14日目「神が遠く感じられる時」。
これはほんと、キモですね。
聖書の言葉、イザヤ書8章17節。
「主はいま、ヤコブの家に、み顔をかくしておられるとはいえ、わたしはその主を待ち、主を望みまつる。」
Rick Warrenは言います。
「神はあなたが神を感じることよりも、信頼することの方に関心を持っておられます。神を喜ばせるものは感情ではなく、信仰なのです。」
「あなたが信仰を持ってまだ間もない頃には、神はあなたに多くの確証を与えて下さったり、非常に未熟で自己中心的な祈りにも答えてくださることがあります。しかし、あなたの信仰が成長するにつれて、神はあなたをこうした依存状態から自立へ向けて乳離れさせられます。」
感じ、感覚に振り回されるのではなく、
み言葉を信頼すること、み言葉に立つこと。
その大切さを思わされます。
今日の夜の集会で、一人の高校生が証をして下さいましたが、
本当に心を開いて、大切なことを分かち合って下さいました。
そこに、世代を超えて、通じるものを感じていました。
真実な証しは、心に触れます。
主の素晴らしさをあらわします。
さて、昨日、3月4日の聖書。
マタイ21:12−22。
「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」13節。
主は私たちに祈りを求めておられる。
つまり、それは、私たちと語り合おうとしておられるのだ。
だいたい、祈りがお勤めや義務になってしまったら、
つまらない。つまらないというか、苦痛だ。
でも、本当は、それは恋人たちが語り合うようなものなんだ。
私たちが主との時を過ごすのは、楽しい一時、甘美な時間なのだ。
だから、一生懸命になるんじゃなくて、
主と共に時間を過ごすことを楽しみたい。
主と共に時間を過ごすことを喜びとしたい。
そこに私たちは招かれている。
主よ、
祈りの時を喜んでくださること、
あなたが祈りに招いていてくださることに感謝します。
明日の祈り会も、そのような楽しいひとときとして下さい。
あなたと時を過ごすこと、あなたの元でやすらぐこと、
それを味わうことが出きますように。
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