2009-02-23

クライシスの中での傲慢さ。



今日は寒いですねえ。
さっき車を運転していて、信号で止まったら、
後ろの車の人が、つかつかと歩いてきて、
「ブレーキランプが両方消えてるよ」と、
すごいことを教えてくれました。


あわてて、電球を買ったのですが、
自分で取り付けようと、切れた電球を外そうと思ったら、
特別なドライバーが必要なことがわかって、一時断念。
そんな車で工具を買いに行くのもチケットが怖くていけません。


「電球切れているの知っているけど、今工具を買いに行くところだから・・・」と言えば、
見逃してくれるでしょうかねえ、ParamusのPoliceは・・・。


で、何が言いたかったかというと、そんな作業をしている時に、
ちょー寒かった、ということ。


今、夜の7時前。
外の気温は、-3度です。
今夜は、本当に冷えそうです。


もう一台の車が帰ってきたら、そっちの車で工具を買いに行こうと思います。


で、昨日書いた、みっどらいふくらいしす云々ですが、
今日、もう一回、そんなことを考えている時に、
思わされたのは、
「自分の人生を受け入れる」というのは、
確かに大切なのですが、
40代半ばの人間にとっては、
「まだまだ、わからないことがたくさんあるから、人生まだまだ未知数」
という思いを失ってはいけない、ということです。


「自分の人生を受け入れる」という時に、
もしも、それが「人生なんてのはこんなもんだ」なんて、
わかったような気になってしまったら、ものすごい傲慢なんじゃないかと。


今日も、先週の「プロフェッショナル」を見ていて、
日本では2月10日放送の分だったようですが、
メキシコで遺跡の発掘をしている考古学の先生の姿 を見ながら、
自分はまだまだチャレンジャーなんだと思わされました。


さて、金曜日の聖書。
金曜日は伝道者の書9章1-10節でした。


「というのは、私はこのいっさいを心に留め、正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にあることを確かめたからである。」1節。

神の御手の中にある。
今、神の御手の中に置かれている。
神の御手の中に生かされている。

そのことを感謝します。
そして、そのことを、単に言葉だけではなく、
本当にそうだ、と実感をもって歩ませて頂きたいです。
闘いもあり、痛みもあるでしょう。
でも、その中で、確かに主が守ってくださっている、
そのことを経験させて頂きたいです。

主よ、
あなたの御手の中に置かれていることに感謝します。
どうか、あなたの御手の中で歩ませて頂いていること、
あなたの御手の中にいることを、
もっともっと、肌で感じることができますように。



No comments:

Post a Comment