穏やかな気持ちの良い日曜日でした。
明日は雲が増えてきますが、
昼間は天気も持って、先週のような雷雨もなく、
気持ちの良い、秋の一日になりそうです。
ちょっと先週は走り続けた1週間だったので、
明日の一日はしっかり休もうと思います。
でも、芝刈りだけはちゃんとやらないと・・・
多分今年最後の芝刈り。
なんだか、芝刈り機がスタートしなくなってしまったので、
明日はその修理から始まるかも・・・。
6日ぶりにジョギングをした土曜日の朝。
綺麗に色づいていた近所のカエデも、
ずいぶん葉っぱが落ちてきていました。
今年はぐっと冷え込む日が多くないので、
紅葉の具合も今ひとつ。
雨のたびに落葉する木と、まだ青々とした木と、それぞれで、
去年みたいにいろいろな木が一気に色づくことがなくて、
ちょっと物足りないです。
今から16年前、
「今年は特別きれい!」と地元の人達が言っていた、
初めてのNJの秋が懐かしいです。
さて、先週訪問してくださった方の影響で、
この週末、ずっと「神様に向き合う」ということを考えていました。
元々、私は神様が横にいてくださる、という気持ちが強いです。
一緒に同じ方向を見ていく、共に行ってくださる方。
でも、聖書の中には、「神様と向き合う」「神と顔と顔とを合わせて見る」と言う言葉のほうがずっと多く出てきます。
一緒に歩くって、寄り添っているような感じ。
一緒に夕陽を見ながら、語り合っている感じ。
バーのカウンターでちょっと本音トークをしている感じ。(自分はバーに行かないけど・・・)
でも、それはホントは向き合うのが怖いからもしれない。
自分をちょっと隠してもいいような感じるかもしれない。
目と目とをあわせて話すことができない人は、
恐れている、怖がっている、不安なんだ、と言われることがある。
ほんとにそうだと思う。
子どもが嘘を付いているときには、「目を見て話しなさい」と言う。
そう、顔と顔とを合わせて見る、ということは、
ちょっと勇気がいる。
心の底まで見透かされているような気持ちにもなる。
それはほんとに自分が神様に対して、
ちょっと逃げていたからかもしれない。
神様に対して、本当に真剣になっていなかったのかもしれない。
ちょっと試し始めている。
神様は私の方にみ顔を向けておられるのだということを信じて、
歩み始めている。
すべてを知ってもらっていい。
正直になろう、そんな気持ちで歩み始めている。
さて、昨日、土曜日の聖書。
列王記第一17:1−7でした。
いよいよ、エリヤの登場。
「わたしは烏に、あなたを養うように命じた。」4節。
すべてを支配しておられる神のもとで歩める、それはなんという幸いだろうかと思った。カラスさえも、命じたように従う。
そして、本当にそんなことが起こった。
毎日、カラスが食べ物を運んできた、という。
昔、「エリヤのカラスは今もいる」ということをしきりに言っておられた先輩牧師がいた。
本当に印象深く残っている。
本気で神様が必要を満たしてくださることを信じて歩んでいこう。
カラスさえも用いてくださる方だ。
そして、この後は、大金持ちのところでお世話になったのではない、
貧しいやもめのところで、養われた。
そして、彼の存在がその彼女と子供との祝福となっていった。
私は何を当てにしているだろうか?
本当に、全てを支配している神を見上げていこう。
主よ、
私は結局のところ、どこまであなたを信頼しているのでしょうか?
どこまで本気であなたを信頼しているでしょうか?
あなたが全てを支配していることを、
信頼して、あなたの最善を信頼して、歩ませてください。
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