10時半になりましたが、
もう一つ更新。
気温は更に下がって、3.4度です。
先ほどの宝探しはNJの話題ですが、
広い意味でNYと考えると、
ホント、NYはいろいろ楽しい。
こういうの1回でいいから出会ってみたい。
でも、もっとすごいのはこちら。
知らなかったら、「自分も何かやらなきゃいけないのかなあ」と
一緒になって踊ってしまうかも知れない・・・自分・・・。
さて、まだまだ追いつきません。
先週の土曜日、14日の聖書。
エズラ3章でした。
「こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。」11節。
人々の喜びに心が向きました。
どんなに大きな喜びだっただろうか?
ただ、基礎が据えられただけだったのに、
それでも彼らにとっては大きな喜びでした。
苦難の中を通ってきました。
涙の谷を過ぎてきました。
荒野を旅してきました。
だから、彼らの喜びはどれほどだっただろうかと思います。
わたしたちの喜びは、苦難を通る時に、
ホンモノになるんだろうなあと思います。
だから、苦難も喜びになります。
苦難自体も、希望への土台になります。
苦難がない方がいいに決まっている、ということはないのです。
ものごとがトントン拍子に行く時に、
「神様は祝福してくださっている」と勘違いすることがあります。
神様の祝福は試練という包み紙に包まれてやってくる。
本当にそうだと思います。
だから、感謝します。
主よ、
あなたが与えられる試練にはいつもいつも意味があることを思います。
どうか、あなたの祝福を見せてくださって、
試練の意味がわかりますように。
でも、わからなくても、あなたを信頼していくことができますように。
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