今は午後1時過ぎですが、外は29度。
夜には雷雨の予報ですが、
今、雷雲はペンシルベニア州の一番西の方。
昼間の間は持ちそうです。
土曜日の午前中にほぼ毎週ある「弟子訓練」の集まりがお休みで、
JOYJOYシンガーズも7-8月はお休みで、
明日の礼拝はゲストの先生で・・・ということで、
朝7時半にタイヤ交換に行った後は、
皆さんに連絡をしたり、
いろいろたまっていることをぼちぼち片づけたりしております。
一ヶ月ほど前になるんですが、
1年2ヶ月ぶりに小銭貯金箱がいっぱいになりました。
1年2ヶ月前の記事はこちら。
で、今回もまた会堂献金だ、と思って、小銭を数える機械にもってきました。
あんなに重かったのに、本当に小さな小さな金額でした。
前も書きましたが、
何だか余り物をささげているようで、
ちょっと違うのかなあ、と思いつつ、
でも、5つのパンと2匹の魚で5000人の人々を養われた主は、
少しでも無駄にしないようにとパンくずを集められた、と聖書は記しています。
いろんなささげものがある。
もちろん、いつもいつも最高のものを、まず最初に、
主のもとにもっていくことが大切だと思う。
でも、それと共に、主が示されたときに、主が示されたものを、
それが小さいからって、怖じけることなく、恥ずかしがらず、
もっていくことの大切さを思う。
そして、何よりも大切なのは喜び。
ささげることができる、そこまで与えられているって感謝すべきことですよね。
主にささげることのできる喜びを心から感じながら。
さて、7月5日(日)の聖書。
7/5は哀歌3:1-18でした。
「私は主の激しい怒りのむちを受けて悩みに会った者。」1節。
私が使っている「日々のみことば」には、
「創造主はどのようなお方ですか」という質問に毎日答える欄があります。
5日のところ、それを書いていたら、
怒りのむちを与える
闇を歩ませる
攻める
骨を砕く
苦みと苦難を与える
囲いに入れる
通り道をふさぐ
矢で腎臓を射る
などが出てきました。
怖いなあと思いました。
闇の中を歩まされていることを感じました。
でも・・・
次の7/6(月)は哀歌3:19-39。
「主の救いを黙って待つのは良い。」26節。
「主は、いつまでも見放してはおられない。」31節。
「主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」33節。
18節までをずっと思いめぐらし、その闇の中を歩まされることの意味を思いめぐらした後であったからこそ、この御言葉が心に深く深く響いてきました。ものすごい、励ましになり、ああ、「主の救いを黙って待っていよう」という思いが湧いてきました。
主の救いを待とう。
騒がず、静かに主がなしてくださることを待ち望もう。
主よ、
あなたを待ち望みます。
あなたが私に苦しみを味わわせられるときに、
それはあなたのお考えがあることを信頼します。
そして、あなたを待ち望みます。
あなたの救いに感謝します。
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