2009-10-01

お迎えする喜びと・・・。

今日は本当に底冷えする一日でした。
最高気温は13.5度。
そして、今、夜の10時半ですが、もう9度まで下がっています。
明日の朝は今朝より冷えるかなあと思います。
ズバリ、5度と見ました。


明日はもうちょっと暖かくなる予報が出ています。


さて、今日の午後から夜に掛けては、
サキのお友達が帰国になるので、
同じ学校やそのほか、近くの方々、
子供たちとお母さん達が大集合。
子供たちは学校が終わってすぐ、
お母さん達も5時頃には集合しました。


子供が22人、大人が10人。(写真を撮った段階で・・・)


ホント愛されていたご家族です。
わたしたちもとても楽しく過ごさせて頂いたご家族。


そして、皆さんが持ち寄ってくださったお食事、
見事だったので写真をぱちり。





で、本当に楽しく過ごさせて頂きました。
というか、今回は奥様方の集まりだったので、
私はおとなしくしておりましたが(たぶん)、
でも嬉しかったです。


そう、人をお迎えするのは本当に大好きです。
まあ、といっても、大体、私はあまり何もしないで、のんちが一生懸命なのですが・・・。


でも、今日の朝は我が家で家庭集会があり、
その中で、イエスをもてなすために一生懸命だったマルタという女の人が、そんな忙しい中、イエスの足下に座り込んで話を聞いていた妹のマリヤを許せなくて、「イエスさま、私ばっかりこんなに一生懸命で、あなたからも、妹に何とか言ってやってください!」と切れてしまう話を読みました。


いろんなことを語り合ったのですが、やはり最終的には、イエスは「聞くこと」を求められたのだ、と、他の何をも置いて、まず、静まること、聞くことを求められたのだと、そこに行き着きました。人をお迎えするのは大好きですが、やはり、その中で、いつもいつも主に聞いていくこと、主に満たされていくこと、それを見失わないようにしないとなあ、と思わされました。


でも、本当に一つ一つの素晴らしい出会いを与えてくださっている主に感謝。


さて、9月30日、昨日の聖書。
昨日はエレミヤ13:1-11でした。


「私はユーフラテス川に行って、掘り、隠した所から帯を取り出したが、なんと、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていた。」7節。

この腐った帯は当時のユダヤ民族の姿を表している。
ということは、やはりわたしたちへの警告なのだ。

私はどうだろうかと、やはり思いめぐらさせられた。

何も役に立たない腐った帯になってはいないだろうかと。
そんなことを言われたら、悲しいでしょうが、
本当にそうなっていないだろうかと、いろんなことを思いめぐらさせられました。

もしも、主からそのように言われたならば、
素直に、悔い改めることができますように、
そして、主の回復と、恵みと、圧倒的な力を頂きたいと、
「あなたの弱いところに表れる」主の力を見せて頂きたいと、
本当に思います。

主よ、
私はこの腐った帯のように、何の役にも立たないものになっていないでしょうか?
主の恵みの流れる器になっていないでしょうか?
主の愛をつたえるものとされていないでしょうか?
どうか、主よ、もしも、私がこの腐った帯のような者になっているなら、
それをはっきりと教えてください。
そして、もしも、そうだったのなら、素直に悔い改める心をお与え下さい。

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