2006-09-28

ほんの一握りの人にでも

その3

半分くらいまで来ました。
NJ時間で木曜日の朝の9時半頃です。
今日は祈り会の日ですね。
皆さんが集まって祈って下さっていることに心から感謝します。

木場深川教会でも木曜日の朝に祈り会をしてから出てきました。
TCATまで車で10分くらいのところに実家(=教会)があるので、
4時過ぎの飛行機に乗るためには、11時半頃出ればいいのです。
そこで、「10時からの祈り会でメッセージをして行きなさい」ということになった訳です。

10人くらいのご婦人方が集まっておられました。共に祈りました。
その輪に加えて頂けることはうれしいことです。
またご奉仕をさせて頂くこともうれしいことです。

教会の原動力は祈り。
何度も語ってきました。
でも、自分の祈りの生活はまだまだ貧しいなあと思います。

今回も日本に来て、皆さんにお会いしたり、お電話でお話しする中で、
「祈っていますよ」「祈りますからね」と言わないではいられない、
決して単なるご挨拶ではなくて、祈りたいと思わされる状況があります。
日々の祈りの中で、お一人ひとりのことを祈り続けたい。おぼえ続けたい、そのように思います。

今日のNJでの祈り会の祝福を祈りつつ。

やっと追いつきました。
木曜日、今日の聖書箇所。
ヨハネによる福音書14章です。
ここも最後の晩餐でのイエスの言葉が書かれているところです

その中で、弟子のひとりが言った言葉が目に留りました。
22節です。

「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」

どうしてなんだろう?と思いました。
イエスはたくさんの人々に語られました。

でも、弟子たちには特別に語られました。
特別にご自身の深い思いを分ち合われました。

それがイエスの方法だったのだと思います。

私もそのようにさせて頂きたいなあ、と思いました。

一度にたくさんの方々に語ることも大切な働きだと思います。
たくさんの方々が神の愛を知り、イエスを「主」として従っていく歩みに導かれたらいいと思います。

でも、それと共に、ホンの一握りの人々だけかもしれない、でも、本当に深い深い神さまの愛を分ち合っていく、
そのような伝え方ができて、その聞いた人々がまたホンの一握りの人々かもしれない、でも、本当に深く深く、神さまの愛を分ち合っていく、
それが広がっていったらいいなあ、と思います。

有名な話です。

王様が3人の娘に何でも欲しいものを言いなさい、と言われました。
上の2人はたくさん求めました。何だったか忘れました。

でも、一番下の娘は1日目にはコインを1枚、2日目には2枚、3日目には4枚と毎日倍々に増やしていって、それを1ヶ月間続けて欲しいと言いました。
王様は、「何だそんなんでいいのか?」と思いました。
でも、1ヶ月経った時に、姫はコインを何枚もらっていたんでしょう?ちょっとエクセルで計算してみますね。

1073741823枚
10億7374万1823枚です!

すごい!

そのコインが1円玉でも10億円ですよ。
10円玉だったら100億円。
100円玉だったら1000億円です。

ネズミ講が禁止されているのは当然。
チェーンメールをやってはいけないのも当然ですね。

でも、すごいですね。
だから、一遍にたくさんの方々に語れなくてもいい。
確実に何人かの方々に伝えていけば・・・。そう思います。
そしてその何人かの方々が同じように、何人かの方々に語りたい!と思うように導かれていく。それが大切なんだなあ、と思います。

主よ、
どうかわたしを用いて下さい。
派手な働きはできなくてもいいです。
ホンの幾人かでも、確かに福音を伝えることができますように。
そしてそのひとりひとりが確かに福音を伝える器に整えられていきますように。

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