2009-12-30

物事を理解する軸。

今朝は寒かったですね。
でも、昼間は昨日に比べればぐっと楽になりました。
今、夜の10時半ですが、-0.8度。
気温が上がると天気が悪くなることが多いです。


明日は朝から昼過ぎまで雪。
数センチくらいつもるかもしれません。
全然大したことないかもしれません。


そして、元旦は大丈夫でしょう。
はい、予定通り、10時から祈り会、11時から元旦礼拝。
そして、その後はみんなでつきたてのお餅をいただきます。
はい、つくのは機械ですが・・・。


今朝のFuji-Sankeiの日本語放送。
7月のウイグル自治区の暴動を特集していました。
その中で取材されていた、ウイグル族のご婦人の言葉が心に留まりました。


「テレビのニュースで『ウイグル族が漢族を殺した』と言っていた。『終わった』と思った、数十年続いてきた互いの関係が終わったと。『暴徒が暴動を起こした』と言ってほしかった。暴動を起こしたのは『民族』ではなくて『暴徒』なのです。」と。


このご婦人はとても鋭い、と思います。
特別な教育を受けていたとも思えませんし、
世界情勢、政治情勢に詳しいのでもないかもしれません。
でも、このご婦人は正しいと思いました。


もちろん、民族の問題や経済格差の問題、少数民族への差別の問題あると思います。そういうことを無視してはいけないでしょう。


でも、ことさら、「ウイグル族が漢族を・・・」と報道することによって、どれだけ、一つの見方を固定してしまうことでしょうか?
両方の民族の人々に、どれほど相手の民族への偏見や恐れを根付かせることになったでしょう。


8年前、テロリストがWorld Trade Centerや米国の国防総省に旅客機で突っ込んだときも、
アメリカ中でGod Bless Americaが歌われていました。
私はものすごい違和感を覚えていました。
自分がここの人間ではない、ただの「寄留者」だということもあるのかもしれませんが、
私はどうしてもアメリカに対するイスラム原理主義の攻撃だとは思えなくて、
「アメリカ」が攻撃されているとは思えなくて、
「世界」が攻撃されていると思っていて、
「憎しみの力」「恨みの力」の攻撃だと思っていて、心を痛めていたので、
なんで、God Bless Americaなんだ?と思っていました。
攻撃されているのはUSAだけじゃないぞ、世界だぞ!と。
攻撃したのは原理主義の人たちみんなじゃないぞ、一部のテロリストたちだけだぞ、と。
でも、あのときは(今でもそうかも知れませんが・・・)、それはちょっとほのめかすだけでも、叩かれることでした。なかなか理解してもらえなかったことでした。


当時の大統領の世界観もあったと思いますが、
「アメリカとイスラム原理主義との対決」という図式ができてしまったように思います。
そして、それは結局はテロリストたち、の思うつぼだったのだと思います。「反米」はある人々にとっては暴力を正当化する大義名分になって、味方を増やすことができる訳ですから。


自分はどんな軸をもって一つ一つの出来事を見ているだろうか、
考えさせられました。


さて、昨日の聖書。
昨日は詩篇82篇。


「神よ、立ち上がって、地をさばいてください。」8節。

私たちの祈りは結局ここに行き着くのだと思う。
自分の正しさとか、自分の利益だとか、そんなことはどうでもいい。

神様が正義を打ち立ててくだされば、
もしも、そのときに、自分がさばかれることになったとしても、
自分の願っていたと違う結果になったとしても、
それを受け入れることが幸せになってくるだろう。

だから、やはり神様の正義が、神様の御心がなされることが、
私たちの祈りなのだと思う。
「主の祈り」の
「御心の天になるように、地にもなりますように」という祈りは、
本当に大切な祈りなのだと思わされた。

私もこの詩人とともに祈りたい。
神様、あなたの正義を、
私の正義ではなく、人間の正義ではなく、
あなたの正義を打ち立ててください。
この地に正義を行ってください。

主よ、
あなたの御心がなされますように。
私がそれに従うことができますように。
それが私の願っていることと違っていても、
それを受け入れることができますように。

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