暖かかったのですが、
夜になってちょっと冷えて、今11時過ぎですが、
3.6度。さっき、車で帰ってきたのですが、
雨もパラパラふってきました。
そして、天気予報は以下の通り。
昨日は東にそれる、って言っていたのに、
「雪の心配は殆どない」とここで宣言してしまったのに、
今日は一転、やっぱり雪、だって。
まあそれほど積もる雪ではないようですが、
それだってどうなることか。
これで大雪なんかになったら、もう誰も信じられません!
10年くらい前のことでしたが、
「夜の間に雪が降るけど、大したことない」と言っていたイースターの朝、
起きたら15センチくらい積もっていたことがありました。
ですから、まだまだ何があるか分かりません。
さて、日曜日は休んだので、
昨日のPurpose Driven Life。
11日目。「神の親友となる」というテーマでした。
これは、御言葉と祈りの生活を勧めているところです。
この間の日曜日あたりに気がついたのですが、
この本って結局「信仰生活の心得」みたいな本ですね。
でも、それじゃあ、一部の人しか買ってくれないから、
人生の目的、というキーワードで信仰生活の心得をまとめてみた、
ということなのでしょうか。
でも、私などは、「信仰生活の心得」って言ってもらった方が、
すごく、すとんときますね。
「なんだ、この本は『信仰生活の心得』じゃないか」と思ったら、
いろんなことが「ストン」「ストン」と心に入ってきます。
でも、「ということは、自分の中で、『信仰生活を送る』ということが、『すべての人の存在の目的』と一つのことだ、ということが、ちゃんと消化されていないのかもしれない。」と思わされています。
これは、ちょっと課題です。
で、昨日のところなんですが、
座って、時間を決めて、祈っている、聖書を読んでいる時だけが、「祈りの時」ではない、ということ、これまた大切なことだと思わされました。
一瞬一瞬が御言葉を思いめぐらし、神に祈る、神とつながっているその時、そして、それは友達と時間を過ごすようなことだと。
本当にそのような一瞬一瞬となりますように。
特にパニックを起こすような出来事の中で、
神といつもつながっている者でありますように。
さて、2月24日(水)の聖書。
マタイ19:13-22。
「財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。」21節。
手放すことですよね。
私も自分の教会のためには、思い切って捧げるけれども、
それはどこかでやはり自分の働きの一部、みたいなところがある。
でも、ここでは、「貧しい人に与えなさい」と言われている。
だから、本当に手放してしまうこと。
もちろん、自分が捧げたものが、正しく使われているかどうか、
それを確認したい、見ていたい、という気持ちもわかる。
でも、それでも、どこまでも手放してしまうことが大切なのだ。
自分の手の届かないところにも、喜んで捧げることが出来るか、
自分がその恩恵を受けないところにも、喜んで捧げることが出来るか、
私自身、まだまだ訓練を受けていないような気がする。
もちろん、今、自分が属している教会のために捧げるのが、
今のわたしの使命だと思う。
でも、その中でも、自分が大切にしているものを、
自分の手の届かないところに捧げてしまう、
そういうことを経験して、その中で、本当に恵みに感謝をして、
ひとつひとつのことを手放して行くことを学ばせていただきたい。
主よ、
私の人生はあなたのものです。
どうか、わたしのこだわりをきよめ、
あなたの自由な導きに従っていく者とならせて下さい。
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