2010-04-09

信仰的であることの意味。

今日は朝起きたら雨。
気温も昨日までとは打って変わって、
15度くらい。
でも過ごしやすい一日でした。


今は夜の11時過ぎですが、8.9度まで下がっています。
明日の朝は5度を切ると思います。


そして、明日も一日15度止まり。
爽やかな一日となりそうです。


さて、Purpose Driven Lifeの24日目ですが、
この日は「聖書のみ言葉によって成長する」ということです。
(書いてから気がつきましたが、1日飛ばしてしまいました)
頭でっかちになってはいけませんが、
やっぱり私達が成長させられるのは、
聖書のみ言葉によるのです。
今度の日曜日に開く、ルカの24章の後半でも、
何度も、「復活のイエスが聖書から、解き明かされた」と出てきています。


自分の考えよりも、御言葉に権威を認めて、そこに従うことです。
ただ、知識として知っていくことだけではなくて、
それを実行していくことです。従っていくことです。


もっともっと御言葉の権威を認め、
御言葉を愛して、貪るようにして、読む者でありたいです。


そして、今日の聖書。
エレミヤ書27:12-22。


「あなたがたはバビロンの王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ。」12節。

「日々のみことば」の解説に、
「降伏にも信仰が必要だった」とあるのを見て、
ああ、そうか、と思いました。

私の中で、「信仰」は「勝利」みたいな図式があって、
神を信じないネブカデネザル王に降伏するのは、
信仰的ではないのではないかと思う気持ちがあったのです。

どこまでも神様が勝たせてくださる、と信じて戦うことこそ、
信仰者の姿なんではないかと思っていたのです。

でも、実際、降伏することも、
信仰がないとできないことなんですよね。

大切なのはやはり「戦うか、降伏するか」ではなくて、
神に聞くか、他のものに聞くか、なんですよね。

私自身もいくつかの決断をすべきことについて、
本当に謙遜に主に聞いていきたいと思います。
また思い通りに、また「神様がこのように導いてくださっているのでは」という方に進んでいかないときにも、主を信頼して、忍耐をもって、従って行こうと思いました。

この世の力に降伏することも、信仰的な決断であり得る。

いつでもいつでも主に聞いていく、主に聞いて、それに従っていく者でありたいです。

主よ、
どうか、あなたに謙虚に聞いていく者でありますように。
原理原則ではなくて、あなたの導きを見極めることができますように。
あなたを信頼して、あなたの時を信頼して、信じていくことできますように。

No comments:

Post a Comment