2006-09-28

神の御心を求めて

日本での2週間を終えて、
飛行機の中です。

更新はNJに着いてからですが、
できる限り追いついていたい+例によって飛行機の中ではほとんど眠れないので、
今のうちに書いておきます。

今日の成田は混んでました。
今まで経験のない様な混み方。
特に乗った飛行機会社が、10分間隔で、ヒューストン便、グアム便、ニューアーク便と連続していたからでしょうか。

チェックインまでに1時間はたっぷりかかりました。

今回ばかりは「3時間前までに空港へ」というPRはまんざらでたらめでもないなあ、と思いました。

火曜日の聖書。
ヨハネによる福音書12章です。

イエスがいよいよ十字架に向かって進んでいくところです。

その中で心に留ったのはこの言葉。

「彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。」

これは、イエスを心では信じたのに、周りの人々を恐れてそれを公に言い表すことのできなかった役人達のことを指してヨハネが記した言葉です。

神からどう思われるかよりも、人からどう思われるかを第一に考えてしまう私たちの弱さ。甘え。
神さまは目に見える訳でもなく、耳に語りかける訳でもない。
でも、人の言葉は耳に響く、人の顔色はよくわかる。

だから、

「神さまは赦してくださるよ」と勝手に考えて、言い訳をして、
人にどう思われるかの方を優先していないだろうかと思わされた。

神さまを求めながら、
神さまがどう思われているかを聖書に求めながら、
歩んでいきたいと思う。

神様の喜ばれることを求めていきたいと思う。
それも、また「自分勝手」になりやすいことも思わされる。

自分の願いを神さまの御思いに押しつけて、
人の声を聞こうとしない。

ああ、自分はどこまで身勝手で、どこまで人を恐れる人間かと思う。

本当に純粋な気持ちを与えて欲しい。
人を恐れない勇気を。
そして、自分のわがままに陥らない謙虚さを。

主よ、
助けてください。
私はいつも「自分勝手」と「人の顔色を恐れる」ことの狭間に揺れていないでしょうか?
「人のことを考える」と思っている時も、結局人のことを考えているのではなくて、
「自分がどう思われるか」を第一に考えて、逃げている時があります。
どうか、あなたの御心を純粋に求めるものとしてください。
あなたのみ声を聞かせてください。

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