2008-05-10
スペアはあるか?
午後にはだんだん回復。
夕方には晴れてきました。
今夜はこのままスカッと晴れて、
明日も気持ちよく晴れそうです。
今日の夕方は、中高生の祈り会でした。
聖書の御言葉を真剣に分かち合い
祈っている姿の中に、
これからも大丈夫だ、と思わせるものがあります。
そのあと、Shopriteによって買い物をしたのですが、
その駐車場に、車のボンネットを開けて、
その中に買い物袋を入れている人がいます。
我が目を疑いました・・・。
レジ袋溶けるじゃん・・・。
走っているうちに下に落ちたりするでしょ。
あ、でも、温かいスープとかだったら、
エンジンルームの方がいいかも・・・。
そんなことが頭の中でぐるぐる回りました。
でも、次の瞬間に、
有名な小話を思い出しました。
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昔のWVビートル。
ドライバーが乗って、エンジンをかけようとしますが、
どういうわけか、動きません。
前に回って、ボンネットを開けてびっくり。
なんと、エンジンがありません。
「わー、大変だ!エンジンが盗まれた!」
大あわてで、他に盗まれたものがないかと、
後ろに回ってトランクを開けました。
すると、そこにちゃんとエンジンが鎮座しておられるではありませんか。
(そう、昔のビートルはエンジンが後ろだったんですね)
安心したドライバーが一言。
「ああ、良かった、さすがドイツの車、こんな時のために、スペアのエンジンも積んでるんだ!」
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で、あのShopriteの駐車場の車も実はエンジンが後ろだったんだ・・・と
思ってうちに帰ってから調べて見たんですが、
今どき、後ろにエンジンがあるのは、ポルシェくらいなんでしょうかね。
じっくりは見ませんでしたが、
あの車、ポルシェの911だったのでしょうか。
でも、ポルシェの911でShopriteで買い物ですか?
似合わねえ・・・。(笑)
わたしたちの人生、スペアがあるものばかりではありません。
家族、友人、周りの人、1人としてスペアはないのです。
そして、何よりも、自分の人生自体がスペアのないものですよね。
やり直しがきくこともたくさんある。
でも、取り返しのつかないこともまたたくさんあります。
大切に大切に、今の時を生かして歩みたいと思います。
さあ、今日の聖書。
今日からはサムエル第一です。1章1-18節。
「私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。」15節。
心を注ぎだして祈る、
どんな感じなんだろうかと思いました。
自分の心の中にあることを、全部、神さまの前に持ち出す。
今、弟子訓練の学びの中で、
お互いの前に自分の心を開くということの大切さを学んでいます。
心を開く時に、聖霊様がそこに働いてくださるというのです。
それもそうだと思いますが、
それと共に、いや、その前提としてでしょうか、
神さまの前に心を注ぎ出すことが、
大切なのではないかと思います。
何もHoldしないで、主の前に心を注ぎ出す。
悲しみや不安や、不満や、痛みや、
すべて主の前に持ち出して、主に知って頂く、
不平ではなく、つぶやきではなく、
自分の心の状態を知って頂く。
そのような「心を注ぎ出す」祈りへと、
主が招いておられるように感じました。
主よ、
あなたの前に私の心を注ぎ出します。
何も心にとどめておかないで、
心の中にしまっておかないで、
あなたに聞いて頂き、
あなたに知って頂き、
平安と確信を持って立ち上がらせてください。
このハンナの、その顔は「もはや以前のようではなかった」
という経験を私にも与えてください。
2008-05-09
人生を投資する。
よく降りました。
今、夜の9時過ぎですが、もう峠は越えたようです。
そして、気温も低かったです。
10度。昨日は25度でしたから、一気に15度も下がったことになります。
花粉症も、ずいぶん楽になってきました。
でも、明日、あさってと晴れて、また飛ぶんでしょうね。
こちらももう峠は越していると思いますが・・・。
月曜日の雨ですべてが流れてくれるようにと祈ります。
昨日の「買え買え」攻撃の話。
その後考えたのですが、私の今までの感性の中で、
「投資」という感覚があまり育ってきていなかったなあと思わされたのです。
単なる「節約」は守りの姿勢。
でも、それと共に「投資」という攻めの姿勢が必要なんじゃないかと。
この「投資」というのは、「株」とか「Mutual Fund」というレベルのことだけではありません。
時間の投資、能力の投資、自分への投資、子供への投資、将来への投資、社会への投資・・・。
イエスも大きなお金を任された人のなかで、それで商売をした人と、
恐れて地面の中に隠した人の話をされています。
そして、前者はほめられ、後者は責められるのです。
イエスはこの時、投資すべきものとして
神さまが一人一人に与えた才能のことを言っているんだと、
一般的に解釈されています。
そうだろうと思います。
でも、神さまが与えてくださったすべてなんでしょうね。
時間も、お金も、才能も、人間関係も、情熱も、性格も・・・
すべて「これを用いなさい」と言っておられるんだと思います。
だから、それをどこに投資するかが大切。
「買え買え」攻撃に負けないで、
何に使ったらいいのか、賢さが必要ですよね。
あと、ビジョン。
よく、スーパーなんかの「買え買え」攻撃に対する防御として、
「リストを作ってから、買い物に行きなさい。そしてそれ以外のものは買わない!」
なんてのが紹介されていたりしますが、
これって、ビジョンに通じるところがありますね。
「私はこれを買う!」ってのを決めてから、買い物に行くのは、
お店側に対して、受け身じゃなくて、自分の軸を動かさないで買い物ができる。
それと同じように、
「このように私の人生を投資するんだ」っていうビジョンがあると、
時間やお金や労力、才能を投資する時に、周りに振り回されない。
40代半ばにさしかかって、やっとそのことが実感としてわかってきました。
神さまに感謝。
この方に投資した人生。
ハイリターンが約束されています。
リスクは???
社会の常識からすると高いのかもしれないけど、
神の約束、からすると、リスクは全くないんですよね。
さて、今日の聖書。
今日は第1ペテロ5章でした。
「群れの模範となりなさい。」3節。
ほんとうに、アーメンと、襟を正される言葉です。
そのように歩みたいと思います。
主が歩まれた道を模範として、
私自身が、「神さまに従うってこういうこと・・・」
「神さまと共に歩むってこういうこと・・・」という
模範とならせて頂きたいと思いました。
主よ、
あなたに従います。
そして、群れの模範とならせてください。
そのように歩みたいと思いますから、
力を与えてください。
日曜日の説教のために、どうか、
あなたがわたしの心に語ってください。
2008-05-08
買え買え攻撃。
昼頃から曇り空でした。
もっともっと降ってくれると思っていたのですが・・・。
今はまた曇っていますが、
明日は雨のようです。
「洪水注意報」なるものが出ています。
とにかく、花粉をすべて流してくれたら助かります。
私はまだ外に出ないので、
大丈夫な方かもしれません。
どうしても外に出なければいけない仕事とか、
子供たちとか、結構大変だろうと思います。
つらそうな方々が何人もおられました。
今日は夜になってから、
のんちとM's Dayのためのショッピングに行ってきました。
もう、明日は直前の金曜日なので、
日本のMたちに当日届くというのはあり得ないので、
申し訳ないのですが、いい買い物出来ました。
いつもは、「任せたよ」とついていかないのですが、
今日は着いていこうと思いました。
男性にとって、ご婦人の洋服系のショッピングにつき合うことほど、
しんどいものはないと思うのですが、
今日は不思議とそれほど思いませんでしたね。
のんちの方はプレッシャーを感じていたかもしれませんが・・・。
で、ショッピングモールなるところにいったのですが、
まあ、こんなところに行っていたら、
いくらお金があっても余ることはないだろうなあ、
と思いました。
いくらでも「買え買え」っていろんなものが呼びかけているんですから・・・。
お店のディスプレーとか見ていると、
「お、俺も、こういうのをこういう風に着こなすと、チョイ悪系のオヤジに見えるかも・・・」とか、
思っちゃったりしますよね。(笑)
お店だって、どうしたら売り上げが伸びるかって、
一生懸命だし、心理学なんかも総動員で
「買おうと思っていなかったものを買わせるためにどうするか」
って、やっているわけですよね。
それで今は何でもクレジットカードで、
現金を使うことは滅多にないので、
どれくらいお金が残っているかわからない。
で、ついつい、「ま、何とかなるだろう、支払いは給料日の後だし・・・」となっていくんでしょうね。
まあ、国が「これを使いなさい」とお金を配ってでも景気を良くしたい時に、
こんなことを言っては「悪者」になってしまうのかもしれませんが、
本当に必要なものを見極める力が大切だと思いました。
「 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。・・・あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ6:31-33
さて、今日の聖書。
今日は第1ペテロの4:12-19
「ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。 」19節。
やっぱり主に委ねるって大切なことですよね。
主にすべてを委ねて善を行え。
本当にわたしたちにとってどんなに大切なことかと思います。
当時の人々は迫害がある中で、
どれほど悔しい思いをしたことか、
どれほど、「神さまどうして」と思ったことかと思います。
でも、聖書の「迫害された時に喜びなさい」と言われた主の言葉を思い出して、
ああ、これは自分が主に従っている時に与えられることなんだなあと、
受け止めて歩んだ、信仰の先輩たちのことを思わされます。
わたしたちはどれほど、周りの人に喜ばれる「キリスト教」を目指しているでしょうか?
どれほど周りの人にウケのいい教会を目指しているでしょうか?
評判は主に委ねて、ただ「善を行う」ことに熱い者でありたいと思いました。
主よ、
あなたにすべてを委ねます。
そして、私のすべきことをします。
すべてを守ってください。
委ねるとは、結果さえも委ねることなんですよね。
自分の願い通りに事が運ばない時にも、
それを受け止める力を下さい。
2008-05-07
神さまの力を信じる。
そしてスッキリ青空が広がりました。
毎日こればっかりですが、
「これで花粉さえなければ・・・」です。
明日は曇りがちで、にわか雨も降る、
不安定な一日になりそうです。
気温は高め。
25度くらいまで行きそうです。
さて、今日から、友人の牧師に勧められた、
「Praying God's Word」という本を読み始めました。
・・・読みかけの本がどんどん増えています・・・。
その最初から、ちょっといい本だなあという予感。
その緒論にこんな内容のことが書かれています。
悪魔はわたしたちの心の中に、
要塞を持っている。
そして、それは神さまの力を持ってしても、
取り除かれない、破壊されない、要塞だと思いこませようとしている。
わたしたちはどれほどそれにだまされているだろうか?
本当は、神以上に力あるものなど、この世に存在しないのに・・・。
その要塞として、
「偶像礼拝」「不信仰」「プライド」「ウソ」「愛されていないという気持ち」
「拒否されているという気持ち」「依存症」「食べ物に関する問題」
「罪意識」「喪失経験からの絶望感」「赦せない思い」「落ち込み」
「性的な問題」
などが取り扱われているようです。(目次より)
そうですよね、神さまの以上に力あるものは存在しないのに、
自分はこれから解放されない、と決めてしまっていることが、
どれほどたくさんあることでしょうか?
神の解放を求めて祈っていきましょう。
さて、今日の聖書。
今日は第1ペテロの4章1-11節。
「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」10節。
「神さまの恵みの良い管理者として」という言葉が心に留りました。
そして、その管理者として、自分の賜物は何だろうかと知らなければならないと思いました。
そして、自分を見つめてみると、
「よくわからない・・・」というのが正直なところです。
何かの本に「自分への神さまの賜物が何であるか3つすぐに思いつかないようでは困る」と言うことが書かれていて、「え~?」と思ったことがありましたが、それから全然前進していません。
いったい自分の賜物は何なんでしょうか?
語ることや聞くこと、使命だとは思いますが、
「賜物」?と考えると、それほど確信はありません。
何なんだろうかと思いました。
「管理人」の役割をちゃんと果たしていないなあと思いました。
真剣に神さまに求めて、また信頼出来る周りの人々にも聞いてみようと思います。
「私の賜物は何だろうか?教えて欲しい」と。
主よ、
私は「神の恵みの良き管理人」にはなっていませんね。
あなたが託してくださった賜物が何であるかわかっていません。
どうか、教えてください。
そして、その賜物を、正しく用いて、
あなたの素晴らしさを周りの人々に表していく者にしてください。
2008-05-06
イエスを見つめて
かなーり、キツイです。
夕方、運転していたら、くしゃみ6連発とかありました。
前との車間をしっかり取って、
できる限り目をつぶらないで、くしゃみをする。
安全運転を心がけさせられます。
明日まで晴れ。
きょう、Oakの花が落ち始めていましたから、
明日、かなり落ちてくれるでしょう。
そして、木、金の雨で流れてくれる、
なんてすてきなシナリオでしょう。(きらりと涙目が輝く!)
ほんとうにそうなってくれることを心から祈ります。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙の3章13-22節。
「彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。」14-15節。
どんなに動揺しやすい人間かと思わされます。
動揺しないためには、いつもいつも心の中で主をあがめること。
主に焦点を合わせ続けること。
そのことをここ数ヶ月、何度も何度も教えられています。
イエスさまから目を離さないでいなさい・・・
子供たちのために作られた歌ですが、
大人のわたしたちにもほんとうに語られる大切なメッセージだと思います。
いや、大人はいつも子供たちに見習わなければいけない、
そうですね。
イエスさまに目を注いでいれば大丈夫。
いろんなことで動揺されなくていい。
主よ、
感謝します。
あなたに目を注ぎます。
あなたを見つめて歩みます。
どうか動揺させられないで、歩むことができますように。
どうか、主の守りの中で歩むことができますように。
あなたから目を離さないで歩めますように。
2008-05-05
5月5日
それと共に、我ら夫婦にとっては1年に一度の特別な日でもありました。
子供たちにとっても、自分の存在の根拠になる日。
この日が月曜日=私の休日に重なることは数年に1回。
(ま、これは誰でもそうでしょうが・・・)
で、今年は、昼間・・・のんちは用事があっていない。
夜は私が用事があっていない・・・すれ違いだったんですね。
朝8時に見送ったら、夜10時までは会わない。
でも、昼間、家にいる方がこれは有利。
なんだか、久しぶりに朝から、
「どうすれば、疲れて帰ってきたのんちが喜ぶかなあ・・・」で、
考えました。
ピントはずれかもしれませんが、
今日のキーワードは「家事をする」夕食の準備・掃除・洗濯。
・・・この3つをやってから夕方NYに出かける・・・という作戦を練りました。
でも、朝から、トラブル。
・・・シャワーが壊れる。
ああ、このシャワー、この1年で何回目だ!
前回は何と、私が日本に行っていなかった時に水が止らなくなって、
自分で直せば、部品の買い置き(1コ3ドルくらい)があったので、
お金はかからないのに、業者に来てもらったので、
部品はうちの買い置きのを使ったのに、280ドル!
(あ、もう一カ所直してもらったんだったっけ・・・)
今度は違うところなので、部品の買い置きはない・・・。
こんな時はHome Depotですよね。でも・・・ない・・・。
で、店員さんに聞く。
この手の店の店員さんは素人に毛が生えた程度の人が多い中で、
私が聞いた人は「あたり!」だったみたいで、
「あ、この部品はうちにはないなあ、
Davidsonで聞いてみな」って教えてくれました。
Davidson?何それ?という私に
「お店の名前だよ。この反対側、もうちょっと南にレッドロブスターがあって、その隣。」と教えてくれました。
そんなのあったっけ?と運転していったら、
「あ、これか!」という店。
今まで勝手に「ハーレー・ダビットソン」を連想して、
「バイク屋?」と思っていました。
水道関係専門店だったんですね。
そこで、部品を見せたら、
「あ、これね」とカウンターの中のロッカーから見つけ出してくれました。
ここの店員さんはまさに「プロ」。
おかげで5ドルで無事修理完了。
いいお店を教えてもらいました。
修理後のシャワー、今いちの部分もあるのですが、
それが280ドルか5ドルかの違いなんでしょう。
目標はその差を限りなくゼロに近づけること。
DIY Life今後ともがんばります。
買い物行って、料理して、洗濯回して、掃除して、準備万端で、NYへ。
相手が喜ぶのを想像しながら動くって、楽しいですね。
でも、「気をつけなければ・・・」と思ったのは、
あんまり気持ちが先走って、
期待通りの反応がなかった時に、がっかりしないこと・・・。
相手が喜ぶのを見て自分が満足するなら、
結局それは自分のため?
自分のためじゃなくて、
何とか、相手の心に触れることを求めて、動いていくこと、
たとえ、自分が期待していた様な反応がなくても、
「こんなに考えたのに・・・」なんて言わないで、
そんなこと思わないで、次に生かしていくことができるように・・・。
ここまで3時半頃の文章。
で、帰ってきました。今11時前。
喜んでくれましたヨ。
さて、今日の聖書。
今日は第1ペテロ3章1-12節。
「同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。」7節。
今回、本当にそうだなあと思いながら、教えられました。
主が語ってくださったのだと思います。
「妻の方が弱い」なんて性差別だと言われてしまうかもしれませんし、
「あなたは妻によって支えられているでしょ」と言われたら、
まさにその通り、と言わなければいけません。
でも、それと共に、「自分より弱い器」ということも、
ほんとうに意識していかなければいけないと思わされたのです。
それを忘れた乱暴さ、
それを忘れた言葉、
それがどれほど、妻を傷つけ、苦しめてきたか、
そのことを思わされたのです。
だから、そのことを覚えながら、
「尊敬」させて頂きたいと、18年目の今日、思わされました。
主よ、
あなたの与えられた妻のゆえに感謝します。
ここまで守ってくださったことを感謝します。
どうか、わたしたちを守ってください。
どうか、私の心を守ってください。
愛する、ということを、もっと学ばせてください。
2008-05-04
NOと言わない日本人。
昼頃には晴れ。
暖かくなってきました。
明日も気持ちよく晴れるみたいです。
朝は7-8度。でも日中は20度を超える予報が出ています。
花粉大量飛散日です。
今日の夜の集会に、
ちょっと前から礼拝に来られているアメリカ人の方が来られました。
日本に学校の先生で行かれていて、
日本語もかなりわかります。
お話の中で、
日本人がNOと言わない、という話題がツボにはまりました。
彼女にとっては、
YESはYES、NOはNOとはっきり言うのが当たり前。
でも、日本に行った時、
みんなNOは言わない。
行く前から「それには注意しなさいよ」と言われていたそうですが、
ほんと、困ったそうですね。
そして、人によってNOの表現が違う。
そして、その表現を読んで「ああ、NOなんだなあ」と受け取らなければいけない。
・・・んだそうです。
「うーん」と難しい顔をするのがNOの人もいれば、
「そうねえ」がNOの人もいる。
「それはちょっと・・・」がNOの人もいる。
彼女、その日本人のNOのまねがとっても上手。
自分は結構もう日本的感覚を忘れているかもしれない、
と話を聞きながら思いました。
NOも言っちゃうし、表現を読むのも「え~、そこまでしないといけないの?」
って感じです。
人生の3分の1以上こっちになっちゃいましたからねえ・・・。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙の2章11-25節。
「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」23節。
イエスは悪口を言われても、侮蔑されても、
言い返さず、神さまに裁きを任しておられました。
これがわたしたちの手本だと言われます。
裁きをするのはわたしたちではなくて、
神さまご自身。
そこに委ねて、わたしたちは自分の道を歩んでいけばいい。
自分の道を歩んでいくことが大切。
そして、わたしたちは「正しく裁く」ことができないんですよね。元々。
だから、主にお任せしていく。
自分の不完全さを認めて、
正しい方に、任せていく。
そして、その方の判断には間違いがない、ということを認めて、
そこに生きていくんでしょうね。
どこまで主を信頼するか、問われているように思いました。
主よ、
あなたを信頼します。
あなたのなさることはいつも最善で、
いつもあなたの裁きは正しいことを認めます。
平安を満たしてください。
私の心をいつもあなたの平安で満たしてください。
2008-05-03
この喜びを伝えるために
早速今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙2章1-10節。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」9節。
わたしたちが神に導かれたのは、
神さまのことを伝えるため。
自分が楽しいとか、
自分が快適だとか
安定した生活を送るとか、
そういうことのためではありません。
神さまの素晴らしさを伝えるためです。
伝わっているだろかと思います。
でも、今弟子訓練の中で学んでいるのは、
毎日、一人ずつクリスチャンへと導いていく働きと、
1年で一人、訓練をして、また次の人を導ける人を
育てていく働きと、どちらが大切なのだろうか、いうことで、
イエスは後者を選ばれた、ということです。
前者は毎日毎日一人ずつ、1年で365人を信仰に導きます。
2年目が終わった時には730人の人がキリストの元に導かれています。
後者は1年に1人しか導きません。
でも、その1人はまた、自分と同じように、
次の1年で1人をまた次に誰かを導くことができる人へと導きます。
ですから、2年目には4人になっています。
3年目には8人、4年目には16人になっています。
でも、人数的に、後者が前者を逆転するのは、
いつかというと、13年目です。
つまり、それまでは、その働きの実は、
あまりはっきりとは見えてこないということです。
そんな中で、忠実に人を育てていく、そのことの、
大切さを思わされました。
地味な、誠実な働きをさせて頂きたいと思いました。
主よ、
どうか、私を用いてください。
あなたのことを伝える者としてください。
そして、その伝えた相手が、
また次の人に伝えたい、と願う人になることができますように。
どうか、用いてください。
ビジョンと確信を与えてください。
Forever Stamp考
GW恒例、Yankees-Mariners戦に行かれた方には、
よかったのでしょうが、
外では、花粉は飛びまくっているので、
結構キツイです。
ちょっとでも外に出る時には気をつけないと、
そのあと1時間くらいくしゃみと目のかゆみで悩まされます。
今夜は雨になりそうです。
明日もどんよりです。
そして、月曜日から晴れます。
一気に花が咲いて、
花粉の季節があと1週間で終わってくれると助かるのですが・・・。
12日から郵便料金が値上げになります。
厳密に言うと下がるケースもあるようですので、
必ずしも「値上げ」とは言えないし、
郵便公社は「Postage Change」だと言い張り、
その「お知らせ」の最初は、「下がる」部分を強調しています。。
でも、やはり普通の手紙は41セントから42セントになるわけですから、
実感は「値上げ」。
それでかきごおり的に気になるのは、
41セントになる時に登場した、Forever Stampの存在。
郵政公社のHPに行くと、普通手にする100枚のロールに加えて、
3000枚、10000枚のロールがあると宣伝しています。
いつまでも使えるわけですから、絶対得、って思いますよね。
郵便料金はこれからも上がっていくでしょうし、
41セントのうちにたくさん買っておけ!と思いますよね。
少なくとも2-3年分は買っておいた方がいい、
いや、42セントどころじゃない、80セントくらいになったら、
価値は2倍だ!20年分くらい買っておこう!なんて思ったりもしませんか。
絶対、郵政公社、それねらってますよね。
だって、今後20年間に使う切手を今買ってくれたら、
それはそれはすごい収入になるじゃないですか・・・。
それを投資に回せるわけですから、そんなうれしい話はありません。
それだけではなくて、絶対、買った切手で使わなくなってしまうのがある・・・。
それを考えると、ものすごい得です。
昔、NTTがテレホンカードなるものを発売し始めた時に、
大学の先生がしきりに、「あれは儲かるよなあ、金利分が浮くんだから・・・」っておっしゃっていました。
まあ、それでも、消費者のわたしたちにとっても、
おいしい話だったら、いいわけです。
10000枚のロールで4100ドル。それなりの軍資金が必要でしょうが、
20年経っても、孫の時代になっても使えるって、すごい、と思いますよね。
でも・・・
たとえば、今、HSBCとかING Directとかの
インターネットバンキングの普通預金の利率は年3パーセントくらい。
月に直すと0.25パーセントくらい。
それで計算すると、41セントの切手をいま買って将来使うのと、
今買わないでそのお金を銀行に預けておいて、
買う直前に下ろして、42セントの切手を買うのと、
どっちが得か、というラインは9ヶ月。
たった、9ヶ月です。
つまり、この先9ヶ月以内に使う切手は来週のうちに、
買っておけ、ということです。
この先預金の金利がどうなるかわからないので、何とも言えませんが、
今年のクリスマスのためには買っておいてもいいけど、
来年のクリスマスのためにForever Stampを買っておくなら、
その分、ING Directに入れておけ・・・という結論になるわけです。
ちなみにわたしが知っている一番前にさかのぼると封書が29セント。
1991年ですから今から17年前。
17年間で13セント上がっているわけですが、
年率に直すと2.2パーセントの上昇。
20年後のことはわかりませんが、
それほど魅力的な投資ではないってことですよね、
Forever Stamp。
でも、私のようにズボラで、未だに34セントの切手を持っていて、
ああ、7セント切手を買ってくれば、(あるかどうかも知りませんが・・・)いいんだ、
ああ、でも今行くのは面倒くさい・・・
なんてしょっちゅう思っている人には、「これさえあれば、いつでも使える」
というForever Stampは、ホントありがたいですよね。
さて、昨日の聖書。
昨日はペテロ第1の手紙1章13-25節。
「あなたがたは、心を引き締め、身を慎み・・・」13節。
神さまの恵みをいただいているから、
素晴らしい救いをいただいているから、
赦されているから、
好き勝手なことをするのではなくて、
心を引き締めて、身を慎んで・・・というのです。
この言葉が語られました。
ああ、私は今、心を引き締める時、身を慎む時。
それは神さまに愛されて、神さまに赦されているから・・・。
そして、続いて、「あなた方も聖なる者となりなさい」と。
尊いイエスの血潮によって救われたのだから、
聖なる者となりなさいと。
福音の素晴らしさをもっと教えて頂きたいと思うと共に、
心から、きよくされたいと思いました。
聖なる者として歩みたいと思いました。
主よ、
私をきよめてください。
あなたの警告に感謝します。
心を引き締めなさいと、
身を慎みなさいと。
どうか、イエスの血潮によって救われた喜びをもっともっと満たし、
喜んであなたに従っていく者とならせてください。
2008-05-02
明日は早天。
が、明日は元々あった月1回の教会全体の第1土曜日の早天です。
早く休もうと思います。
今日の分の更新は明日の午後になります。
では、また明日の朝、教会で!
2008-05-01
燃費との戦い
最低は0.3度でした。
もう少しで氷点下だったのに・・・。
昼間は20度くらいまで上がりました。
雨は夕方から・・・。
明日から、月曜日くらいまで、
どんよりとした日が続くようです。
ガソリンの安いNJでも3ドル45セントくらいまで上がってきました。
高いところでは4ドルを越え始めたようですね。
そこで、あちらこちらに、「いかにガソリンを節約するか」という記事が出ています。
で、今日届いたConsumer Reportでも、
何とかして燃費を良くする方法が書かれています。
まあ、大体こう言うのはどこを読んでも同じで、
スピードは55マイル、
急発進や急ブレーキは避ける
どうしても必要じゃなければプレミアムは入れない
(これは燃費ではなく値段ですね)
タイヤ圧をチェックして適正に保つ、
みたいなことが並んでいるのですが、
そのページの右側のコラムに
Myth Bustersという記事があります。
「神話退治」ということですが、
どんな神話があるかというと・・・
1.朝ガソリンを入れた方がいい・・・温度が低い方がガソリンの密度が高い。昼間は温度が上がって、ふくらんでしまうので、同じガソリンでも量が多くなる・・・実際は、タンクから給油されるガソリンの温度は昼も夜も大して変わらない。変わっても体積もそれほど変わらない。
2.エアコンを使ったり、窓を開けたりすると燃費が落ちる・・・エアコンは電気を使うから燃費が下がる、窓を開けると空気抵抗が大きくなるから、燃費が落ちる、・・・どっちがより燃費が悪くなるかなんて議論もあるが、実際は変わるとしても1パーセントくらい
3.エアフィルターの汚れ・・・汚れているとガソリンが無駄になる・・・実際は、今の車はコンピューター制御で、エアフィルターがつまって空気が減ると、燃料をも減らすと言う設計になっていて、燃費は変わらない。ただ、加速は悪くなる。
1.は絶対そんなことあり得ないと思っていました。だって、ガソリンタンクは地下ですから・・・。
3.は意識したことはありませんでした。でも、きれいな方がいいんだろうなあ、とは思っていましたが。でも、コンピューター制御になっているとは・・・。
それで、意外だったのは2.
私もガソリンが残り少なくなって、ああ、やばい、と思ったら、エアコン切ってガソリンを節約したつもりになっていたのですが、あんまり変わらないんですね。な~んだ。
まあ、窓を開けるというのは、風もうるさいし、この季節、花粉も困るので、滅多にやりません。
まあ、あまり気にせずにエアコンをかけたらいいんですね。車の場合。
この雑誌、公平さを失わないようにと、広告も取らずに作られている消費者雑誌で、
何年か前に、赤ちゃん用のカーシートの安全性について、厳しいことを書いて、
「そんなことはない、実験の仕方が現実離れしている」と批判されて、問題になったくらい、
企業に対して厳しいので、この記事も決して石油会社の味方をして書かれたんじゃないようです。
念のため。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙1:1-12でした。
「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」7-8節
今、この前半については、ほんとうにそうだなあと思います。
金よりも尊いものとされるために、試練が与えられているのだと・・・。
でも、その一方でこの後半を、今私は活き活きと感じているだろうかと、思わされました。
イエスにある喜び、
救いの喜び、
今あふれているだろうかと。
「栄えに満ちた喜びにおどっています」ということを、
実感をもって、そうなんです、と語ることができるだろうか。
そう思わされて、ほんとうにもう一度救いの喜びにあふれさせてください、
救いの喜びに突き動かされる歩みをさせてください、
そのように祈りました。
主よ、
聖霊様によって、満たしてください。
そして救いの喜びにあふれて、天国の希望にあふれて、
歩む者とならせてください。
このペテロの言葉「栄えに満ちた喜びに踊っています」という言葉が、
試練の中でも「その通り!」と思えるように、わたしのこころに満ちてください。
2008-04-30
テニスか異種格闘技か。
1.5度ですよ。
いやあ、寒かったです。
今も底冷えはします。9時半で7.4度。
明日も1度くらいまで下がりそうです。
昼間も14.8度止まり。
でもよく晴れて、風が強く、
花粉日和でした。
で、今日は気をつけて、あまり外には出ませんでした。
だから、花粉症はまあまあOK。
昨日聞いた話。
「恋愛はテニスみたいなもんで、結婚は異種格闘技みたいなもん」
どうやら、水谷先生のご本「ヤンキー牧師の必笑恋愛塾」に書かれているようですが、
すみません、まだ私は読んでいません。
でも、かなりツボにはまりました。
テニスはそれぞれのスペースがあり、
その間にはネットがあり、
共通のルールがあって、
球の打ち合いをする。
恋愛はそんな感じ。
自分のスペースがあって、間にはにはちゃんとネットがあって・・・
でも、結婚は違う。
同じリングの上に上がる。
そして、互いのルールが違う。
猪木とアリの試合のように(古い・・・)
というか、違っていることに気がつけば、
かなりいい。
自分のルールですべて判断しようとするから、
何で相手はここでこんなことをするんだ、と頭に来る。
相手のルールを知らなければいけないし、
学ばなければいけない。
いつまでもテニスをやろうと思っちゃいけない。
いつまでもテニスをやっているつもりじゃいけない。
・・・ですよね。
妙に納得。
水谷先生のオリジナルなのか、
誰か他にそんなことを言い出した人がいるのか、
私は存じ上げませんが、
こういうことを思いつく方ってすごいなあ、と思います。
そのひらめきがすごい。
ちょっと私も考えてみようっと。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇の51篇の10-19節。
「神よ。私にきよい心を造り、 ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」10節。
ほんとうにこの祈りが私の朝の祈りでした。
私のうちに新しい霊を、揺るがない霊を作って下さいと。
ちょっと考え方を変えるとか、
ちょっと気をつけるとか、
ちょっと気分転換をするとか、
そういうレベルではなくて、
主によって新しい霊を私のうちに作って下さい、
そのように祈りました。
そして、今日、ある瞬間に、
「あ、変わっている」と思いました。
主が守って下さっている。
不思議なんだけれども、
主が新しい霊を与えて下さっている、
そのように思いました。
主よ、
あなたが新しい霊を作って下さる、
ということはほんとうですね。
心から感謝します。
今日、ほんとうにそのことを感じました。
一歩一歩守り、ささえ、導いて下さい。
日々、新しい者とならして下さい。
日々、キリストに似た者にならせてください。
ナンバープレートの使い回し
雨が降ったりだったのですが、
2時半頃からどんどん晴れてきて、
夕方にはすっかりいい天気に。
そんな中、ちょっと家の前で作業をしていたら、
花粉症爆発。
素直にマスクをすべきでした・・・。
何の作業かというと、
車のナンバープレートのつけかえ。
今までの車、ブレーキパッドがすり減って、
交換時期。前と後ろとあわせて500ドルくらい?
そのほかにもあちらこちら、言うことを聞かなくなってきていたので、
じゃあ、ここら辺で乗り換えですね・・・と
昨日、個人売買で中古車を購入。
で、登録をしたのですが、
ナンバープレートって、1枚を何台にも使い回すんですね。
同じ名義だったら、違う車にトランスファー出来る。
それもたった4ドル50セントで。
前のナンバーを返して、
新しいナンバーを取ると70ドルくらいしますよね。
ものすごい得をした気分です。
これも知らなかったら、それまでで、
今まで、ナンバーを使い回しても、新しいのをもらっても、
同じ登録料は同じだと思っていましたので、ちょっとびっくり。
リースとかだったら、名義が換わってしまうからダメなのでしょうか?
新車でもそういうこと出来るのでしょうか?
ディーラー通しても出来るのでしょうか?
今まで、
中古→リース→(中断)→中古→リース→(中断)→中古
だったので、あんまり疑問も持たないで来ましたが、
もしかしたら、ものすごい損をしていたのかも・・・。
さて、昨日の聖書。
昨日は詩篇の51篇1-9節でした。
「どうか私の咎を、私から全く洗い去り、 私の罪から、私をきよめてください。」2節。
十戒の最後の戒めは
「あなたの隣人のものを欲しがってはならない」です。
そのことについて、心を探られました。
物質的な「もの」だけではなくて、
人間関係や、能力、環境、そして神さまからの使命などなど・・・
そのようなものも、隣人のものを欲しがってはならない。
自分に与えられたものを受け取りなさい、
わたしがあなたに与えた使命、才能、人間関係、環境・・・
すべて、あなたのための特別なものなのです。
そのように語られました。
ほんとうにきよめて頂きたいと思いました。
主が与えてくださっているものに、
いつもいつも感謝しつつ歩もうと思いました。
神さま、
あなたが与えてくださっているものに感謝します。
そこに目を向けさせてくださってありがとうございます。
自分の人生を受け取り、感謝して前進していく者としてください。
2008-04-29
2008-04-28
痛恨。
夕方から、8時頃にかけては結構本降りでした。
でも、もう峠は越えたようです。
明日は曇りで日も差してきますが、
寒いです。
12-3度ですが、
結構風が強くて、肌寒いでしょう。
今朝も暖房が入っていましたが、
明日から、夜は5度以下に下がります。
花粉症も大変でしょうが、
風邪もひかないようにお気をつけて。
さて、最近聞いた話。
NJからマンハッタンに車で入るのには3つのルートがあるのですが、
北から、George Washington Bridge, Lincoln Tunnel, Holland Tunnelです。
それは通行料はどこを通っても8ドルなんですが、
(マンハッタンに入る時だけ)
EZ-Passという自動で料金を払う機械をつけていると、
時間によっては6ドルになります。
でも、更に安い方法があったんです。
「あったんです」と言っても、まだ使ったことがなくて、
使った方から聞いただけなんで、
「更に安い方法があったそうです」ですね。
EZ-Pass の説明のページを見ると、
Plan Code: (PACP) Port Authority Carpool Plan**: Receive a $6.00 discount (pay $2 vs. the $8 cash toll rate) on any Port Authority bridge or tunnel. Minimum of three occupants required and vehicle (with non-commercial plates) must use a staffed "CASH/E-ZPass" lane and come to a complete stop so the collector can verify the number of occupants. Discount is not applicable in “E-ZPass Only” or “E-ZPass Express” lanes.
というのが見つかります。
この記述と、実際に使ったという方の話を総合すると・・・
つまりこのプランに登録をして、3人以上乗った車で、人のいるブースに行って「ほら、3人以上いるよ」と言うと、8ドルまたは6ドルのところ、2ドルで済んじゃうんです。
つまり、1回4-6ドルの節約、になる、というわけじゃないですか。
これは、「値段の間違いを見つけて、ただにしてもらう」とか、
「スーパー袋を持っていって、一つあたり2セント負けてもらう」とか、
そんなレベルの話ではありません。
いつからこういうサービスがあったんでしょうか?
EZ-Passが出来てからもう10年近くたつと思うんですが、
最初からでしょうか?
1年に何回3人以上であの橋を渡ったことでしょうか?
あのトンネルをくぐったことでしょうか?
・・・痛恨の極みです。
先日、テレビを見ていたら、
「神さまは、あなたのお父さんで、あなたに豊かに与えて下さる方だから、ディスカウントなんてしてもらわなくていいんです!たくさん払いなさい!」と言っていたテレビ伝道者がいましたが、どうも、受け入れられません。
「神さまが与えてくださったものを、もっと大切に使う道があったのに、知らないで損をしてしまいました、ごめんなさい」って気分です。
早速登録をして、次に使うチャンスが来るのを楽しみにしています。
2人でもいいところ、「一緒に行かない?」と、何とかもう一人乗せようと、聞いて回ってしまいそうな、そんな気分です。うちの子たちに「6ドルお小遣いあげるから一緒にNY行くか?」と聞いちゃいそうです・・・。
情報感謝します。
また、NJ-NYの節約情報、どしどしお寄せ下さい。
みんなで協力して、無駄を減らしましょう。
あ、あとCarpoolは地球に優しいですからね。
どんどん、乗り合いしてしまいましょう。
さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記から詩篇に飛んで、詩篇の50篇。
「世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。」12節。
神さまはわたしたちに助けてもらわなければならない方ではない。
神さまはわたしたちに恵んでもらって働きを進められる方ではない。
反対で、神さまがわたしたちにいつも必要を与えてくださる方、
ただ、感謝をささげることを期待しておられる方。
その神さまがわたしたちの味方であって下さって、
いつもいつも必要について気にかけてくださっているならば、
安心して進んでいったらいい。
大胆に進んでいったらいい。
そのように思いました。
いつもいつも主が豊かな方であることを忘れないでいたいと思います。
主よ、
あなたがいつも豊かな方であることを感謝します。
そのことを忘れないように守ってください。
あなたがわたしたちの必要をいつも満たしてくださる方ですから、感謝します。
どうか、あなたを信頼して歩ませてください。
主をおそれる者たち
すぐに昨日の聖書に行きます。
昨日は出エジプト記の18章13-27節。
「 あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し・・・」21節。
このエテロの提言で、
リーダーを選ぶ時の基準がほんとうに興味深いと思いました。
その最初に出てくるのが「神を恐れる人」。
神を恐れる人をこそ、リーダーに立てるようにと。
「力がある」は最初ではないんですね。
力がある人よりも、神を恐れる人。
私自身もそのような者であり続けたいと思います。
自分自身でそう思っているだけではなくて、
客観的にそうであるかどうか、
いつもチェックしてもらうことが大切だと思いました。
そして、教会もそう。
神を恐れる者たちが立たされて、
働きをすることの大切さを思わされます。
主よ、
言葉だけではなくて、
ほんとうに生活の一瞬一瞬、
ほんとうに言葉の一つ一つが、
神さまを恐れているものとなりますように。
私が神を恐れることを
ないがしろにしてしまう時があったら、
信頼関係の中で、諫めて下さる方を、
私の周りに与えて下さい。
40年越しの夢・・・。
ありゅさんの、再三の「気になる・・・」発言を受けて、
のんちの40年越しの夢、カミングアウトっ
それは「ラクダに乗る!」でした。
子供のころに夢を見たそうです。
見上げるような大きなラクダに乗っている夢。
それから、ずっとラクダに乗るのが夢だったそうで・・・。
今、子供たちも私ものんちも一緒に休みの日って、
結構ない・・・。
で、先週の月曜日、お手軽なところで、
Bronx Zooに行ってきました。
17歳男と13歳女と6歳女ですから、みんな行きたいところが違う。
とりあえず、「勉強しなきゃ」(ホントかい?)という息子はパスして、
下の二人に聞くと、
「BOOK OFF」「動物園」と期待通り、全然違う答えなんですね。
で、「Bronx Zoo経由BOOK OFF行き」といういことで円満解決。
花粉症の私に、のんちが「マスクすれば?」と聞くのですが、
「アメリカではヤバイでしょう・・・」と私は絶対ムリです。
でものんちは、「どうして?」ってノリなんですね。
「え~、アメリカではしている人いないし、すごい怪しまれるでしょ。」と私。
「そう言えば、前に行った時に、私がマスクしてたら、じろじろ見られたわ・・・」って・・・
そういうヤツなんです。
で、昼ごろ着いて、午後3時半頃に、
そろそろ帰るか?もう行きたいところないか?
と聞いたら、目の前にあった、ラクダに乗る、というヤツに、
サキが「これのりたい!」
それに、私とユキは、「え~」「勝手に乗れば・・・」だったんですが、
のんちは、「実は・・・私ずっと乗りたいと思っていたんだ・・・」だって。
で・・・・
でも、乗り心地は悪いんですよね。
これはウンチク君になってしまうのですが、
ラクダは前足と後ろ足を一緒に出すんです。
人間でも右手と右足が一緒に出ちゃうことってありますよね。
そんな感じで、右前足と右後ろ足がいっぺんに出る。
で、結構揺れるんですよね。
・・・二人とも、「もういい。」とのたまわっておりました。
昨日の聖書。またのちほど・・・。
2008-04-27
JOYJOYキャンプ受付開始!
難産の末、今年のJOYJOYキャンプのテーマが決まりました。
「キラリンピック~君はこの夏、輝いている~」
早速、今日から受け付け開始です。
上の画像をクリックしたら、jpegの大きいサイズで出てきますが、
PDFの方がいいと思います。こちらをクリック。
ふ~っと、もう終わったような気になっていますが、
これからですよね。
子供たちがわくわくするような、
キラキラ目を輝かせるようなキャンプを準備したいと思います。
今日は昨日よりもワンランク涼しくなって、13度くらい。
明日は10度そこそこみたいです。
そして、今日も雨は降りましたが、
明日はまとまった雨になりそうです。
雷もあるかもしれないそうです。
火曜日には晴れて、Happy 花粉デーですね。
覚悟のほどを・・・。
久しぶりに9時過ぎには時間が出来たので、
追いつこうと思ったのですが、
やっぱり明日にします。
「明日でもいいことは明日する」主義なんで・・・。(^^)
(何のことかわからない方は右のリンクから今日の礼拝説教聞いて下さい)
今日は昨日の分。
出エジプト記の18章1-12節。
「今こそ私は主があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。」11節。
この言葉を語ったのは、
異教の祭司エテロ。
その彼にさえ、その偉大さを認めさせた神の力。
一生懸命説得する必要はない、
一生懸命説明する必要はない、
その神さまの力をほんとうに私たちが経験していったら、
私たちが経験して、その香りが広がったら、
それで、人々はその神の偉大さを感じないではいられない、
語らないではいられない、のではないかと思う。
だから、そのような御業を経験させて頂きたいと思いました。
わたしたちをそのような神の力が表われる器として用いて頂きたいと思いました。
なんだか、一生懸命説明しても
なかなか伝わらない、
説得しようと思っても、
納得させられない。
納得しても、信じることとは違う。
だから、ほんとうに主の力を、表して頂きたいなあと思いました。
主よ、
あなたの力を今、表して下さい。
あなたの福音の力を
人を救い、造りかえ、
神さまの僕として用いられるような者にならせる、
そのあなたの福音の力を、
私のうちに、教会のうちにあらわしてください。
2008-04-26
同意と信頼
こんな時間になってしまいました。
昨日までとうってかわって、
16-7度。まあ、丁度いい季候です。
明日も同じくらい。か、ちょっと低め。
明日の夜から月曜日の夜にかけて、
まとまった雨になりそうです。
久しぶりですね。
これで花粉がどーっと流れてくれるといいのでしょうが、
まだ、残っていると思います。
今度暖かくなるのは来週後半。
そこら辺が花粉のピークになりそうです。
今日は月に一度のユースの日。
中高生が10人あまり集まりました。
そこで、今日は「信じる」ということを語り合いました。
「走れメロス」の話をして、人間の弱さとそれにもかかわらず「信じる」ことの尊さ、
信じながらも、人を見る目を持って欲しいこと・・・(特に彼らの将来の交際相手について、「この人を信じていいんだろうか?」という目を持って欲しい・・・)
そして、神さまについて信じて、そうだそうだ、神さますごい、とファンのように応援することと、神さまをほんとうに信頼して、そこにかけていくことの違い。
特に最後のことはほんとうに大切だと思います。
神さまに「あなたには出来る!」と手をたたいて喜んでいることと、
神さまの背中に乗せていただいて、水の上を歩くこと。
全然違いますよね。
主を信頼して歩む信仰の醍醐味を、もっともっと知りたいし、
もっともっと味わわせて頂きたいです。
昨日の聖書。
昨日は出エジプト記の17章。
「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。」11節。
祈りの手を挙げ続けることの大切さを思わされました。
初代教会の指導者たちは、
教会の中のトラブルにも自分たちが対応することをしないで、
他の担当者を決めました。
そして、自分たちは「祈りと御言葉のご用に専念」したのでした。
それくらい、祈りは大切なのです。
祈りの手を挙げ続けることが、大切なことなのです。
それが私にも使命として与えられていると、思わされました。
そして、一人一人のお名前を上げながら、祈りました。
祈りの手を挙げ続ける、
疲れた時はサポートしてもらいながらでも、
とにかく手を挙げ続ける、
その祈りが教会を支えるのだと、思いました。
主よ、
祈ります。
教会の一人一人を守って下さい。
どうか、あなたの支えがありますように。
祈り続けることが、
手を挙げ続けることが出来ますように。
安息
でも、これ以上ためると大変だから、まずは24日の分。
24日は出エジプト記の16:16-36
「主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。」29節。
イスラエルの民は金曜日には2日分のマナを集めることが許されて、
土曜日は休むようにと言われた。
聖書の中では、
「休む」ということが大切なこととして、語られている。
忙しい私たちが忙しい中で、何かをやっているかのように感じることが
どれだけ多いことだろうか?
休みが与えられていることに、心せよ、
という表現はほんとうに強いと思う。
休めたら休む、じゃない。
主の休みなんだから、
主が休むように求めておられるのだから、
ただ、その故に休む。
走りすぎないこと。
ほんとうに大切だと思わされた。
心して、休む時を持とう。
主よ、
「心して休みなさい」という言葉にドキッとしました。
はい、休みます。
あなたのもとで、休ませて下さい。
では、お休みなさい。
