今日は一転蒸し暑くなりました。
最高気温が30度くらいというのはまあ、いいとして、
湿度が高い。
夜になっても今、10時半ですが、
25度。でも、湿度が高いので、もっと暑く感じます。
明日は35度くらいまで上がり、湿度も高いので、
体をこわさないように要注意です。
明日、教会の子が一人大学に出発します。
今日の朝、「お祈りしてください」と一人で来られて、共に祈りました。
帰っていく後ろ姿を見送りながら、
最初に会った頃のことを思い出していました。
ここまで守ってくださった主に感謝しながら、
これから神様はどんなにすばらしいことをしてくださるか、
楽しみです。
自分の信仰の歩みを振り返ってみても、
大学に入ってから、経験したこと、学んだことがどれほど多く、
そして、一つ一つがどれほど大きかったかということを思い出します。
だから、神様はこれからたくさんのことを教えてくださるでしょう。
親元を離れて、頼るものも、本当に何よりも神様。
○○さんのところのお嬢さんではなく、
一人の人間として、みんなに見てもらう。
どれほど大切なことかと思います。
信仰的にも自立して、思いっきり大きくなるのでは、
と大きく期待しています。
さて、今日の聖書。
今日は箴言の3章。
「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」
6節の言葉です。
どこでも、
どこにいても、
しゅをその歩みの中で認めていく、
そのときに道がまっすぐになっていく。
自分がまっすぐかどうか気にするよりも、
主を見ているか、
主を第一にしているか、
それが大切なのだと思わされました。
「主を認める」とはどういうこと?
「主がいつも見ておられるので、主が何を望んでおられるか、考えながら歩む」?
「どのような中でも、主の御手があることを信頼して歩む」?
「主の存在を計算に入れて決断をしていく」?
そういうことすべてなんだろうなあと思います。
そのように歩ませて頂きたいと思います。
今日の集会前に一つの大きな祈りの課題が寄せられて、
どう祈るべきなのか、どのように願うべきなのか、
いろいろ思わされています。
「どんなときにも御霊によって祈りなさい」エペソ6:18
昨日の祈祷会で与えられた御言葉です。
聖霊様が、私にどのように祈るべきか、教えてくださるように、
求めつつ、御霊に導かれて祈っていきたいと思います。
主よ、
どうか、私の目が、
いつもあなたを見つめていけますように。
あなたを見上げていけますように、
あなたを認めていけますように。
祈るときにも、
どのように祈ったらいいか、わからない中にも、
祈ることを、教えてください。
聖霊様、導いてください。
かきごおり先生
ReplyDelete>明日、教会の子が一人大学に出発します。
↑皆さん、成長して巣立って行くんですね。
姉妹のこと僕も祈らせて頂きました。たぶん
A子姉ですよね??
箴言3章。
12節が目に留まりました。最近、愛され過ぎ…いや、しかられ過ぎで少々閉口気味です。愛されるのもほどほどが宜しいようで。
「認めよ」は英語ではなんですか?
ReplyDelete教えてください。 日本語的には「支配に入りなさい」のような感じでしょうか?
J兄、
ReplyDeleteほんと、この先2年間で8人が巣立っていくんですよ。楽しみです。
「神様の訓練ばかりで愛されすぎ・・・」って、ほんとにね。こんなことがあるなら、訓練されたくない、みたいな。
去年だったかな、私は「神様、あなたのきよさに預かるためだったら、もっともっと訓練してください」と祈ったことがありました。でも、実際にいろんなことが起こってくると、「あんな祈りしなければよかったかな」と思います。
訓練の最中には「喜ばしいものとは思われない」ってありますしね。「どうして・・・」って思うこともありますよね。どこまでいっても納得いかないことも・・・。
主の「人知ではとうてい計り知れない平安」が満たされますように。祈りつつ。
anyonymous様、
ReplyDelete「認めよ」は英語ではacknowledgeが多いですが、
New English Bible: think of him,
Today's English Version: remember,
くらいでしょうか?
リビングバイブルは「神を第一としなさい」と解釈しています。
原語は?というと、一般的な「知る」という言葉が使われています。
「支配に入りなさい」ということもその中には入ってくると思います。でも、もっと一般的な「どこにいても神様に目を向けなさい」ということでしょう。