2010-03-04

The Heart of Worship

たぶん、これが今日の最後の更新。


今日のPurpose Driven Life.
今日のもパワフルでした。


最初からいきなり先制パンチ。


英語だと、
God wants all of you. 
God doesn't want part of your life.
...
God is not interested in... the leftovers of your time and money.


最後のleftoverって「食べ残し」って感じですよね。
ま、「残りもの」の方がいいかな。


私たちはどこかで、時間やお金の、残り物を主に持ってくる、そんな気持ちのところがあるかもしれません。


違うんですよね。私たちの人生のすべてが神様のもの。


そして、極めつけが、最後の、The Heart of Worshipという歌が作られた、その由来について。





英語では、ここに詳しく書かれています。英語の分かる人は是非、読んでください。
http://www.crosswalk.com/1253122/


日本語で説明しているサイトを探したのですが、
見つからないので、ちょっと説明しますが、


ある時、この曲の作者であるMatt Redmanの属していたイギリスの教会のMike Pilavachiという牧師が、礼拝の行き詰まりを感じて、自分たちの方法をすべて止めて、礼拝の本質に戻ろうと一時期、バンドや音響システムをすべてストップして、礼拝を守る、と宣言したそうです。(Rick Warrenは歌うこともすべてやめたと書いていますが、実際はアカペラの歌が始まったようです)


教会の人々に対して、あなたがたは、礼拝の「消費者」ではなくて、「作り上げる者」です、そして、みなさんがどんな捧げ物を神様に持って来るか、よく考えてきて下さい。とお願いしたそうです。


最初は戸惑いと、沈黙があったそうですが、人々は心からの礼拝を捧げるようになってきました。そして、その中でMattの心の中に生まれたのが、この歌だったというのです。


すごい勇気ですね。そして、この名曲はそんな中から生まれたんだと知って、すごい納得です。


いつの間にか、音楽に酔いしれてしまったり、歌っている自分に満足していることはないだろうか、本当に礼拝をしているだろうか、本当の礼拝を捧げさせていただきたい、そんなふうに思わされました。


さて、3月2日(火)の聖書。
マタイ20:17-34。


「わたしが飲もうとしてる杯を飲むことはできますか。」22節。


主が負われた苦しみ。
自分は苦しみを敢えて自分で負うことがあるだろうか。
主に従って、苦しみを負うことをしているだろうか?


祝福はいただいている。
祝福に満たされている。


でも、主の苦しみと同じ苦しみを負うことをしてきているだろうか、
それを願っているだろうか?
それを逃げないで負ってきただろうか?


まっすぐな気持ちと、
まっすぐな態度を与えていただきたいです。


主よ、
どうか、あなたの通られたみ苦しみを、
私も通ることがあったときには、
どうか、あなたのみ苦しみを覚えて、まっすぐに逃げないで、進んで行く者とならせて下さい。あなたの助けを与えて下さい。

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