2009-02-26

はい、わかりません。



いやあ、今週末のStormですが、
本当にわかりません。


でも、2段階攻撃(「日曜日」と「月曜日の夜」)の可能性が
昨日よりも強まったように見えます。


そして、1段階目はNothingかもしれません。


そうだと助かるのですが・・・。


今夜は冷え込みはすっかりゆるんで・・・と思ったのですが、
今、夜の11時過ぎで0.8度。
最低気温5度くらい、とか言ってなかったかなあ・・・。

でも、明日は10度を超えて暖かくなるようです。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の69篇1-12節。


「私が、断食して、わが身を泣き悲しむと、それが私へのそしりとなりました。私が荒布を自分の着物とすると、私は彼らの物笑いの種となりました。門にすわる者たちは私のうわさ話をしています。私は酔いどれの歌になりました。」10-12節。

詩人の「何をしても悪く言われる」痛みを感じました。

詩人は何をしてもそしられ、笑われています。
そして、自分の噂が酒の席での肴になっているのです。

こんなひどい話があっていいのだろうかと思います。
こんなひどい目にあったら、どんな気持ちがするのだろうかと、
想像もできません。

でも、この詩は「メシヤの苦難の歌」と言われるように、
イエスの十字架の苦しみを預言した歌でもあります。

主はそのようなところを通ってくださった。
私たちが同じようなところを通る時には、
「主のみ苦しみをShareしてもらえる」ことでもある。

イエスの痛み苦しみを教えて頂くための
「苦しみ」というと病の苦しみとか、
経済的な困難であるとかを、
考えることが多いです。

そして、人間関係のトラブルは自分に問題があるんだから、
イエスの苦しみとは関係ない、と思いがちです。

でも、そうではなかった。
イエスもあの十字架への道の中で、
侮辱と、非難の嵐の中を耐えられた。

だから、私たちが人間関係の問題で痛みを覚える時に、
主は私たちの痛みをわかってくださる。
その痛みを通して、十字架の痛みがほんの少しでもわかる。

どんな中でも主を見上げていきたいと思いました。

主よ、
イエスさまの十字架の苦しみを覚えます。
この侮辱を耐えられる姿を覚えます。
どうか、私たちを痛みの中で、苦しみの中で、
あなたのすばらしさを知ることができますように。
あなたの解放を経験することができますように。

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