2007-02-06

大胆に!

今日2回目の更新。
先ほど教会に行く用事があって、
出かけていました。
寒い!
言いたくはないですが、寒いです。
今、夜の9時過ぎで-9.3度。

今夜はどこまで下がるのでしょうか?
また-13度くらいでしょうか?

一発がーんと冷えて-15度とかよりも、
こうやって、毎晩毎晩-13度は結構きついですねえ。

氷点下DAYS4日目。
週末、氷点下脱出は微妙です。
もしかしたら、このまま氷点下記録を更新し続けて来週に突入することになるかもしれません。

久しぶりの「証し」第7章。
20歳になりました。
いろいろ悩みながらではありましたが、
まあ、真面目に神様を信じて生きていました。

そしていつの間にか、自分の信仰の姿勢に誇りを持つようになっていました。
それが「傲慢」になっていったのです。

聖書も(ほぼ)毎日読んでいました。
お祈りもしていました。
教会も休みませんでした。
友達も誘いました。
献金も思いっきりささげていました。

そんな自分のクリスチャンとしての歩みが自慢でした。
そして、そうできない友人を見下げていました。

高校時代は桶に入っていた、ん?オケに入っていたのですが、
合宿とかが日曜日に重なると悩んでいましたねえ。
オケと合唱で合わせて音楽部(オペラとかやっていましたからねえ)だったのですが、
一回は合宿に行って、日曜日にその場で、人を集めて「日曜礼拝」までやっていましたねえ。
結構集まりましたよ。60人くらいのうち、20人か30人か・・・。

また大学受験の時は
意地でも日曜日にある模擬試験は受けませんでした。
今考えるとなんて嫌なヤツなんだろうと思うのですが、
日曜日に模擬試験に行っていた教会の友人には、
「そこまでして大学行きたいか?」とか毒づいていました。

20歳になった夏、そんな自分の傲慢な気持ちが打ち砕かれるときがやってきました。
私にとっての大きなターニングポイントです。

続きは8章で・・・。

今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙の10章を読みました。

「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」19節。

今日はこの言葉がとてもうれしかったです。
私たちは恐れることなく、遠慮することもなく、
大胆に神様の懐に飛び込んでいいと。

最近、「罪を忘れない」という気持ちが強すぎたのかもしれません。
神様に申し訳ない、という気持ちになってきていました。
でも、主は私を赦し、私の罪を忘れてくださっている。

だから、大胆に飛び込んでいい。
大胆に主の恵みの中で安らいでいい。
主に信頼していい。

そのように思わされて、何かとてもうれしくなってきました。

主よ、
感謝します。
あなたの懐に大胆に飛び込んでいけることに心から感謝します。
安心して、喜んで飛び込ませて頂きます。
どうか私の歩みを支え、導き、喜びで満たして下さい。
私の心を守って下さい。

心をきよめるイエス

さぶいですねえ。
今朝も-12.5度。
昼間は「今日は暖かくなりましたねえ」という挨拶が交わされるような温度までは上がりましたが、実は-3.5度C。風が穏やかになってきたので、暖かく感じるのでしょう。
でも、我が家のガレージは「冷蔵庫」から「冷凍庫」になってきたみたいで、野菜が軒並み凍結。

今日は2回のアップデートで、「一日一章」も追いつこうと思って、早い時間に更新中。

昨日の夕方から、なぜかコンピューターが立ち上がらない。
焦りますねえ。いかにコンピューターに頼った生活をしているかということですが、
ホント、ろくにデータのバックアップもとっていないし、
やばいなあ、と思っていろいろ格闘。
電源を入れるとBIOSまでは行くのですが、
その後、左上にカーソルが点滅したまま、何も起らない。
しかし、その後、なぜか、F2KeyでBIOSに入ってexitすると立ち上がることを発見。
でも、そんな条件で検索をかけても、何の解決法もひっかかってこない。
とにかく何よりもデータを失うのはコワイ。
3年保証をつけて購入後まだ2年しか経っていないので、
「えい、もう修理に出すか、でもちゃんと『データ消さないでね』とちゃんと言わなきゃなあ」と思いつつ、メーカーのSupportページに行きました(その昔、アメリカで買ったコンピューターに日本語のシステムを入れていたら、修理に出したとき、部品交換と一緒にデータもなくなって帰ってきました)。そうしたら、Tech Supportとチャットをする、というメニューがあったので、「電話より気が楽だ」とチャットしましたよ。Manishaさんという方と。
「ちょっと待って」「ちょっと待って」といろんなことを調べてくださって、「Biosに入って、"USB Emulation"というのをDisableにする」ということを提案してくださった。早速やってみたら、無事一発解決!30分ほどのチャットで解決。

なかなかいいかも。電話だと受話器を耳につけたまま、20分とか待たされると大変だけどね。

さて、まずは月曜日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙9章でした。

「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」14節の言葉です。

イエスが十字架の上で流された血は、
私たちの心をきよめると。

教会ではまず「赦される」と聞きます。
「罪意識」から解放されるのでしょう。
そして、神様から見て「罪のない者」と見て頂けるのです。
でも、それだけで本当にいいのかと思います。

私たちはもっと神に喜ばれる、
人を生かす存在になりたいと思います。

人を傷つけながら(やはり私たちは誰をも傷つけないで、一度も人を傷つけないで生きていくことはできないのかもしれない、と思ったりもしますが・・・)、「私は赦されている」と感謝して生きていくことはできるのでしょうか?やはり、「きよめられたい」と思います。失敗をすることもあるでしょうが、ほんとうに心きよめられていきたいと思います。

主はそのことをしてくださる。
イエスの十字架で流された血にはその力がある。
神の恵みに対して、optimisticに生きていきたいと思います。
神様にはその力がある。
「人にはできないが神にはできる」という言葉を信頼して歩んでいきたいと思います。

主よ、
わたしをきよめてください。
私の心を、きよめてください。
あなたにはそれができる、イエスの十字架の血にはその力がある、
というメッセージを感謝します。
どうか、私の心を探り、
あなたに対して、人々に対して純粋な者とならせてください。

2007-02-05

あわれみ

さむいですねえ。
氷点下の日々の第3日目。
朝は予想よりも1度低い-14度C=7度F。
昼間は-7度C。

今は夜の11時半で-11度C。

いやあ、寒い。
シカゴとかミネアポリスとか、もっと寒いみたいですが、
NJとしては、かなり来ているのではないでしょうか?
そして今回は長い!
最初に氷点下を脱出する可能性があるのが、
金曜日の昼間。

それまでは、ずーっと氷点下です。

明日の朝はやはり今朝と同じくらいの-14度くらいでしょうか?

明日の早朝祈祷会、気合いが入りそうです。

今日はVIP-NYの集会でお話をしてきました。
人数は多くはなかったのですが、
お一人一人との出会いに感謝しました。

で、昨日、日曜日の聖書。
ヘブル人への手紙の8章を読みました。
「わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さない」
12節の言葉が心に留りました。
これは旧約聖書のエレミヤ書の言葉の引用です。

私の罪を今日も忘れてくださる方がいる。
自分では忘れられない。
自分の心からは消え去りはしない。
でも、神様は忘れてくださる。
思い出さない、と言ってくださる。

感謝。

私も人の悪を思い出さない者になりたい。
すぐ忘れてしまう者になりたい。
「バカ」と言われたい。
「脳天気」と言われたい。
すぐに忘れてしまいたいと思う。

でも、傷ついている人のことが分る者になりたいと思う。
自分の傷は忘れてしまうのだけれども、
人の傷には敏感な者になりたいと思う。

主よ、
あなたが私の罪を忘れてくださる方であることを、
イエスさまによって完全に赦してくださる方であることを、
感謝します。
私も人の罪を忘れる者となることができますように。
でも、人の痛みに気づく者でありますように。

2007-02-04

イエスのとりなし

今日は礼拝の日。
主を賛美すること、喜びとすること、力です。
多くの方々と共に礼拝が守れることは喜びです。

年末から1月にかけて、
毎週礼拝に来られる方々大人4人、子供3人が日本に帰られました。
週平均で大人4人減るのは大きいですよね。
「送り出す教会」ではありますが、
やはり痛みがないわけではありません。
まだまだ残っている教会の空間が早く埋まるようにと願います。

礼拝後は、
教会の今後について、
牧師としてのビジョンや思いを分ち合うときが与えられました。
とても、緊張して一週間を過ごしましたが、
終わってホッとしています。
また伝わった手応えも感じています。

・・・ここを読んでおられる教会の方々で「え?」と感じられる方がおられたら、
また教えて下さいね・・・もしも、私が勘違いしているとするとまずいから・・・。

『するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。』(マタイ14:28-29)

そして、土曜日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の7章。

心に留ったのは
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」25節の言葉です。

イエスさまは今もとりなして下さっている。
私のことをとりなして下さっている。
何度も失敗をして、
何度も自己嫌悪におちいる私をも主はとりなして下さっている。
今も。

ご自身の血潮をもって、
とりなして下さっている。

この方がおられなかったら、
自分は今生きていないかもしれないと思う。
そう「証し」の続きの中で書きたいと思うけれども、
イエスの十字架がなかったら、
今の自分はいなかった。

今もとりなして下さっていることに感謝。
今も見捨てないで覚えていて下さることに感謝。

主イエスよ、感謝します。
私のためにあなたが今もとりなして下さっていることに感謝しています。
どうかこれからもあなたの恵みの中に歩むことができますように。
教会を守り、祝福して下さい。
教会に集う一人ひとりを祝福して下さい。

主への熱心

一日中氷点下の「真冬日」第2日目。
今朝は-9.4度まで下がり、
昼間も-4.1度止まりでした。

今は夜の8時半で-6.8度でした。

明日の朝の予想はズバリ-13度。
寒い一日でしょう。
雪はありません。

天気予報的には「楽勝」の天気が続くようです。
「寒い」+「晴れ」

さて、3日分たまってしまった聖書。
もちろん、その日には読んでいるのですが、
それがまた記憶が薄れてくるんですよねえ。

ヤコブの手紙の1章の言葉、身につまされます。

「みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」ヤコブ1:23

そして、実際に金曜日に読んだのは、
ヘブル人への手紙の6章でした。
「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。」10-11節

ユダヤ人クリスチャンの人々の愛、それを主はお忘れにならない。
その熱心さ、その情熱を主はお忘れにならない。

「熱心さ」はあまり肯定的に言われないときもある。
ペテロは熱心だったけれども、人間的な熱心さで、
「あなたにどこまでもついていきます」と言ったときには、
そのイエスに「あなたはわたしを3度知らないと言う」と言われて、
実際にそのような失敗をしてしまいました。
「熱心さ」にはそのようなイメージがあるので、
ネガティブな印象もあるのですが、
この所ではポジティブですね。

自分のがんばりの熱心さじゃなくて、
主の御手の中にある熱心さがあるのだと思います。
そんな情熱があるのだと思います。

そう、わがままな熱さではなくて、
主の導きに従った情熱。

それを味わわせて頂きたい、
そこに生かして頂きたいと思います。

主よ、
どうか、私を熱い者として下さい。
情熱を与えて下さい。
あなたの使命に従う、
わがままな、自己中心的な熱心さではなくて、
あなたの御手の中にある、
あなたの導きに従った熱心さを与えて下さい。


2007-02-03

1週間の氷点下期間に突入

「一日一章」は2連敗。
今日はそろそろ休みます。
ここの御言葉を支えにしておられる方には申し訳ないのですが、
また明日の朝、時間ができたら更新します。

昨日の夜から氷点下に入り、
そのまま来週の金曜日くらいまで0度Cは超えないでしょう。
寒い日が続きます。

皆さんしっかりパッチを履いて
寒さを乗り越えましょう!

2007-02-02

Groundhog Day

今日はグランドホッグデー。
グランドホッグが自分の影を見るか、見ないかで、
冬があと2週間で終わるか、6週間続くか、わかるという、
そんなこと分るわけないじゃん、という日です。

詳しくは去年の今日の記録へ

ちなみに、今年は「あと2週間」だそうです。
そんなわけないじゃん、と思いつつ、そうだったらいいな、と期待してしまいます。

今日の夜は雪が降って、
うっすら雪化粧しています。
路面がうっすら凍結しています。

さっき帰ってきたばかりですので、
そして、明日の朝は早いので、「一日一章」もお休み。
また明日。

2007-02-01

敬虔さ

今日も寒かったですねえ。
昼間はプラスになりましたが、
朝は-4.8度。
今も夜の11時前で-0.5度。
この後雪になるようです。

でも、大したことはないみたいです。

明日も朝と夜に教会の集会があるので、
大したことはないと助かります。

今日はちょっともう遅くなってきたので、
「証し」はお休みして・・・たぶん明日も土曜日も難しいと思うので、
たぶん日曜日か月曜日。

そして、さっそく聖書。
今日はヘブル人への手紙5章。
7節の言葉が心に留りました。
キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」

イエスの祈りは「敬虔さのゆえに」聞き入れられたという。
敬虔さ、という言葉に今日はものすごい語りかけを感じました。
私には「敬虔さ」があるだろうかと。
主を畏れる思い。
主の前にひざまずく思い。
主を利用するのではなくて、
主を主として、あがめ、そこに従っていく決意。

その主との関係の中に歩んでいきたいと思いました。
主を主としてあがめる歩みをしていきたいと思います。
いろんな物事が周りに起ってくる中で、
それを整理していくだけで、
自分の仕事をこなしていくだけで精一杯のところもあります。
でも、そんな時にも、
何よりも主を主としてしたがっていきたいと思います。

主よ、
あなたが私の主です。神です。
私の人生のリーダーです。
教会のリーダーです。
どうか、あなたの導きの元に謙虚に歩んでいく者としてください。
敬虔さを身につけさせてください。
一つ一つの決断をするときにも、
あなたを見上げつつ、
あなたがどのように願っておられるかに注目しつつ歩ませてください。

2007-01-31

おりにかなった助け

今日も寒い一日でした。
朝起きたら-6度。
昨夜の雪も、coatingですみました。
昼間も1度くらいかな。

今は夜の10時で、-3.7度です。
そして、明日の朝から金曜日にかけての雪ですが、
やっぱり大したことはないようです。
集会があるので、雪が大したことがないのはうれしいですが、
何だか、今年の冬は寒くなっても雪は降らない、って
ちょっと変な冬ですね。

そして、来週はほんとうに寒いみたいです。
その寒さが抜けたら、いよいよ春近し、って感じですよね。
楽しみです。

さて、
「証し」の第6章。

中高生時代の問題、その2は、
露骨に書くとフィルターソフトを使っている人が
読めなくなってしまうので書きませんが、
男としての誘惑との闘いでした。

いやあ、遅かったのかもしれませんが、
そしてオヤジになったから恥ずかしげもなく書けますが、
中学生になってから、自分の頭はおかしくなってしまったのかと思いました。

難しいですよね、中高生にとって。
どこまで健康的な成長の過程で、どこからが「罪」となるのか、
私の場合は、自分の心の中の葛藤のレベルでしたけれども、
「どこまで行っていいのか」なんてことも中高生向けの雑誌を見ると、
書いてありましたね。早熟の子はそんなことで悩んでいたのかも・・・。

そして、中高生のころは、このような葛藤は
大人になったらなくなるのだと思っていました。
結婚前は結婚したらなくなるのだと思っていました。

でも、そんなことはない、みたいですね。
いつもいつも神様に守られていなければいけないと思います。

時々、こともあろうにその分野で失敗をして
牧師を続けられなくなる同労者がいます。
気をつけなければいけないと思いますし、
神の守りを祈って頂きたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日は早く目が覚めて、
神様からの「祈りなさい」コールだと思って、
早く起きて聖書を読んで祈りました。

その中で与えられた言葉。
「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」14-16節です。

長いですが、その中の特に「おりにかなった助け」という言葉に心が留りました。
主は私のために「おりにかなった助け」タイムリーな助けを与えて下さるというのです。
今、自分に必要な助け、
今、教会に必要な助けを
主は与えて下さることがおできになるのだというのです。

これはとてもうれしいことです。
今朝、私は神様の助けを必要としていました。
神様の答えを必要としていました。
祈っている中で、
平安が与えられました。
ほんとうに必要な助けが与えられたなあと思います。

神様がいつも守って下さるのだという
確信を持って進んでいきたいと思います。

主よ、
どうか、私に今必要な助けを与えて下さい。
あなたがそれを与えて下さる方であることに心から感謝します。
どうか、あなたの助けを私に与えて下さい。
タイムリーな、まさに今必要な助けを与えて下さい。

2007-01-30

励まし合う

今日の朝は寒かったです。
でも-8度くらい。
昼間は2度くらいまで上がりました。
そして夜は雪が舞っていました。

今、夜の11時半ですが、
ちょうど0度くらいで、小雪が舞っています。
外はうっすら雪化粧です。

そして、問題は木曜日の夜から金曜日の朝。
少なくとも、少しは雪が降るみたいですが、
金曜日の朝には暖かい空気が入ってきて、
雨に変わるかもしれません。
金曜日、さて、学校がDelayed openingになるでしょうか?

「証し」の第、えーと、5章。

中学校の1年生、13歳の時に、洗礼を受けました。
毎年、夏にいろんな教会から同世代の仲間が集まって、
「キャンプ」をしたのですが、
毎年、悔い改めるべき課題を持っていったような気がします。
小学生の頃は、「弟をいじめてしまう自分」がイヤでしょうがなかったのですが、
中学校にはいるとちょっとそれが変わってきます。
楽しいキャンプなのですが、やはり楽しいだけでは終わりません。
自分の心が探られるのです。

相変わらずよくケンカはしたんですが、
それに加えて、2つのことで悩むことになります。
今日はその1つ目。

それは、「ねたみ」でした。

自分はほんとうに無口でした。
恥ずかしがり屋で、いつも誰かにくっついて、
それでみんなの仲間に入れてもらっていました。

男兄弟で育ったので、
女の子にどのように接していいかも分らず、
自分から女の子に声をかけることなんか絶対にできませんでした。

時々、声をかけてくれる子がいると、
それだけでまたカーッと赤くなって、
しどろもどろで答えていました。

だから、自然に女の子に優しくできるヤツとか、
なれなれしく、声をかけられるヤツとか、
かっこいいヤツとか、スポーツのできるヤツとか、
もてるヤツとか、
うらやましかったです。

極めつけは、ある年のバレンタインデー。
親友の水泳選手のヤツと一緒にいました。
そこで、突然女の子に声をかけられるかきごおり君。
「かきごおり君、ちょっとちょっと・・・」
と呼ばれて、「お、おれか?○○じゃなくて・・・」
と舞い上がって、照れながら、一人でその子のところに行くと、
「かきごおり君ちょっとこっちおいでよ、かきごおり君がいつも○○君と一緒にいるから、△△ちゃんが○○君にチョコをあげられないじゃない・・・」

・・・

まあな、言われてみればそうだよな・・・。
今考えるとなんて「配慮の足りない」自分だったかと・・・。

ま、そんな中学生だったのです。
黒ブチめがねに坊主頭(これは校則)だったし・・・。

何とか、自分も勇気を出して誰とでも話せる人間になりたいと思いました。
気軽に誰にでも声をかけられるようになりたいと思いました。
そして、それができるヤツをうらやましく思いました。

そして、それがいつの間にか「ねたみ」や「憎しみ」に変わることもありました。

そんな自分の心を神様に探られて、
悔い改めて出ました。
ちょうどキャンプに来ている仲間に対してそんな思いを持っていた時があって、
その友人のところに行って、悔い改めの祈りをしたこともありました。

貴重な体験だと思います。
宝物のような体験でした。
今でも、あのころの「キャンプ」がどれだけ自分に大切だったか、
よく思い出します。

スタッフの皆さんがどれほどの情熱と体力でぶつかって下さったか、
考えると、ほんとうに感謝の気持ちが湧いてきます。

今の中高生達にも、そのような経験が与えられるようにと祈らないではいられません。

今日の聖書はヘブル人への手紙3章でした。
「『きょう。』と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。」13節の言葉が心に留りました。

「互いに励まし合って」と言うことの大切さを思わされました。
私たちの信仰は個人的なものです。
一人ひとりの信仰が大切なのです。
でも、私たちは「惑わされやすい」。
だから、励まし合う、ということが大切なのです。
決してもたれ合うのではありません。
自分の信仰は人を頼りにして守っていくことはできません。
でも、自立した信仰者同士が、
互いに励まし合っていくときに、
強くされ、支えられ、守られていくのです。
お互いに「神様を見上げよう」と神様との関係に立たせてくれるような、
そのような励まし合いが必要なのです。

お互いを見るのではなく、
お互いに神様を見上げるように、
神様の方に心が向くように、
励ましていくような関係。
そのようなお互いでありたいと思います。
そのような関係を支えていく牧師でありたいと思います。

主よ、
どうか、
「励まし合い」、それも「神様を中心とした励まし合い」の
輪を広げて下さい。
そのような関係が教会の中にあふれますように。
それによって支えられ、守られ、強められる教会でありますように。
心を開いて、語り合い、祈り合う時を与えて下さい。

2007-01-29

主の兄弟

今日は寒かったですね。
朝は-6度。
昼間も-2度くらいまでしか上がらなくて、
夜の9時ですが、もう-6度まで下がっています。
ずっと暖かくて、「冬らしくない」とか言っていましたが、
2週間で、「もう十分」という感じです。

明日の夜も小雪。
そして、木曜日の夜から金曜日の朝にかけて10センチくらいの雪になるかもしれません。

来週も寒いみたいです。


早く春になって欲しいです。
花粉症は勘弁して欲しいですが・・・。

月曜日なので、ちょっと息抜き。


実は先週の月曜日、久しぶりに時間ができて、
「買い物行く!」と言って、一人でチャイニーズの食料品店に行きました。
そこに行ったら楽しみなのは、「どんなものが売ってるのかなあ」と見ること。

いろいろ見ました。
何よりも楽しいのは、楽しい日本語の書いてある商品。
今、日本の製品も結構日本語変わっていると思いますが、
どこかのちょっと日本語の分る方が、
「ボクに任せて・・・」と日本語を入れたんじゃないかなあ、

という商品の数々。

読んでると、腰砕けになるくらい力がぬける日本語。

その中で、かきごおり的に「気に入った!」「食べてみたい!」と思ったのが、


これ。


「にぱんのラーメン」???

んー、っと考えて、

「日式拉麺」を読んで、
「ああ、にっぽんのラーメンて、書きたかったのか」
とわかりました。

お昼にいただきました。
4食入って1.99ドルですから、
高くもなく、さりとて「めちゃくちゃ安く」もなく、
「うーん、うまいねえ」って感じでもありませんでしたが、
まあ、いけましたよ。
満足はしました。

もう一回買うか、と言われたら、???

でも、考えてしまいました。

私なんか、英語での会話は苦手だけど、
まあ、書く方がいいかな、と思ったりします。

でも、日本語に置き換えて考えると、
片言の日本語が話せる方がおられた場合、
会話だったら、ちょっと間違っていても、
「ああ、こういう意味なんだろうなあ」と先回りをするし、
分らなかったら確認します。
そしてコミュニケーションを取ろうとします。
でも、印刷されていたり、書かれていたものだったら、
「なんだこりゃ」となってしまいます。
そして、笑える場合は笑いますし、
笑えない場合は、困ってしまいます。
いずれにせよ、コミュニケーションは難しいですよね。

だから、自分ももっともっと勇気を出して、どんどん会話の方をしていったらいいんですよね。
その中で、伝わっていくものがある、それを大切にしたい、と思いました。

今日はヘブル人への手紙の2章を読みました。
心に留った聖書の言葉は、
「主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで・・・」
という11節の言葉です。

私のことを「恥ずかしい」と思わないでいて下さる。
主は私のことを受け入れて下さって、私のことを、
恥ずかしい、とは思われない。
とてもうれしく思いました。

自分の姿を見ると、
イエスさまに「恥ずかしい」と言われてもしかたがないような者です。
でも、その私のことを主は「恥ずかしい」とは思われない。

「兄弟」として迎えて下さる。
あの放蕩息子の兄のように、
「あんなヤツ」と思われても誰が文句を言えるだろうか?
でも、主は、私を「弟分」として受け入れて下さる。
ありがたいです。

イエスさま、
あなたが私を「弟」として受け入れて下さって、
恥としないで、喜んで受け入れて下さることに感謝します。
あなたがお兄さんであることは、私にはものすごい喜びです。
これからもよろしくお願いします。
どうか、こんな弟ですが、かわいがってやって下さい。
一緒に楽しいところに行ったり、心が躍るような、すばらしいことをたくさん経験させて下さい。

2007-01-28

キリストは変わることはない

今日は暖かくなりました。
最高気温は6.7度。
でも、夜は雪が降ってちょっと雪化粧。
今も夜の11時ですが、0度で小雪が舞っています。
もうちょっと降るようですが、
まあ大したことはないでしょう。
学校も普通通りあると思います。

「証し」の第4章。

イエスさまの十字架を信じて、罪を悔い改めて、
晴れてクリスチャンになった、小学校二年生の学少年ですが、
その日から、二度と弟をいじめませんでした・・・
なんてことはありませんでした。

ちょっとは優しくできるのですが、
やっぱりちょっと生意気なことを言い出したり、
自分の方の虫の居所が悪いと、
すぐイヤなことを行ってしまうんですねえ、これが。

それで悩みました。
もう自分はダメなんじゃないかと。
せっかく悔い改めたのに何も変わっていないじゃないかと。
こんなんじゃ神様に天国に入れてもらえないと・・・。

そう、小学生の頃の罪意識のほとんどは、
この弟との間のことでした。
なんてイヤな兄貴なんだろうと自分で思っていました。

でも、それでも、イエスを信じたときに神の子とされているのだということを確信したのは次の言葉との出会いからでした。

「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」ヨハネによる福音書1章12節

聖書には「二度と罪を犯さなかったらあなたがたは神の子である」と書かれているのではありませんでした。「イエスを受け入れた者、その名を信じた者」が神の子とされると書いてあるのでした。
だから、私は神の子なんだと分りました。

そう、私たちは完璧にならなくても、
罪を全く犯さない人間にならなくても、
神の子とされているのだ、
ただ、信じるときに、内側は神様が造りかえて下さるのだから、
ただ、信じるときに、神の子とされるのだ、と分りました。

それから、今の子ども達にも、とにかく、悔い改めて、イエスを信じることの大切さを伝えていきたいと思わされています。

そして、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙に入って第1章。
イエスについて書かれているところですが、
その中で心に留った言葉が、
「あなたは変わることがなく・・・」というイエスに対していわれている言葉です。

私は変わってきました。
これからも変わっていくだろうと思います。

時代も変わってきました。
世界の常識も変わってきました。
何が良くて何が悪いことなのかも変わってきました。

でも、イエスは変わることがない。
いつまでも変わることがない。

この聖書の言葉は
いつもいつも新鮮で、私たちを生かしてくれる、
そのことにいつも驚かされています。

主よ、
どうかあなたの御言葉によって、
あなたの語りかけによって、
私を支えて下さい。
私たちの土台となって下さい。
私たちの力の源となって下さい。
この移ろいやすい世の中にあって、いつもいつも変わりない土台であって下さい。


2007-01-27

どこに投資するか

今日はずっと暖かくなりました。
朝起きたら-3度まで上がっていて、
一日中曇っていましたが、気温は2.3度まで上がりました。
今、夜の11時半ですが、気温はまだ1.8度もあります。
レーダーには何か降っているエコーが出ていますが、
実際には、家のあたりでは何も降っていません。
上空で何かが降っていても、下に届くまでに蒸発してしまう場合があります。

今も多分そうなのでしょう。

12時45分アップデート・・・外はみぞれが降っています。でも、プラスの1.9度。

明日も、今日同様、どんよりとあまり寒すぎない日でしょう。
月曜日はまた寒くなります。

「証し」の第3章。
私がイエス・キリストを救い主と信じたのは小学校2年生の時でした。
私の記憶によると・・・。

3年生から東村山の聖書学院で持たれていた
2泊3日の「小学生キャンプ」に行けるのですが、
特別にスタッフの一人であった父について、行きました。
夜の集会で、先生がお話をされていたのですが、
内容は何にも覚えていません。
で、最後にみんなが「・・・立って下さい」と言われて、
立ったんですよね。それで私も立ちました。
1年生の弟と一緒に・・・。

それに気がついた父が「どうして立ったんだ?」と聞いたのですが、
「みんなが立ったから、どうしたのかな?と思って」と答えたのだと思います。
でも、その時、私は父の口から、びっくりすることを聞きました。

「罪があったら、天国に行けない」
もうびっくりです。
教会で育って、神様のことを知っていました。
イエスさまのことも知っていました。
天国のことも・・・そして、当然、自分は行けるものだと思っていました。
でも、初めて「罪があったら天国に行けない」というのです。
それは困ったと思いました。
昨日も書いたのですが、
いつも弟をいじめていたからです。
だから、罪があることはよくわかっていました。

その時に、イエスさまが十字架にかかって下さったこと、
ゴメンナサイとお祈りすべきことを知りました。

私は単純に、というか、素直にと言うか、ほんとうに
それしかないと思って、泣きながら、ゴメンナサイと神様にお祈りしました。

1971年7月21日だったかな?
2年生の夏休みの最初の方の出来事でした。

「 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」ヨハネ第1の手紙1章9節

これが私にとっての「救い」の経験です。
でも、これはほんとうに始まりの始まりでした。

ですから今でも私は信じています。
どんなに幼い罪意識でも、
どんなに小さな罪意識でも、
軽く見てはいけないこと。

ちゃんとイエスさまの十字架の赦しを語ることの大切さ。
決して、「そんなことは気にしなくていい」と言ってはいけないこと。

そして、どんな薄っぺらな罪意識でも、
それを悔い改めたときに、神様に受け入れられること、救われること。
「救いの経験」はその時に与えられること。

そして、それはそれが「始まりの始まり」でだんだん深められていくこと。

さて、今日の聖書です。
今日はピレモンへの手紙です。

「その請求は私にしてください。」18節。

1章だけの短い手紙。
でも、その背後にあるドラマはどれほどのものだったかと思います。
ピレモンの奴隷でありながら、主人を裏切り、主人に損害を与え、
逃げ出したオネシモ。
しかし、彼はその後パウロに出会い、
悔い改めて新しい出発をします。

そのオネシモをピレモンの元に送り返すときに、
その手に持たせたのが、この手紙です。

「私がそれをかぶる」とパウロは言ったのです。
オネシモのために自分の持てるものを差し出したのです。

私はどうだろうかと思いました。
このようにできるだろうかと。

神様が私に託して下さったもの。
それは神様の許しの中で、神様の喜ばれるように使うことを前提に、
私たちに任されているもの。
それをどのように使うのか、問われているように思いました。

何に投資するのか、問われているように感じました。

最近、「次の世代のために何ができるか」と言うことをよく考えます。
自分が先輩達に与えられたように、私も次の世代にのために投資できるだろうかと。

神様から託されているものを、
喜んで与える、喜んでささげるものでありたいと思います。
次の世代のために。

主よ、
私に愛を与えて下さい。
あなたに対する愛を、
次の世代に対する愛を与えて下さい。

そのために、
いつもいつも、あなたからどんなに大きな愛を与えられているか、
忘れることがありませんように。
どんなに大きな愛を与えられているか、見つめ続けることができますように。

明日の日曜日に祝福を満たして下さい。

2007-01-26

良いわざに励む

今日は寒かったですねえ。
朝の気温は-14度C。
そして、昼間も-6度C。おまけに風もありました。
夜になって一度-8度まで下がった気温が、
今は-7度。
あまりこれ以上下がらないようです。

明日あさっては気温がプラスに上がって、
ちょっと楽になるようです。

そして、月曜日の朝には金曜日と同じようにちょっと雪が降って、また寒くなるみたいです。

今日は、「証し」の第2章。

今日の信徒勉強会では「証し」について学んだんですが、
その基準からすると神様を指し示す「証し」というより、
spiritual autobiography(自分の霊的な足跡をたどる作業)なのですが、
でも、その中でも、神様が私の人生にどんなことをして下さったか、
それが伝わったらいいなあ、と思います。

そう、自分の子供時代の中で大きな存在だったのは、
両親もでしたが、
正直言うと、兄弟の存在は大きかったです。
男ばかりの4人兄弟の2番目なのですが、
上の3人は年齢が近かったので、ほんとうに兄と弟の存在が自分にはものすごい、
影響がありました。

2つ上の兄はリーダーシップもあるし、
優しいし、
ちょっと変わっているところもあるけれども、
兄弟のまとめ役。
頼りにしていました。
私も生意気だったと思いますが、
かわいがってもらいました。
そして、兄の後をついていくのが、常になりました。
「お兄ちゃんがいくならボクもいく」
「お兄ちゃんがするなら、ボクもする」
それで交通事故にもあったのですが・・・。
中学でトロンボーンを始めたのも、
牧師になりたいと思い始めたのも(最終的には自分の決断でしたが・・・)、
兄の存在によるものでした。

弟は元気で楽しいヤツでした。
でも、1才違いの兄の私にとっては
また「生意気なヤツ」でもありました。
言葉では勝てない無口で内気な私にとって(ホント)、
どうやって弟を打ちのめしてやるか、
ぐうの音も出ないほどにしてやるか、
それが課題でした。

きつい目つきでにらみつけたり、
手を出したり足を出したり、
とにかくケンカをしたら、泣かさなければいけません。

でも、その後、必ず親に叱られて、自分も泣くことになるのですが・・・。

そう、いつも弟をいじめていたことが、
子供時代の「罪意識」の中心でした。
初めて「君にも罪がある」という話を聞いたときに、
何の抵抗もなくそれを「ほんとうにそうだ」と感じることができたのは、
そういう自分がイヤでしょうがなかったからです。

それが私に「救いの経験」を与えてくれました。

今日の聖書。
今日はテトスへの手紙の3章です。
「神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。」
8節の言葉です。

今日、日曜日の礼拝説教の準備をしながら、
ほんとうに「福音」の大切さを感じていました。

私たちは良い行いによって救われるのではない。
立派な人間になったら神様に受け入れられるのではない。
私たちは罪人なのに、神様は私たちを愛して下さって、
私たちのためにイエスを与え、
イエスが十字架の上で私たちの罪のために身代わりの死を経験して下さることによって、
私たちが赦される、というその福音です。

良い行いによって救われるのではないのです。
でも、良い行いをするようにと、
私たちは生かされているのです。

ただ、キリストの福音に感謝しながら、
愛されている喜びに満たされながら、
そのパワーを「良い行い」に向けていく、
そのように私たちは使命を与えられているんだと思います。

良い行いによって救われるのではなくて、
救われた喜びによって良い行いをするのです。

私の行いが人々を生かすものとなるようにと願います。

主よ、
御言葉によって生かしてください。
福音によって生かしてください。
喜びを満たして下さい。
あなたが与えて下さった大きな愛に感謝します。
どうか、その大きな愛に感謝して、
感謝と喜びを、「良い行い」に向けていくことができますように。

2007-01-25

威厳を保つ

いやあ、今日は寒いですねえ。
家の中にいても、冷たい空気がどこからか忍び込んできてるみたいです。
朝起きたら、外は雪化粧。
1-2センチくらい積っていましたね。

そして、今は夜の12時頃ですが、
外は-10.9度C。
今もまだまだ下がっています。
明日の朝は-13度くらいでしょうか?

大雪は降らないのですが、
時々小雪が舞う日がここ数日あるみたいですね。

昨日の夜、
日曜日に放送されていた「平成教育委員会」見ましたが、
その中で日本語の問題がいろいろ出ていました。
難しいですよね。

ATOK & 一太郎 第2回全国一斉日本語テスト

やってみましたが、
うーん、難しいもんですね。
平均は超えましたが、
言葉を使う仕事をしているのに、
こんなにもいい加減なのかと・・・。
特にマナーとか敬語の使い方とか・・・。

最近どうなのかなと思うのは、
「了解」と「了承」と「承知」の使い方。

「ご了承下さい」という言葉をよく聞きますが、
「承る」という言葉は「謙譲語」なのに、
それを使った「了承する」という言葉は「謙譲語」ではない、ってわけなんでしょうか。
「謙譲語」だと「承知する」?「承知致しました」とか。

でも、個人的には「ご了承下さい」って言葉も、何か、違和感あって、
いろいろ考えて今日も「ご了解下さい」という言葉を使いましたが、
それも、ちょっとおかしいなあ、と思い・・・、
何か難しいですね。
こういうとき、社会経験のなさが露呈してしまいます。
気にしすぎると、よけいおかしくなるけど、
最低限のことは身につけておきたいなあ、と思います。

同世代の中でも平均より下じゃないということは、
特別に無知なのではないかもしれませんが、
「牧師のための日本語講座」とか、どなたかにやって頂こうかな。

で、今日の聖書。
今日はテトスへの手紙2章でした。

最後の15節が心に留りました。
「あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。」

「権威をもって話す」「軽んじられないように」
どきっとします。
自分の権威ではなくて、
神様が与えて下さった権威、
それをほんとうに分っていない自分がいるような気がしたからです。

主の召しに対する確信、
主が与えて下さったこの教会の牧師としての使命、
そして権威。
それをしっかりと信じて、
信頼して、与えられたメッセージを語ることの責任を感じさせられています。

自分の能力とかを考えると、
権威とは無縁ですが、
主が与えて下さった権威を軽く見ないで、
また、人からも自分という人間ではなくて、
主が与えて下さっている権威を軽く見られることがないように、
堅く立っていくことが大切だと思わされました。

主よ、
あなたの使命、
あなたの与えて下さっている権威を感謝します。
その使命と権威を私自身が、
軽く見てしまうことがありませんように。
「謙虚でありたい」という言葉を、
自分の甘えの隠れ蓑にすることがありませんように。
また、あなたが与えて下さっている権威が
軽く見られているときに、それに甘んじることのない勇気を与えて下さい。
あなたの与えて下さっている権威にもっともっと信頼できますように。

2007-01-24

言葉と行動

今は夜の11時前。
9時過ぎにNYから無事帰還しました。
今日2回目の更新です。
これで「一日一章」が追いつきます。

気温は0.8度「も」あります。
「も」というのは、
明日あさってはここまで上がることはないだろうからです。

今北の方からどんどん冷たい空気が南に降りてきているみたいで、
今夜から明日にかけてにわか雪が降るみたいです。
軒並み60パーセントの雪の確率が出てきています。
うっすら雪化粧するかもしれません。

で、何日か前に「ああ、消えたー」と落ち込んだのは、
どんなことを書いていたかというと、
「証し」の1章として、
「牧師の家庭に生まれたこと」でした。

「牧師の家庭」に生まれるということは、
日本ではほんとうに特別なことだと思います。
100人に1人のクリスチャンで、
そのうちの牧師のうちなんて。

だから「恵まれている」ことは確かです。

もしも、自分が牧師の家に生まれていなかったらクリスチャンになっていたか?
どうだっただろうか、と思います。
だから、私にとって、そこに生まれたことはとても良かったことなのです。
それなしに今の自分はあり得ません。

でも・・・

まさにそれがゆえにある「痛み」もあると思います。
少なくとも私の場合は。
勘違いしないでください。
別に何か特別なことがあったわけではありません。
やはり恵まれているんだと思います。

でも
「恵まれているんだよ」と言われれば言われるほど、
行き場がなくなってしまうのです。
自分でも自分にそういい聞かせます。
そして、自ら行き場をつぶしていくのです。

何か、「何があったんだろう?」と疑心暗鬼になる方がおられると困るので、
「何も特別なことはなかったんだよ」という意味で、ちょっと書きますと・・・。

何でしょうか、自分で自分にプレッシャーをかけていたのでしょうか、
「牧師の息子だからこうしなければいけない」という気持ちはいつもありました。
学校の友達にも「教会の子供がそんなことをしていいのか?」みたいな、言われ方もしましたしね。

教会も楽しかったです。別に嫌なことがあったわけではないです。
でも、自分たちの休みの日である日曜日は親は一番忙しい日。
自分たちの親ではなくなり、教会のみなさんのものになる日。
祝日も何かいろいろ教会行事が入ったものです。

小学校1年生の時に、
『開校記念日』で、日曜日でも祝日でも何でもない日が休みになったとき、
5月13日。絶対に忘れません。
父が潮干狩りに連れて行ってくれました。
それから、ずっと「また潮干狩りに行きたい」と37年間思い続けています。

というくらいなんです。

だから、特別に何かがあったわけではないのです。

書きながら、「自分の『痛み』ってそんなもんかい、やっぱりホントに恵まれているよなあ」と、また思いました。

うーん、まだ自分の中でどう受け取っていいのか分らないのかもしれません。
これは自分の人生の宿題ですね。

で、今日の聖書。
今日はテトスへの手紙に入って、1章。

「彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。」
16節

どきっとする言葉ですよね。
「言ってることとやってることが違うじゃないですか!」
なんて言葉を聞いたりします。

他人事とは思えない感じがしました。
自分はどんな生き方をしているだろうかと。

もう一つの聖書の言葉を思い出しました。

「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」ヤコブの手紙1章22-24節

神様を神様とする歩み。
それが信仰のキモなんでしょう。

自分を神様にするのではなくて、
神様を神様とする。

明日は今月最後のJOYJOYキッズクラブです。
神様のすばらしさが示されますように。

主よ、
どうか、御言葉を聞くだけ、語るだけのものではなく、
そこに生きる者としてください。
自分を神とするのではなく、
あなたを神として従っていくことができますように。

明日のキッズクラブも祝福して、
たくさんの子ども達との出会いが与えられますように。

時が良くても悪くても

今日はNYの日です。
昨日の夜よりも今朝の方がちょっと暖かくなったような気がします。
でも、だまされてはいけません。
これから寒くなるみたいですから、
明日は小雪やにわか雪が降るだろうということですから、
そしてあさっては昼間でも-5度以下だそうですから・・・。

月曜日に4年に一度の免許証の更新にLodiにいってきました。
厳しくなったという話も聞きますが、
逆にデジタル化されて、とても早くなったような気もします。

来られたばかりの方々はIDをそろえるのが大変なようですが、
14年もいると、その場で「これある?これは?じゃ、これは?」って聞かれるまま
出していったら、そろってしまいました。

そして、1/8に書いた臓器移植のこと、
ちゃんと書類に書く欄がありました。
そこにチェックを入れると、免許証にOrgan Donerと入ります。

そして写真も「今までの使う?」と聞かれて、Yesと答えたもんだから、
全部で15分くらいでしょうか?
家を出てから帰るまでで45分でした。

4年前は「郵送での更新OK」で
その後、厳しくなって、本人の出頭が必要で、
時間がかかるようになったみたいですが、
ちょうど今回の更新の時には迅速化されていて、ラッキーだったと言えましょう。

2週間後にはいよいよ息子が16歳になってLearner's Permitです。
「もうかい!?」って感じです。

で、昨日の聖書。
昨日はテモテ第2の手紙4章でした。

心に留ったのは
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」2節

2つのことを教えられました。
1つ目はいつでも伝道すること。
状況的に伝道に適しているとき、適していないとき、ということがやっぱりあるんですね。
でも、たとえ「適していない」時であったとしても、御言葉を伝える責任があるということ。
「とにかく伝道しなさい」ということ。
励まされました。

そして2つ目は「教えたり、責めたり、戒めたり、勧めたりすることの大切さ」です。
「責めたり、戒めたり」というのはやはりリスクが伴います。
「そんなこと言われたくない」とか「そっちだって・・・」というときもあるでしょう。
「わたしを裁くのか」と言われるかもしれません。
でも、それを恐れていてはいけないんですね。
責められたり、戒められたりすることによって、
主の前に出て、御言葉によって成長するチャンスもあるのに、
それをみすみす奪っているのかもしれません。

愛と誠実さを持って
「教え、責め、戒め、勧める」ことができますように。

主よ、
御言葉の力を信頼して、
伝道させて下さい。
御言葉の力を信頼して、
「教え、責め、戒め、勧める」ことができますように。
私自身、御言葉によって整えて下さい。
そして、大胆に語る者とならせてください。

2007-01-23

神の人を整えるため

今日も寒い日でした。
昨日の夜もちらほら小雪が舞っていましたが、
それだけです。

木曜日もそうみたいです。
Stormではなくて、小雪が舞うくらいみたいです。
そして、金曜日は今年一番の寒さになるようです。

どうやらこのまま雪かきをしないまま、2月を迎えることになりそうです。

今日も早速聖書に行きます。
昨日の聖書はテモテ第2の手紙3章でした。
その中で心に留った言葉は、

「それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」17節の言葉です。

「十分に整えられた者」
これはまた大切な言葉ですね。
「奉仕のうちで整えられる」という面があると思います。
「十分に整えられるまで奉仕はできない」というのはまた違うかなあと思います。
でも、ほんとうに用いられるために「整えられる」ということがどれほど大切かと思います。

考えてみれば、
モーセも、情熱に燃えて、地位もあったときには用いられませんでした。
ペテロも、主のためにどこまでも!と情熱だけだったときには失敗だらけでした。

弱さを知り、砕かれたときに、用いられたのです。
主にとっては、この「整えられる」ということがどれほど大切なことかと思いました。

御言葉によって整えられて、用いて頂きたいと思いました。
御言葉がまた一人ひとりを整えてくださるのを見せて頂きたいと思いました。

人が救われることもほんとうに大きな喜びです。
でも、それだけではなくて、
キリストを信じた方が、
みことばに取り扱われて、
悔い改めに導かれて、
主によって整えられて、
主に用いられていくのを見るのは、
どれほど大きな喜びでしょうか?

そのような御業を日々の歩みの中で見せて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたのみことばに感謝します。
どうか、わたしに日々に御言葉を与えて下さい。
ただ「いいなあ」というレベルではなく、
魂を探られるような、魂が砕かれるような、
魂がゆさぶられるような御言葉を与えて下さい。

2007-01-22

主にとって有益なもの

ああ、どういう訳か、
結構たくさん書いたものが消えてしまったので、
がっくりきてしまいました。

うーん、それはまた気を取り直して明日書くとして、
今日はさっそく聖書に行きましょう。

昨日の聖書ですね。
昨日はテモテへの第2の手紙の2章を読みました。
その中で心に留ったのが次の聖書の言葉です。

「だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」21節。

主にとって有益な者。
そのようになりたいと心から思う。
そのためには不純なもの、主が喜ばれないものを取り除くこと、
主に取り除いて頂くこと、
こだわっていないで、
しがみついていないで、
主の許にお委ねして、
手放してしまうこと。

ほんとうに主に用いられるもの、
主にとって有益な者となりたいと思った。

昨日、教会の総会で今年の方針を語りつつ、
野心とか、野望とか、そんなものとは無縁なことを感じた。
ただ、この主を知って頂きたい。
この主の愛を多くの人に知って頂きたい。
そんな思い。

それだけでいい、と単純に思わされました。

どう思われようとも、そんなことも気になりません。
ただ、一人ひとりが主の前に整えられて、
主の前にへりくだらされて、
喜びのあふれて・・・
自分が何かができた喜びではなくて、
主に愛されている喜びにあふれて歩んでいくことができるように、
それだけを願います。

主よ、
もっともっと私の心を探って下さい。
そして、あなたの喜ばれないものがあったら、
それを示して下さい。
わたしはそれを手放しますから、
教えて下さい。
そして、それをきよめて下さい。
取り除いて下さい。
あなたにとって有益な者とならせてください。

2007-01-21

福音のために苦しむ

遅くなりましたが、
昨日の分です。

でも、天気予報は今日の分。
今日も一日寒かったのですが、
何と返ってきて天気予報を見たら、
Freezing Rain注意報がでているではないですか!

いつも書きますが、Freezing Rainは一番コワイですから、
明日の朝、気をつけてくださいねえ。
大したことはなくても、つるっと滑ることがあります。
車もそうですが、歩いててもこけることがあります。
いや、こけたこともあります。

「証し」のこと。
ここに来てくださるクリスチャン以外の方々もおられるので、
ちょっと説明すると、
神様が私たちの人生にどんなすばらしいことをしてくださったかを語ることを、
「証し」といいます。「神様の御業を証言する」という感じかな。

で、イ・チソンさんの「証し」についての言葉が心に留っているので、
それを紹介します。本人の許可いただいていませんが、本に載っているので、本の引用という形で・・・。

「信仰の証としてどのような話をすればよいのか悩んでいたとき、『信仰の証-testimony』というのは『わたしが何をした』ということを話すのではなく、『神さまがわたしにこうしてくださいました』と伝えることだと気づきました。だからわたしは人々の前で、これまで神様が示してくれた恵みについて話すことにしました。」(「今日も幸せです」106ページ)

そんな「神様がわたしにこうしてくださいました」という証し、今度書きたいと思います。JCCNJの皆さんには、15分バージョンの「キリストに出会ったときの証し」を書いてもらうことになっています。だから、私自身ももう一度書いてみたいと思います。1-2月の宿題です。

昨日の聖書。
昨日はテモテへの第2の手紙の1章を読みました。
「むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。」8節の言葉です。

「福音のために苦しむ」って分るだろうか?
こんな恵まれた環境に生きていて、
「福音のために苦しむ」なんて経験できるのだろうか?

何かぬるま湯の中にいるかのような感じもする。
何でもできて、堂々と語れて、
こんな中で、「福音のために苦しむ」ことはできるのだろうか?

「福音のために苦しむこと」次の課題のような気がする。
楽しい教会生活、楽しい伝道を求めてきたような気がする。
神様に求めながら歩んでいきたいと思う。

主よ、
「福音のために苦しむこと」とは何でしょうか?
教えてください。
そして、それを避けることがないように。
それを手にとって進んでいくことができますように。