2009-11-17

「何が一番大事?」

火曜日の夕方、教会で新しいコピーマシン納品の待機中。


今日は昨日に比べるとぐっと冷えて、
とてもひんやりする一日です。
それでも10度以上はあるのですから、
昨日までが本当に暖かかったということですよね。


来週の後半、ちょうどサンクスギビングの日か、翌日頃、
Snowstormの可能性が出てきました。
はい、まだまだ先なので、毎日予報が変わるのですが、
さて、どうなるか、注目です。


日曜日には久しぶりの会堂候補物件見学でした。
教会が21年前に始まってから、ここまでずっと
現地の英語の教会の教会堂を借りてきています。
貸してくださっている教会に、ある程度の感謝献金をささげていますが、
本当に愛されて、支えられてきました。
大切な会堂を貸してくださるという、この援助なしにはここまでの歩みはあり得なかったでしょう。
Zion教会の祝福を祈ります。


でも、日曜日の朝のことなのですが、自分は今までどれほど、Zion教会の祝福を本気で祈ってきたか、近年どんどん集う方々が少なくなってきているZion教会の祝福をどれほど本気で祈ってきたか?ということについて悔い改めさせられました。「やがて、この会堂を買ってくれ、と言ってくるのではないか・・・」などという声が聞こえてきても、それに対して、はっきりと「そうではなくて、祝福を祈るべきでしょう!」と大きな声で明言してこなかった、いや、自分の中にも少しもそんな気持ちがなかったかと言えば、やはりなかったとは言い切れない、自分の愚かさも悔い改めさせられました。


そして、日本語教会の会堂のためにも、ずっと祈られてきましたし、
たくさんのささげものがささげられてきました。
この地に来られて、ここで礼拝をささげられた何百人という方々が、
どれほど祈り、どれほどささげものを積み立てられてきたか?


それでも、日本よりも教会として使う建物の基準
(駐車場の広さとか、前の道路の幅とか・・・)
がとても厳しい、この国で、その基準を満たす土地や建物を見つけたり、
許可を取ったりするのはとても大変なことです。


でも、主が導いてくださるならば、
すべては守られるでしょう。道が開かれるでしょう。


だからこそ、わたしたちが今目を留めるのが、
「神の国と神の義とをまず求めなさい。そうすれば、それらのもの(必要なもの一切)は添えて与えられるであろう」というイエスの言葉であると思います。


神様が与えてくださるオマケの方に目を留めるのではなくて、
何よりも、「神の国と神の義」を求める。
神の愛が私たちの心を支配するように、
神の恵みがわたしたちの心にあふれるように。
感謝があふれるように。
わたしたちのお互いの関係の中に、神の愛があふれるように、
そして、神様に救われた喜びがあふれるように。
主に従う歩みをしていくことができるように。


オマケをもらうために「神の国と神の義」を求めるのではなくて、
本気で、神の支配を求めていく。


そのように求めていこうと思います。
そのように教会のメンバーの視点が主からずれないように導くのが牧師の使命であると思わされます。


さて、11月12日(木)の聖書。
エズラ記1章でした。


「そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たち、すなわち、神にその霊を奮い立たされた者はみな、エルサレムにある主の宮を建てるために上って行こうと立ち上がった。」5節。

やはり「主にその霊を奮い立たされる」と言うことが大切なんだと思う。
人の言葉ではなく、アジテーションではなく、
主がわたしたち一人一人の心に語ってくださって、
奮い立たせてくださる。
それがわたしたちの歩みを決めていくのだと思う。

だから、人間的な知恵に頼るのではなく、
神の知恵に頼っていきたい。

人間的な考えで、そして努力で、
何とか人を立ち上がらせようとするのではなく、
主が奮い立たせてくださるのを、見せて頂きたい。

人との会議ではなく、
主との会議を何よりも大切にして、
主が指揮者であることを信頼して、
一人一人に触れてくださるようにと、
一人一人を奮い立たせてくださるようにと、
祈らされる。

主よ、
どうか、今、私の霊を奮い立たせてください。
教会の一人一人の霊を奮い立たせてください。
あなたのみこころを見分ける目を与えてください。
あなたに御声を聞く耳を与えてください。

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