今日はホントに寒いですねえ。
一日10度未満。
今、夜の8時半ですが、6.8度。
一日雨でした。
でも、明日は雨も降りますが、ずっと降っているのではなくて、
温度もぐっと上がりそうです。
でも、雷雨もあるかも。
今日は地区の日本語牧師会があったのですが、
まだまだ、なんだか、いつまでもですが、
日本の時からの疲れを癒し中、リハビリ中で、
月曜日が唯一の休みの自分は、
できれば休みたかったです。
そりゃ結局は行ったのですが、
そんな時に行きたいところはどこだろうか、
そんな時に、「そうだ、こんな気分の時は、あそこに行きたい・・・」と思うような場所に
教会がなっているだろうか・・・そう考えさせられました。
そして、たとえ、その時は「あんまり気が進まないけど・・・」と足を引きずりながら行ったとしても、
帰る時に「ああ、行ってよかったなあ」と思えるような空気や言葉ってなんだろうと思いました。
それは「自分が弱さを告白しても受け入れられるところ」なのかな、と思います。
弱さを認めても、安全なところ。攻撃されないところ。
あからさまな攻撃がないだけじゃなくて、「今日の自分みたいなネガティブモードに入っている人間には居場所がないよねえ」と思わされないところ。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」とのイエスの言葉を思い出させられます。
そう、こんなこと書くと、「だいじょうぶ?」って心配されちゃうかもしれませんが、「心配」さえもされないで、「そういうこともあるよねえ」とさらっと流してもらえるようなところかな。だって心配されるってことは「期待」に沿っていないことだし、「本来のあるべき姿」から落ちているということだもんね。そして、心配される側が心配する側よりちょっとレベル的には「下にいる」って感じもするし・・・。でも、それがやだというならば、それはとってもプライド高いから?
ああ、でも書きながら、「牧師らしくないじゃん」と言い始めるもう一人の自分がいたりする。
まあ、とどのつまりは、そんなことまで全部含めて、「そういうときってあるよねえ」ですませてくれるようなところ。
地区の日本語牧師会もそのような場になりますように。
さて、先週金曜日、4月17日の聖書。
金曜日からは「ハバクク書」に入りました。
まずは1:1-11。
「驚き、驚け。わたしは一つの事をあなたがたの時代にする。それが告げられても、あなたがたは信じまい。」5節。
神様は私たちの考えを遙かに超えてことをなしてくださる方。
私たちは神様に自分の考えを押しつけることがどれだけあるだろうかと思う。
でも、主はその私たちに対して、
どこまでも、驚くようなこと、
私たちの考えを超えるようなことをしてくださる。
今までもどれほどそんなことがあっただろうか?
だから、これからもその神様の御業に驚いていく人生を送らせて頂きたい。
主よ、
あなたが驚かせてくださることに感謝します。
どうか、私の人生、もっともっと驚きが与えられますように。
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