2009-09-01

みことばと祈りのために。

今日も朝はひんやり、昼間は晴れて気持ちよく・・・
というさわやかな日でした。でもやっぱり夜はまた寒いくらい。
今は9時過ぎですが、16度に下がってきています。


明日の朝はやはり10度ソコソコ。
天気もよくて、ちょっと汗ばむくらいになりそうです。


週末の修養会もとてもいい天気に恵まれそうな感じです。
朝晩は今夜(現地は6度の予報が出ています)ほどではないですが、
やはり寒さ対策は必要でしょう。


最近、牧会とメッセージとのバランスについて考えさせられています。
メッセージ、説教が牧師の働きの中でとても大切だと思うのですが、
それと共に一人一人の心の状態に気を配って(もちろん気がつかないことだらけですが・・・)、
声を掛けていくことの大切さも思わされます。


恩師の先生は「説教を通して、牧会をする」というスタンスでおられました。
200人くらいの人々が集る教会でしたが、
礼拝説教、みことばを語ることによって、
その一人一人が答えを見つけていく、
牧師が一人一人の状態に心を配って、サポートしていくのには
限界がある。そうすると、一人で牧会できる人数は決まってくる、
200人の人々に触れるのは絶対無理。
だから、一人一人が説教の中から、答えをもらえるように、
そういうクリスチャンを育てていくのだというような意味のことを、
おっしゃっていたと思います。


一つのあり方だと思います。


牧師になって、一つの教会を任されて12年。


そのように説教だけに集中することの素晴らしさも感じさせられますが、
それと共に、一人一人との交わりの中で、主を指し示していくことの大切さを思わされます。
しかし、その限界も感じます。
もどかしさ、難しさも感じます。


だから、やはり、みことばと祈りなんだと思います。
「そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」使徒6:4


一人一人が、神様から、みことばから答えを頂いて、
一つ一つの問題の中で、平安と守りを頂いていくことができますように。


さて、8月28日(金)の聖書。
詩篇の75篇でした。


「それは、神が、さばく方であり、これを低くし、かれを高く上げられるからだ。」7節。

やはり、これも神様の支配を思わされる言葉です。
高ぶる者たちの仕打ちで苦しんでいた詩人にとって、
神様がすべてを支配している、ということはものすごい救いだったと思います。
主がすべてを支配しているから、これもいつまでもは続かない。
この状態がいつまでも続くわけがない。
そのように詩人は信じることができました。

私たちの歩みにとっても同じです。
本当に主の支配をどこまで信頼しているかが問われていると思います。

信じます。信頼します。
神様がすべてを御手の中に置いてくださっていることを。
ですから、恐れません。不安に思いません。
大丈夫。あのエリシャの町を包囲した天の軍隊を思い出します。

神様、
あなたを見上げます。
あなたの支配を信じます。
たとえ傲慢な者たちが跋扈して、
すべてを思いのままに動かしているように見えても、
実際に世界を動かしているのはあなたです。
ですから、私は恐れません。
あなたの御手の中に、私の安全も平安もすべてゆだねます。

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