2010-03-02

あれえ、また雪?

今日も昼間は10度くらいまで上がって
暖かかったのですが、
夜になってちょっと冷えて、今11時過ぎですが、
 3.6度。さっき、車で帰ってきたのですが、
雨もパラパラふってきました。

そして、天気予報は以下の通り。

昨日は東にそれる、って言っていたのに、
「雪の心配は殆どない」とここで宣言してしまったのに、
今日は一転、やっぱり雪、だって。

まあそれほど積もる雪ではないようですが、
それだってどうなることか。
これで大雪なんかになったら、もう誰も信じられません!

10年くらい前のことでしたが、
「夜の間に雪が降るけど、大したことない」と言っていたイースターの朝、
起きたら15センチくらい積もっていたことがありました。
ですから、まだまだ何があるか分かりません。

さて、日曜日は休んだので、
昨日のPurpose Driven Life。

11日目。「神の親友となる」というテーマでした。
これは、御言葉と祈りの生活を勧めているところです。

この間の日曜日あたりに気がついたのですが、
この本って結局「信仰生活の心得」みたいな本ですね。
でも、それじゃあ、一部の人しか買ってくれないから、
人生の目的、というキーワードで信仰生活の心得をまとめてみた、
ということなのでしょうか。

でも、私などは、「信仰生活の心得」って言ってもらった方が、
すごく、すとんときますね。
「なんだ、この本は『信仰生活の心得』じゃないか」と思ったら、
いろんなことが「ストン」「ストン」と心に入ってきます。

でも、「ということは、自分の中で、『信仰生活を送る』ということが、『すべての人の存在の目的』と一つのことだ、ということが、ちゃんと消化されていないのかもしれない。」と思わされています。

これは、ちょっと課題です。

で、昨日のところなんですが、
座って、時間を決めて、祈っている、聖書を読んでいる時だけが、「祈りの時」ではない、ということ、これまた大切なことだと思わされました。

一瞬一瞬が御言葉を思いめぐらし、神に祈る、神とつながっているその時、そして、それは友達と時間を過ごすようなことだと。

本当にそのような一瞬一瞬となりますように。
特にパニックを起こすような出来事の中で、
神といつもつながっている者でありますように。

さて、2月24日(水)の聖書。
マタイ19:13-22。

「財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。」21節。

手放すことですよね。
私も自分の教会のためには、思い切って捧げるけれども、
それはどこかでやはり自分の働きの一部、みたいなところがある。
でも、ここでは、「貧しい人に与えなさい」と言われている。

だから、本当に手放してしまうこと。
もちろん、自分が捧げたものが、正しく使われているかどうか、
それを確認したい、見ていたい、という気持ちもわかる。
でも、それでも、どこまでも手放してしまうことが大切なのだ。

自分の手の届かないところにも、喜んで捧げることが出来るか、
自分がその恩恵を受けないところにも、喜んで捧げることが出来るか、
私自身、まだまだ訓練を受けていないような気がする。

もちろん、今、自分が属している教会のために捧げるのが、
今のわたしの使命だと思う。
でも、その中でも、自分が大切にしているものを、
自分の手の届かないところに捧げてしまう、
そういうことを経験して、その中で、本当に恵みに感謝をして、
ひとつひとつのことを手放して行くことを学ばせていただきたい。

主よ、
私の人生はあなたのものです。
どうか、わたしのこだわりをきよめ、
あなたの自由な導きに従っていく者とならせて下さい。

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