月曜日は初仙台。
東北の他の地のもお伺いしたくて、いろいろ方法を探ったのですが、
日曜日の夕方と火曜日の朝の集会に挟まれた隙間を使っての訪問だったので、今回は断念。
ご訪問と交わりの一時を持たせて頂きました。
そして、ちょっと街中も案内して頂きました。
そしてこの石碑。
広瀬川にかかる橋のたもとにある殉教者の碑です。
江戸時代のキリシタン弾圧の中で、
2月の川で水責めにあって殉教した信仰の先輩達を記念して建てられたものだそうです。
真ん中がポルトガル人の宣教師、右が農民、左がお侍さんです。
十数名の方々が殉教したそうです。
ちょうど前の晩、横浜での小さな集まりの中で、
「殉教者って私たちは長崎とか、九州の方を想像するけど、江戸でもたくさんの方々が殉教したんですよね。そういうところを巡るツアーに参加してきたんですよ」という話をお伺いしたばかりだったので、かなり感動。
自分だったらどうするかなあ、ということを考えさせられます。
一本筋の通った信仰者でありたいと思いました。
土曜日の聖書箇所。
ヨハネによる福音書9章でした。
心に留ったのはその最後のところ、41節の
「しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」というイエスの言葉でした。
「もうわかっている」という思い、
「自分は大丈夫だ」という思い、
それが問題だとイエスは言われるのです。
自分はどうだろうかと思いました。
自分はわかったつもりになっていないだろうかと思いました。
いつもいつも主に求めて、
いつもいつも主に聞いて、
語って頂いて、感動して、感謝して、
その上で語る者となりたいと思います。
主よ、
あなたの語りかけを求めます。
あなたが私の目を開いて下さることを求めます。
どうかわたしの目を開き、あなたの言葉を語ってください。
私の心にあなたの満たしを与え、
感謝に満たしてお用い下さい。
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