今日は昨日に比べるとずいぶん涼しくなりましたが、
それでもこちらの日差しは暑いです。
NJは雨で大変だったようですが、
大丈夫でしょうか?
明日はこちらは大丈夫そうですが、NJはまだ雷雨の予報です。
今日は午前中入寮で、午後オリエンテーション。
同室者はニック君。ラストネームはちゃんと聞きませんでしたが、
「ジャガー」ではないようです。(笑)
母親はこんなとき、いろいろ手出しをしたいようで、
「こんなのがあったらいい」「これが必要だ」と次々メモ。
これには脱帽。
でも、もっとすごいのはニック君の母君。
夫婦そろって歯科医だそうですが、
「さて、ベッドはどこに置く?あなたたち決めて、そうね、こうしたらどう?」(って、誰が決めるの?)って感じ。
「自分たちで決めるよ」「そうね、そうしたらいいわ」という会話が何度交わされたことか・・・。
お父様は、「向こうの部屋見た?ピアノがあるよ」「トイレ、なかなかきれいだぞ」と、お母さんの気を他に向けようと一生懸命。(私の解釈)
そしておにいちゃんとやたら仲良さなそうな、1-2歳年下らしい、美人さんの妹。彼女が一番お兄ちゃんの気持ちを汲んでいるようでした。
とてもいい感じのご家族。
大学から20分のところにお住まいのようなので、
家の息子もちょくちょくお世話になるでしょう。
そして午後は買い物に行って、
かえってきてしばし祈ってお別れ。
その後、「親としてこれから起こることの覚悟をしておく」セミナーでした。
これがとても面白かったです。
ためになりました。
いくつかのことを覚えているのですが、
とにかく、次に帰ってくるときに、
今までのその子とは変わっている。違っている。
親に対してやたら批判的だったり、
今まで守ってきた家族のルールを否定したり、
そんなことがある。
でも、それは成長し、いい意味で変わって行った結果なのだというのです。
親としてできることは、「受け入れること」。
もちろん、ルールの種類によるのでしょうが、
子供の成長と変化を喜ぶことが大切なようです。
さて、8月18日の聖書。
18日はコリント第2の手紙の10:12-18でした。
「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりするのは、知恵のないことなのです。」12節。
自分たちの中で自分を量ることのおろかさ。
自分たちの中で、比較することのおろかさ。
でも、自分たちはどれだけそれをしているかと思います。
口に出さないだけで、どれだけそれをしているかと思います。
ただただ、神様が褒めてくださればいいのに。
ただただ、神様に忠実に従っていればいいのに。
弱いですね。
目に見える人に褒められたり、
目に見える形で成果が現れて、
人と比べて、いい働きができたり、
そんなものを求めていないだろうかと思います。
でも、主が誇ってくださる。
主が喜んでくださる。
それで、それだけでいいのでは、と思います。
主の前に真実に、
人々も前にも、ただただ、真実さだけをも求めていきたいです。
主よ、
あなたに集中できますように。
あなたの願うことをしていくことができますように。
あなたが誇ってくださることに感謝します。
あなたに褒められるだけで十分、という思いに満たしてください。
ちょうど、この夜はAJCFでも、「受け入れる」ことについてみんなで学んでました〜!すごーーい!!
ReplyDeleteそして、みんなが出てきた答えは、、
主が望んでおられる愛のコミュニティを
このアトランタの地で築き上げるために
他者を受け入れるということを考えていたんですが、
参加者の中には、「自分自身をまず受け入れる」
というチャレンジに合っている人たちもいました。
神様が私たちを受け入れてくださった。
そこに愛がある。
意外に自分自身が自分を一番受け入れてなかったり
するんですね。
また会いましょう〜〜!
さやっこちゃん、
ReplyDeleteそうみたいですね。
自分自身を受け入れるって、
たぶん、他人を受け入れるための前提みたいな気持ちがあります。
自分を愛せない人は他人を愛せない、
自分を本当に受け入れられない人は、
周りのみんなを受け入れているように見えても、
ちょっと何かが違うんでしょうね。
そして、子どものことを考えると、
親が受け入れているのは、
その子自身ではなくて、
親の理想とするその子の姿だったりする。
親の希望通りにしてくれるその子だっりする。
親子だけの問題じゃないですね。
自分でも周りの誰かでも、
その人自身を、その人の存在自体を受け入れるって、
意外と難しいものだと思います。
ほんと、今度は是非、NJの方で!