡の王ではなくて、形だけの王ではなくて、
「王」の権威を語ってわがままをするのではなくて、
あなたを本当の王としてあがめていけますように。

2006-10-01

一つになる

3週間ぶりのJCCNJでの礼拝。
やはり「帰ってきた!」という感じです。
心から主を賛美しました。

今日のメインイベントは、

洗礼式。

1人のご婦人が洗礼を受けられました。

祈られてきた、1人のクリスチャンの方のお母様。

喜びの中での受洗となりました。

その前の一つの集まりで数年前に洗礼を受けられたある方がおっしゃってたこと。
「私が洗礼を受けて変わったことが一つあります。それは次に洗礼を受ける方が起った時に、
それがとてもうれしかったことです。それは私にとって、驚きでした。」
感動しながら、その一つ一つ言葉を選んでお話になる言葉を聞いていました。

神さまのなさる奇跡ですね。

今日、洗礼を受けられた方は、
住んでおられるところがちょっと遠いので、
いつもいつもご一緒に聖書を読んだり、
礼拝を守ったりできないことが、
ちょっと残念+心配でもありますが、
「主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。」(使徒29:32)の思いで、
祈っていきたいと思います。

みことばが守り、導き、支えて下さいますように。

今日の聖書は、ヨハネによる福音書17章です。
最後の晩餐の中で、イエスが祈られた祈りです。
神に弟子たちの守りを祈られた言葉が書かれています。

その中で、今日、私の心に響いてきたのは、
20節の言葉です。

「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。」

ここで、イエスが祈られたのは、弟子たちのためだけではなくて、
私たちのためでもありました。
いつも聖書を読む時には、弟子たちへの言葉は私たちへの言葉として受け取ります。
でも、このイエスの言葉は、直接的に、私たちのために祈られた言葉なのです。
感動を覚えました。

イエスさまが私たちのことも心にかけて祈って下さった。
私たちのことも心にかけておられる、ことが本当によくわかりました。
そして、その祈りは「彼らが一つになることです」という祈りです。

「一つになる」

そして、私たちが一つになった時に、周りの人々にたいする影響を持つことができるというのです。

どうすれば一つになれるのでしょうか?

それを思いめぐらしました。

それは誰かが大きな声を出して、
他の人がその人を恐れて黙ってしまうことによる一致ではないはずです。
余りお互い言いたいことを言わないで、「いいでしょう」という一致でもないはずです。

神さまの前にへりくだる一致。
神さまの前にひれ伏す一致。
それを求めていきたいと思いました。

自分の願い、自分の夢、自分のビジョンがすべて砕かれて、
神さまの御心を求めていく中での一致。

主がそれを与えて下さることを祈っていきたいと思いました。

主よ、
あなたが私のことを、私たちのことを心にかけて下さっていることに感謝します。
どうか、あなたが祈られた一致を、私たちに与えて下さい。
あなたの前にへりくだった一致を与えて下さい。

2006-09-30

勇敢でありなさい

9月最後の日ですね。
ものすごい勢いで9月が駆け抜けていきました。
このまま、気がついたら、「ああ、もうクリスマスか!」なんてことになっているかと思って、
恐くなります。

ちなみに今年は「クリスマス・イブ」が日曜日。
さて、どんなプログラムになるのでしょう・・・。早く英語の先生と打ち合わせしとかなきゃ。

昨日の夜は、「時差ぼけなんて関係ない!」と豪語していたのですが、
その後夜の1時半にに寝たのに、目が覚めたのは午前3時。
そして、午後やたら眠い。

うーん、完璧昼夜逆転ではありませんか・・・。

今朝はとても寒くなりました。
予想の7度Cをさらに下回って、家の温度計では5.5度Cまで下がりました。

どんよりと曇って途中から小雨も降る一日でした。

うーん、雨男かな。

明日の日曜日も雨の予報が出ています。
それもかなり本降りのようです。

昨日、かなり気合いが入って長くなってしまったので、
今日はあっさりと・・・

今日の聖書はヨハネによる福音書16章でした。
「最後の晩餐」でのイエスの話のまとめの部分です。

「私が去っていっても、別の助け主、すなわち、聖霊を送るから、心配するな」という話です。

その中で、今日一番心に響いたのが、
最後の聖書の言葉です。
「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」33節。

この「勇敢でありなさい」という言葉に励まされました。
私は本当に小心者だと思います。
臆病だと思います。
だから、このような言葉が必要なんだろうと思います。

「勇敢でありなさい」

恐れなくていい。
おもいわずらわなくていい。
勇敢に進んで行きなさい。
その様に語られたように感じました。

いろんな苦しいことや、
悩むこともあるかもしれない、
でも、そんな中でも、「私はもう勝っているから」という方がおられるから、
そうなんだよね。
もう勝負はついている。
だから、心配しなくていい。

大胆に進んでいこうと思います。

主よ、
あなたと共に過ごす時の幸いを感じます。
いろんなことで心が乱れます。
あなたの御声をいつもいつも聞きながら、
進んでいくことができますように。
他の雑音に捕らわれてしまうことがありませんように。
みことばにいつもいつも聞いていくことができますように。

2006-09-29

友と呼ばれて

NJに戻ってきてから30時間くらい経ちました。

昨日は12時に寝て気がついたら9時でした。ちょっと寝坊。
でも、おかげで時差ぼけは軽くて済みそうです。

日本にいた時には、「NJに帰るのかぁ」って感じでしたが、
今は、もう2週間あまりの日本での滞在の現実感が薄れ始めています。
「2日前には日本にいたんだよねえ・・・」という感じです。

日本では、コンビニだけじゃなくて、100円ショップも行きなよ・・・と言われたのですが、
一歩も足を踏み入れられずに終わってしまいました。

ちょっとだけ、残念。

コンビニは初日に行ってから、なかなか行く用事もチャンスもなかったのですが、
最終日の前の日、ちょっとだけ立ち寄りました。

そしてちょっと捜したのが、男物のパンツ。

そう、パンツ。

英語のpantsではなくて、日本語の「パンツ」。

やっぱりちゃんとありましたよ。

そう、確か日本のコンビニにはあるよなあ、と思っていました。

実は・・・

9月2-4日のファミリーキャンプ、1日早く行っていたのですが、着く前に気がついたことがありました。

英語のpants、日本語の「ズボン」の替えを持ってこなかったことに・・・。
ヤバイ、3泊だもんなあ・・・すぐ食べ物こぼすしなあと思いつつ、ホテルに向かいました。

そして、カバンを開けて、「やっぱりないよなあ・・・」と思いつつ調べて、
もっとすごいことに気がつきました。
日本語の「パンツ」の替えを忘れたのです!

これはヤバイ!

話には、「2日目には裏返して、3日目には前後ろを逆さまにして、4日目には・・・」と言いますが、
さすがにそれは無理でしょう・・・。

・・・

うーん、やっぱり、さすがにね。(おい、考えるな!)


救いは何もない砂漠のど真ん中、ではなかったことです。
車で10分走れば、ショッピングモールがある。
でも、2日の午後のプログラムが始まってしまったら、もう買い物になんか出る暇がない。
でも午前中も牧師の研修会があるし・・・

と思って思いついたのが、

普通のグローサリーストア(スーパーマーケット)にも、
ちょっとは置いてあるだろう・・・。
大体7時頃から開くだろうから・・・。

と朝早く行ってみました。

でも、ない。

靴下止まりです。

靴下はあるんだけどなあ・・・。

下着も、お店によっては、なぜか、女ものならあります。

・・・・

でも、それもヤバイよなあ・・・。
(だから、考えるな!って)
てゆうか、それは「履かない」よりももっとヤバイでしょう。

帰り道に目に留ったのは「7イレブン」。
開いてる。一応アメリカでも7時には開くみたいです。ハイ。

ちょっと期待して、入る。・・・だって、確か日本の「7イレブン」にはあったから・・・「パンツ」。

入ってすぐ、「あ、こりゃダメだ」と気がつく。

典型的なアメリカの「7イレブン」より、さらにモノがない。
なぜか軍手はあるが、「パンツ」はない。
ソーダマシンはでかいのがどーんとあるのですが、
肝心の「パンツ」はないんですねえ。

ちょっとでも期待した自分の愚かさを感じました。

結局、牧師研修会をちょっと中座して、10時から開く店で買ってきました。「パンツ」と「pants」。

うーん、最近、ちょっと忘れ物がひどすぎるかな。

でも、そんな時、日本のコンビニがこっちにあったら・・・とマジ思います。

今度近所に「日本のコンビニがオープン!」とかあったから、
今度調べてみよう。ちゃんと「パンツ」があるかどうか・・・。

今日の聖書はヨハネによる福音書15章でした。
最後の晩餐の中のイエスの言葉が続きます。
今日のところは「私はまことのぶどうの木、あなたがたはその枝です」というところです。

その中で、イエスの次の言葉が心に留り、祈らされました。

「わたしはあなたがたを友と呼びました。」
15節の言葉です。

イエスさまが私のことを「友」と呼んでいてくださる。
友と呼んで親しく過ごそうとしておられる。
それなのに、私は神さまとの時をどれくらい楽しみにして毎日を送っているだろうか?

祈りの生活がもっともっと豊かなモノになるようにという熱い思いが与えられた。
もっともっと親しく神さまと時を過ごしたい。
もっともっと豊かな時を過ごしたい。
その様に思いました。

そして祈りました。
あなたとの交わりの時を、
あなたに祈る時を、もっとゆっくり、もっと豊かに持たせてください、と。

日本で教会図書用に買ってきた、
「祈れないほど忙しい?」という本、
まず、皆さんに回す前に最初に自分から読みたいと思い、読み始めました。
自分にこそ、本当にそれが必要だと思いました。

主よ、
私を祈りに導いてください。
あなたがせっかく「友」と呼んでくださったのですから、
あなたと共に時間を過ごさせてください。
あなたと共に歩む喜びに溢れさせてください。
霊的なものに、あなたの愛に、あなたの導きに私の焦点を合わせていくことができますように。

2006-09-28

ほんの一握りの人にでも

その3

半分くらいまで来ました。
NJ時間で木曜日の朝の9時半頃です。
今日は祈り会の日ですね。
皆さんが集まって祈って下さっていることに心から感謝します。

木場深川教会でも木曜日の朝に祈り会をしてから出てきました。
TCATまで車で10分くらいのところに実家(=教会)があるので、
4時過ぎの飛行機に乗るためには、11時半頃出ればいいのです。
そこで、「10時からの祈り会でメッセージをして行きなさい」ということになった訳です。

10人くらいのご婦人方が集まっておられました。共に祈りました。
その輪に加えて頂けることはうれしいことです。
またご奉仕をさせて頂くこともうれしいことです。

教会の原動力は祈り。
何度も語ってきました。
でも、自分の祈りの生活はまだまだ貧しいなあと思います。

今回も日本に来て、皆さんにお会いしたり、お電話でお話しする中で、
「祈っていますよ」「祈りますからね」と言わないではいられない、
決して単なるご挨拶ではなくて、祈りたいと思わされる状況があります。
日々の祈りの中で、お一人ひとりのことを祈り続けたい。おぼえ続けたい、そのように思います。

今日のNJでの祈り会の祝福を祈りつつ。

やっと追いつきました。
木曜日、今日の聖書箇所。
ヨハネによる福音書14章です。
ここも最後の晩餐でのイエスの言葉が書かれているところです

その中で、弟子のひとりが言った言葉が目に留りました。
22節です。

「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」

どうしてなんだろう?と思いました。
イエスはたくさんの人々に語られました。

でも、弟子たちには特別に語られました。
特別にご自身の深い思いを分ち合われました。

それがイエスの方法だったのだと思います。

私もそのようにさせて頂きたいなあ、と思いました。

一度にたくさんの方々に語ることも大切な働きだと思います。
たくさんの方々が神の愛を知り、イエスを「主」として従っていく歩みに導かれたらいいと思います。

でも、それと共に、ホンの一握りの人々だけかもしれない、でも、本当に深い深い神さまの愛を分ち合っていく、
そのような伝え方ができて、その聞いた人々がまたホンの一握りの人々かもしれない、でも、本当に深く深く、神さまの愛を分ち合っていく、
それが広がっていったらいいなあ、と思います。

有名な話です。

王様が3人の娘に何でも欲しいものを言いなさい、と言われました。
上の2人はたくさん求めました。何だったか忘れました。

でも、一番下の娘は1日目にはコインを1枚、2日目には2枚、3日目には4枚と毎日倍々に増やしていって、それを1ヶ月間続けて欲しいと言いました。
王様は、「何だそんなんでいいのか?」と思いました。
でも、1ヶ月経った時に、姫はコインを何枚もらっていたんでしょう?ちょっとエクセルで計算してみますね。

1073741823枚
10億7374万1823枚です!

すごい!

そのコインが1円玉でも10億円ですよ。
10円玉だったら100億円。
100円玉だったら1000億円です。

ネズミ講が禁止されているのは当然。
チェーンメールをやってはいけないのも当然ですね。

でも、すごいですね。
だから、一遍にたくさんの方々に語れなくてもいい。
確実に何人かの方々に伝えていけば・・・。そう思います。
そしてその何人かの方々が同じように、何人かの方々に語りたい!と思うように導かれていく。それが大切なんだなあ、と思います。

主よ、
どうかわたしを用いて下さい。
派手な働きはできなくてもいいです。
ホンの幾人かでも、確かに福音を伝えることができますように。
そしてそのひとりひとりが確かに福音を伝える器に整えられていきますように。

愛すること

飛行機の中その2。

今アラスカ上空にさしかかったところです。

アラスカと言えば思い出すことがあります。

今から11年前かな。
学生でNJに住んでいました。
このころはほとんど毎年、日本に帰ってアルバイトをして学費と生活費を稼いでいました。
といっても、国家資格を持っているカミさんの方がすぐ決まって、
私の方は日曜日の新聞に折り込まれる求人情報から短期バイトを探したり、
お中元バイトをしたりしていました。
翻訳の仕事もちょっと・・・。

そんなんだったので、
一度、なるたけ安く帰ろうと、Korean Airのソウル経由便というのを使いました。

直行便より、ひとり100ドルくらい安くて、4人で400ドルくらい。バカにできません。

でも、1歳と4歳を連れて、さすがにきつかったですね。
九州の方とか、成田経由もソウル経由も変わらないでしょうが、
どうせ成田に行くのに、何でソウル経由?って感じでした。

行きは、JFK→ソウル→成田だったのですが、
帰りは、成田→ソウル→アンカレッジ→JFKだったんです。

それで、アンカレッジの空港内でぶらぶらした、それが唯一のアラスカ経験です。

これからはオーロラの季節でいいんでしょうが・・・いつか見てみたいです。オーロラ。

本題はこれから・・・

この時、チケットを買ったのが、
新聞に載っていた無名の旅行会社。
それもクレジットカードは取り扱わない、と言います。
あやしい。
そんなの絶対にやめたほうがいい・・・と今では思います。
でも、このころ、やっぱり400ドルに目がくらんでしまったんですね。
3000ドルか2600ドルかって感じなんですが、2600ドルを取ってしまったんです。

チェックを送ったのですが、
チケットが待てど暮らせど送ってこない。
電話をすると、「明日送るから・・・」
3日経っても送ってこないから、もう一度電話すると「明日送るから・・・」
そば屋の出前状態・・・(おそば屋さんゴメンナサイ、本気ではないですよ。慣用句です。)
もうそれからは毎日電話しましたよ。「今日送ったか?」「明日送る・・・」「今日は送っただろうねえ」「明日送るから・・・」
これ以上待ったらヤバイ、というか、もう飛行機まで何日もない・・・
とうとう、「いいから、取りに行くから・・・」とNorth Bruinswickのオフィスまで取りに行きましたヨ。

ところが受け取ったチケットは見たこともない、「手書きのチケット」。
「ホントに大丈夫かい?」と飛行機に乗るまでハラハラしました。
無事に乗れた時、どんなにうれしかったことか。

でも、話はそれでは終わりませんでした。

8月の終わりにNJに帰ってきたのですが、
10月か11月か、警察から手紙が来ました。

「North Buinswickの××旅行会社を営業していた○○は、詐欺容疑で摘発された。オフィスを捜索したところ、あなたの名前が顧客リストにあったけれども、あなたは被害に遭わなかったか?」

ぞっとしましたねえ。

そして、しつこく「まだか」と電話し続けてよかったと思います。

それから、新聞広告は信じません。どんなに安いチケットが出ていても、信じません。
「クレジットカードは取り扱わない」という旅行社は決して使いません。ってゆうか、今は日系しか使っていません。

長くなりました。

水曜日の聖書。
ヨハネによる福音書13章を読みました。
最後の晩餐に入りました。
イエスが弟子たちの足を洗って、そして語られるところです。

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」

この34-35節のイエスの言葉が心に留りました。

愛し合うこと。
それがイエスの弟子のしるし。
まず、夫婦のことを考えました。
愛することを教えてください。と主に祈りました。

そして、教会の皆さんのことを考えました。
自分のことで精一杯になりやすい自分。
本当に人を愛することを教えてください、と主に祈りました。

そして、NJに住む日本語を使う方々のことを思いました。
もっともっと神さまの愛を伝えたい、出会いの場を与えて欲しいと祈りました。
日本の方々のことを思いました。
祈ること、声をかけること、お便りをすること、お電話をすること、
具体的に何かをすることの大切さを思わされます。

主よ、
愛することを教えてください。
あなたが私を愛してくださったその愛で、
人を愛することができますように。
あなたが愛してくださったような愛し方を私にもさせてください。
自己中心な者です。
自分を与える愛を与えて下さい。

神の御心を求めて

日本での2週間を終えて、
飛行機の中です。

更新はNJに着いてからですが、
できる限り追いついていたい+例によって飛行機の中ではほとんど眠れないので、
今のうちに書いておきます。

今日の成田は混んでました。
今まで経験のない様な混み方。
特に乗った飛行機会社が、10分間隔で、ヒューストン便、グアム便、ニューアーク便と連続していたからでしょうか。

チェックインまでに1時間はたっぷりかかりました。

今回ばかりは「3時間前までに空港へ」というPRはまんざらでたらめでもないなあ、と思いました。

火曜日の聖書。
ヨハネによる福音書12章です。

イエスがいよいよ十字架に向かって進んでいくところです。

その中で心に留ったのはこの言葉。

「彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。」

これは、イエスを心では信じたのに、周りの人々を恐れてそれを公に言い表すことのできなかった役人達のことを指してヨハネが記した言葉です。

神からどう思われるかよりも、人からどう思われるかを第一に考えてしまう私たちの弱さ。甘え。
神さまは目に見える訳でもなく、耳に語りかける訳でもない。
でも、人の言葉は耳に響く、人の顔色はよくわかる。

だから、

「神さまは赦してくださるよ」と勝手に考えて、言い訳をして、
人にどう思われるかの方を優先していないだろうかと思わされた。

神さまを求めながら、
神さまがどう思われているかを聖書に求めながら、
歩んでいきたいと思う。

神様の喜ばれることを求めていきたいと思う。
それも、また「自分勝手」になりやすいことも思わされる。

自分の願いを神さまの御思いに押しつけて、
人の声を聞こうとしない。

ああ、自分はどこまで身勝手で、どこまで人を恐れる人間かと思う。

本当に純粋な気持ちを与えて欲しい。
人を恐れない勇気を。
そして、自分のわがままに陥らない謙虚さを。

主よ、
助けてください。
私はいつも「自分勝手」と「人の顔色を恐れる」ことの狭間に揺れていないでしょうか?
「人のことを考える」と思っている時も、結局人のことを考えているのではなくて、
「自分がどう思われるか」を第一に考えて、逃げている時があります。
どうか、あなたの御心を純粋に求めるものとしてください。
あなたのみ声を聞かせてください。

2006-09-27

「死」への勝利

いよいよ今日、NJに戻ります。
24時間後にはNJの地を踏んでる訳です。
今回の日本、2週間余りでしたが、
かなり短く感じました。

お会いできた関係者は60人くらい。
お会いできなかった方々もたくさんおられるので、もっともっと長い期間いたいとも思わされます。
でも、今は電話もメールもいろいろあって、
もっともっと日常的に、日本の方々といつも連絡を取っていたい、
いつも励まし合っていきたいと思わされる2週間でした。


その一方で、日本に来る前に、NJでは、
「最近NJ(NY)に引っ越してきました」という方々が何人かおられました。
そして、私がこちらにいる間にもそういう方々がおられたと連絡が入っています。

帰ったらどんなことが待っているかと思うと、ちょっとこわく、また楽しみ。
書きながら、今、私が与えられているフィールドはNJなんだなあということを、もう一度思わされています。

今日の東京は最高気温の予想が28度C。
NJに着いた日はまだいいようですが、金曜日の夜の気温は7度Cまで下がるようですね。
ガソリンも下がっているようですが、温度も下がっていますね。
さ、覚悟していこうっと!

では、月曜日の聖書箇所。
ヨハネによる福音書11章でした。

「そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて・・・」
と33節にあります。

この章は、わたしたちにとっての「死」の絶対性、その絶望感、
それに対してイエスが、チャレンジをなさって、
死を打ち破る方としてそこに立っておられることを示しています。

そして、イエスは周りの人たちの「もっと早く来て下さったら・・・」という思いに反して、
「あえて、ゆっくりしていた」と語られます。
そして、人々が嘆き悲しんでいる姿に怒りと動揺をおぼえられるのです。

「罪」が人に対して与えた悲劇、
「死」が人に与えた悲劇、を目の当たりにして、
怒りをおぼえられたのです。

そして死を打ち破る方として、ご自分を表されました。

先日も、キリストを信じる者たちが持っている特権として、
「死への恐れからの解放」ということを感じさせられました。

主が共にいて下さる。
主が迎えて下さる。
その希望のゆえに感謝します。

主よ、
2週間を感謝します。
どうか、あなたが、私と共にいて下さるのと同じように、
日本におられる多くの兄弟姉妹と共にいて下さい。
そして、ひとりひとりを縛っているものから、解放してくださいますように。

私を知っている方

すっかり秋になった東京。
でも、まだ私は半袖で十分です。
歩き回っていると、汗ばむくらいです。

そんな東京ですが、もう、ブーツを履いているご婦人方が時々おられます。

ずっと気になっていたのですが、
今日は雨だったせいもあるのか、
地下鉄に乗った時に、車両の中に3人ものブーツを履いたうら若き女性が・・・。

今年の秋のトレンドは「ブーツ」なのでしょうか?

それとも、東京は「9月になったら、とにかくブーツ!」なんでしょうか?
近所の「イトー○ーカドー」の靴売り場でも、ブーツをtryしている方々が何人もおられました。

それだけではなく、日本の方々、とってもファッショナブルだと思いました。

あ、もちろん、NJの皆さんもとってもすてきですよ。ハイ。

日曜日の聖書箇所。
ヨハネによる福音書10章でした。

イエスが「わたしはよい羊飼いである」と言われたところです。

その中の一番心に留った言葉、

「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。」

すごくうれしく思います。
わたしのことを知っていて下さる。
困ったなあ、と思ったこともありましたが、
今は、本当にそうか、知っていて下さるのか、と思うと、
ほっとしますし、勇気が出ます。

わたしの弱さを、わたしの愚かさを、知っていて下さる。

知っておられるのに、赦し、生かしてくださっている。

赦されて、許されて、今あるんだなあ、と思います。

そして、私たちもイエスを知る。と。

もっと知りたいと思いました。
もっと近くありたいと思いました。
もっと深く深く、主のことを知りたいと思いました。

主よ、
あなたがわたしのことを知っていてくださることに心から感謝します。
わたしももっともっとあなたのことを知りたいと思います。
主よ、あのアブラハムに、モーセに、ご自分の思いを分ち合われたように、
わたしにも分ち合ってください。
あなたの思いをわたしにも、「腹を割って話す」ように、教えてください。


2006-09-26

見える?

月曜日は初仙台。
東北の他の地のもお伺いしたくて、いろいろ方法を探ったのですが、
日曜日の夕方と火曜日の朝の集会に挟まれた隙間を使っての訪問だったので、今回は断念。

ご訪問と交わりの一時を持たせて頂きました。

そして、ちょっと街中も案内して頂きました。

そしてこの石碑。


広瀬川にかかる橋のたもとにある殉教者の碑です。
江戸時代のキリシタン弾圧の中で、
2月の川で水責めにあって殉教した信仰の先輩達を記念して建てられたものだそうです。
真ん中がポルトガル人の宣教師、右が農民、左がお侍さんです。
十数名の方々が殉教したそうです。

ちょうど前の晩、横浜での小さな集まりの中で、
「殉教者って私たちは長崎とか、九州の方を想像するけど、江戸でもたくさんの方々が殉教したんですよね。そういうところを巡るツアーに参加してきたんですよ」という話をお伺いしたばかりだったので、かなり感動。

自分だったらどうするかなあ、ということを考えさせられます。
一本筋の通った信仰者でありたいと思いました。

土曜日の聖書箇所。
ヨハネによる福音書9章でした。

心に留ったのはその最後のところ、41節の
「しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」というイエスの言葉でした。

「もうわかっている」という思い、
「自分は大丈夫だ」という思い、
それが問題だとイエスは言われるのです。

自分はどうだろうかと思いました。
自分はわかったつもりになっていないだろうかと思いました。

いつもいつも主に求めて、
いつもいつも主に聞いて、
語って頂いて、感動して、感謝して、
その上で語る者となりたいと思います。

主よ、
あなたの語りかけを求めます。
あなたが私の目を開いて下さることを求めます。
どうかわたしの目を開き、あなたの言葉を語ってください。
私の心にあなたの満たしを与え、
感謝に満たしてお用い下さい。

2006-09-24

自由

今気がついたのですが、
これって、日付とか調整できるんですね。
知りませんでした。

今までずっと、投稿を書き始めた時間で、日付が付くと思って、
一生懸命その日のうちにコンピューターに向かっていました。
まあ、これからもそれでいいと思うのですが、
ちょっと時間が過ぎてしまっても、前の日の日付で出るようになるんですね。
9ヶ月も知らないで来ていました。

木曜日の朝には、
奈良に帰国されたご婦人とご一緒に、
明石に帰国されたご婦人をご訪問しました。
奈良と明石は関西でも西から東へとちょっと離れていますが、
大きーく考えると、やはり同じ文化圏。

いやあ、関西のご婦人方が言葉を掛け合うのって、
いいですよね。ほほえましいというか。
NJにおられた頃は、かなり押さえていたんでしょうか。
優しい、暖かい、そして、調子のいい関西弁がコロコロ転がるってかんじ。
テレビで見る芸人さんの関西弁とは違って、
本当にここちよいものでした。

電車に乗っていても、
ご婦人方がお話ししている言葉は、とってもきれい+暖かい、と感じました。

関東の人間(・・・ある関西人には「先生は結構関西のにおいがする・・・」と言われましたが・・・それって、ほめ言葉ですよネ?それとも歓迎のご挨拶?)にとって、
テレビで見たり、聞いたりするアクの強い芸人さんのイメージが強すぎで、
ちょっと誤解している部分もあったかなあ、と思います。

私が関西に行っている間、東京も天気がよかったようですが、
こちらに帰ってきたとたんに、
今夜からまた雨だそうで・・・。

帰る木曜日には晴れるそうで・・・。

やっぱり雨男?

金曜日の聖書箇所は、ヨハネによる福音書8章でした。
32節の言葉が心に留りました。

「真理はあなたがたを自由にします。」

自由っていい言葉です。

でも、難しいことです。
「わがままが通る」ということとはき違えてしまうことになりかねない。
自分も本当に気をつけなければいけないと思っています。

でも、主が与えて下さる自由、それはやはり「解放」ということだと思います。

苦しんでいること、
こだわっていること、
恐れていること、
わかっちゃいるけど止められない罪。

そのようなものから解放されて生きること、
それを主は約束されるのです。

私も自由を与えて欲しいと思います。

主よ、
あなたの自由をお与え下さい。
生き生きとした解放された自由をお与え下さい。
自由の中で生きることができますように、
私を縛っているすべてのものを明らかにして、
それからの解放をお与え下さいますように。

東京到着

火曜日に出発して関西に行っておりましたが、
日曜日の夜にようやく東京帰還です。

ほっとするような、「ああ、帰ってきちゃったなあ」という感じがするような、です


火曜日、関西に着いた日、

泊めて頂いた先生に、昔ながらの銭湯に連れて行って頂きました。
近頃はやりのスーパー銭湯ではなく、
単純な「銭湯」です。



こんな感じの銭湯です。
懐かしいですよね。
番台は入り口の方向いているし、
コーヒー牛乳やジュースを売っているケースは
「自動販売機」に変わってしまっていましたが、

その他は昔ながらの銭湯です。


ほーら、中はこんな感じですよー。

そしてこのお湯と水が出てくる蛇口。


余り鮮明に写ってはおりませんが、左の上の方がお湯。右下の方が水でございます。

上から押すとお湯や水が出ます。

使いながら思い出しました。
決してお湯を先に出してはいけない、ということ。

お湯を先に出すと、結構熱湯っぽいので、
後から水を足す時に、桶にたまっていたお湯が飛び散って、思いっきり熱いです。

だから、必ず水を先に桶に十分張ってから、お湯を足す方がいいのです。

それだけとっても、懐かしさに心がジーンとする銭湯でした。

ジーンとするのは、銭湯の熱いお湯だけではなく、
聖書のみことばもです。

今回は木曜日の聖書。
ヨハネによる福音書7章でした。

心に留ったのは、私の好きな言葉ですが、
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
37節から38節のイエスの言葉です。

心から生ける川の水が流れ出る。

単純に心から、そのような心の状態を求めています。
私の心から、喜びの川の流れ、いのちの川の流れが、流れ出て、
周りの人々のことを満たしていく、潤していく、
そのような歩みをさせて頂きたいと思います。

そのためには、主からいのちを頂いていくこと、
主から見たしを頂いていくことの大切さを思わされます。

主に満たして頂きたい、
主にいのちの泉を頂きたい、
そのように思います。

自分のうちの泉が枯れる時に、
人々にも通じるのものです。

満たされている時に、
人々にも通じるものです。

いつもいつも主によって満たして頂きたいです。

主よ、
どうかあなたの泉を下さい。
あなたのいのちの水を下さい。
私のうちから水が流れ出て、
周りの人々のことを潤すような、
そのような者にしてください。


2006-09-23

関東に帰っています

今日の昼頃、
名古屋駅で一人の方にお会いした後、
夕方からは関東。

なんだか、関西の方が、電車に乗っていても、
エキサイティングでしたねえ。
関東の方がみんなおとなしいのか、とも思いましたが、
私が関西に行くと旅行気分になるンでしょうねえ。
電車に乗っていても、
エスカレーターに乗っていても、
見るもの聞くものが新鮮ですから。

明日は朝7時からの礼拝に出席してみます。
あと6時間半?
11時からの普通の礼拝の時間は子供プログラムの見学です。
たのしみたのしみ・・・。

ゆっくり更新は日本時間の日曜日の夜か、月曜日の朝になりそうです。

ではでは。


2006-09-21

いのちのパン

大阪は金曜日の朝です。

今日は昨日よりもワンランク涼しくなって過ごしやすい日になりそうです。

今年は関西に今までで最長の4泊。
なにを隠そう、大阪生まれで4歳までこちらにいた自分、楽しく過ごしています。

エスカレーターに乗る時に、
「立つ」人は右側、
「歩く」人は左側、
というのもずいぶん慣れました。

東京は逆ですよね。
ついつい左側に立ってしまって、
周りの邪魔になっていることもあります。

時間帯によるのかもしれませんが、
東京よりもエスカレーターで歩く人が少なく感じます。

「関西の人の方がガンガン歩く」と思っておりましたが、
意外とそうでもないですね。
まあ元々「江戸っ子」はせっかちでしたから、東京の方がセカセカしているのでしょうか?

あと、高校の修学旅行の時の経験から、
「関西の人は電車に乗る時に、降りる人を待たない」
というイメージができあがっていたのですが、
どうしてどうして、そんなことはありません。
「△印1?8番のところで2列になってお待ち下さい」とアナウンスが入って、
みんなそこで待っています。
まあ、電車がホームに入ってくると微妙にその列が乱れるのは否定できませんが・・・。(^_^)
そして、みんなが降りるのを待ってから乗ります。
25年くらい前の記憶でイメージを作り上げてしまっていた自分に反省。

水曜日の聖書。
あと一歩で追いつくのですが・・・。

水曜日はヨハネによる福音書6章でした。
イエスが5000人の人々を5つのパンと2つの魚で養われたところです。

その後にイエスは「私はいのちのパンである」と言われました。

そしてこう言われました。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。」
54節の言葉です。

その言葉でつまずいた人々がたくさんいた、と書かれていますが、
まあ、確かにそうだろうなあ、と思います。

この言葉の意味を知らされている私たちは恵まれていると思います。

イエスの十字架の意味を知り、それを信じて、
それを自分の生きる糧として歩んでいる者は、
永遠のいのちを持っている、ということです。

聖餐式でもイエスのみからだであるパンを食べ、イエスの血潮であるぶどうジュースを頂きます。

でも、それだけではなくて、
その十字架の恵みを自分のものとして、
自分に与えられたものとして、
歩んでいくことの大切さを思わされます。
それを自分のうちで消化して、
それによって生きていく。感謝して生きていく。
その力であると思います。

何かをやりとげた達成感や、
目的意識よりも、
イエスの十字架の愛の大きさに感動して、歩んでいく、
それがイエスの肉を食べ、血を飲む、ということの意味です。

自分はどうだろうかと思いました。
やはりどこかで「達成感」で生きていたり、
「使命感」で生きていないだろうかと。

もちろん、それらも主が与えて下さることだろうけれども、
何よりも愛されている喜びに生かされていきたいと思います。

主よ、
あなたに愛されている恵みを感謝します。
イエスさまの十字架の恵みを感謝します。
何よりもそれを生きる糧に歩んでいくことができますように。

今日の一日の一つ一つの出会いを祝福して下さい。


起きて、床を取り上げて歩きなさい。

また「おおかみがきたぞー」少年の危機です。
結構眠いです。でも一言だけ更新。

今日は昼から神戸、明石方面を訪問しました。

明日、もう一度明石です。

関西最終日です。

とてもいい3日間でした。

何か、今まで「何か成果を」みたいな気負いがありましたが、
平常心で、いつものように主の恵みを楽しみ、
主の恵みを伝えたいと思いました。
いつの間にか成果主義になりかけていたように思います。

あと1週間足らず。
一つ一つの出会いが幸いなものとなりますように。

おっ、深夜の1時45分、テレビをつけると、
教育テレビで母校の制服。
理科の研究発表をしています。
僕らの頃はこんなのなかったなあ。
「パイナップルとトタン板と銅版とで電池を作る」ってやつです。

なかなかおもしろくて、寝るのを忘れて見てしまいました。
制服を着た高校生と、肩まる出しの司会者とがかなりミスマッチです。
でも楽しそうですね。
こういう授業をどんどんやって欲しいものです。

火曜日の聖書。
火曜日はヨハネによる福音書5章でした。

「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
8節のイエスの言葉です。

これは「直りたいのか」というイエスの質問に対して、
「私を水に入れてくれる人がいません。自分で入ろうとすると他の人が入ってしまうのです」
(池の水が動いた時にそこにはいると癒やされるという言い伝えがあった)
と泣き言を言ったこの人へのイエスの言葉です。

「さあ、立って歩きなさい」とイエスは言われたのです。

私たちも泣き言を言います。
泣き言を言わせて欲しい、場面もあります。

でも、イエスはそんな私たちに、
さあ。立ち上がりなさい、と言われるのです。

いろいろ事情はあるでしょう。
言い訳をしたくなるときもあります。

でも、それらを全部ご存じで、
「さあ、立って歩きなさい」
と言われるのです。

私にも言われているように思いました。
「さあ、立って歩きなさい」と。

主よ、
私もいろいろ言い訳をしたくなる時があります。
あなたのみことばに感謝します。
立って歩きなさい、と言われた時に、
「いや、神さまできません」なとど言わないで、
従っていくことのできる者としてください。

2006-09-20

霊とまこととをもって

「おおかみがきたぞー」の少年にならないように、
ここで更新しておきます。

NJは寒いくらいの夜になるようですね。
10度を切るようです。
今日の大阪は28度だそうです。
半袖でちょうどいい感じですね。
昨年まで3年連続で7月に日本を訪問しておりましたが、
今年は、体力的には9月で正解です。

いろいろ書きたいことはあるのですが、
また今夜ゆっくり・・・ということで。

月曜日の聖書。
ヨハネによる福音書4章を読みました。

「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。」

23節のイエスの言葉です。

自分が神さまの前に出る時の姿勢を考えさせられる一節でした。
「霊とまこと」って何だろうなあ、と思います。
解釈でいろいろ問題があるかとも思いますが、
私は読みながら、自分の心がほんとうに主に向かっているだろうかと言うことだけを考えていました。

「礼拝」

牧師である私にとって、
礼拝は「説教を語る場」でもあります。

その中で、私は心から、真剣に、真実に、
主を礼拝しているだろうかと問われるような気がしました。

会衆の皆さんにとっては
「説教を聞く」ということが、礼拝の中の大切な要素ですが、
それが、「主への礼拝」となっているでしょうか?

今度の日曜日、
私は久しぶりに、メッセージもなく、何の責任もなく、
ただ、ひとりの参加者として礼拝に出席する幸いを経験します。

本当に久しぶりだと思います。
ゲストスピーカーが来られても、
9月3日のように、ファミリーキャンプで、司会や説教に当たっていなくても、
やはり何かの責任を持っていました。

だから、たぶん、8年ぶりくらいの経験だと思います。

本当に心から主を礼拝することを経験させて頂きたいと思います。
その中で、説教のご奉仕をしながら、でも、「礼拝者」としてそこに立つ、ことの
意味を考えてみたいと思います。

こころからの礼拝を主にささげる、
そのような説教者でありたいと思いました。

そして、その姿勢が教会全体に広がっていく、
そのような礼拝を守っていきたいと思います。

主よ、
礼拝の中心はあなたです。
いつもいつもそのように祈ってきました。
でも、今も本当にそうでしょうか?
私はそのように礼拝を守ってきたでしょうか?

どうか、私を「霊とまこととを持って礼拝する真の礼拝者」として下さい。

関西滞在中・・・

17日に追いついたのですが、
18日、19日と更新することができなかったので、
またちょっとたまってしまいました。

こちらは水曜日の夜。

木曜日の午前中は原稿書きの予定です。

午後から神戸、明石方面出動。

明日の朝、こちらもちょっと更新できるでしょう。

きっと。

ではでは。

2006-09-17

霊から生まれる者

月曜日の朝ですが、
一日一章追いつくために、昨日の夜に続いて更新。

心配されていた台風、確かに大きな被害が出ましたが、
九州以外は直撃を免れました。

土曜日の集会、
帰国後半年、1年半、2年半と3つのレベルの方々がおられて、
帰国後の心の動き、なるほど・・・と思わされました。

第1段階
日本のコンビニやスーパーや100円ショップに感動する。
帰国後の立ち上げのために100円ショップに50回くらい買い物に行ったという例もあり。
興奮して毎日のように買い物に行ってしまう。
24時間営業のスーパーなどもあり、
夜な夜な食品売り場を徘徊してしまう。
300円の社員食堂のランチだって感動する。
こんなに安く、こんなにおいしいものが食べられるなんてと、日本への帰国がうれしい。

第2段階
コンビニ、100円ショップなどに行くことに飽きる。
アメリカの天井の高さ、
空間の広さ、
人間関係のおおらかさなどが妙に懐かしくなる。
一番きつい頃。

第3段階
社宅に住めるのも、あと2,3年、ということもあり、
日本がどうとか、アメリカがどうとか、ということを超えて、
マンションを買わなきゃなあ、とか、
何だかとっても現実的な問題に取り組むようになってくる。

帰国されたたくさんの方々が、
このようなところを通って、
それと共に新しい教会に入っていくために闘いをおぼえて、
歩んでおられることを思うと、
どれほど祈りのサポートが必要かと思わされます。

日曜日の聖書。
ヨハネ3章でした。

6節の言葉が心に留りました。
「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」

「肉」は自己中心的な生き方、ということがよく言われます。
じゃあ、「霊」とは何だろうか?
正反対だとすると「悔い砕かれた魂」ということができるのでしょうか?

確かに聖霊様の働きは、
「罪を示し、キリストを証しする」ことですから、
その聖霊様によって生まれた者、というのは、
砕かれた、整えられた者、と言うことができるでしょう。

自分はどうだろうか?
自分は自己中心的な歩みをしていないだろうか?
自分中心的な歩みで、人々を傷つけていないだろうか?

人がそのように歩んでいると気になります。
人がそのように傍若無人の歩みをしていると頭にきます。

でも、自分は本当のところどうなんだろうか?と問われました。

聖霊様によって歩みたい。
聖霊様によって砕かれた、御霊の実を結ぶ、
品性のきよめられた、
そのような者となりたいと思いました。

主よ、
私をきよめ、
霊によって生まれた者としてください。
聖霊によって私を取り扱い、
キリストの御姿を映す者としてください。
聖霊によって歩ませてください。

最高のものをとっておかれる主

日曜日の夜です。

今までで一番ゆっくりと過ごす夜です。

疲れもとれて、明日からの日々に備えられそうです。
感謝。

自分が4歳の頃から育った木場深川キリスト教会での礼拝でした。

例年、この木場深川キリスト教会での礼拝で、たくさんのNJの関係の方々にもお会いできるのですが、
今年は3連休の中日ということもあるのでしょうか、
ほとんどの方がご都合が悪かったようです。

それでも、ひとりの方がお母様と一緒にご出席下さいました。
お会いするのは4年ぶりくらいでしょうか?

幸いな再会でした。

また夕方にはもう一人の方が面談に来られて、共に祈りました。

今回の訪日のテーマは1週間ほど前の一日一章の言葉、

「私が来たのは、失われた者を捜しだして救うためである」

です。

いつもよりも少なくても、
ひとりでも、
神さまのところに導かれることを祈っています。

明日の夕方はまた東京での集会です。
そして、火曜日の朝出て、関西に向かいます。

土曜日の聖書。
ヨハネによる福音書の2章です。

心に留ったのは、
10節の料理長の言葉です。

「あなたは今まで良いものをとっておかれました」

神さまが準備してくださっているものは最高のものです。
世の常では、最初がいいもので、酔いが回った頃に、悪いものを出していたそうですが、
神さまは最後に最高のものを準備しておられるのです。

何だかわくわくしてきますね。

これから、神さまがどんなにすばらしいものを準備して下さっているかと思うと・・・。

考えてみると、私の人生ももう後半戦。
常識的に考えて、「今までの延長上」にこれからのものがあるのでしょうが、
神さまのなさることはそれを超えている、
最高のものをこれから準備しておられる。

それを大胆に求めて、歩んでいきたいと思いました。
楽しみに歩んでいきたいと思いました。

主よ、
どうかあなたの準備してくださっている最高のものを与えて下さい。
それを楽しみに歩んでいきます。

感謝します。

これから始まろうとしているNJの礼拝の上に、
あなたの祝福をいっぱいに満たして下さい。