何を隠そう、かきごおりの父も牧師です。
ここまでは知っている人も多い。
でも、もう一つあるんです。
何を隠そう、彼はブロガーなんです。
はい、75歳。現役です。
去年の秋から始めたようです。
今まで紹介しないで来たのですが、
最近、本当にこの親父の牧師としての姿勢に脱帽しているので、
紹介してしまいます。
http://blogs.yahoo.co.jp/nishi4005/
5月3日(日)の記事には、
20年ぶりに教会に帰ってこられた方の話が書いてありました。
20年前、ちょうど、私が聖書学院にいた頃でした。
ご夫妻で来られなくなった方々。
どんなに心が痛んだことかと思います。
その中で、あきらめないで関係を持ち続けて、
祈り続けて、訪問し続けて、20年。
20年前、私はまだ牧師になっていませんでした。
だから、それがどんなことなのか、想像もできません。
人をほめるのは違いますよね。
神様のしてくださったことがすばらしいんだと思います。
そして、これは奇跡だと思います。
でも、その一方で、私は自分の心を問われたように思いました。
さて、昨日、土曜日の聖書。
土曜日はエペソ人への手紙1章7-14節。
「この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。」11節。
金曜日の続きで、神様の祝福がここにも書かれているのですが、
ここでは2回出てきている言葉が、これ。
「御国を受け継ぐ者」。
わたしたちは神の国を相続する者として、招かれている。
先日、ある学びの中で、神がわたしたちに対して持っている思いは、
Aestheticなものではなかったか、ということを思わされた。
この英語に相当する日本語を見つけるのは難しいのだけれども、
美しいものを純粋に楽しむ、という感じだ。
この聖書の言葉にもそれに通じるような印象がある。
神様にとって、わたしたちが神の国の相続人となることは、
とてもうれしい、ことだったのだ。
わたしたちはいろいろ理由を考えたい。
いろんな意味を求めたい。
でも、本当に、神様がわたしたちを喜んでくださり、
相続人としてくださるのは、
本当に神様にとって純粋な喜びなんだと思うと、
とてもうれしくなってしまう。
神様、
ありがとうございます。
あなたが私を喜んでくださる方であることに、
こころから感謝します。
私をあなたの相続人としてくださったことにこころから感謝します。
あなたが与えようとしておられるもののものすごさを、
まだまだわかっていないんだろうと思います。
どうか少しずつでも、その豊かさを教えてください。
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