2010-02-01

凱旋。

主の僕が御許に召されていった。
御言葉と賛美と祈りの中で。

私が知り合ったのは教会のメンバーの父親として。
だから、勢い、父親としての彼の姿が心に留まっている。
娘を思い、婿を思い、孫を思う父の姿。

でも、それはまた信仰者としての姿だった。
信仰者として、子どもたちに何を遺して行くのか。
自分自身の姿勢も正される。

「彼は死んだが、今も信仰によって語っている。」114節。

たまたま・・・いえ、主のお計らいによって、
日本にいて、ちょうど今日お伺いする予定だったので、
前夜式に出席できる特権に預かりました。


素晴らしい式でした。
また改めてお証しします。

127日水曜日の聖書。
マタイ11:11-19

「天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」12節。

天国が激しく攻められている。
どういう事だろうかと思う。
でも、その後に続く言葉がヒントなんだろう。
激しく攻める者たちがそれを奪い取っている。

つまり天国に入ることに対するハングリーな気持ちだろう。
必死に求める思いだろう。
もっと目を開いてください。
もっと語ってください、触れてください、という思いだろう。

飢え渇きであり、貪欲さだと思う。
そう、物質的なものではなくて、
霊的なものに対する貪欲さ。

今日も、主の恵みを求めよう。
主の御業を求めよう。
主が用いてくださいますように。
私を祝福の基として、用いてくださいますように。

主よ、
私をあなたのしもべとして用いてください。
あなたの恵みに満たして用いてください。




No comments:

Post a Comment