2009-11-17

宝探し。

夜になりました。
9時半を回ったところですが、
外は4度まで下がってきています。
明日の朝は久々の冷え込みとなるでしょう。


さて、いま、わたしたちの住んでいるニュージャージー州のバーゲン郡は
「宝探し」の真っ最中です。


家よりもちょっと北西に行った、Wyckoffという町の宝石屋さんが、
今週、開店30周年を記念して、合計200万円以上の価値のある宝石を、
隠していくそうです。


ニュースの記事(英文・・・こちらに袋の写真もありますから、近くの人は見ておいた方がいいかも)。


おもしろいですねえ。太っ腹ですね。


最初に見つけた人が「Diamond」さん、だなんて、これ本名なのかなあ。
それとも、匿名さん?
このダイヤモンドさん、車で走っている時に、白い袋を見つけたときには、
急ブレーキをかけて、孫がフロントガラスに頭をぶつけそうになったってんだから、また、これはすごいですね。神を知る喜びもそれと同じようなものだと、イエスは言われました。


「天国は、ある人が畑の中で見つけた宝のようなものです。 見つけた人は、もう大喜びで、だれにも知らせず、全財産をはたいてその畑を買い、宝を手に入れるに違いありません。」マタイ13:44。


宝石が見つからなかったという皆さんも、
見つかった!という貴重な経験をされた皆さんも、
次の日曜日は、教会でThanksgivingの礼拝と愛餐会です。
是非、もう一つの宝を見つけに、おいで下さい!
神様は宝石屋さんよりも太っ腹ですよ~。


さて、11月13日(金)の聖書。
エズラ記2章。


「一族のかしらのある者たちは、エルサレムにある主の宮に着いたとき、それをもとの所に建てるために、神の宮のために自分から進んでささげ物をした。」68節。

進んでささげものを持ってきた人々。
それがいいんでしょうね。
変なプレッシャーではなくて、
義務感ではなくて、
心からのささげものを持ってくる人々。

それが用いられるためには、
また紆余曲折あったわけですが、
それはまた「主にささげたもの」。
時間が経ったとしても、
願ったようなことにならなかったとしても、
そういうことも主にゆだねて、
とにかく進んで持ってきた人々。

主の御業はそれによって進んでいくのだと思います。
大きく主に用いられることを期待して、
1ブロックすべてを買った信仰の先輩達の遺産に
支えられている教会の存在も聞きます。

もちろん、モノを生かす人が必要で、
ノムさんが言っていたように、
「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり」ということで、
その信仰の先輩達も、人を育てたのでしょうが、
「人を育ててくださる主」を信頼して、
自分のできることをしていくことがまた必要なんでしょうね。

主よ、
ささげる喜び、進んでささげる喜びに生かしてください。
その祝福をいっぱいに頂くことができますように。

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