2006-01-04

神の「祝福」って?

昨日は一日氷点下に下がることなく、
みぞれが降っていました。
東京ではよくあることですが、
こちらでは、あそこまでずっと一日「雨なのか、雪なのか…」というのは珍しいことです。
クリスマスの後、何かずっと暖かめです。
それはとてもいいことなのですが…。
今朝はちょっと冷えて-2.5度C。
今日の天気は晴れのち曇りといったところでしょうか。
最高気温は5度くらいまで行くようです。

今日は創世記24-28章。
イサクの生涯とヤコブとエサウの確執です。
今日心に留ったのは、「祝福」という言葉。
母親リベカが「私が呪われてもいいから…」と言って、ヤコブに父をだましてでも、得させたかった、得させなければいけなかった「祝福」。これはいったい何なんだろうか?
この後、ヤコブは家を出て行かなければいけなかった。
親から何かを相続したような様子もない。
ただ、おじラバンのもとで苦労して多くの財産を持つようになったのだ。
まだ答えは出ていない。今日一日いろんな本を読んで探ってみたいと思う。
でも、ここで、一つヒントになったのは、28章で石の枕で寝ている時に、神が「私はあなたと共にいる」と語られたこと。
神様が共にいて下さる、それ自体が祝福であるのだろう。
物質的に祝福されることよりも、主がそこにいて下さること、
状況が願い通りに進んでいくことよりも、主が共にいて下さること。
この後のヤコブの苦労を思うと、主の祝福は、そういうものなんだろうと思わされる。
経験していきたい。これからの歩みの中で、
今年の教会の歩みの中で、「ああ、これが主の祝福なんだ」というものを。

主よ、あなたの祝福を求めます。
私を祝福してください。
私の周りの人々を祝福してください。
家族を、教会の一人一人を、教会全体を。
祝福を運ぶ器として用いてください。
今日の一日の出会いを祝福してください。
そして明日、明後日と続く家庭集会の備えを祝福してください。
あなたご自身が私の心に語ってください。

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