2009-08-21

Because so much is riding on your tires.

今日はNJでは夕方、雷雨だったのでしょうか?
気温はずいぶんさがったようですね。
涼しい、という感じではないかもしれませんが・・・。

私たちもドライブ中は守られて、
夕方、目的のアトランタ郊外の知り合いの方のお宅に到着。

今、夜の10時半ですが、
外では雷がごろごろ言っています。
そろそろザーッと降ってくるのでは、と思います。

いよいよ明日が今回のメインイベントです。
朝、大学に行って、入寮。
親子3人で行って、親2人で帰る日です。

昨日の夜、制限速度が時速70マイル(≒112キロ)に上がって、
みんなが寝静まっている中を運転しているときに、
自分自身の責任の大きさを感じていました。

Because so much is riding on your tires.
これは数年前までよく聞いた、タイヤメーカーの宣伝文句です。

とてもいいコピーだと思っていました。

その言葉が心に響いてきました。

大切な存在がこの車に乗っている。
そしてその大切な人たちの安全は自分の運転にかかっている。
(もちろん、タイヤメーカーが言うように、タイヤにもですが・・・)

そのときに、教会のことも考えさせられました。
自分も牧師として、大切な人たちのことを神様から預かっている。
そして、それはその方々の「いのち」、それも「霊的ないのち」「永遠の命」を預かっているのだと・・・。
人によっては「運転手は牧師ではなくて、神様でしょう」という方もおられるとは思いますが、
それには同感しますが、それと共に、やはり神様から任されている、という部分があると思います。

「どうか、あなたがた自信に気をつけ、また、すべての群れに気を配っていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。」(使徒行伝20:28)

霊的な居眠り運転をしてきたのではないかと、
自分の今までの歩みを反省させられました。

どれほど大切なものを任されているのか、もう一度確認させられました。

さて、1週間遅れになった「日々のみことば」から。
(毎日、そのところを読んではいるのですが、なかなかここにアップできません。1週間遅れになってしまいました・・・。)
先週の金曜日、14日は第2コリント8:1-15でした。

「この恵みのわざにも・・・」7節。
「それはあなたがたの益になることだからです。」10節。

献金について書いているところです。
それを「めぐみのわざ」「益になる」といっているところに心が留まりました。

それを義務とか、当然すべきこと、
という程度のこととして、自分で守ってきた部分を感じます。

でも、パウロはこれを、「恵みの業」として、人々に伝えました。
献金をするのは神の恵みなのだと。
それはその人にとって益となるということ。

それは頭では分かっているのですが、
なかなか、自分で「ああ恵みだなあ」と思っているかというと、
どうだろうかと思います。
献金ができるのは確かに嬉しいことです。
そのようなものが与えられていることに、
そのような気持ちも与えられていることに、
感謝が沸いてきます。
でも、それが「神の恵みだ」というのとはもっとすごいんだろうなあと思います。
もっともっと自分の経験として、
「ああ恵みだなあ」という経験をさせていただきたいと思います。

そして、「これはものすごいすばらしい恵みなんですよ!」と喜んで献金のお勧めができるような者になりたいと願います。

主よ、
私がこの恵みの業に富む者となりますように。
そのすばらしさを証しする者となりますように。

No comments:

Post a Comment