2007-01-26

良いわざに励む

今日は寒かったですねえ。
朝の気温は-14度C。
そして、昼間も-6度C。おまけに風もありました。
夜になって一度-8度まで下がった気温が、
今は-7度。
あまりこれ以上下がらないようです。

明日あさっては気温がプラスに上がって、
ちょっと楽になるようです。

そして、月曜日の朝には金曜日と同じようにちょっと雪が降って、また寒くなるみたいです。

今日は、「証し」の第2章。

今日の信徒勉強会では「証し」について学んだんですが、
その基準からすると神様を指し示す「証し」というより、
spiritual autobiography(自分の霊的な足跡をたどる作業)なのですが、
でも、その中でも、神様が私の人生にどんなことをして下さったか、
それが伝わったらいいなあ、と思います。

そう、自分の子供時代の中で大きな存在だったのは、
両親もでしたが、
正直言うと、兄弟の存在は大きかったです。
男ばかりの4人兄弟の2番目なのですが、
上の3人は年齢が近かったので、ほんとうに兄と弟の存在が自分にはものすごい、
影響がありました。

2つ上の兄はリーダーシップもあるし、
優しいし、
ちょっと変わっているところもあるけれども、
兄弟のまとめ役。
頼りにしていました。
私も生意気だったと思いますが、
かわいがってもらいました。
そして、兄の後をついていくのが、常になりました。
「お兄ちゃんがいくならボクもいく」
「お兄ちゃんがするなら、ボクもする」
それで交通事故にもあったのですが・・・。
中学でトロンボーンを始めたのも、
牧師になりたいと思い始めたのも(最終的には自分の決断でしたが・・・)、
兄の存在によるものでした。

弟は元気で楽しいヤツでした。
でも、1才違いの兄の私にとっては
また「生意気なヤツ」でもありました。
言葉では勝てない無口で内気な私にとって(ホント)、
どうやって弟を打ちのめしてやるか、
ぐうの音も出ないほどにしてやるか、
それが課題でした。

きつい目つきでにらみつけたり、
手を出したり足を出したり、
とにかくケンカをしたら、泣かさなければいけません。

でも、その後、必ず親に叱られて、自分も泣くことになるのですが・・・。

そう、いつも弟をいじめていたことが、
子供時代の「罪意識」の中心でした。
初めて「君にも罪がある」という話を聞いたときに、
何の抵抗もなくそれを「ほんとうにそうだ」と感じることができたのは、
そういう自分がイヤでしょうがなかったからです。

それが私に「救いの経験」を与えてくれました。

今日の聖書。
今日はテトスへの手紙の3章です。
「神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。」
8節の言葉です。

今日、日曜日の礼拝説教の準備をしながら、
ほんとうに「福音」の大切さを感じていました。

私たちは良い行いによって救われるのではない。
立派な人間になったら神様に受け入れられるのではない。
私たちは罪人なのに、神様は私たちを愛して下さって、
私たちのためにイエスを与え、
イエスが十字架の上で私たちの罪のために身代わりの死を経験して下さることによって、
私たちが赦される、というその福音です。

良い行いによって救われるのではないのです。
でも、良い行いをするようにと、
私たちは生かされているのです。

ただ、キリストの福音に感謝しながら、
愛されている喜びに満たされながら、
そのパワーを「良い行い」に向けていく、
そのように私たちは使命を与えられているんだと思います。

良い行いによって救われるのではなくて、
救われた喜びによって良い行いをするのです。

私の行いが人々を生かすものとなるようにと願います。

主よ、
御言葉によって生かしてください。
福音によって生かしてください。
喜びを満たして下さい。
あなたが与えて下さった大きな愛に感謝します。
どうか、その大きな愛に感謝して、
感謝と喜びを、「良い行い」に向けていくことができますように。

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