2009-06-15

神様が造られたもの。

毎年野外礼拝をしていて、もう、10回以上になるのですが、
いつも「別に外で話さなくてもいい」内容のメッセージをしていました。


でも、今年、祈りの中で、
外だからこそ、伝わる、ものはないだろうか、
外だからこそ、神様に触れて頂く、
そのようなことはないだろうかと、思わされました。


そして、今年は、
メッセージの中で、ちょっと時間をとって、
「神様が造られたものをさがそう」と、
みんなで神様が与えてくださったものをさがしました。


虫、木、葉っぱ、草、石、空、雲・・・
そんな目に見えるものから始まって、
風、音、色、におい・・・
そして、
こころ、たましい、自分・・・。


私たちはどれほどすばらしいものを神様から与えられているか、
目が開かれるような思いでした。


さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日は出エジプト記33章1-11節。


「民は、みな、天幕の入口に雲の柱が立つのを見た。」10節。

モーセが天幕で神様のところに行くときに、
そこに雲の柱が立って、主がそこにおられることを示した。
そして、それを民は見ていた・・・と。

自分は牧師として、
主の前に行くとき、に主がそこに確かにいてくださることを知っているだろうか。
そして、それがまた教会の一人一人に見えているだろうか。
モーセは隠れていったのではなかった。
「誰も知らないけれども主の前に行くのだ」と行ったのではなくて、
人々に見える形で、主の前に進んでいった。
そして、主も、確かにモーセに語られることを雲の柱で示された。

私の祈りの生活が、このモーセの祈りのようなものとなりますように。

確かに、主のもとに行って聞いていることが、
教会の一人一人にわかるように、伝わるように。
そのような豊かな祈りの時を持つことができるように。
そう、伝わることよりも、まず、そのような豊かな主との一時を持たせてください。
私の心と思いをきよめて、あなたの前に喜んで出ていくことができますように。

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