夜です。
昨日は今回では始めてオリンピックを一生懸命見てしまいました。
男子のフィギュアを一生懸命見るなんて初めてですよね。
でも、とても面白かったです。
安全策をとって確実な線を狙うか、
失敗してもいい、と大胆にチャレンジするか?
見てて気持がいいのは後者ですが、
自分はどちらを取るか、と言われると、
後者で行きたいと思いながら、
結局は前者のようなことをして、
自己嫌悪になる・・・かな。(いやあ、しょうもないですねえ)
さて、Purpose Driven Life の3日目。
「あなたを動かしているのは何か?」です。
この何に動かされているか・・・で、Purpose Drivenというのが、
この本の立場ですが、私の場合はどうしてもこの表現に引っかかります。
Gospel Driven であるべきなんじゃないかと・・・。
そう、福音に押し出されるように動かされる、
それが、本当だと思うんですが・・・
でも、今日のところで、本当に心がドキッとする言葉がありました。
「人の期待に応えていたら、きりがありません。あなたには、神のみ心を行うのに十分なだけの時間が与えられています。」
そう、彼がいう、目的がハッキリしないと、
いろんなことをやって、収拾がつかなくなってしまう。
それは時々感じます。
だから、Purpose Drivenという言葉が適当かどうかは別として、
目的意識をハッキリ持つことは、大切なんだと思いました。
そして、与えられた時間の中で、本当に自分がなすべきことをちゃんと見極めること、
それが本当に自分には必要なことだと思わされました。
さて、2月13日土ようびの聖書。
マタイ15章21-28節。
「ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」27節。
この女の人は、
パンくずでも、パンくずでも、
それでも、自分の娘は癒されると、信じていた。
それくらい、イエスの力を信じていた。
そうだ、パンくずでも大丈夫。
ほんの少しでも、主が私たちに恵みを注いでくださったら
それだけでも、本当に満たされる。
それくらい主は豊かな方だ。
だから、大切なのは素直さ、
ストレートであること。
本当に単純であること。
いろいろ考えすぎるのかな。
毎日書いているように思うけど、
バカのように単純に、
神様を信頼して歩んで行きたい。
主よ、
あなたの大きさを信頼します。
あなたの好意を信頼します。
だから、大丈夫です。
安心してあなたに従って行きます。
どうか、すべてを導き、与え、満たして下さい。
かきごおり先生、同感です!!!
ReplyDelete日本語訳では、
「人生を導く5つの目的」になっています。
私は、苦しみにあって
その苦しみの中で過ごしてきました。
どうにもならない状況のなかで
その苦しみを日々、神さまに訴え続け
助けを求め続けてきました。
心が張り裂けそうになりながらも
祈り続けてきたことで
心に隙間が出来、そこに神さまが入って来られて
そして、心に余裕が少しずつ出てきました。
その後、
リック・ウォレンの本を
ミニチャーチで勉強することになりました。
そして、第1日目から、、、衝撃でした!!
「あ、そうなんだ、本当にそのとおりなんだ、、、。」と
内容が心にどんどん沁みてきました。
ですから、先生のおっしゃる通りだと思います。
「福音に押し出されるように動かされる」
私も今、そのようにされて
少しずつ動かされているのだと思います。
感謝いたします。
サマリヤの女
サマリヤの女さん、
ReplyDeleteサマリヤの女さんは、
本当に福音の証人ですよね。
私は、決して目の先に「永遠の命」という人参をぶら下げられて生きているのではない、神の愛に突き動かされて生きている、そうハッキリと言えます。
でも、それと共に、その「永遠の命」を見つめて、そこを目指して歩いているんだと思います。
そちらのミニチャーチでの学びも、幸いな学びとなりますように。