2008-10-06

求めることの大切さ。

夜になって冷えてきましたね。
夜の11時で7.6度。
明日の朝はだいたいどこの天気予報も4度を予想していますが、
もうちょっと下がるのでは?と思っています。


明日も晴れて、昼間はそこそこ暖かくなるようです。


今朝、いつものように教会に行ってお祈りしたのですが、
鍵を開けて入ろうと思った時に、
一つの思いが与えられました。
「共に祈る人々を与えてください」ということです。


教会のオフィスで祈り始めたのは3月半ばだったでしょうか?
ちょうど半年が過ぎました。
ひとりでいいと思ってきました。
この半年で4人の方々が1回ずつ祈るために来られましたが、
ほとんどはひとりで祈る時でした。


でも、今朝、その思いが与えられた時に、
一つの聖書の言葉が続いて響いてきました。
「あなたがたは、求めないから得られないのだ。」(ヤコブ4章2節)


それで、今朝から祈り始めることにしました。
共に祈る方々が与えられますように。


それと共に、「求めないから得られない」ことがどれだけあるか、も同時に思わされました。
大胆に求めて、他のところではなく、主に大胆に求めていきたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第二18:19-33でした。



「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」33節。

このダビデの悲痛な叫びに、
なんだかわかりませんが、涙があふれてきました。
理屈ではダビデの反応は問題があったかもしれません。
でも、理屈を超えたダビデの愛を感じました。

そして、祈りたいと思いました。
子供達、家族、そして教会のひとりひとりのことを覚えました。

ダビデも本当に自分の方が死んで、アブサロムが生きることを望んでいたなら、
ここで戦いにはならなかったでしょう。
理屈ではやはり自分の使命を知っていて、
アブサロムに王位を譲ることは神さまが喜ばれないことだとわかっていたでしょう。
本気でそんなことは考えていなかったと思います。

でも、彼を思うが故に、このような言葉が出てきました。
その愛は理屈とはまた別にあふれてきたのでした。

愛することを教えて欲しいと思います。
愛とは何なんだろうかと。
このダビデの愛を持ちたいと思う思いと、
愛は単に嘆くことではなくて、ある時は対決し、ある時は諫め、
ある時には励まし、支え、生かしていくものだろうという思いが湧いてきました。

神さまの愛の豊かさを教えて頂きたいと思います。

神さま、
ダビデのアブシャロムに対する愛に今日は心が震えました。
このような愛を持ちながら歩んでいきたいと思います。


でも、本当の愛の模範はやはりイエスなんですね。
ある時は厳しく、はっきりとした態度で、
でも最後は十字架で私たちに命を与えてくださいました。


そのイエスの豊かな愛、
確かな愛をもっともっと教えてください。

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