2009-09-21

発想の転換中。


今朝の最低気温は8度。
でも昼間は24度まで上がりました。
あたたかな一日でした。


明日はもっと暖かくなるみたいです。
9月の下旬にこの陽気はありがたいですね。
あさって以降は朝の冷え込みも弱く、
今週いっぱいは暖かいようです。


しっかりエンジョイしておきましょう。


今日の礼拝も祝福されました。
久しぶりの方や初めての方も来られました。
そして、何よりも、
語りながら、自由を感じていました。
みことばが一人一人の内にとどまり、
一週間の歩みを通して、みことばが消化されますように。


今日は6時にはすべてが終わったので、
NYへの送りの車の奉仕があったのんちと
今日まで「大北海道展」なるものをやっていた、
ミツワのフードコートで食事ということで、待ち合わせ。
絶対、電話で打ち合わせをしたときには、
自分たちの方が早く着くだろうなあ、と思っていましたが、
なんと、駐車場でばったり会えるくらいのグッドタイミング。


家族で入ったとたんに「のんち(ホントはここは本名)さ~ん!」と呼ぶ声。
のんちの元同僚が「大北海道展」の売り子をしていて、もう完売間近の片づけ中。
「これでさいごだよ~」の元気なかけ声に、
勢いで買ってしまいました。コロッケ。
おいしゅうございました。


私自身は久しぶりの本格的な食事で、
ご飯は残したのですが、
ちょっと食べ過ぎたかな、って感じ。
でも、ここまで元気になって大感謝。


帰り道、車2台だったので、
私の運転の車は下の子のサキが乗ることに。
帰りの車の中で、試しに
「Yankeesの試合行きたい?」と聞いたら、
「行きたい!行きたい!途中で寝るかもしれないけど、行きたい!」
と、ビミョーな部分もありながら、とりあえず嬉しいお返事。
そこに続けて出てきた言葉。
「ジーターとマツイとポサダしか知らないけど・・・」
その瞬間、この子を野球のわかる女の子に育てようと決心したのでした・・・。
いや、ただ「わかる」だけじゃなくて、父親と野球の話で盛り上がる娘に育てようと・・・。


そう、発想の転換進行中。
「スポーツのことは男の子だよなあ(偏見ですか?)」→「自分が女の子に合わせて、会話を弾ませなければ・・・(結構難しい・・・ちょっとうっとうしいと思われているかも・・・)」→「スポーツのことがわかる女の子を育てればいい(これだ!)」
という段階まで進んでいます。


そして、調子に乗って、じゃあ、上の子は天気予報の話ができる女の子に育てようかなあ、とたくらんでいるオヤジなのでした。(嫌われるでしょうか・・・)


帰ってから、明日NCで手術を受けられる方にお電話。
神様が守ってくださいますように。
聖書学院で共に学んだこちらの先生も明日手術。
主が守ってくださるように祈っています。


さて、9月18日(金)の聖書。
金曜日はエレミヤ7:16-28。


「 あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり、祈りをささげたりしてはならない。わたしにとりなしをしてはならない。わたしはあなたの願いを聞かないからだ。」16節。

神様がこの言葉を語られた意図を考えたときに、
「今は、私に祈るのではなくて、彼らに語るべき時です」と言われているように感じました。
本当はエレミヤは預言者として、神のメッセージを語るべき時だったのに、
それを恐れたのかもしれません。
人々が神の裁きの言葉や、譴責に言葉に反発をすることを恐れたのかもしれません。
神にとりなしの祈りをしていました。

それを神は許されませんでした。
今は彼らに語るべき時です、とエレミヤに言われたのではないでしょうか?

民の罪の姿を指摘して、悔い改めを迫るべき時だと。

そんなことを思いながら、
自分の弱さを思い知らされています。

本当は罪を責めるべき時、
本当は問題を指摘すべき時、
その人の前では、ひるんでしまって、
主の前に、状況を述べてとりなしの祈りをする。

祈りが大切だから・・・ということで、
言うべきことも言わない。

自分が今までそうやって逃げてきた部分はないだろうか、
そのように思わされました。

主のしもべとして、主のメッセージを語る器として、
主に従っていきたい。
一人の人が悔い改めて主の許に帰ってくるための
働きをさせて頂きたい、そのように思い、祈らされました。

主よ、
私の使命を果たさせてください。
それ、「楽しいこと」ばかりではないという覚悟を忘れることがありませんように。
恐れを取り除いてください。恐れを乗り越えさせてください。
あなたのメッセージを語る者としてください。

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