2009-07-08

母語。

今日はいい天気でした。
でも、7月とは思えない朝晩の涼しさです。
今朝も14度くらい。
今も夜の11時前ですが、18.5度。
明日の朝も14度の予報です。


明日もカラッとよく晴れそうです。


昨日はLancasterの帰りに、
Philadelphia郊外に引っ越された方をご訪問。
Assisted Living Homeに住んでおられるので、
いつもは英語の環境です。


ですから、日本語で話せる一時はどんなに幸いなことでしょう。
自分もそうですからねえ。
英語もコミュニケーションができないわけではないですが、
やっぱり、自由だったり、ほっとするのは、母語。


ちなみに「母語」ってのは「母国語」を間違って書いているんじゃないですよ。
一つの国に一つの言葉だなんて考えるのは偏見です。
一つの国の中でも生まれ育った言葉が違う場合がある。
だから「母国語」じゃなくて、「母語」です。
英語でも「mother tongue」でしょ。
直訳して「母舌」じゃなくて「母語」です。


でも、その母語で、
満州からの引き上げの時の混乱の様子とか
アメリカに来られて、どんな思いで歩んでこられたかとか、
今、どんなことを感じる、とか、
お話を伺って、大切なことを聞いたなあ、と思います。
特に前の戦争の話は、これからますます貴重になってくる生き証人です。


お伺い出来ることはどこまでもお伺いして起きたい、そう思いました。


うちに着いてから、「先生、時計忘れましたよ」とお電話が・・・。


8月のハジのアトランタ行の時に、お寄りすること決定!
ま、通り道ですよね。


さて、7月2日(木)の聖書。
7/2は哀歌1:12-22。


「私が逆らい続けたからです。」20節。

主の裁きを見ながら、エレミヤは背いた人々のことを責めるだけではなくて、
それを自分の罪として受け取った。
ただ、自分だけを正しい者とするのではなくて、
それを預言者である自分の罪として受け取った。

私はどうだろうかと思わされた。
子どもの頃から、何度、自分の責任を認めないで、
逃げてきたことだろうか。

それを大人になってもしてこなかっただろうか。
人の罪も、自分の罪として負う。
自分の罪として責任を認める。
そのような大きさ、そのような強さ、そのような愛を、
与えて頂きたいと思いました。

主よ、
私は何と愛のない者でしょうか?
何と逃げる姿勢の強い人間でしょうか?
逃げないで、人の罪さえも背負う強さ、
大きさを与えてください。

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