2010-03-01

降伏する礼拝。

今日は久しぶりに昼間の気温が10度くらいにまで上がりました。
まだまだ一面の銀世界なのですが、もう3月、春ですね。
一気に雪が融けたようです。


明後日の雪は殆ど心配ないので、
この勢いで行くと、週末にはもう雪がなくなっているかもしれません。


さて、土曜日というか、土曜日は二人で話をしないで、寝てしまったので、
日曜日にもう一度読んで話をしたところですが、
40日のPurpose Driven Lifeの10日目。


この日のポイントは、礼拝は「降伏」である、ということ。
2日前のポイントと似ているのですが、
自分の考え、自分のこだわりではなくて、
すべてを主の前に投げ出して、主を主とすること、
それが、礼拝の本質。


今、教会の礼拝について時間やプログラムを変えようとしている最中なので、いろいろ反省させられました。


そして、日曜日は降伏の礼拝を守りました。
そこに主の祝福がありました。
感謝。


さて、3月23日の聖書。
マタイ19:1-12。


「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しない方がましです。」しかし、イエスは言われた。「そのことばは誰でも受け入れることができるわけではありません。」10-11節。

結婚って何だろう?
特にクリスチャンにとって結婚て何だろう?
体の関係を結婚の中だけに厳しく制限している聖書の鉄則に従って生きている中で、
「体の関係を持つために結婚する」という感覚に陥っていることに気がついた。

でも、それは結婚のすべてではない。
あまりに「結婚までは待つ」を大切にし、強調する中で、
(それは今でも間違いではないと思いますし、これからも次の世代に伝えて行くメッセージだと思っていますが)
特にクリスチャン男性にとって、
結婚の目的が「正々堂々と体の関係を持つ」事になってしまっているのではないかと。

だから、女性の気持ちが分からない。
妻を愛することがどういう事か、
結婚して何年も経ってから学ぶことが多い。

このイエスと話をしている弟子たちの感覚を笑うことなんかできない。
この時代はなんてひどい時代だったんだろう、ということなんかできない。

共に生きていく、神が結びあわせて下さった存在と共に生きていく、
それがどういう事なのか、もっともっと学ばせていただきたいと思いました。

主よ、
どうか、あなたが与えて下さった伴侶と、共に歩むことの意味を教えてください。
あなたの与えて下さった使命に生かして下さい。

No comments:

Post a Comment