2013-12-01

アドベント。

今日からアドベント。



今日の礼拝の準備をしながら、いろいろ「待つ」ことについて考えさせられました。

不安を感じながら、待っていた時のこと。
待っていたけれども、願っていた道が閉ざされた時のこと。
待っていたことが、実現した喜び。

待つことの中には、「自分ではどうにもならないことについて、受け身であること」がある、と読みました。本当にそうだなあと思いました。



自分もせっかちな人間ですが、待つことのどんどん少なくなっていく時代。
手紙の往復に1週間、2週間、かかっていた自分の若い頃と、
今、メールやテキストですぐに返事が来ないとどうしたんだろう?と思う今とでは、本当に待つ時間がどれだけなくなったかなと思います。

そして待っている時間は「何もできないから、自分の手から手放している」時間。
それがなくなっているのは、ホントに問題なんでしょうね。

このアドベントの時、

もっともっと「待つ」ことを大切にすることができますように。

さて、アドベントの「日々のみことば」。
今日はイザヤ書の40:1-11。

「慰めよ、わが民を慰めよ」(1節)

慰めのメッセンジャーとしてわたしたちは召されている。
人々に慰めを与え、
そして、究極的な慰めを与えてくださる神様を
伝える者として使命を与えられている。

今日も、私は一人でも慰めを与えることができただろうか?
一人でも、慰め主であるイエス様をご紹介することができただろうか?

そして、何よりも、自分は神様ご自身から慰めをいただいているだろうか。
人からの慰めではなく、時間の解決ではなく、状況の好転ではなく、
神様からの慰めをいただいてきただろうか?

神様の慰めをいただいて、慰めの使者として歩んでいくことができますように。

神様、
クリスマスまでの3週間あまり、あなたを待ち望む日々を送らせてください。
あなたご自身によって慰められて、慰めの使者となることができますように。

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