2006-10-23

黙っているな!

今日も、もう日付が変わりそうです。

11時頃、15歳の息子がやってきて、
将来のこととか、いろいろ話して、一緒にお祈りしました。
成長したなあと、思いました。
ここまで守られたことを神さまに感謝すると共に、
もっともっと祈って支えていかなければいけないなあと思います。

そう、先日、自分の子供の時の交通事故を思い出す時がありました。
5歳の4月10日かな?とにかく、1年保育の幼稚園の入園式の午後。
それも、その幼稚園、始まった最初の年。
今年37年目を迎えた「江東区立平久幼稚園」の歴史の、記念すべき第一日目に、
交通事故に遭ったのでした。(先生達ごめんなさい)

自分は車が来ると分かっていました。
でも、思い切って飛び出しました。

分かっていたのに、飛び出さないではいられなかったのです。
一緒に遊んでいた兄弟や、近所の仲間がみんな向こう側に渡ってしまったからです。

東京の下町。
材木問屋の町。
道路のあちらこちらには材木屋さんのトラックが止っています。
トラックが走っています。

その中で自分たちは遊んでいました。
材木置き場で「かくれんぼ」や「たかおに」をしました。

今では考えられませんが・・・。

その1台のトラックの陰に私はいました。
ちょうど、もう1台のトラックが遊んでいる子ども達にクラクションを鳴らしながら、
走ってきていました。

どうしよう・・・。

みんなが道の向こう側に渡って、車が通りすぎるのを待っていました。
ひとり、こちら側に残り、「車が来る」と分かっている中で、
「どうしよう、どうしよう・・・みんな行っちゃった・・・どうしよう・・・えい、行っちゃえ!」
そう思って、飛び出しました。

今、自分が運転する立場になって考えると、とても怖いです。
子供の考えること、コワイです。

トラックのおじさんも止りきれなくて、
自分は轢かれました。
でも、幸い、足だけでした。
たぶん、車にぶつかる瞬間に足を投げ出すように転んだんでしょう。

歩こうとしました。
でも、どうにも痛くて歩けませんでした。
骨折していたのです。

でも、そのことを思い出すと、
自分は今、何か目的があって、生かされているんだということを、
はっきりと感じます。

同じように交通事故に遭って、
亡くなった子ども達もいます。

なのに、車が来ると分かっていて飛び出した自分が生きている。

どうして、私が生かされて、
他の子が亡くなったのか、それは分かりません。
どうして神さまがそれを許されたのか分かりません。

でも、分かっていることがあります。
私は生かされた。そこには何か特別な意味がある、ということです。

自分が40代になって、
社会的にも一番中心的な役割を果たす世代になっていますが、
もう、これからは、次の世代のことを考えながら歩んでいくんですね。

それがまたまた楽しみにもなってきました。

今朝はそこそこ暖かかったのですが、
だんだん寒くなってきて、
今は5度Cです。

今夜はまた2度くらいまで下がるでしょう。

今日の聖書は使徒の働きの18章です。
パウロがコリントに進んでいくところです。

コリントの町で、神さまがパウロに言われた言葉、
この言葉が私にも語られました。

「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」(9節)

単純に、この言葉が私に語られたように感じました。
「語り続けなさい」「黙っているな」と。

だから、これからも語り続けたいと思います。
この地で、語り続けたいと思います。

神さまの愛を、できるだけたくさんの方々に、伝えたい。
できるだけたくさんの方々に出会いたい。

NJに赴任したのに、
JCCNJを知らないで駐在期間を過ごしてしまう、という方が1人もいなくなるまで、
大胆に、広く、語っていきたいと思います。

主よ、
今日の一日を感謝します。
どうか、あなたのみことばを語り続ける、
あなたの愛を語り続ける者としてください。

黙っていないで、
語ることができますように。
そのために、あなたがいつもいつも私にみことばをお与え下さい。

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