・・・らしい青空がないので、ちょっと寂しいのですが、
今回1週間滞在するので、きっとそういう日もあるでしょう。
期待しつつ。
・・・ということで、らしいもの。
1年ぶり〜。
そして、お約束の「裏を見てみる」
あったあった。
JOHN 3:16
ご存じない方のために、説明すると、
ヨハネによる福音書3:16は聖書の箇所で、どんな言葉かと言うと、
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで永遠の命を得るためである。」
という言葉です。神様はひとり子イエスを愛するほどに、この世を、そして、あなたを愛されたんですよ、という聖書の言葉を、伝えているんですね。
英語版のWikipediaのIn-N-Out Burgerのページにはいろんなところに小さくプリントしてあるいろんな聖書のことばが、紹介されています。
さて、6月9日(日)の「日々のみことば」。
ルカによる福音書14章でした。
「大ぜいの群衆がついてきたので、イエスは彼らの方に向いて言われた、『だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。』」25−27節。
おおぜいの人がついてきたら、
それがいいことだと思うのが、人の常。
私も教会に一人でも多くの人が来られることを願っています。
そんな中で、ハードルを上げるようなことを言うのは、すごく勇気がいることです。
一般論として言うのはまだいいのでしょうが、
実際に「ここまで言われると・・・」という方の声を聞くと、
このような聖書の箇所を取り上げること自体にたじろぎます。
でも、イエスを信じるって、そういうことなんでしょうね。
他の何よりも大切で、すべての人生の土台になる。
家族も大切、自分も大切。
そして、そもそも、家族の存在だって、神様が与えてくださったもの。
家族の愛なしに、自分の今はありえない。
家族のところに遣わされている、という面だってある。
でも、大切なんだけれども、イエスに従う、ということは、
その大切なものをも、神様以上にはしない、ということ。
いや、もっと積極的に、イエスに従うって、それら以上にすばらしいことなんだと。
それらの大切なものを越えて、主の恵みに感謝して歩みたいです。
そして、その主の恵みの大きさを、ひとりでも多くの方々に知っていただきたいです。
神様、
もっともっとあなたの愛を深く深くわからせてください。
そして、あなたの恵みを大きさを、すべてを投げ出しても惜しくない、そのすばらしさを味わわせてください。
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